ポップ・シティの偉大な田舎者!坂本龍一自伝
平原綾香のコンサートからは大満足で帰宅したが、体調はまたもとに戻ってしまい、日曜・月曜と腹痛で横になっていた。月曜午後には本くらいは読める状態に回復したので、坂本龍一自伝『音楽は自由にする』(新潮社)を一気に読み上げた。
坂本龍一を知ったのはもちろんYMOからだった。YMOキッズのひとりだったのでYMOに関する情報はむさぼるように収集してきたため、様々なエピソードはすでに頭に入っている。自伝からはその補強として、「そのときサカモトはなにを考えていたのか?」を読み、またそこに書かれていない行間を読まねばと意気込んでいた。...といいたいところだが腹が痛いんでサラっと読んだ(笑)。
昔から一貫して感じていたのは「坂本龍一はまったくポップじゃない」ということだった。テクノポリスとかがんばっているけれどポップじゃない。それは決していい曲じゃないということでなく、坂本龍一のポップ寄りの音楽にはムリがあると思っていた。
はじめそう思ったとき、それはクラシックの作曲家としてエリート教育を受け、その素養をベースに現代音楽・電子音楽へ傾斜していったアカデミックな音楽脳が邪魔をしていたのだろうとばっかり思っていた。しかしその思いは、ずいぶん前に(20年以上前に)すでに違うということを感じていた。
坂本龍一のアンチポップな感性はアカデミズムではなく、土着的な感性、田舎者の感性といったほうがシックリくる。いわばフォークロアなものなんじゃないかと思っていたのだ。それがこの自伝によって裏付けられたような気がした。坂本龍一の民族音楽への傾斜は筋金入りだったのだ。
昔NHKでやっていた「YOU」って人気番組に坂本が出演した回があった(あの番組の曲は結構ポップだったけど^_^;)。自分で楽器を作って集まろうみたいな回で、チープな音を出すお手製の楽器を若者が持ち寄っていた。坂本もそういうどこにもない楽器が頭に浮かんだりすると言っていた。水車が回って音を出したりとか。それが本来の坂本龍一だったのだ。
一番笑ったのは、高橋幸宏の自宅にはじめて行ったときの話。アール・デコの世界だったそうだ。床が市松模様のタイル張りなんて、坂本じゃなくても驚く。ユキヒロの自宅はまことちゃんちか!
高橋幸宏だけでなく、その後出会う細野さんにしろ山下達郎にしろ、同じ東京生まれ東京育ちの自分(坂本)なのに環境がまったく異なっていた。まさに音楽的にもファッション的にもおのぼりさん状態だったわけだ。坂本の土着なロック魂とは別次元の世界...。
彼らは坂本が理論から学んで構築していった音楽を、映画音楽やアメリカンポップスのなかから耳で会得していた。エベレストとチョモランマの違いか(>なんだそれ!)。それらの人々に出会い、「あんなチャラチャラしたやつらがロックやってんのかよ!」と思いつつも、坂本の音楽の世界も徐々にポップスへの扉を開かれたのではないか。
もっともボサノヴァだってカネ持ちの坊ちゃん嬢ちゃんの音楽だったわけだし、ハイソな音楽はハイソなところから生まれるものかもしれない。ただ坂本の持つ土着性が音楽的に構築されたメガトン級の論理を持っていたことは、日本のポップス界にとってどれほどの価値を持つか計り知れない。
逆に言えば、この坂本“教授”龍一はポップスの言語を持たないがものすごい音楽的才能だと周りが認めたのだ。現代音楽と民族音楽をポップスに持ち込むなんてことは誰にでも出来ることじゃない。持ち込む気があったのかどうかはわからないけれど、坂本の血肉化していたそういう土着性は充分すぎるほどYMOのなかに見て取れたと思う。細野さんも土着性が大好きなわけで。
YMOのすごいところは、ポップスの申し子高橋幸宏とポップスの田舎者坂本龍一とを、奇妙なパラダイスミュージックの細野晴臣という全方位外交な人がまとめあげていたことだった。異質なものどうしがテクノによって結びついたのがYMOだった。坂本龍一という田舎者がいなければ、YMOはあそこまで難解にはならなかったはずだ。
自伝を読みながら、坂本龍一の音楽についてもう一度考えながら聴きたくなった。幸か不幸かウチには『坂本龍一の音楽』という枕に出来るくらい分厚い研究書もある。それをめくりながら坂本龍一の音楽を頭で聞く。オレもポップスの田舎者だという自覚とともに。
考えなくていいのがポップス。平和な街ポップ・シティ。そこに田舎から出てきたおのぼりさんの教授はガチガチに武装した音楽戦士だった。くつろごうとするけれど武装解除しない。出来ない性分だから。そのギコチなさが教授のポップス路線の面白さでもある。坂本龍一の音楽は考えることから解放させてくれない。でもそれで疲れたらエナジー・フローを聴けばいい。ゆりかごから墓場までかっ?(>なんだそれ2!)
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