google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 新潮選書フェアで学問について考えた: ひとくちメモ

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2009/07/12

新潮選書フェアで学問について考えた

バードリスニングという世界を知ってから、近所で鳴く鳥の声に耳を澄ますと、案外スズメ以外が多いんだなぁといまさらながら感じたりしている。そのスズメ以外が何なのかはまだわからないわけだが()。

野鳥図鑑的な本もいくつか買ったけれど、バードウォッチングのオンシーズンは秋から冬。こんな暑い時期は避暑地にでもいかないとなかなか留鳥以外にお会いできない。というわけで、梅雨から暑い初夏にかけては充電期と考え、涼しい書店へ出かけて「鳥・野鳥」をキーワードに物色した。そこで新潮選書の『野の鳥は野に 評伝・中西悟堂』(小林照幸著)ほかを購入した。

●新書から選書へ

ちょうど新潮選書がフェアをやっていた。1967年にスタートしたという新潮選書シリーズ。約40年経って表紙をリニューアルしてのフェアだった。「選書」ってジャンルは「新書」よりも敷居が高い。ページ数も多いし、「誰が選んどんねん!?」という疑問も湧く(オレだけか?)。

しかし何か興味を持っていることと選書のテーマとがシンクロすると入門書としては非常に頼もしい。最近は「新書」のお手軽感がどんどん強まり、情報としての面白さはあっても、かつて新書に求めたような学術的入門書としての機能は衰退している。その枠を埋めるのが「選書」かなとも思う。

講談社ブルーバックスを読み漁っていた子ども時代から、新書はある種ボクの個人教授であった。某出版社の入社試験最終面接で「師とあおぐ人は?」みたいな質問をされ、「人はいないけど本が師匠ですね」と応えて落とされた(それが原因か?)。しかし学校教育への落胆ばかりを育んできたボクの師匠は、まさしく授業ではお会いできない新書とその著者たちだったのだ。

しかしいまや「新書」は地味なエンターテインメント本と化してる。良いように考えれば、それだけ人々の知的水準が高まり、かつての新書レベルの知識はネットその他で得られるため、「新書」が入門書的な位置から外聞・外伝・裏話的よもやま話へとシフトしたともいえる。

雑多な「文庫」より差別化しやすいからか、「新書」で出版される内容は知的な装いを纏って書店に並ぶことが出来る。書店における「新書」の棚争いは激烈だ。新書は同じ出版社の作品が寄り集まってひとつの集団となる。そのたたずまいに集客力が要求される。地味ではいられなくなったのだ。一冊一冊が兵隊なのだ。

だがここに「選書」というさらに地味な後方支援部隊がいた。新書よりも重装備で、テーマにお子ちゃまを近づけない威圧感がある(笑)。この世界に入るには大人のたしなみが要求される。インテリサロンのようなところだ。

●学問の3つのプロセス

学問には3つのプロセスがあるように思う。もっともボクは学問の権威でもなんでもないので、一趣味人として物事を吸収するプロセスともいえる。

最初は単なる興味。ここは一番重要だけどその後の環境や思考によって取り返しのつかない極北へたどり着く人もいる。例をあげれば元防衛省航空幕僚長田母神氏のような...。興味だけで空想の翼を最大限に広げていく。それはそれで幸せな生き方かもしれない。

次に批判的読書。興味を持つことは重要だが、批判的精神を併せ持って読まなきゃ意味がない。学校ではそういう批判精神の重要性をこそ学ばせなければ、ただの賢く従順な労働力しか育たない(あっ!学校はそれが目的だからいいのか)。ここは幅広い。新書はこの部分の入門書だったと思う。それが「選書」に受け継がれているように思う。

いまや情報過多で何が正しくて何が間違っているかわからない。知識も相対的な評価ばかり(ポストモダンなオレが言うのもなんだが)。だから思想の正しさよりも、そのジャンルの準拠枠(思考の枠組み)がどこにあり、学会や業界の争点がどこにあり、最新テーマがどこにあり、どんな経歴の持ち主がどんな主張をしているのか、そういうった諸々の現実をメタ・レベルで眺めてみる。普通に生きてるだけなら、このレベルの知識だけしか必要ない。

最後は新しいフロンティアの開拓。いったん飲み込んだ知識や情報を使ったり、未だ手に入れていない発見をする旅だ。学問の到達点にゴールはないわけで、多くの人はイバラの道たるフロンティアに手を出さない。学者を名乗る人ですら。だからここに到達できる人は「選書」を読むだけ人でなく、「選書」を書く人でもなく、「選書」のテーマになる人なのだ。この、読む人・書く人・なる人は学問の3つのプロセスにそのまま当てはまるかもしれない。

●「野の鳥は野に」の思想

ウトナイ湖ネイチャーセンター中西悟堂もまさに“なる人”。「日本野鳥の会」創始者で東洋的自然観に基づいた自然保護のパイオニアだった。誰にでもできる仕事じゃない。探鳥会にはじまって霞網猟の禁止、鳥獣保護法の制定など社会的影響力も大きかった。「野鳥は自然の入り口」という思想を貫いた89年の生涯だったようだ。

「日本野鳥の会」といえば紅白歌合戦。ボクもほとんどそういう連想しか持っていなかったが、悟堂のめざした自然保護とは、そのようなエンターテインメントの世界とは程遠い。日本全国に野鳥のサンクチュアリ(聖域)を広げたいという夢を生涯持ち続けた人だった。都市公園として日本初のサンクチュアリである代々木公園の造成計画にも関わっているそうだ。

ウトナイ湖のネイチャーセンターは、ちょうどボクらの2007年北海道旅行で最後に立ち寄ったところだった。帰りのフェリーが出るまでに時間があったので、近くの“観光地”を探して立ち寄ったのだった。もちろん中西悟堂のことも、ここが自然の場所として日本で最初のサンクチュアリだということも知らずに行ったのだった。

行ったときは夏だったからか、ほとんど野鳥もおらず、苫東工業地帯や新千歳空港と隣接した場所だし、こんなところに野鳥の楽園があるなんて...と、正直免罪符的な場所かなくらいに思っていた。知らないってのは罪だね。

また武蔵野台地も愛した悟堂にゆかりの雑木林(天然記念物)が野火止の平林寺にあるという。野火止といえば昔2時間以上ならんで塩らーめんを食ったぜんやがあるとこだ(笑)。らーめんに2時間並ぶより2時間雑木林を散策するほうが健康的かもしれない。今度行ってみよう。

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