歌詞について考えた至福の時間
8月から9月にかけてNHK教育テレビでは“歌詞”ブームが起きていた(笑)。ひとつは佐野元春による「THE SONGWRITERS」、もうひとつは作詞家なかにし礼による「不滅の歌謡曲」、もうひとつ井上陽水の「LIFE」まで入れてもいいかもしれない。
ボクはどっちかというとサウンドから音楽を聴きはじめたので歌詞について考えることはあまりなかった。とはいえ最初の歌謡曲の記憶は、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」か藤圭子(宇多田ヒカルのお母さん)の「圭子の夢は夜ひらく」だった。これらの歌にもサウンドから(藤圭子の場合はビジュアルからも?)入っていったわけだ。まだしゃべれない赤ちゃんみたいな頃だけど。バブー
その後も、歌に歌詞があるのは当たり前で、サウンドを口になじませるための装置くらいにしか考えていなかった。ま、小学生が装置なんて言葉を使って音楽を語るわけもなく、いま当時を思い返すとってことだけど()。
しかしギターを弾いたり歌を作ったりし始めると、歌詞というものが重く重くのしかかってくる(笑)。耳になじむメロディは耳になじむ言葉と一体であって、切り離せない存在だったのだ。歌詞が書けないのは致命的なのだ。それに気付くまでに多くの年月がかかった。
そんなボクなので、まさに教育テレビの歌詞ブームからは刺激を受けた。なかにし礼氏による歌謡曲のお話しは特に新鮮だった。時代の空気に敏感であるがために戦争礼賛へと突き進んでいった作家たちの姿、業界のしきたりとか常識を打ち破ってきたフリーの作家たちの姿。流行歌にも進化の歴史があり、それを語るにふさわしい人物が探求し語ってくれた。(NHKのテキストと番組とはテーマは同じだけどほとんど別物だから、テキストは単行本としてオススメします)
なかにし礼には美空ひばりや石原裕次郎との運命的な出会いがあった。松本隆は松田聖子をまかされた。松本隆が佐野元春に聖子プロジェクトの発注をしたときの言葉は強烈だった。「松田聖子プロジェクトは1位でなきゃならないんだよ」という重圧は相当なプレッシャーだったことだろう。松本隆と松田聖子の組み合わせはいまも色褪せない。思わずBlu-spec CDで復刻された「風立ちぬ」ほか3枚買ってしまった(笑)。昔聴こえなかった音が聞こえた。
なかにし礼と松本隆。まさに時代とともにあった(そしていまも第一線の)2大作家だ。もっともなかにし礼は「○○の時代」という言い方には誤解があるとも書いているが。歌とは「一曲一曲が発明品と同じで、ひらめくのはただ一人」という名言も残してくれた。昭和の流行歌再評価の機運はまだまだ続いて欲しい!
NHKの「BS熱中夜話(ねっちゅうやわ)」という番組で11月には2夜連続の「中島みゆきナイト」が放映される。同番組で日本人シンガーを採り上げるのははじめてらしい。なかなか期待したい番組だけど、出演するファン30人のなかになぜかボクがいるらしい(笑)。ほんとか?ほんとうにポップンポールって名前で出るのか?それは見てのお楽しみだ。どうしよう。恥ずかしい...。
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