細野晴臣リマスタリングCD発売!
朝起きてスパムメールの削除作業、いや、メールチェックをしていたら、こんなすんばらしい情報が届いていた 朝のメールチェックがスパム削除のためだけにあるんじゃないんだということを久しぶりに思い出させてくれたぞ。
「オムニ・サイトシーイング」と「メディスン・コンピレーション」の完全生産限定リマスター版が今月発売される。しかもこの2枚は細野さんのキャリアのなかでも大変重要かつ大好きな2枚だ。(もう一枚サントラの「紫式部 源氏物語」も同時発売)
いわゆる初期のハリー細野時代(ソロ・1stアルバムも超名盤!)からパラダイス(はらいそ)路線へと突き進んで行った孤高の細野ワールド。それが幸か不幸か()、マーティン・デニーを電子音でという不思議なコンセプトとともにYMOという形に結実して行った。そこからはご存知のようにYMOがメディアの寵児となり、テクノポップとして世界的なセンセーションを巻き起こした。
YMOは細野さん本来の「孤高の楽園音楽」に収まりきらないマスな存在になっていったが、1983年のYMO散開(解散ではない)後、1989年に発表されたのが「オムニ・サイトシーイング」だった。もう20年も前のアルバムだ。この頃の細野さんは観光をキーワードにしていたが、これは楽園への回帰あるいは楽園音楽の進化と捉えたい。
ただ、YMOキッズだった私には早すぎた細野ワールドだった...。まったく興味もなく存在すら知らなかった。この当時はアイドルポップス全盛期であり、1980年にデビューした松田聖子にどっぷり嵌っていたわけだ。もっとも細野さんもその松田聖子に楽曲を提供していたわけで、私のなかにあった「YMOの細野晴臣」から解き放たれるのに必要な時間だったかもしれない。
●入手困難だった「オムニ・サイトシーイング」
その後、個人的にルーツミュージックを探して時代を遡りつつ音楽を聴いていったなかで、ラジオから細野さんの歌う「キャラバン」が流れてきた。坂本龍一の番組だったかなぁ。この頃になると私のルーツミュージック探しの旅もボーカリスト藤山一郎に傾倒するまでになっており(笑)、NHKの昼の歌謡曲で「キャンプ小唄」などをエアチェックする日々だった。細野さんのエキゾチックミュージックを受け入れる耳も徐々についていた。
ラジオで俄然気に入り「オムニ・サイトシーイング」をショップで探したがどこにも置いていなかった。既に入手困難な1枚になっていたのだった。ここで物欲キッズの私の頭のなかにある「生涯かけても購入すべきアイテム一覧」にインプットされたのだった。
その後インターネットが出現し、入手困難なCDを探してくれるショップを発見(いまはもうない)。そこでは松田聖子の完全限定生産の「SEIKO SUITE」を探してもらい定価で購入できたりした。しかしこのショップですら、「オムニ・サイトシーイング」は入手できなかったのだ。2000年以降のはずだから、既に発売から10年以上が経っていた。
だがまったくノーマークだった川口市の書泉ブックドーム(いまはもうない)の5Fにあったヴァージンメガストア(全店いまはもうない)で1枚発見。何かの手違いじゃないかとすら思ったものだ。即効で購入した。あれから数年たっているが、リマスターされて再発売されるとはっ!聞き比べのためにも購入したい。なにせ20年前とはCD盤もマスタリング技術も全然違うからなぁ。
●過激な静けさ。アンビエント音楽の到達点
もう一枚の「メディスン・コンピレーション」(1993年)は、細野晴臣のアルバムのなかでというよりも、所有しているレコード、CDのなかでも上位にランキングされる傑作だと思っている。
このアルバムが発売される数年前から、テレビドラマの「ツイン・ピークス」が全米でブームとなっていた。細野さんもこのドラマと音楽に魅了されていたと思う。「ツイン・ピークス」のTVサントラ(奇跡の傑作!)と細野さんの「メディスン・コンピレーション」は、根っこの部分に共通の“過激な静けさ”を持っていた。アンビエントが音楽として成立したうえで、脳に直接作用する薬のような音楽。
1994年に書いた「アンビエント・ハウスの快楽」は、まさに「ツイン・ピークス」のTVサントラと細野さんの「メディスン・コンピレーション」が書かせた文章だったのだ。ということは、「オムニ・サイトシーイング」よりも先にこちらを聴いていたことになるんだなぁ。
でもこの順序はいま思うと良かったかも。聴きやすさ(かっこよさを含む)からすれば、「メディスン・コンピレーション」のほうがグッととっつきやすいから。「オムニ・サシトシーイング」はやはり雑多な音楽経験を試される的な聴き方になってしまう。この頃のオレはボンジョヴィの「バッド・メディスン」(ニュージャージー収録)も普通に聴いてたから。いろんな薬を服用してたんだなぁ()。耳から。
一曲選ぶとすれば、「AIWOIWAIAWO」(アイウォイワイアウォ=愛を祝い合おう)だ。こ楽曲のかっこよさはどうだ。さすがベーシストだと思わずにはいられない。当時ソウル・フリークの後輩に聴かせたら「これ誰!?」と興味津々だった。超満足げなオレの顔がいまでも目に浮かぶ(笑)。
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