降りてゆく生き方はまちづくり映画だった
四谷ひろばで上映された映画「降りてゆく生き方」を観て来た。四谷ひろばは廃校となった小学校を地域で活用していこうというひろばで、映画はその体育館での上映だった。子どもの頃はたまにこういう映画鑑賞会が開催されていた。「典子は、今」を体育館で見た記憶がある。この手作り感こそが、「降りてゆく生き方」のコンセプトと合致した。
映画の内容は決して暗いものではなく地域再生の物語だった。どちらかといえば元気が出る映画といえる。
日本の田舎(ロケ地は新潟県)をオイルダラーに売り渡し一大レジャー施設建設にすべく派遣されてきたファンドの窓際族(武田鉄矢)が、その過程で自分の立場を偽りつつ村に溶け込み信頼を得てゆく。だが村を知れば知るほど、そんな自分の立場への疑問と葛藤が芽生え、ついに商店街の再生へと没頭し、孤立無援で立候補した酒蔵の息子の選挙応援に邁進する...。そんな映画だった。
「クニミツの政(まつり)」というドラマを連想した。主演の押尾学が昔から嫌いだったオレだけど、このドラマだけはその内容のすばらしさでDVD-BOXを購入している。このドラマも地方選挙で良識ある弱小市民派先生とその応援者が奮闘する内容だった。判官びいきといわれるかも知れないが、こういう弱者が力を合わせて巨悪と闘うドラマが大好きだ。
昨今のダム建設中止問題とも通じる話だと思う。「森は海の恋人運動」にも通じる。大都市と水源、海と森、上流と下流とはつながっているということだ。お互いの生活への想像力が必要な時代とも言える。下流の大都市のために上流の人々が犠牲になる。下流に人が多すぎるから都市部住民に「立ち退け」とは決して言われない。ここにも数の論理があった。あるいは経済の論理が最優先された。
だが片方を犠牲にしても結局共倒れになる。特に自然(地球環境)には多数決が通用しない。それはグローバル社会の法則ともいえるWIN-WINの思想にも実は通じている。お互いに利益になることを考えましょうという考えはすばらしい。ただそれが、グローバルマネーの世界では経済的な利益でしか計ることができないために、経済オンリーで解決しようとしてきた。
だが生活の場である地域再生の現場では、心の豊かさや生きる意味、コミュニケーションのあり様こそが重要であって、経済オンリーのWIN-WIN思想だけでは解決できないコンフリクト(対立)を生む。だからこそ「降りていく」ことに価値を見出す。
この「降りていく」という感覚は、べてるの家に多くの示唆を得ているそうだ。精神障害に悩んでいた人々が、病を治すというひとつの生き方にこだわらず病と共存しながら事業を運営して成功している。そこは「儲けなくていい」「がんばらなくていい」という運営がされている。不条理なプレッシャーから開放されたなかで、日々コミュニケーションを大切にして運営されているという。それが決して後ろ向きの生活でないところがキモだと思う。
上映会当日、一冊の書籍を購入した。「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから」(清水義晴著、小山直構成・文、太郎二郎社エディタス刊)だ。この本もこの映画のコンセプトづくりに大きな影響を与えている。オビには「<ただの人>が社会を変えていく!」とある。まちづくりは数の論理、資本の論理をいったん棚上げして、まちのなかに降りていくことからはじめるのがよさそうだ。まさにチェンジの時代にふさわしい。
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コメント
ポールさんが会場で買った本、
気になってアマゾンで早速注文しちゃいました。
「べてるの家」は研修会や、書籍でも読んでいてそこでもつながるので。。
一度べてる祭りを体験しに
浦河に行ってみたいなぁ。
僕、北海道にも九州にも上陸したことないんですよね。。。
投稿: 八郎右エ門 | 2009/09/30 09:58
べてるの家は世界的にも注目されてるそうですね。さすが八郎右エ門さんはご存知でしたね。べてる祭り体験実現できるといいですね!
浦河って苫小牧から襟裳岬へ向かう途中にある町なんで近くは通ってるんですけど、その頃の私はまったく存在を知りませんでした...。
この本のなかには本当に著者と身近な人々による変革エピソードが書かれていて面白いです。堅苦しくないところがいいですね。河田珪子さんの「地域の茶の間」とかネーミングからしていいなぁと思った事例もありました。
http://www.geocities.jp/echigo_sado/yamahutatu2.html
会場ではべてるの家の書籍も売っていたんですがあまり現金を持ってなかったのと荷物になるんで1冊だけしか買えませんでした。今後いくつか読んでみようと思ってます。
投稿: ポップンポール | 2009/10/01 08:04