もっと深くキムヨナOO7を語ってみるの巻
キムヨナの記事へのアクセスがまだ衰えない。日本からのアクセスなのか、韓国からのアクセスなのかわからないがうれしい。本日注文していたキムヨナの2枚組ポップアルバムが届いたので早速それを聴いてみた。
このCDの特に1枚目を聴いて先日のボンドガール風キムヨナを再度見た。確かな手ごたえがあった。キムヨナはまさにポップの申し子なのかもしれない。ポップミュージックにキムヨナの耳と身体能力がいかに高度に順応してきたかがヒシヒシと感じられた。
1曲目から先日のフランス大会エキシビジョンで演じたDon't Stop The Musicだった。リアーナはバルバドス出身の歌姫。「Good Girl Gone Bad」に収録されてる。リズムにインパクトのあるこの曲はブレイクビーツの正当な流れを汲む。4つ打ちの強力なドラム。2曲目のプッシーキャット・ドールズのWhen I Grow Upも、3曲目レディー・ガガのPocker Faceも同様だ。どれも結構最近の曲だけど1980年代を彷彿とさせるビートだった。
4曲目はガラッと雰囲気が現代に戻ってNe-YoのMiss Independentだ。...とこの調子で全部解説してもキムヨナの話題に入れないので、もうちょっとだけ。個人的には14曲目にカーディガンズのLovefool、15曲目にマルーン5のMakes Me Wonder、この2つも入っているセンス!オレと気が合いそうじゃんと思った
ともかくわかったことは、キムヨナのリズム感の良さはこういうポップス的な背景があるってことだった。現代っ子だからこそ踊れるわけだ。スケートのスピードで滑りながら楽曲のブレイクポイントにジャストのタイミングで到達する。なんだかアスリートの音感じゃないもんね。
キムヨナの音楽の理解度ってビートそのもの、フックそのもの、ブレイクそのものに身体活動を委ねられる正確さと強靭さにあるようだ。音楽の持つ文学的なテーマとかメロディとかも重要だけど、踊りってのは本来もっとプリミティブな衝動だし。それがもっとも色濃く出るのはまさにビート、リズムだもの。
4つ打ちのひとつひとつにまで自然に体がノル、まるでプロボクサーのような身体タイマーを持ってる。あえて比較して言うと、他の選手が小節単位の踊りなのに、キムヨナはビート単位の細かさに思えてならない。そんな思いでキムヨナの007メドレーの動きを見てると、可能な限り自然に音楽のブレイクポイントと踊りのブレイクポイントがジャストで合ってる。
よくフィギュアスケートを見てるとジャンプの前に飛ぶための助走が長い選手がいる。それはその前の踊りが曲に乗らずに早く終わっちゃってジャンプまでに間が空いてしまった姿に見える。キムヨナのフランス大会ショートプログラムにはそれがまったく無かった。
表情にしたってそうだ。曲が始まった瞬間に口元がキュッとあがる。完全に音楽の世界に入って別人のようだ。そこからはスローなビートであろうがテンポアップしようが、すべてそのビートとブレイクに向かって表情も含めたすべての動作が統合されてる。音楽と一体になってる。
途中で下にピストルを撃つ動作や指パッチンするギミックなどがわかりやすい。その場所にジャストのタイミングでいなければ出来ない動きだ。休符を踊るにはビート単位で踊る必要がある。
ジャンプも最初の2つ(3ルッツ+3トーループ)はまさに幕を開けるかのようなドラムロールで、飛び終わってから「さぁここからはじまるわよ!」みたいな(笑)。連続ジャンプですらまだ助走なんだよね。音楽でそれがわかる。そんで3フリップのBGMはインパクトのあるフックだよ。まぁあのタイミングで飛べるキムヨナもすごいのだけど。
演技の止まるとこや動作のつなぎ目と音楽とのシンクロとか、そんなことを考えながらもう一度見てくださいな。それとこのYoutubeの0:39のとこの口元は必見!まさに「入った」瞬間といえます(>妄想か)
いやー、何度観てもすばらしい。もうちょっと音が聞きとりやすいYouTubeもあった。もし死角があるとすれば、あまりに音楽と踊りとがシンクロしているから、リズムが狂うと立て直すのが大変困難のように思う。しかし音楽に意識を集中することで、ジャンプへの不安などが薄らぐのかもしれない。3フリップと3ルッツを差し替えたのも音楽への集中度を高める効果につながってると思う。音楽に導かれてダンスするキムヨナ。アスリートではなくダンサーだ。
ここまで書くのは、ちゃんと盛り上げとかないと次にキムヨナの演技が見られるアメリカ大会をテレ朝がなおざりにしかねないからさ。状況的に()。いいものはいい。それしかないよね。
あと映像は全世界統一だからしかたないけど、エキシビジョンを撮ったカメラマンとスイッチャーは素人かと思うようなカンの悪いカメラワークだった。あれならオレでも撮れる。テレ朝には責任ないけどもったいない映像だったね。その演技はこの瞬間にしかないってことをわかってるヤツらに撮らせるべきだ。それはあらゆる現場にいえることだけどね。
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コメント
いや実際すばらしいですよね~あの表現力!
ちょうど同世代ってことで浅田真央とライバル視ばかりしがちですけど、素直にすばらしいです。
ポールさんは日韓親善大使や
)
(いや、単に好きなんでしょうけど
閑話休題
ポールさん…年齢は存じ上げませんが、
ブログ読んでいる限り「降りていく生き方」には早いのではないかと(笑)
カブ買ったり・・・むしろ上っているような・・・いや、燃費がいいから?
すいませんなんだかわからなくなりましたね。。
投稿: 八郎右エ門 | 2009/10/28 18:05
超一流ってのは国家とか関係ないですからねぇ。いいものはいい。シンプルです。イチローの背景に国家の威信を誇る感性はボクにはなくて。キムヨナも同じですね。オリンピックも国旗掲揚なくせばいいと思ってますし。ま、そんな考えを人に押し付けたりもしないですけどね。
生き方も同じでシンプルが一番いい。「降りる」という感覚はたぶんボクが高校生くらいの頃から別の言葉でイメージしていただけで、たまたま共振した映画が「降りてゆく生き方」だっただけでして。
「降りる」という言葉には「ゲームを降りる」「勝負を降りる」という印象を持ってしまいがちですね。私も「降りてゆく生き方」と聞いてまず人生の黄昏という情景をイメージしてしまいましたから。
でももっとプリミティブな身体活動・精神活動中心の生活ともいえそうです。合理性の奴隷にならないという面もありそうです。あるいは「吾唯足知」という生き方でもあります。
典型的な例でいえばイデオロギーとかグローバルスタンダードとか、人を縛る様々な制約の中に出来る限り身を置かない生き方ですな。競争しなくても充分クリエイティブに生きられるってことだと思います。
スポーツ選手もいろんな荷物を負わされてプレッシャーでつぶれる選手もいますが、そんな荷物をおろして自分のために戦えるようになればそれは「降りてゆく生き方」といえるように思います。降りれない生き方には限界があるけれど、降りることによって突破できる壁があるともいえますね。
そこには他人と競う感覚とは一段次元の違うレベルがあるんじゃないかなぁと思えてて。いまのキムヨナは次元が違うってとこにも通じるんですけど。あるいは雀鬼桜井章一の麻雀レベルとかですねぇ。ものすごい厳しい勝負のなかに“調和”を目指すんですよねぇ。そこまで行きたいんですよボクは。それにはまず降りる必要があるという考え方がいまのマイトレンドなんです。とっても前向きな生き方だと思うんですけどね

スーパーカブのあり様はまさに象徴的だと思ったんです。スローライフを象徴できるバイクってイカすじゃんと思って。最近ぜんぜん乗れてないけど...。
投稿: ポップンポール | 2009/10/28 21:55