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12 posts from October 2009

2009.10.31

押入れから出てきたアイテムで自分を鼓舞(笑)

いよいよBS熱中夜話の収録日が近づいてきた。文筆系人間なのでベシャリには弱いタイプなのだが(bearing)。まぁしかし昔はIT系のプレゼンしまくってたわけだし、そんな時代を思い出して楽しもうと思う。気分はやりすぎFBI@やりすぎコージーだsign01

特に今回のプレゼンは勝敗があるわけでもなく、背負ってるのは100%中島みゆきファンってことだけだから気が楽。だけどいろんな意味でブランクが長い(coldsweats01)。そんな自分を鼓舞するために、押入れにしまっていたLPレコードを22年ぶりくらいに蔵出ししてみた。

レコードプレイヤーを持ってないから聴くことはできないとわかっていたのだが、中島みゆきのLPだけはいつ何時必要になるかわからないと思って、一人暮らしをはじめるときに抱えて上京してきたのであった。ジバンシィのLinge de maison(ランジュ・ド・メゾン=テーブルクロスなどの布)の箱に入れて。ちょうどLPサイズだったんだよ(笑)。

やっぱLPジャケットの存在感はCDとは比較にならないな。でかいだけでこれだけアート度があがるのか。まさにLPがCDになって音楽が消費財化したことがよくわかる。それも時代だけど。CDの時代になってコンサートがより重要になって来た気もする。やっぱナマ演奏が一番だ、みたいな。原点回帰といいましょうか。

まったく思いがけない発見があった。オレ以外にはどーでもいい発見なんだけど。

「予感」のLPが2枚あった(笑)。

なぜだsign03 どうしてsign02

写真集などであれば保存用と閲覧用と2冊買う人がいるという話は聞くが、LPレコード2枚買うような子どもじゃなかったしな。一枚がマスターサウンド盤かと思ったけど同じだった。しかし明らかに1枚は保存用のようにキレイな状態だった。誰かにもらったのか?オレのあまりの中島熱に圧倒された誰かに...。まったく思い出せない。

Lp_missm_hajimemasiteそれ以外にもへーこんなのあったんだなってアイテムも見つかったので、写真撮ってみた。それが右写真。

LP「はじめまして」では歌詞カードが“果たし状”(他にいい比喩が見つからなかったもので)みたいな装丁になってた。巻紙だ。これはCDにはつけられないよね。大きさ的に。もちろん歌詞はみゆきさんの手書き文字を印刷したものだ。

それとmissMというタイトルなのに予感のジャケ写真で色彩がいじってあるLPレコード。MADE IN CANADAとなっていて、COLD FAREWELLというアルバムタイトルもついてた。つまりmissMはアーティスト名のようだ。歌はたぶん日本語だけどレコードだからいま確認できない(coldsweats02)。歌詞カードはフランス語みたい(読めないけどカナダだからたぶん)。

どこで買ったのかいつ買ったのかまったく覚えてない。おそらく山口県のレコード屋か受験名目で上京した折に都内のレコードショップまわって入手したかそんなところだろう。海外でレコードを買うと割るリスクがあるからたぶん国内で買ってるはず。CDになってからは坂本龍一のCDを買ってきたり便利になった。CDにもいい面はあるな(笑)。

あと「愛していると云ってくれ」のLPがなかった...。ショック!ショックデカまる子ちゃんですぅ...。買ってるはずだけどなぁ。「元気ですか」のインパクトを忘れるわけないじゃんsign03

こっちもなんで?どうして?だな。誰かに貸したままかな?2枚あった「予感」と交換してたりして...。もしかすると実家に置いて来たかな。このLPだけは聴ける場所においておこうと思ったとか。それはありえる。

うーむ、自分を鼓舞するつもりが思い出パズルにはまっちゃったぞ...。

自分の忘却ぶりが風に追われる私の胸に痛すぎる...。

ま、そんな状態で収録に向かいますので、放映後にネットでバッシングとかしないでね(笑)。あの程度で深読みしてる気かよみたいなさー(笑)。温かい目でポップンポールの妄想とお付き合いください。よろしく哀愁!(<それは松山千春だよ!)

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中学生に戻った気分で選ぶ松田聖子ベストテン!

久しぶりにこのシリーズ企画。「自分で弾き語りたい中島みゆき20選!」「テクノから遠く離れてYMOを素因数分解した名曲10選」とやってきましたが、1980年代のボクのハートをわしづかみにした3大アーティストシリーズの最終編。満を持してご登場いただくのは松田聖子ですsign01

コンサートでは「こんばんは、松田聖子です。」と律儀にご挨拶する松田聖子。全員知っとるっちゅーねん!そんな聖子ちゃんが大好きでした。このシリーズを、来月のBS熱中夜話「中島みゆきナイト」が放映されるまでに完結させておきたかったわけで。個人的事情で恐縮ですが(bleah)。

最近中島みゆきのCDばかり聴いてます。復刻CDも買っちゃった。当時はLPレコードだったから、あの頃の楽曲はもう20年以上聴いてなかったので。でもその20年間ギターで弾いて歌ってましたから歌は身体に沁みこんでます。そんなボクの解釈と20年ぶりに聴くオリジナルとの乖離がまた楽しかったりして。えっ、こんなに速かったのとかさ(笑)。

あの当時の思い出パズルは中島みゆき、YMO、松田聖子の掛け算によって完成するわけです。実際、当時のみゆきさんの楽曲のなかにある坂本教授(店の名はライフほか)や細野さん(ばいばいどくおぶざべい)のエッセンスが、経験値の高まったその後のボクにはいっそう深く響いてくる。

そして中島みゆきと松田聖子のCM共演が実現してる21世紀。とんだサプライズだよ!作ってるの同世代に決まってるんだから(笑)。どんなに埋めても拡大していくパズル。みんな健全なアーティストでよかった(なーんて)。

いつも前置きが長くてすんまそん。では本編はサクッと。まえはタイトルを20選、10選としてましたが、聖子ちゃんの場合はやっぱベストテンって書きたかった(笑)。

●気分はもう中学生!松田聖子ベストテン!

Seiko_suite今回は理屈抜きに、中学生(一部高校生)のワタクシの気持ちに戻って10曲選びました。ベストテンといいながら順位はつけません。あえて順序をつけるなら思い出順(笑)。選定基準も特にないけど、タイトルや作家名の確認には「SEIKO SUITE」を主に活用してます。いまやプレミア市場で4万円以上の値がついてしまってる...。

青い珊瑚礁
これをデビュー曲だと思っている人もいるくらい強烈なインパクトだった。小田裕一郎氏の的確な楽曲は初期聖子にとってかけがえのない存在。映画「ラブレター」での使われ方もグッと来た。ウクレレで弾いてもカッコイイ。

花一色 -野菊のささやき-
初主演映画「野菊の墓」の主題歌。「民さんは野菊のような人だ」という共演男子のセリフに「んだんだ!」と思ってた。聖子ちゃんカットの聖子が「映画でおでこを見せる!」と話題騒然。いい時代だったなぁ。

♪人の夢とペンで書けば儚い(はかない)と読むのですね...。金八先生もビックリのこの歌詞は松本隆。作曲は財津和夫。財津さんの提供曲もいい曲がめっちゃ多い。さらに編曲はなんと瀬尾一三。いまや中島みゆきがもっとも信頼するアレンジャーだ。当時は知る由もない。

夏の扉
この圧倒的な夏一色のイントロはすばらしすぎっ。編曲の大村雅朗さんのアイデアだろうか?これも作曲は財津さん。ほんといい仕事してるよなぁ。作詞は三浦徳子。こちらも聖子になくてはならない存在でしたね。♪車が通りすぎて身体をわけていくーなどとブラックな替え歌を作っていたアホな中学生でした。♪アナタは道の向こう側 なにか叫んでるー おークラッシュクラッシュクラーーーシュ!みたいな。

制服
これはねぇ、最高傑作ですわ。作詞の松本隆には斉藤由貴の「卒業」もありますが、卒業ソングの双璧。これに制服の作曲者でもあるユーミン(呉田軽穂こと松任谷由実)の「卒業写真」をくわえてベスト3。もう卒業することもない私には不動のベスト3ですわ。これが「赤いスイートピー」のカップリングだったんだからあまりのレベルの高さに驚愕します。まさにキムヨナの域ですわ(笑)。

蒼いフォトグラフ
宮本輝原作のドラマ「青が散る」の主題歌でしたね。中学生になって柄にもなくテニス部に入りましたよ。ドラマより先に入ってるから影響はされてない。漫画の「テニスボーイ」に触発されて(笑)。でもテニス部は学校の回りを延々走ってるだけでつらくてすぐやめちゃった。テニスするより漫画テニスボーイの模写するのに一所懸命で中3ではまんがクラブの部長やってました(笑)。この曲も松本隆・呉田軽穂・松任谷正隆のチームで名曲「瞳はダイアモンド」のカップリング曲。君ら、どこまで驚愕させんねんsign03

ハートをRock
これは聖子の曲ではちょっとマイナーかも。名作「ユートピア」のB面1曲目。自分のこと歌われてるかと思ったよ。レンタルレコード借りてカセットテープに録音して聴いてたんだけど、A面とB面を間違えてて、この曲がA面1曲目だと思って聴いてた。

今年の夏に聖子のアルバムが高音質のBlu-spec CDで復刻されたけど、どれか一枚薦めるならこのアルバムだね。高音質にし甲斐がある!マイアミ午前5時からセイシェルの夕陽へ続くこの並びは必聴でしょう。聖子自身も大好きな曲順だったかと。この2曲とシングル曲2曲がある「ユートピア」にあって、やはりマイナーなイメージが残る「ハートをRock」ではありますが、クラシック好きな堅物の男の子を自分好みに変えてやろうとする女の子の歌っていいじゃん!まさに80年代ガールの世界観だよ(笑)。「ザ・ガール」(爆笑問題の田中著)だよ。でも作曲はなんと甲斐よしひろ。聖子的には異色だよねぇ。

Only My Love
これはセカンドアルバム「North Wind」の曲。歌い上げ系で中学生当時はそんなに琴線に触れたりしなかった。ただ大人になって「North Wind」を聴くと、あの頃の冬の空気の匂いがいまでもスーっと香ってくる。ちょっと切ない気分になる。なかでも、その後の聖子もずっと歌い続けてるOnly My Loveは、当時の自分といまの自分をつなぐことのできるタイムマシンみたいな曲だ。頭サビの曲だけど、大サビの♪オッホホッホ!You are only my love,my love,my loveのオッホホッホをアイドルのセカンドアルバムで歌わせるなんて三浦・小田・信田かずおチームはチャレンジャーだったよな。それを歌いきった聖子もさすがだっ!

黄色いカーディガン
この曲も当時の思い入れはほとんどない。でも2年前にここにも書いたけど、黄色いカーディガンを聴くとなぜか涙が出てくる。悲しい曲じゃないのにな。この平和な感じから現代社会のほうがどんどん乖離していることへの絶望にさいなまれるるのかもな(んなこたぁないか?)。作詞松本隆、作曲細野晴臣のはっぴいえんどコンビに編曲大村雅朗。磐石の構え。

とんがり屋根の花屋さん
この曲はベスト盤の「SEIKO・TOWN」収録だそうだけど、ボクは「SEIKO SUITE」ではじめて聴いた。前にいっしょに聖子ライブ(娘のSAYAKA初ステージ)に行ったTさんから「名曲だよ!」と聞いていたので意識して聴いたのが最初だったと思う。たしかに名曲だった。おもちゃ箱のようなミディアムテンポのテクノポップだ。ボクはてっきり細野さんの提供曲だと思ったのだが、なんと作曲はSEIKOのクレジット!(作詞松本隆、編曲大村雅朗)やっぱ聖子って耳がいいんだな。あとカンがいい。なるべくしてなったポップアイドルだとつくづく思った。

白いパラソル
くー!もう10曲目だよ。速いなぁ。そして白いパラソル。意外かな?この楽曲はとんでもなくいいと最近感じたので。松本隆、財津和夫、大村雅朗と個人的に聖子の王道。基本ミディアムテンポのポップス好きでもあるのだけど、サビの♪渚に白いパラソル 心は砂時計よ のメロディがよくて、特に2番の♪涙を糸でつなげば 真珠の首飾り ってとこは松本隆の音感の鋭さと言葉の鋭さが完璧にメロディに乗っていた。この曲って詞先なのか曲先なのかぜひ知りたい。この歌詞を聴いての予想では曲先のような気がする。

この白いパラソルの時代がもっともアイドル松田聖子らしい聖子像だろう。聖子ちゃんカットがもっとも話題になった時代だ。そしてこの白いパラソルのB面が、さっき書いた野菊の墓の主題歌だったんだから、「聖子のおでこ披露」がいかに大ニュースだったかが思い起こされる(笑)。

白いパラソルの入っているアルバム「風立ちぬ」もBlu-spec CDを購入して、昔聴こえなかった音が聞こえたとも前に書いたけど、中学生の頃はマスター・サウンド/デジタル・リマスター盤というLPレコードが出ていた。大瀧詠一センセーのこだわりだったのか?ロング・バケーションが日本初のマスター・サウンドLPだったんじゃない?確か普通のLPレコードが2800円で、マスター・サウンド盤は400円高い3200円だったと思う。学校に持っていって自慢したような気もする(笑)。このアルバムはとにかくそのハイクオリティなサウンドを聴くアルバムだ。

というわけで赤いスイートピーもSWEET MEMORIESもあれもこれもないベストテンになってしまいましが、思い出優先ってことでお許しを。聖子の曲を聴くと元気になれる。いい時代の思い出が蘇る。中島みゆき、YMO、松田聖子。ほんと深いよなぁ。世界が広がってるし。リスナーとしてほんとに感謝してます!

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2009.10.26

もっと深くキムヨナOO7を語ってみるの巻

FAIRY ON THE ICE -THE POP ALBUM -キムヨナの記事へのアクセスがまだ衰えない。日本からのアクセスなのか、韓国からのアクセスなのかわからないがうれしい。本日注文していたキムヨナの2枚組ポップアルバムが届いたので早速それを聴いてみた。

このCDの特に1枚目を聴いて先日のボンドガール風キムヨナを再度見た。確かな手ごたえがあった。キムヨナはまさにポップの申し子なのかもしれない。ポップミュージックにキムヨナの耳と身体能力がいかに高度に順応してきたかがヒシヒシと感じられた。

1曲目から先日のフランス大会エキシビジョンで演じたDon't Stop The Musicだった。リアーナはバルバドス出身の歌姫。「Good Girl Gone Bad」に収録されてる。リズムにインパクトのあるこの曲はブレイクビーツの正当な流れを汲む。4つ打ちの強力なドラム。2曲目のプッシーキャット・ドールズのWhen I Grow Upも、3曲目レディー・ガガのPocker Faceも同様だ。どれも結構最近の曲だけど1980年代を彷彿とさせるビートだった。

4曲目はガラッと雰囲気が現代に戻ってNe-YoのMiss Independentだ。...とこの調子で全部解説してもキムヨナの話題に入れないので、もうちょっとだけ。個人的には14曲目にカーディガンズのLovefool、15曲目にマルーン5のMakes Me Wonder、この2つも入っているセンス!オレと気が合いそうじゃんと思った confident heart04

ともかくわかったことは、キムヨナのリズム感の良さはこういうポップス的な背景があるってことだった。現代っ子だからこそ踊れるわけだ。スケートのスピードで滑りながら楽曲のブレイクポイントにジャストのタイミングで到達する。なんだかアスリートの音感じゃないもんね。

キムヨナの音楽の理解度ってビートそのもの、フックそのもの、ブレイクそのものに身体活動を委ねられる正確さと強靭さにあるようだ。音楽の持つ文学的なテーマとかメロディとかも重要だけど、踊りってのは本来もっとプリミティブな衝動だし。それがもっとも色濃く出るのはまさにビート、リズムだもの。

4つ打ちのひとつひとつにまで自然に体がノル、まるでプロボクサーのような身体タイマーを持ってる。あえて比較して言うと、他の選手が小節単位の踊りなのに、キムヨナはビート単位の細かさに思えてならない。そんな思いでキムヨナの007メドレーの動きを見てると、可能な限り自然に音楽のブレイクポイントと踊りのブレイクポイントがジャストで合ってる。

よくフィギュアスケートを見てるとジャンプの前に飛ぶための助走が長い選手がいる。それはその前の踊りが曲に乗らずに早く終わっちゃってジャンプまでに間が空いてしまった姿に見える。キムヨナのフランス大会ショートプログラムにはそれがまったく無かった。

表情にしたってそうだ。曲が始まった瞬間に口元がキュッとあがる。完全に音楽の世界に入って別人のようだ。そこからはスローなビートであろうがテンポアップしようが、すべてそのビートとブレイクに向かって表情も含めたすべての動作が統合されてる。音楽と一体になってる。

途中で下にピストルを撃つ動作や指パッチンするギミックなどがわかりやすい。その場所にジャストのタイミングでいなければ出来ない動きだ。休符を踊るにはビート単位で踊る必要がある。

ジャンプも最初の2つ(3ルッツ+3トーループ)はまさに幕を開けるかのようなドラムロールで、飛び終わってから「さぁここからはじまるわよ!」みたいな(笑)。連続ジャンプですらまだ助走なんだよね。音楽でそれがわかる。そんで3フリップのBGMはインパクトのあるフックだよ。まぁあのタイミングで飛べるキムヨナもすごいのだけど。

演技の止まるとこや動作のつなぎ目と音楽とのシンクロとか、そんなことを考えながらもう一度見てくださいな。それとこのYoutubeの0:39のとこの口元は必見!まさに「入った」瞬間といえます(>妄想かsign02

いやー、何度観てもすばらしい。もうちょっと音が聞きとりやすいYouTubeもあった。もし死角があるとすれば、あまりに音楽と踊りとがシンクロしているから、リズムが狂うと立て直すのが大変困難のように思う。しかし音楽に意識を集中することで、ジャンプへの不安などが薄らぐのかもしれない。3フリップと3ルッツを差し替えたのも音楽への集中度を高める効果につながってると思う。音楽に導かれてダンスするキムヨナ。アスリートではなくダンサーだ。

ここまで書くのは、ちゃんと盛り上げとかないと次にキムヨナの演技が見られるアメリカ大会をテレ朝がなおざりにしかねないからさ。状況的に(coldsweats01)。いいものはいい。それしかないよね。

あと映像は全世界統一だからしかたないけど、エキシビジョンを撮ったカメラマンとスイッチャーは素人かと思うようなカンの悪いカメラワークだった。あれならオレでも撮れる。テレ朝には責任ないけどもったいない映像だったね。その演技はこの瞬間にしかないってことをわかってるヤツらに撮らせるべきだ。それはあらゆる現場にいえることだけどね。

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2009.10.25

築地で初牡蠣 土産に鮭とば

八千代のカキフライ定食土曜は朝から築地へ。朝からといっても食い始めたのは11時ごろだったから、築地の朝とは程遠いか。場内市場はすでに後片付けが終わろうとしていた。

国内外からの観光客でごった返すなか場内飲食店エリアへ。有名寿司店にはすでに長蛇の列が。その並びにあるとんかつの(というより各種フライ定食の)八千代へ向かった。

牡蠣のオンシーズン到来!牡蠣は英語のアルファベットでRのつく月、9月(セプテンバー)から4月(エイプリル)までがオンシーズンだ。「森は海の恋人」でおなじみの畠山さんの新書『牡蠣礼讃』(文春文庫)で知ったひとくちメモだが牡蠣好きには常識の豆知識らしい。

ついでに「牡蠣礼讃」は「牡蠣礼賛」で検索してもヒットしにくいから、ここであえて「牡蠣礼賛」とタイピングしとこう。そうすれば買いたい人とこの本とをこのひとくちメモでつなぐことが出来るからね(wink)。牡蠣好きのバイブルかつ入門書ですからっ!

10月はオクトーバーでまさにオンシーズン真っ只中。ディープ・イン・ザ・オイスター(なんだそれ?)。プレミアムな牡蠣が食えるシーズンだ。八千代でも今シーズン「初入荷」のカキ・フライ定食(1300円)がメニューに登場していた。

八千代では様々な海産物や肉を取り合わせた定食が食える。カキ・車海老・ホタテフライ定食とか、カキ・アジフライ定食とか。でも昨日のオレは八千代に並んだ瞬間にカキフライだけを食おうと心に決めていた(笑)。シンプル・イズ・ベストなチョイスだと思ったから。

カキフライに何をかけて食べるかは実に難しい問題だ。タルタルソースやマヨネーズ、中濃ソースにレモン果汁、和カラシなど何でもおいしく食えるが、個人的には醤油が好き。昨日も醤油メインで他のソースも少しずつ食した。これもシンプルなカキフライ定食でカキの単体数が多いからこその楽しみだ(笑)。

食い終わってからしばし散策。昼時になるとさらに客が増え、大行列の店も多くなる。寿司の連食も考えていたが、結構八千代の定食で満腹となったため、連食はやめて場外市場見物へ向かった。

築地は商いしてる方々の間を縫うように大量の観光客が行き交う雑然とした場所だ。この雑然とした感覚が都会ではなかなか味わえなくなった。もちろん都内のどこに行っても人ごみは腐るほどある。行列もまぁあるだろう。だが築地の持つ“市場”のパワーとはどこか違う。

市場というのはどこに行っても活気がある。商いのエッジだからかなと思ったりする。大都市を人に例えるなら、市場の時間とは朝の身支度をしている時間帯だ。バタバタと忙しくしかし手順がしっかり決まっていてなんとか間に合うあの感じ。そこには今日を生きようとするパワーがみなぎっている。

築地をフィールドワークとした人類学者テオドル・ベスターの著書『築地』は、そんな市場にJAPANの姿を発見する名著だ。

場外市場では様々な土産物を売っている。そしてここも人波を縫って歩く。江戸屋海産第三店舗にて鮭とばを購入。袋入り(200g)と皮付き切り落とし(250g)と両方買ってしまった。鮭とばも大好きなのである。

浦河産鮭とばいろんな鮭とばを食ってきた。オレが一番おいしく食べやすいと思っている某鮭とばと同じブランドを売っている店もあった(結構高かった...)。しかし今回購入したものはまさに本場っぽい味だった。最初はその潮の香が強すぎるかなとも感じたけど慣れた。浦河産というのも映画「降りてゆく生き方」以来浦河べてるの家の本を読み漁っているいまのオレとシンクロした。

いつも食べやすく加工された袋入りばかりだが、皮付きのほうははじめて購入。まだ食べてない。店のおっちゃん曰く「冷蔵庫に入れとけば半年は持つ」とのことなので、チビチビかじろうと思うが、食べ始めたら止まらないのが鮭とば。塩分の取りすぎに注意だ!

鮭とばの「とば」は漢字で書くと「冬葉」と書くらしい。なんともいい字ズラではないか。冬の葉。まさに言いえている。鮭とばをかじっていれば飯もいらない。鮭とばダイエットか(笑)。ホームシアターのお供にも申し分ない。

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2009.10.18

余韻覚めやらぬキムヨナの演技

Chirashi007なんだか1行目にハングルを書くと韓国語のページと認識されちゃう場合があるみたいだな。

※업무연락(業務連絡):여기는 일본어의 페이지입니다.(ここは日本語のページです。)

前の記事はあえてハングルで伝えたいと思ったわけ。キムヨナにheart02 日本にもキムヨナを祝福してるファンがいるということを伝えたかったのでございます。

ボクは007映画も大好きです。ドクターノオからユア・アイズ・オンリーまではチラシをファイルしてるくらいに(笑)。その後も我が愛しのソフィー・マルソーが迫真の演技を見せた「The World Is Not Enough」(1999)は何度も観てます。ソフィーとキムヨナが競演してるんですよ。頭の中で(笑)。ボク頭おかしいんで、すんまそん。

でもハングルを書いたおかげで、さっそく翻訳サイト経由のアクセス履歴もありました(고맙다 happy01)。ボクもハングル読めないし書けないけど、翻訳サイトで翻訳して貼り付けてるだけ。筆談はかなり進化したってことよねー。

翻訳サイトを使うときのボクの注意点はふたつ。

1.長文を使わない。
2.翻訳された言葉を逆にして日本語に翻訳してみる。

例えば、前の記事で「最高」って書いたけど(意味伝わってるって信じてるんだけど ^_^;)、最初は「すばらしい」を翻訳してみた。出来たハングルを逆に日本語に訳すと「立派だ」と出てきた。

このニュアンスの違いって結構あるよね。「キムヨナはすばらしい」と「キムヨナは立派だ」との違い。立派は確かにすばらしいかもしれないけど、すばらしいから立派かというと、あまりそんなニュアンスは含めたくない。

立派っていうとなんだか優等生的な感覚があったりする。「すばらしい」に込めた純粋な気持ちに、すこし打算的な匂いがくっつく。序列の頂点みたいな。そういうの嫌いなもので。

背景にあるさまざまな物語やキムヨナへの期待と重圧とか、そういった部分を含めて「立派だ(훌륭하다.)」ということはできるけど、昨日の演技を観て単純にパッション(passion)として「すばらしい」と思った感情は「立派だ」という言葉に翻訳されたくなかった。

それで「最高(최고)」にしたんだけど、じゃあ韓国語で「最高」ってのがどういうニュアンスなのかわからない。立派以上にガチガチだったりして(coldsweats02)。ハングルが出来る人にちゃんと伝わってるかを教えて欲しいっす。焼肉屋のおばちゃんに聞いてみようかな(笑)。

ボクは哲学者ヴィトゲンシュタインに心酔していたので、「翻訳」という行為がとっても重い。言葉を伝えることの難しさ。母語ですら伝えきれないのに。

でも言葉で伝わらないことも、演技とか演奏とか別の身体活動で伝わることがある。もちろん細かいマニュアル的な話しはムリだ。日常はミュージカルじゃないんだから(笑)。

でも実際人に伝わればいいことなんてシンプルじゃないかと思う。「あなたを認めています」「あなたを受け入れます」「あなたに共感します」「あなたに感謝しています」「あなたを愛しています」そんな核の部分だけ伝われば基本オッケーじゃないだろうかと思ったりする。それ以外のこまごましたことはどうであれ。

そんな“伝える言語”としては、言葉よりも踊りや音楽のほうが格段に優れているのではないだろうか。言葉は重ねれば重ねるほど真意から遠のく。そのジレンマを感じながら生きてる。文章よりも詞のほうが届くことがある。そぎ落とされた言葉のほうが伝わるのだ。

その言葉すらそぎ落とし、音楽と踊り(スケーティング)と表情とでここまで伝えきったキムヨナに感動してしまったわけですよ。外国人で言葉が伝わらないからこそ純粋に感動できたのかもしれない。そんな演技こそ、やはり「最高sign01」といいたかったのだ。

ね、言葉って回りくどいでしょ。オレが回りくどくしてんだけど...。

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2009.10.17

ボンドガール風キム・ヨナはすばらしい

최고sign01 김연아 (最高sign01キム・ヨナ)

いまテレ朝でやってたフィギュアスケートのグランプリ開幕戦ショートプログラムを見終わった。いやはや、キム・ヨナ独擅場だったな。ブルーレイに録画して、もう5回くらい見ながら書いてます(笑)。

何を隠そうボクは大のキム・ヨナファンなのだ。韓流ショップでこの2枚組CDを買うくらいに。去年は応援タオルも探したんだけど売ってなかったな。どっか仕入れてくれ!

昨年よりも確実に大人っぽくなっていた。しかも今回のショートプログラムの演技はすばらしい。安定感があるのは当然として、まるでエキシビジョンかと思うくらい自由奔放で楽しい構成になっていた。悩ましげな表情ももちろん健在だ。

曲は007のテーマをショートプログラム用にメドレーで再構築しているのだが、スケーティングと見事に融合しているセンスのよさ。メドレーだからメリハリがつけやすいんだと思うけど、ここまでジャストのタイミングで3フリップを決められるとたまらない。

さらにステップに移ったところでジェームス・ボンドのもっとも有名かつ躍動感のあるテーマを持ってきて、観客は思わず歓声をあげずにいれらない。ボクのようにスケートの素人はジャンプばかりに目が行くが、こんな音楽で軽快なステップを見せられると、ステップのコーナー(?)もまったく飽きない。

そして最後のキメでは両手でピストルの形を作って「バキューン!」っと観客のハートを撃って終了。誰もが緊張するといわれるショートプログラムでこの遊び心が出せるなんて。ボクのハートも一撃さ(>なんて昭和な感想なんだ!)。

完璧な演技設計と音楽設計。そしてそれをいとも簡単にやりきる19歳になったばかりのキム・ヨナ。フィギュアスケートの不毛地帯である韓国出身でカナダを拠点としているが、まさにひとりで韓国の期待を背負っている。しかし悲壮感はまったく感じさせない。韓国の至宝というより世界の至宝だね。どこまで成長するのか今後も楽しみだ!ぜひ将来は映画の007にもご出演願いたい。韓流映画でもOKさ!

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アグリー香里奈?リアル・クローズ

なんだかひとくちメモでは久々のような気がするTVドラマの話題。桜庭ななみの「ふたつのスピカ」以来だ。民放に限れば「銭ゲバ」以来かも。ドラマ話のないひとくちメモなんて、イチゴのないショートケーキかにんにくを入れないジャンクガレッジのまぜそばのようなもの...。今後もドラマ話を書き飛ばしていきたいと思ってます。

さて、今クールは結構注目ドラマが多い。ココログニュースでは事件と医療に偏る秋ドラマという記事があった。確かにTBSの「JIN-仁-」はかなり期待できる初回だったけど、今回は関西テレビの「リアル・クローズ」を先に採り上げたい。

「あなた、つまらない服を着ていると、つまらない人生になるわよ」

神保美姫(黒木瞳)が天野絹恵(香里奈)に発した最初の強烈な一言だった。正直、そのときの香里奈の服のどこがつまらないのかまったくわからないオレ様(笑)。つまらない服を着てつまらない人生をまっしぐらですわ。

このときの香里奈に似てる知り合いがいるけど、似てるっていえない。通常、香里奈に似てるってのは褒め言葉だと思うけど、リアル・クローズ初回の香里奈に似てるというのは微妙な空気になるのだろう...。

しかしそんな香里奈を自身の部門に引き抜いた黒木瞳。そして徹底的に冷たくあしらいつつ、心の奥底には秘めた思惑があるようなそぶり。いかにも関テレ的な熱いドラマになりそうだ。

またネットの一部では既にパクリではって話題だが、確かに米ABCの「アグリー・ベティ」を連想させた。登場人物の設定とか、シーンが切り替わるときに動く人物でワイプするとこなんか、「日本のドラマでもやってみたい!」って思ったに違いない(笑)。

でもパクリっていうよりオマージュ(笑)。そもそも「アグリーベティ」もコロンビアで放送された「ベティ 愛と裏切りの秘書室」のリメイクだったわけだし。イケてない主人公が場違いとも思われる環境で奮闘し居場所を獲得していくというストーリーはひとつの典型なので、小さいことにこだわらずに楽しめればいい。

関西テレビといえば「ブスの瞳に恋してる」もあったけど、主演に香里奈を起用ってところがアグリーじゃないよね。森三中じゃないってとこが(笑)。それと本家アグリーベティでは、いくつものサイドストーリーが同時に次々と進んでいくアメリカンドラマらしい流行の型を持ってるけど、そういうシナリオのドラマは日本じゃあんまり見かけない。1クールという制約のある日本のTVドラマなので非常に単純でわかりやすい。

またこのドラマはファッション業界とつるんでドラマがショッピングに直結している。昔からTVドラマにはそういう面もあったけれど、ネットショップとの連携で消費欲と購買行動の距離がどんどん近づいている。番組そのものがCMのようなものに。

この現象自体の良し悪しの判断はしない。ボクはドラマが面白ければそれでいいというスタンス。だってつまらない服を着てつまらない人生を送ってるだけだから(笑)。「粗にして野だが卑ではない」って生き方もいいよね。本家アグリーベティってそんな女の子でしょ。アグリーベティも大好きなんです。

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2009.10.11

微と徴

どーでもいいけどちょっと気になる「ホントのひとくちメモ」のコーナー(そんなコーナーないけど)sign01

いま原稿を手書きで推敲中。

そこでいつも手が止まるのが だ。

キーボード入力は読みだから間違えない。

しかし手書きだと一瞬つまってしまう。

そんなこと考えてるサイトもあった。

んで、いつもどう解決してるかがホントのひとくちメモなわけだけど。

違うところは真ん中の山の下の1箇所だ。
ここをボクは連想で解決してる。

徴のなかの山の下は「王」だ。
象徴の徴なので象徴天皇制を思い浮かべる。
象徴は王なのだ。王が象徴なのだ。

微のなかの山の下は「π(パイ)」だ。
円周率3.141592653589793238462643383279...の円周率πを思い浮かべる。
πは割り切れないくらい細かい。細微の微だ。微分の微でも可。

つまり王はデカめ、πは小さめ。
そんな感じで思い出すのだ。

たとえば、徴候はなんとなく大雑把な兆し。
たとえば、微妙はちょっと細かい違和感。
たとえば、徴収は税金の取立て。
たとえば、顕微鏡は小さいものを見る鏡。

まぁそんなに使わない漢字だからこんな思い出し方しても大丈夫なのだが。

徴人:超人=でっかいことを成し遂げる人
微人:美人=出会うことが非常に少ない人

という覚え方もなくはない。

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2009.10.08

台風で足止め

伊勢湾台風なみに強い台風18号がやってきた。名前はメーロー。テメー!コノヤロー!の略ではなく、マレーシア語でジャスミンのことらしい。ジャスミンガール台風だ!

伊勢湾台風といえば反射的に「赤い運命」を思い出してしまうテレビっ子だっ(笑)。このドラマは冒頭に伊勢湾台風の映像と離れ離れになった親子についての淡々としたナレーション(若山弦蔵)が入るのだが、それがものすごく印象的だったな。


さて、そんな台風のやってきた今朝、「ここしかないっ!」と昨年小笠原に行ったとき以来着る機会のなかったミレーのレインウェアを着て家を出た。

だが既に雨はやんで太陽が顔をだしていた。そのくせ風だけは暴れまくっている。朝の駅前ではやけに目立つ黄色のレインウェア。水滴ひとつついていないレインウェアを着て髪はボサボサ状態だ!

Rainwear晴れてるのに風速25mで電車も動かないため自宅へ戻ってきた。小笠原でもほとんど小雨にしか当たっていないから、レインウェアを試すにはいい日だとおもったのだが仕方がない。


帰宅して、まずは汗でちょっとだけ湿ったレインウェアを室内干し...。仕事はいくらでもある。アスコットタイをドライクリーニングしたり(笑)。今年の夏、実家で母にハンチング帽のドライクリーニングをしてもらって、自宅でもドライクリーニングって出来るんだと知って今回初挑戦だ。ほんの20分程度で完了!いま風呂場で陰干ししてる。

ネクタイ嫌いのオレだがアスコットタイは嫌いじゃない。それも本来の超フォーマルな着用ではなくて自由の象徴としてつけるアスコットタイが好き。なかなかつける機会もないわけだけど(despair)。

電車はまだまだ動きそうにない。

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2009.10.07

J-POPの太鼓持ち!?音楽論

今年の正月に田舎の本屋でマーティ・フリードマンの最初の著書『いーじゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た-』(日経BP社刊)をたまたま見つけた。新幹線で読むのにちょうどいいと思ったので購入した。なかなか面白かったので、今年発売された続編ともいえる『サムライ音楽論』も購入して読んだ。この2冊で2006年秋(11月)から2009年春(5月)までのJ-POP状況について、外国ギタリスト目線で書かれている。

ある意味新鮮、ある意味食傷(笑)。そんな感想を持った。やりすぎコージーFBI捜査官千原ジュニア風に言うならマーティ・フリードマンは「どこまでもなヤツだぜっ!」って感じだ。とにかく採り上げたJ-POPを褒めまくる。2冊のオビにはこう書かれていた。

・日本人なのにJ-POPを聴かないなんて“灯台下暗し”だよ!
・なぜ彼は世界的なバンド「メガデス」を脱退しB’zと松浦亜弥の国にやってきたのか?
・日本人よ自信を持て!この国にはJ-POPがあるじゃないか!
・ニッポンは世界一の音楽王国だ!

などなど。まさにベタ褒めとはこのことだろう。もっとも気に入らない作品は採り上げないのかもしれない。レコード会社の意向だけで書いているわけでもなさそう。J-POPが好きで好きでツアーの合間に日本語も学んで習得しとうとう日本に住み着いたわけだから、その想いの大きさには脱帽する。

オレも日本のごった煮のように何でもありな音楽状況は大好きだ。あややとかチャットモンチーとか平原綾香とか、マーティと趣味があうミュージシャンも多々いた。

最初の著作に極私的J-POP TOP40ランキングがあって、そこで平原綾香の「明日」を第2位に入れているのはまさに大賛成だし、TOP10の実に4つまでが松浦亜弥(三人祭含む)というのはすごい。アイドルサイボーグに完全にツクダーンだね。そんなマーティにはメロン記念日もオススメしときたい。

マーティ南とあだ名をつけたいくらいだ(笑)。もちろんマシュー南のパロディ。ボクはマシュー南とあややを頭の中で妄想対決させたくて同時期にコンサートを観に行ったりしていた。昔は個人的に松浦亜弥をアーヤと呼んでいたが、いまやあーやといえば平原綾香のことで、不思議な因縁を感じる(>なんだそれ?)。

ただ、ここまでJ-POP礼賛が続くと、ちょっと食傷気味だ。『サムライ音楽論』というよりは『太鼓持ち音楽論』のほうが正確な日本語のような気もしてくる。この機会に太鼓持ちって日本語も覚えてくれマーティ!でも、だからといってぜんぜんつまらないなんていってるわけじゃないよ。ここまでJ-POPへの愛を感じる本は最高じゃん!(落としても持ち上げるマーティ論法をマネてみた)

雑誌の連載記事を集約した単行本だから一気に読むとこうなるのは仕方がないかもしれない。3度の飯でチョコレートやらケーキやら、ぜんぶスウィーツを食ってるような感覚だ。だからちょっとずつ読みたい。

本業のギタリストのほうでも大好きなJ-POPをギターでカヴァした「TOKYO JUKEBOX」がカッコイイ。これも購入しましたよ。なかでも天城越えはいいねぇ。武藤敬司の入場テーマ曲に影響受けてるんじゃないかな(>受けてねーよ!)。それとポリリズムも良かった。本人が完全コピーと言っているだけあって、忠実にギターで再現しようとする姿勢が気に入った!

レアなとこでは、しょこたんと深夜番組でコラボして作った「俺の名はナッパ」という曲も発売して欲しいなぁ。ちゃんどリズム隊も入れてしょこたんボーカルで。ボクはDVDに録画してますよ。これも含めていろんなアイドルとの豪華コラボアルバムとかもぜひ作って欲しい。J-POPのキモはやっぱボーカル中心主義じゃん!今後のマーティの活躍に期待してます。

マーティ・フリードマンのJ-POPメタル斬り/延長戦

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2009.10.03

歌詞について考えた至福の時間

8月から9月にかけてNHK教育テレビでは“歌詞”ブームが起きていた(笑)。ひとつは佐野元春による「THE SONGWRITERS」、もうひとつは作詞家なかにし礼による「不滅の歌謡曲」、もうひとつ井上陽水の「LIFE」まで入れてもいいかもしれない。

ボクはどっちかというとサウンドから音楽を聴きはじめたので歌詞について考えることはあまりなかった。とはいえ最初の歌謡曲の記憶は、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」か藤圭子(宇多田ヒカルのお母さん)の「圭子の夢は夜ひらく」だった。これらの歌にもサウンドから(藤圭子の場合はビジュアルからも?)入っていったわけだ。まだしゃべれない赤ちゃんみたいな頃だけど。バブーnotes

その後も、歌に歌詞があるのは当たり前で、サウンドを口になじませるための装置くらいにしか考えていなかった。ま、小学生が装置なんて言葉を使って音楽を語るわけもなく、いま当時を思い返すとってことだけど(bleah)。

しかしギターを弾いたり歌を作ったりし始めると、歌詞というものが重く重くのしかかってくる(笑)。耳になじむメロディは耳になじむ言葉と一体であって、切り離せない存在だったのだ。歌詞が書けないのは致命的なのだ。それに気付くまでに多くの年月がかかった。

そんなボクなので、まさに教育テレビの歌詞ブームからは刺激を受けた。なかにし礼氏による歌謡曲のお話しは特に新鮮だった。時代の空気に敏感であるがために戦争礼賛へと突き進んでいった作家たちの姿、業界のしきたりとか常識を打ち破ってきたフリーの作家たちの姿。流行歌にも進化の歴史があり、それを語るにふさわしい人物が探求し語ってくれた。(NHKのテキストと番組とはテーマは同じだけどほとんど別物だから、テキストは単行本としてオススメします)

Seiko_traca001なかにし礼には美空ひばりや石原裕次郎との運命的な出会いがあった。松本隆は松田聖子をまかされた。松本隆が佐野元春に聖子プロジェクトの発注をしたときの言葉は強烈だった。「松田聖子プロジェクトは1位でなきゃならないんだよ」という重圧は相当なプレッシャーだったことだろう。松本隆と松田聖子の組み合わせはいまも色褪せない。思わずBlu-spec CDで復刻された「風立ちぬ」ほか3枚買ってしまった(笑)。昔聴こえなかった音が聞こえた。

なかにし礼と松本隆。まさに時代とともにあった(そしていまも第一線の)2大作家だ。もっともなかにし礼は「○○の時代」という言い方には誤解があるとも書いているが。歌とは「一曲一曲が発明品と同じで、ひらめくのはただ一人」という名言も残してくれた。昭和の流行歌再評価の機運はまだまだ続いて欲しい!

NHKの「BS熱中夜話(ねっちゅうやわ)」という番組で11月には2夜連続の「中島みゆきナイト」が放映される。同番組で日本人シンガーを採り上げるのははじめてらしい。なかなか期待したい番組だけど、出演するファン30人のなかになぜかボクがいるらしい(笑)。ほんとか?ほんとうにポップンポールって名前で出るのか?それは見てのお楽しみだ。どうしよう。恥ずかしい...。

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ボクの降りてきた生き方

「降りてゆく生き方」ばなしが続きますが...。そういえばオリンピックの東京招致は落選したそうですね。リオに決まったと聞いて良かったなと思いました。南米大陸初ってのは、かつての東京オリンピックが開催された頃の熱さを彷彿とさせます。熱烈に歓迎されることでしょう。シカゴも東京も衰退してゆくかつての大国の都市。オリンピックだけに、参加することに意義があったと思えばいいじゃん(笑)。

近代五輪の父、クーベルタン男爵の「参加することに意義がある」って、降りてゆく生き方に通じるかも。言葉の真意を探してみるとこんなのが見つかりました。読売オンラインから
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人生において重要なことは、成功することでなく、努力することである。根本的なことは征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。
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過程の重要性と、個々人の姿勢が第一義にあるということでしょうか。もちろん競技である以上、そこにはルールがあり、そのルール内で競って順位をつけます。順位はつけるというよりも「ついてしまう」といったほうが“降りていく書き方”かもしれません。

どんな小集団でも、そこで何か能動的にはじめると、必ずなんらかの差がついてしまいます。しかしその「差」って何だろうと考えるところから、降りていく感覚がはじまるように思えます。ボク自身、子どものころからそういう意識で生きてきました。ただそれを「降りていく生き方」という言葉で語っていなかっただけで。

なにかこの考え方に触れた記事がなかったかなとブログ内を検索してみたら、ひとつ見つけました。2004年に書いた「YONG-SAMAから日本を想ふ」の真ん中あたり。こんなこと書いてます。
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学校の勉強は他の人が覚えてるんだから僕には必要ない。少なくとも聞けば知ってる人が日本中にいるだろう。でも相対的にボクしか覚えてないことも価値があるんじゃない?ボクにしか聞けないんだから。そんなことばかり考えている変な子どもだったのだ。
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この考え方はいまもそう変わらないで生活してます。「人と同じはイヤ」ってボクだけじゃなく思春期には誰もが言いますけれど、やってることは「人と同じ」だったりするのもまた日本人なんだよね(^_^;)。それは学校教育の“成果”なんだけど、たかだか数百人のグループで同じ問題を解いて(しかも解答が用意されてる問題を解いて)、順位をつける。このくだらなさに幼いボクは気付いてしまったのでした。だったらオレしか思いつかない発想のほうが楽しいやってさ。常にナンバー1だからね(笑)。

●教育とは学問世界のプレゼンテーション

さまざまな教科やその関係者(教育者・行政・業者・学会など)はその教科の勢力拡大のために魅力のある学問世界を提供しアピールし続けなきゃダメなんだよね。そうやって好奇心いっぱいの子どもたちのモチベーションを高めて裾野を広げれば、その分野での新たな発見や発明の可能性が高まり発展につながるわけだから。そこはグローバルな世界なわけです。公共性の高い場といってもいいかもしれない。

しかし学ぶ立場としてのボクらは、なにもそんな教科教育関係者間のグローバル競争に付き合う必要なんてまったくないわけ。サービス精神旺盛な学問世界がそこにあれば乗っかるし、そうでなきゃ別の世界がいくらでも広がってる。

学校教育を離れることで他の人がまだ見ていない学問領域に入っていける魅力ってあるのよ。そりゃそんな世界にも先人はたくさんいる。でも圧倒的にこっちのほうが面白かったりするわけよ。「学校で教えてくれないこと」って誘惑がさ(笑)。そこを極めていく道がもっとあっていいと思ってきたわけ。

学校教育からは降りちゃったけど、学校社会や受験社会というひとつのルールによる競争に縛られないで別のルールで生きる道があると思ってた。でもそれを認めてくれる環境がまだなかったのがボクの青年期の時代だったんだよね。まぁドロップアウトしていく勇気もなかったし、器用貧乏な性格が仇となって(笑)、学校生活をそつなくこなしてしまったわけですが...。

教科教育する側も、よいプレゼンをすればその学問への人材流入が促される。ダメなら廃れる。行政の力で子どもを集めてプレゼンできるオイシイ環境を手に入れていながら、まったくその場を使いこなせていないのがいまの学校教育なのさ。モンスターペアレンツを生み出したのも教育だって自覚が足りないんじゃない?

●降りて来い!学校教育(笑)

でも学校の意義を認めないわけじゃない。それについては「子どもの好奇心 大人の好奇心」の最後のほうで書いてる。それを「降りてゆく生き方」風に言い換えるなら、学校教育も降りてきて欲しいってことだよね。公共の「場」としての学校と、個人の「知」をサポートしてくれる学校となら歓迎。

いまは朝から鉄の門で閉ざされて、個人の知とは無関係に組まれたカリキュラムによるベルトコンベア型授業が一方的に押し付けられてるだけじゃん。これって学問世界にとってもマイナスだよ。同じ方法論によって同じ知的体験しかしてない人々による閉じた競争社会。

勝ち残っていく人間はそれなりの才能はあるんだろうけど、本人の能力とはまったく別次元で構造的に視野の狭さを養成されちゃってる。企業社会には使い勝手がいい人材ですわ。つぶしのきかない特殊技能ほど会社にとってありがたい労働力はないからね(笑)。そこでしか生きられない優秀な飼い犬ですわ。

飼い主の顔を見ようと頭を上げても飼い主が誰だかわからないグローバル資本主義だから、自分のアイデンティティすら危うくなってくる。勝ち残り勝ち上がったその先にいったい何があるのだろう?失った時間だけがあるような気がする。カネで買えない時間だけが。

これが自由主義社会の教育の現場なんだから貧困のきわみだよ。“持てる者”が“持たざる者”にとって代わられるのが怖いから、こんな教育を作り上げたんだとすら思ってるよ。物言わぬ労働者が一番ありがたいからね。

あべやアソーが首相になったのは“持てる者”の勝利宣言だったかも。まぁ宣言が拙速すぎてて“持たざる者”はクビの皮1枚で助かったけど...。持てるか持たざるかがグローバルマネー限定の話しにすりかえられてるところで、すでに教育的“成果”に犯されてる自分を発見したりもするわけですけれど。

地域再生には学校教育を変える必要がある。まず中央集権やめちゃおう。地域に降りていってオリジナルの教科書作って、地元のおっさんやおばちゃんに話を聞こう。実際に手伝いしてそこから学んだこと感じたことを話し合おう。まずローカルがあってグローバルがあるってことを生き方のコアにしていこう。

これすべて学校教育が忘れてきたことなんだ。免罪符的にはやってるけども。文部科学省は解体して地方行政に降りていこう。教育を国家が統制する時代はもうやめよう。なーんてことが出来るのは、中央集権国家なんだけどー。でも北朝鮮みたいにオーナー企業的国家じゃないサラリーマン社長的ニッポンだから、変えられると思ってるんだよ。

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