最高権力者はアホがいいかワルがいいか!?
究極の選択という遊びがかつて流行った。自分がうんこを食べるのと自分がうんこになるのとどっちがいい?みたいな(そこまで過激じゃないがっ)。いま日本の最高権力者を決める選挙をやったら、アホ麻生 vs ワル小沢の壮絶な不毛戦となりそうだ。少なくとも国民感情的には究極の選択だろう。
前に書いたが、政党を選ぶなら選択肢は多彩だ。しかし結果的に最高権力者たる総理大臣は定員1名で、そこに一番近い人物は絞られる。それがアホでいのか、ワルでもいいのか、そういう悩みを国民は抱えている春の宵。
日本人はアホに寛容ではある。「バカ」「アホ」と罵っても言葉の裏に愛情があったりする。またおバカタレントを受け入れ、手放しでの大喜びだ。だがそれにも限度があり、空気を読めないホンモノのバカを認めない。これを島国根性といってもいいだろう。麻生はホンモノだったので受け入れがたいわけだ。
いっぽう悪に対する極端な潔癖症も持ち合わせている。それはほとんど建前でもあるわけだが、政治というおおやけの場での悪には徹底的に冷たい。今回の小沢党首の元秘書逮捕問題は、政治問題というより官僚組織によるなりふり構わぬ保身活動だと理解しているが、政治問題として演出しダーティなイメージを植えつけるのに成功した。
ちょいバカは許すがマジバカは許さない。
ちょいワルは許すがマジワルは許さない。
そういう国民性がある。
シャレで済まされるレベルを超えたらアウトなのだ。
だが角度を変えてみると今回の官僚の保身活動も的確な施策を打っていたと思う。アホにはアホなりの方法で酔っ払い会見を演出してアホ度を増幅させ、かつて金権政治の中枢にいた小沢にはワルのイメージを再び呼び覚まさせるという、なんとも緻密な使い分けだった。官僚の底力にはアホもワルもかなわないのだ。是々非々で(なんだそれ)。
てことは最高権力者は官僚なんだから、総理はアホでもワルでもいいわけだ。神輿に担ぎやすい人ならいい。総理とは官僚の利益に沿うという意味で、沿利としたほうがいいのではないだろうか。
しっかしこれが名ばかりでも総理大臣の椅子を争う話だというところに、日本の救いがたい現実がある。それだけが真実かもしれない。
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