水着が泳いでるわけじゃない!
国際水泳連盟(FINA)に一休さんの金の袈裟の話をしてやる。
ボロを着てても一休さんは一休さんだ。金の袈裟のときだけチヤホヤするが、ボロの袈裟を着ていたら一休さんだと気付かないヤツらに、一休さんは金の袈裟だけ置いて帰ってしまったのだ。
この話しの教訓がわかるかっ
デサント社の水着を着けて世界新を出した入江クン!
水着を脱いで帰ってきたまえ!
あれ、話しのベクトルがおかしくなってるぞ。
国際水泳連盟(FINA)を批判しなきゃ!
じゃぁ、国際水泳連盟(FINA)は後だしジャンケンって知ってるかっ?
相手がグーを出した後に、パーを出して勝ったと言ってるヤツらだ。
世界新が出てから、着ている水着がダメだとか、そういうこというな。
水着はドーピングじゃないぞ。
水着にモーターが入ってたっていうなら話は別だが、そうじゃないだろ。
でも入江クンは立派だ。
「もう一回記録を出せばいいんで」
なかなかいえないぞ。
どんな競技でもそうだが、肉体と道具とが一体となって進化する。
肉体と道具とクスリならアウトだが、道具の工夫は認めていいじゃん。
肉体だけならすべての競技が全裸でやればいい。
でなければ、すべての道具は一種類に決めたらいい。
でもビジネスの問題でそれが出来ないワケだろ。
アマチュア精神はその時点で清廉潔白ではなくなってる。
でもそういう工夫のなかから新しい可能性が見えてくるんだ。
「この橋渡るべからず」と書かれていたのをみて、真ん中を歩いた一休さん。
それは間違ってるぞ、一休さん!(なんの話しやねん!)
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