サマータイム・ブルースが聴こえた!小説吉田拓郎
2006年のつま恋で吉田拓郎の「サマータイム・ブルースが聴こえる」をはじめて聴いた。作詞は松本隆だが、まぎれもなく拓郎の歌だった。
♪ギターケース抱えて歩いたよ
♪何故かバスに乗るより自由な気がして
♪こんな馬鹿なことが出来るのも 20才になるまでさ
♪それでいいよね
つま恋では、このフレーズのところで拓郎が涙ぐんでいたように思う。ステージは遠くだったからよく見えなかったけれど、届いてきた声が詰まっていた。
ボクはこの歌詞が一発で気に入った。幸い自宅には「続・吉田拓郎楽譜全集」(昭和61年刊/ドレミ楽譜出版社)があり、歌ってみた。幸いコードもCで簡単に弾けた(笑)。
その後フォーク居酒屋昭和デビューしたとき、他のお客さんに「これ出来ますか?」と声をかけられたのがこの曲だった。つま恋の余韻覚めやらぬ時期だったので「出来ますよ!」と言ってそのお客さんと一緒にステージで歌った(後半わからなくなってグダグダだったけど楽しかった!)。
今年(2009年)、『小説 吉田拓郎 いつも見ていた広島 ダウンタウンズ物語』(田家秀樹著)が小学館から文庫化された。読み終えて聴こえてきたのも、まさに「サマータイム・ブルースが聴こえる」だった。より鮮明にボクの頭に響いた。
●拓郎の声も聴こえる小説だった
ボクは中島みゆきの大ファンだったから、中島みゆき本の著作もある音楽ライター田家秀樹さんの文章にはなじみがあった。ボクが吉田拓郎ファンになったのも、もとを辿れば中島みゆきが拓郎の追っかけだったと聞いたからだ(笑)。中島みゆきがリスペクトしてるアーティストだから好き。それが最初。小学6年生の頃だと思う。
そんなボクだったが、フォークソング狂いのバカ息子(+テクノキッズ)に成長する過程で、吉田拓郎のすばらしさを実感しはじめる。それは楽曲で言えば「外は白い雪の夜」だったり「流星」だったり「唇をかみしめて」だったりしたわけだけど、その根本には“声”のよさがあった。
こんなこと言うとファンに怒られそうだけど、拓郎のヴォイシングには例えば大瀧詠一や山下達郎、矢沢永吉といった稀代のボーカリストのような工夫があまり感じられない。だけどそれが逆に素直な歌唱となって届くのだ。人間吉田拓郎の歌として届く。それはあの声の魅力に負うところが大きいように思う。
小説吉田拓郎のなかで拓郎青年の発する言葉のひとつひとつが、ボクには全部拓郎の声で聴こえてきた。こんな贅沢な読書ってあるだろうか。
青春小説としても非常に優れている。田家秀樹さんの筆力とアーティストとの距離感の賜物だろう。小説としてすばらしいうえに、拓郎の一言一言がまるで映画を観ているように聴こえてくる小説なのだ。
●バンドマン吉田拓郎の青春小説
物語は1965年から1968年末(昭和40~43年末)までの広島が舞台だ。山口県でボクが生まれるほんの少し前、お隣の広島県にティーンエイジャー吉田拓郎が確かにいた。なんだかそんなことがうれしい。
そこでの拓郎青年は、広島でナンバーワンバンドといわれたダウンタウンズの中心メンバーだった。いまや伝説ともいえる広島フォーク村を拓郎たちが立ち上げる前夜までを切り取った物語だ。アマチュアのフォークシンガー吉田拓郎は後半に出てくるだけで、ダウンタウンズの青春がメインテーマといえる。
戦争が終わっても原爆の後遺症が生々しい広島。親を亡くした子どもたちが当たり前の時代。淋しがりやが集まってバンドをはじめる。音楽でつながることの楽しさ。しかし音楽だけで楽しめないのもまたバンド活動だ。メンバーの人生、その家族の人生。プロになるか否かの葛藤、プロになれるのか否かの葛藤。東京への憧れ、東京への幻滅。
吉田拓郎も広島のただの兄ちゃんだったのだ。しかしその行動力は飛びぬけてる。そのちょっとした行動力の差と天性の“声”の魅力としゃべりの達者さ。この時代のバンドマンとしての活動や経験がコアになって、偉大なソロアーティスト吉田拓郎へと通じているように思えた。
そういえば昨年のオールナイトニッポン40周年記念放送で、「最後の全国ツアーが終わったら、若い頃やってたR&Bなど外国曲ばかりのライブをスポットでやりたい」って拓郎が話していたな。もしそんな夢のようなライブが実現したなら、ダウンタウンズのレパートリーが再演されることだろう。ゆっくりでもいい、体調を直した拓郎の歌う「ホールド・オン、アイム・カミング」を聴きたい
●吉田拓郎が語る!スーパーカブのインプレッション
ほんの余談になってしまうが、若き吉田拓郎もスーパーカブに乗っていたことがこの小説の第十章で判明した(笑)。借り物だったがピンクやグリーンでペインティングされた派手なカブで、車体中に虹がかかり、星がきらめいているシロモノだったらしい。
そんな吉田拓郎によるスーパーカブのインプレを引用しよう(あくまで小説での話だか...)。幼なじみの大野に「国産じゃが、いうなればスクーターじゃ」と見せたときに「これのどこがスクーターじゃ。ただのカブじゃろが」と言われたときのコメント。
「そう言うな、これはただのカブじゃなくて正真正銘のスーパーカブじゃから、二人乗りもOKじゃ。スピードも出るし、燃費もいいし、結構走るんよ。とは言っても借り物じゃがな」
どうだろう。インプレとしてはいたってフツーの感想だけど、拓郎の声で聞いてみんさい(頭の中で)!
実は拓郎は子どもの頃、自転車もようこがん(=よくこげない)虚弱体質の子どもじゃったらしい。大野はそんな拓郎を荷台に乗せて学校へ連れて行った。そんな二人が青年になり、今度は拓郎がカブに大野を乗せて走っとるんよ。ええ話やなぁ。
この話を読んだから、この小説のことはボクがスーパーカブ110を注文してからにしようと決めとったんよ(笑)。昨日晴れてカブを発注してきたので解禁し、書いてみましたとさ。めでたしめでたし!
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