google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 偏愛的活字中毒症の新春: ひとくちメモ

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2009/01/12

偏愛的活字中毒症の新春

時間は膨大にあった年末年始とこの3連休だが、まったく読書が進まない。読むべき本は目の前にたくさんあるのに、意識が先走って読書スピードが追いつかないのだ。速読術を身につけておけばよかった。オレはビブリオマニア(愛書狂)ではないと思うのが、書籍をとにかく買いだめする時期に入ったようだ。

雑多なジャンルの本を買いあさるため、それらをこなす時間配分を考えるところから治療が始まる。トイレで読む本、電車で読む本、外出時空き時間に読む本、就寝前に読む本、日を決めて集中して読む本、いつか読むかもしれない本、といったカテゴリになんとなく分類し、それぞれのカテゴリのなかで順位を決める。

その基準は、携帯しやすさだったり、内容の軽さ(重さ)だったり、分断して読めるか集中が必要かだったり、朝がいいか夜がいいかだったり、いま興味があるのか他の本を読んだ後補足的に読むべきなのかだったり、他のメディア(テレビやネットなど)で関連情報を得てからだったり、いろいろだ。

そしてそれらが毎日の気分によって入れ替わる。朝晴れてなきゃ読む気にならない本もあれば、暗く曇った日に読める本もある。ようは自分の気分を害さないように、選択できるだけの幅広さが必要なので、買いあさるわけだ。

もっともこれは病気なので、それしかなければそれを読む。持ち出してなければ読めないわけで、読まないよりは読んでいるほうが落ち着くのだ。本当はズーーーと本棚に囲まれた温暖なサナトリウムで読書漬けになればよさそうなものだが、そうなると今度はその環境がたまらなく嫌いになり、自由を求めて飛び出したくなるだろう。

最後まで読まない本も多い。持ち歩ける本はほとんど最後まで読まずに次の本に交代する。その至福の時間が終わるのはイヤなのだ。映画もそう。ラストが来なければいいのにと思う。延々続いてくれて、オレの興味が尽きたところで止めたいのだ。

もちろんそんな作品はどこにもありえない。だがこれを唯一実現できるのが自分の人生なのだ。なのでオレは人生をその時々で好きなように軽やかに、ときには小さな波紋を投げかけつつ、あるいは論理を飛躍させつつ、いろんなジャンルのつまみ食いをして生きてる。

ジャンルはさまざまだとは言ったが、今年は傾向がある。小説などの虚構の世界はほとんど除外(これは20代後半あたりからそうだった)。基本はノンフィクションや極めた人のエッセイや新書だ。それも動物や自然など平和かつ稀少な体験本がいい。なかなかないのだが...。ただそういう本ばかりだと重くてスキマ時間に読めないので、軽い文庫なども入れてバランスを取る。

移り気なのだ。留まっていられない。忙しければ忙しいほど中毒症状は深まる。現実逃避なのだろう。あらゆる現実から逃避したがる病気だ。常にパラレルなもうひとつの世界に惹かれる。青い隣の芝を渇望する病いだ。充足することがない無間地獄のようなものだ。

でもそれらの間をうつろいゆくこと、変化し続けるところに幸せを感じる。それなのにその先が虚構ではなくノンフィクションなところが現実世界を放棄せずに生きていられる鍵かもしれない。本気で虚構の世界に行ってしまったら、やはり日常生活を送ることが出来なくなるに違いない。芥川や漱石みたいに...。ノンフィクションへの偏愛で助かった。

さらに読書からなにかを得ようということでもない。赤線引きながら読むなんてことしない。ただただ読む。それだけだ。それでも頭に何かしら残ることがあるのかもしれない。残ろうが残るまいが関係ない。ただただ読む。それが治療だ。

何かを得ようとすることに恐怖心がある。危険な著作が平積みされていることも多い。そういう本に蝕まれてヘンテコな歴史修正主義者になったりするのが一番怖い。

だからそういうお手軽なビジネス本や自己主張だけの本、特に一時期に多くの出版社からドッと出版する経済系の人の本はまったく読まない。最近はそういう出版傾向が多いと思う。なにか売名がマニュアル化されている臭いがして気持ち悪い。精神を陵辱される本は臭いでわかる。だからこそ読みたい本を見つけるのも至難の業なのだ...。

治療はある日唐突に終わる。そのうちギターが弾きたくなるかもしれないし、絵を描きたくなるかも知れないし、旅に出たくなるかもしれないし、人と話したくなるかもしれないし、テレビを見たくなるかもしれない。別の興味が湧くまでただただ読む。それしかない。ブログを書いている時間は、なんとなく社会生活に近いから、ありがたい。活字の世界でもあるし。それで長くなるのかも...。

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