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17 posts from January 2009

2009.01.30

もうさぁ、麻生をテレビに出すのボイコットしようよ

もういいよ。日本は無政状態ってことで。アフガンと同じで。マスコミは麻生に触れるのやめちゃおうよ。これやったら逆に大ニュースになるぞ。2月から首相の言動が一度もテレビで報道されないの。完全無視。ぶら下がりもやめ、記者会見もぜーんぶボイコットしよう。できるだろ記者クラブあんだから(笑)。横一線って得意じゃん。第4権力たる日本のマスコミ諸君はさぁ。これが一番政権にこたえると思うけどな。

テレ朝でたまに「有名人格付けチェック」やってるじゃん。あれと同じよ。「映す価値なし」ってことでテレビから締め出し食らわそうぜ。報道ステーションだけでも麻生ボイコットはじめたら面白いと思うんだけどな。麻生以外の政治家にその時間を使えばいい。映さないことで麻生の人となりが逆に浮き彫りにされたりして...。

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ありふれた奇跡

いやー、みごとに山田太一だねぇ。「ありふれた奇跡」は初回を見逃してしまったのだけど、なんとかついていけてる。

「死のうとしたことのある人の会」ってのを聞いて「死ぬほど食おうとしたことがある人の会」なら入れるんだがと思った。

「死ぬほど食おうとしたことがある人の会」で共有する思いは武勇伝ばかりだ。ただしありふれた奇跡が日々起こる会でもある。誰がどこを制覇したみたいなありふれた奇跡...。そこに仲間由紀恵が参加してるなんて奇跡はなかなかないだろうが(delicious)。

そんな「死ぬほど食おうとしたことがある人の会」的な会を、実は10年前(1999年)に行った。メンバーもオレを含め男2人女1人とドラマと同じ。その記録が残っているのでご紹介しよう(笑)。題して「サダオ一升炒飯に沈没!」だ。ブログもない10年前にこんなこと書いてました的な!

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2009.01.28

河豚でシビれたら死ぬって

山形県の料理屋で、河豚を無免許で調理して客が毒に当たったとか。いまどきマンガでもありえないストーリーの事件だと思いきや、河豚の調理免許は都道府県でまったく無統一だったなんて初めて知った。

山口県は河豚料理のメッカ。ひょんなことから伊藤博文が食べて気に入り解禁されたそうだ。伊藤博文も山口県でよかったよな。山形県で食ってたらハルピンに行く前に暗殺されてたかも知れないよ。河豚で...。

よく「河豚刺を食べるとき、毒で手足や舌がちょっとビリッと来るのがたまらない」なんてうそぶくおっちゃんがいるけれど、ビリッと来たら基本的に死ぬと思ったほうがいい。そのレベルの毒が残っている河豚は食っちゃいかん!

今回の事件は毒でビリビリ来ながら食ってた客が死んでないところにビックリだ。これでまた「ビリッと来るのがたまらない」なんて流言が二次災害をもたらさないことを祈る。

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2009.01.22

オバマ宣誓やり直しを見習えニッポン!

オバマ大統領の宣誓が再び行なわれたそうだ。大観衆のなかでの宣誓で、オバマ新大統領が途中つっかえたように見えた場面があった。朝のワイドショーなんかは「さすがの新大統領も緊張で...」みたいなコメントばっかりだったが、あの場面の真相は違ったわけだ。

ロバーツ最高裁長官の言ったことをそのまま復唱しなければならないのだが、ロバーツ長官が語順を間違えた。オバマは正しい語順を知っていたため、本当にそれでいいのかという逡巡が、あのつっかかりだったようだ。

このとき「正しい語順で宣誓する」と「最高裁長官の文言を復唱する」とがコンフリクトを起こしたわけだ。そしてオバマは手続きとして後者を優先させた。こういうちょっとした判断にも気を使う必要があるんだな。

この場合、どちらを選択してもやり直しになる可能性はあった。だが正しい語順に直して宣誓したのでは、観衆の面前で最高裁長官の仕事を否定したと受け取られる可能性もあるだろう。禍根を残すかもしれない。さらに「復唱する」というルールからも逸脱しているからやり直す必要性がある。

「復唱する」ルールを選べば、その場は収まる。もちろんこの場合でも語順の正しさは訂正する必要があり、今回やり直しの運びとなった。いずれにしろやり直しリスクがあるなら、あの場では「復唱する」というルールを通しておいて正解だったと思う。長官の仕事を尊重しつつセレモニーを成立させた。

アメリカンSFドラマの金字塔「新スタートレックTNG」でもこういう場面はたまにあったように思う。部下の失敗を衆人の前で叱り飛ばしたり、これ見よがしに訂正したりしない。アメリカン帝王学とでもいうのであろうか。そういう訓練を積んでいれば、自然とそういう選択ができるようになるのかもしれない。

偉そうなおのれを誇示するだけの日本のホワイトカラーや政治家とは意識が異なるようだ。衆人の前だからこそ大声で訂正して自分のすばらしさを宣伝したりする(ただしその自己顕示欲の部分だけが衆人に見抜かれてたりもする)。そういう人かどうかがこういうとっさの判断で出てしまうんだな。

間違いがあった箇所も面白い。「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し」という文言の語順だとか。まさに「復唱する」ことこそ職務の忠実な遂行だったわけだ。大統領も最高裁長官も職務に忠実に仕事をし、たまたま長官が間違えていたということだ。

仕事をした結果が間違っていたときには、間違えた最高裁長官やスタッフが手続きの不備をどう埋め合わせるべきか考えればいい。それも仕事だ。実際やり直しは過去に2回あったらしい。44回のうち2回も?という疑問はさておき。

たった1語の語順の間違い。些細だが重要なやり直しだったと思う。この宣誓がルールどおりでなければ、法的に大統領と認めないなんて輩が出てくるリスクが残る。そこは訴訟社会らしいが、日米の政治に言葉を重要視する姿勢の違いを感じる。

漢字を読み間違えている場合ではないし、そこばかりが話題で本当に重要な放言・失言・暴言がまったく追及されないメディアの貧困はチェンジしないのだろうか?言葉の軽い政治家が霞ヶ関文学を読みこなせるはずがないとも思うが。従米路線じゃなくていいが、オバマに置き去りにされないようにしないと、ニコニコ付き合ってくれる相手じゃないぞ。

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globeに962万円

小室哲哉はダジャレ好きだった。クリスマスプレゼントでglobeのメンバーに962万円あげていたとか

詐欺で捕まったこれからは一個人コムロとして、一日566円で暮らすそうだ(うそ)。

もっとも566(コムロ)ってダジャレは、小室自身が昔から使っていた。ダジャレとは言わず「小室を数字化したもの」と言ってるがダジャレだよ(笑)。ダジャレも年季が入っているのだ。

ちなみに川越市小室566という地名もあった。駐車場のようだ。


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2009.01.19

「銭ゲバ」スタッフブログもいい感じ

日テレのドラマ「銭ゲバ」は、なんつっても岡田惠和脚本に期待してます。「彼女たちの時代」や「夢のカリフォルニア」など、暗い時代を切り取る嗅覚の鋭さと描写の迫力は岡田さんの魅力のひとつ。

ハコ書き(シーンごとの箇条書き)をしないといわれる岡田さんですが、「銭ゲバ」はジョージ秋山氏の圧倒的な原作漫画が設計図としてあるので、その分細部にこだわって描かれるのではないかと。

出演者では、どうしてもミムラに目が行ってしまう(confident)。日テレといえばドラマ「斉藤さん」でのミムラのお母さん役がいまだに印象に残ってます。今回は原作通りだと結構難しい役柄で、ミムラの新境地にも期待大!

そしてスタッフブログ。河野プロデューサが書かれているようなのですが、時間に超厳密なテレビドラマの編集現場の話とか、音楽をつけて別の生き物に替わる話とか、制作者側の裏話が面白いです。

メイキングとかDVDコメンタリーなどが好きなオレらには、こういう製作現場の空気をうまく伝えてくれるブログも楽しみのひとつです。個人的には視聴率なんて気にしないですけど、これで視聴率も良ければスタッフブログはどんどん面白くなっていくと思うんで、強烈な内容ではありますが、いい数字を取って欲しいズラ。

そうだ、書き忘れてた。岡田脚本で椎名桔平と奥貫薫の夫婦役といえば、「彼女たちの時代」の佐伯夫妻と同じ組み合わせじゃないか。崩壊していく家庭のイメージはこの二人ってことなのか!?それにしても奥貫薫は不幸な妻が良く似合うなぁ。最近テレビで明るい顔を見たことない。たまには明るい役もやって欲しいズラ!

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2009.01.18

幽霊BBSの管理人

むかーし使っていたレンタル掲示板は90日書き込まないと強制削除される。自然消滅しているものと思っていたら、まだ存在していた!

なぜなら、いまでもスパムな自動書き込みがたまにあり、スパムのおかげで生きながらえていたのであった。喜ぶべきか悲しむべきか...。

スパムは幽霊BBSの管理人なのだ。

管理する必要のないゴミ屋敷を永遠に管理し続ける。
なんと不条理な存在。
そんなスパムの生きるヴァーチャル空間の闇。
ま、カビみたいなものか。

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革命50年 いまもキューバは熱い!

今年の1月はチェ・ゲバラの2本連作映画が話題だ。ソダーバーグ監督ファンとしてはぜひ観に行かねばと思っているが、まだ行けてない...。2本同時に観たいという思いもあるので、「チェ 39歳 別れの手紙」が公開されたら、「チェ 28歳の革命」も観に行こうかなと思う(ロードショー2番館になるかな?)。

しかしその前に、1月はヒストリーチャンネルで注目の番組が放映されている。ゲバラとともにキューバ革命を成功させたフィデル・カストロがフランスの番組で人生と革命を語っている(2003年全5回)。今日これから全部再放送されるので録画体制を整えた!

キューバは日本といろいろな面で真逆だが似た位置づけともいえる国だ。冷戦のなかで、地理的には政治体制の異なる超大国(アメリカとソ連)の喉元に剣の切っ先のように位置する。日本は共産主義大国ソ連・中国への資本主義の砦、キューバは資本主義大国米国への共産主義の砦だ。もっとも日本のように大国べったりではなかったが。

また行政においても、キューバのコンセプトは教育と医療に傾斜している。これはキューバ革命から50年経った今も同じだ。医療が外貨獲得の主要産業となっている。それに比較して日本では教育と医療がもっとも後回しにされている。

ちょっと扇動的になるが、ひとくちに「貧困」と言っても、そのあり方が違う。貧困でも「生きさせる!」と行政のトップが率先して国を作ったのが革命後のキューバであり、「生きさせろ!」と叫んでも行政のトップに届きにくいのが自称経済大国だった現代日本という国ではないだろうか。

●キューバのコンセプトは「生きさせる!」

「生きさせる!」というコンセプトを実現するためのツールが共産主義革命だったのではないか。その逆はありえない。つまり共産主義だから生きさせられるわけではないと思うのだ。ここを間違えて主義が先頭に立った運動は常に悲劇だ。イデオロギーはコンセプトになり得ないと個人的には思う。

カストロとゲバラのコンセプトの根源は人類愛であり「とにかく生きさせる」というシンプルなものだったのではないかと思う。それを基準にバチスタ政権を倒し国家を形成するための優先順位の決め方、実行手段を探った結果、社会主義もしくは共産主義が彼らにとってのベターチョイスだったのではないかと思うのだ(まだ学習不足のオレなのでカッコ付きだけど)。

キューバの貧困は経済封鎖による外圧だったと思うが、その貧困のなかで「生きさせる!」というコンセプトが揺るがなかった50年こそが、キューバの財産だと思う。それも発展途上国には無償で薬を与えたりしている。日本は物質的に満たされながら、独自に考える政治をしてこなかった。そのツケがそろそろ回ってくる時代かもしれない。経済はバブルで踊れるが、教育と医療の貧困には特効薬はないのだ。

日本がキューバに学ぶことは多い。まずはオレにもキューバの抗コレステロール剤が買える国になってくれ(笑)。

マイケル・ムーア監督の「SICCO」じゃないが、カナダにしろキューバにしろ手厚い医療の国が米国の隣国なのは興味深い。米国を反面教師にして、米国のやってきた反人類的暴力資本主義を近くで見ているときっと悪いところがよく見えたんじゃないだろうか。そういう意味じゃ米国も必要悪だったのかもしれない。だが大きくなりすぎた。

日本は太平洋があるから、夢のような米国の消費社会のいい情報しか入ってこなかったのかもしれない。さらにソ連・中国に見せ付けるかのような特異な占領政策。日本人も勤勉でおとなしいから原爆を落とした国から与えられたその境遇を満喫してここまで来た。あまり考えることもなく対米追従で満足してきた。途中で反抗期はあったにせよ...。

でもこれからの日本は、親たる米国が借金まみれで倒れてしまった状態からの自立が必要だ。キューバは米国ファミリーという大豪邸のそばに孤児のように必死で生きてきた。そしてキューバファミリーを生きさせてきた。そのバイタリティと意志には、敬意とともに学ぶべき点が多々あると思う。日本人ならできると思う。何を捨てて何を得るのか、その順番を考えなければならない。

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2009.01.13

政治は結果責任。今後の麻生節をしっかり聞こう

とうとう2兆円ムダ使いが強行採決されたね。国民の声よりも党議拘束(自分の所属する政党の偉いヒトがすべて正しいからおまえは逆らうなと脅すこと)が上位に来る国だということを、小中学生のみんなは覚えておこう。

今日の国会で決まった「2兆円ムダ使い」を、麻生総理大臣は「ムダじゃない。景気対策だ」って言ってる。ボクの考えや多くの国民の考えと麻生総理の考えとはまったく逆なんだ。ボク自民党の議員じゃなくて良かったよ。

もし自民党議員だったら、たとえ他の政策はいっしょでも、このたった1つ、たった1つの間違いすら否定できないんだよ。党を出て行かなきゃいけないんだ。2兆円バラ撒くために政治家を目指したわけでもないのにさ。

こんな頭の固い組織が政治をやってるんだから、この国がヘンテコになるのはあったりまえさ。党の偉い人が絶対間違いを犯さないって心から信じることだけが政治になるんだ。トンデモ宗教みたいなもんだよね。

そんな志のない人がたとえ何期国会議員をやったってまったく実力はつかないよ。偉い人にこびへつらって出世してわがままを通すだけの政治家ばかりになっちゃうよ。ほとんどなってるけど...。世耕や大村を見ているとつくづくそう思う。

そんな危なっかしい集団がぼくたち国民の生活を脅かす権力を持ってるのさ。政治に無関心ってのは怖いことなんだよ。

でも政治は結果責任を問われるから、この2兆円で「景気が良くなった」と言えなきゃ政策とはいえないと思うんだ。

じゃあ「景気が良くなった」というためには何が必要なんだろうと考える。

ボクはいまならまず「雇用」、つまり失業率の低下が第一だと思う。とつぜん仕事を取り上げられた人がたくさんいるからね。この2兆円をみんなが使ったら失業率がどれだけ下がるのか。数ヵ月後にちゃんと説明してくれるのか注目さ。

仕事をなくした人が1万円ちょっとのカネをもらって、それを使ったら仕事が見つかるなんてことある?

それならその2兆円で人手の足りない介護や福祉の業界を盛り立てれば、そこに働ける職場が生まれるじゃない。そうやって未来につながる仕事を作り出したほうが、2兆円をパーと使って忘れてしまうよりよっぽど有効だと思うわけ。ほとんどのお父さんお母さんも同じようなこと考えてるみたいだよ。

でも麻生総理はそうは考えないんだ。ひとり1~2万円もらえば景気が良くなるって言ってるんだ。もし本当だったらすごいよ。どんな魔法を使うのかな。トンデモ宗教の神さまが助けてくれるのかなぁ。

もし「失業者が増えても景気は上がった」って言いだしたら、どうしてそういう話になるのか興味津々じゃない?結果を問われてどんな理屈をひねり出すかもよく注意していよう。政治って面白いよね。

また、内閣府が景気動向指数というのを発表してる。これも景気を知るうえでひとつのモノサシになる。これが何パーセント上昇するかも気にかけておこう。

そもそも「景気」ってのはあいまいな言葉なので、どうにでも言い逃れできるんだよ。サイクルもあるから、短期的に自然回復することもある。金持ちはたくさん使ってくれとかそんなことを一国の総理大臣が公衆の面前で言ってることが恥ずかしいよ。

それに麻生総理はあまりモノを知らないみたいだから、まわりの意見に流されて適当なことをつい口走っちゃうんだ。だから丁寧に政策評価の基準を示して効果を測定してあげなきゃいけないんだ。

本当は野党がどんなモノサシ(基準)で2兆円の実効性(どれだけ効果があったか)を測るのか、先に総理に聞いてくれるとわかりやすいんだけどね。ダメ法案が通ったら即負けじゃない。政治の結果はここから追求していく必要があるんだよ。それが野党の仕事なんだよ。

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2009.01.12

偏愛的活字中毒症の新春

時間は膨大にあった年末年始とこの3連休だが、まったく読書が進まない。読むべき本は目の前にたくさんあるのに、意識が先走って読書スピードが追いつかないのだ。速読術を身につけておけばよかった。オレはビブリオマニア(愛書狂)ではないと思うのが、書籍をとにかく買いだめする時期に入ったようだ。

雑多なジャンルの本を買いあさるため、それらをこなす時間配分を考えるところから治療が始まる。トイレで読む本、電車で読む本、外出時空き時間に読む本、就寝前に読む本、日を決めて集中して読む本、いつか読むかもしれない本、といったカテゴリになんとなく分類し、それぞれのカテゴリのなかで順位を決める。

その基準は、携帯しやすさだったり、内容の軽さ(重さ)だったり、分断して読めるか集中が必要かだったり、朝がいいか夜がいいかだったり、いま興味があるのか他の本を読んだ後補足的に読むべきなのかだったり、他のメディア(テレビやネットなど)で関連情報を得てからだったり、いろいろだ。

そしてそれらが毎日の気分によって入れ替わる。朝晴れてなきゃ読む気にならない本もあれば、暗く曇った日に読める本もある。ようは自分の気分を害さないように、選択できるだけの幅広さが必要なので、買いあさるわけだ。

もっともこれは病気なので、それしかなければそれを読む。持ち出してなければ読めないわけで、読まないよりは読んでいるほうが落ち着くのだ。本当はズーーーと本棚に囲まれた温暖なサナトリウムで読書漬けになればよさそうなものだが、そうなると今度はその環境がたまらなく嫌いになり、自由を求めて飛び出したくなるだろう。

最後まで読まない本も多い。持ち歩ける本はほとんど最後まで読まずに次の本に交代する。その至福の時間が終わるのはイヤなのだ。映画もそう。ラストが来なければいいのにと思う。延々続いてくれて、オレの興味が尽きたところで止めたいのだ。

もちろんそんな作品はどこにもありえない。だがこれを唯一実現できるのが自分の人生なのだ。なのでオレは人生をその時々で好きなように軽やかに、ときには小さな波紋を投げかけつつ、あるいは論理を飛躍させつつ、いろんなジャンルのつまみ食いをして生きてる。

ジャンルはさまざまだとは言ったが、今年は傾向がある。小説などの虚構の世界はほとんど除外(これは20代後半あたりからそうだった)。基本はノンフィクションや極めた人のエッセイや新書だ。それも動物や自然など平和かつ稀少な体験本がいい。なかなかないのだが...。ただそういう本ばかりだと重くてスキマ時間に読めないので、軽い文庫なども入れてバランスを取る。

移り気なのだ。留まっていられない。忙しければ忙しいほど中毒症状は深まる。現実逃避なのだろう。あらゆる現実から逃避したがる病気だ。常にパラレルなもうひとつの世界に惹かれる。青い隣の芝を渇望する病いだ。充足することがない無間地獄のようなものだ。

でもそれらの間をうつろいゆくこと、変化し続けるところに幸せを感じる。それなのにその先が虚構ではなくノンフィクションなところが現実世界を放棄せずに生きていられる鍵かもしれない。本気で虚構の世界に行ってしまったら、やはり日常生活を送ることが出来なくなるに違いない。芥川や漱石みたいに...。ノンフィクションへの偏愛で助かった。

さらに読書からなにかを得ようということでもない。赤線引きながら読むなんてことしない。ただただ読む。それだけだ。それでも頭に何かしら残ることがあるのかもしれない。残ろうが残るまいが関係ない。ただただ読む。それが治療だ。

何かを得ようとすることに恐怖心がある。危険な著作が平積みされていることも多い。そういう本に蝕まれてヘンテコな歴史修正主義者になったりするのが一番怖い。

だからそういうお手軽なビジネス本や自己主張だけの本、特に一時期に多くの出版社からドッと出版する経済系の人の本はまったく読まない。最近はそういう出版傾向が多いと思う。なにか売名がマニュアル化されている臭いがして気持ち悪い。精神を陵辱される本は臭いでわかる。だからこそ読みたい本を見つけるのも至難の業なのだ...。

治療はある日唐突に終わる。そのうちギターが弾きたくなるかもしれないし、絵を描きたくなるかも知れないし、旅に出たくなるかもしれないし、人と話したくなるかもしれないし、テレビを見たくなるかもしれない。別の興味が湧くまでただただ読む。それしかない。ブログを書いている時間は、なんとなく社会生活に近いから、ありがたい。活字の世界でもあるし。それで長くなるのかも...。

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苦労を買わずに出来る新成人

「苦労は買ってでもしろ!」と良く言われたものだ。若いやつは苦労を知らないという、上の世代からのありがたいお言葉だったのだろうが、苦労してもロクな大人になってない彼らを見るにつけ、苦労知らずのバブル世代は彼らよりもっと劣化した日本人なのかもしれないとも思う。なかなか豊かですばらしい人格に育つのは難しいものだ。

今年成人になる人は1988-1989年に生まれた。まさにバブル絶頂時代だ。1989年12月に東証日経平均は38,915円87銭を記録し、翌年大発会からバブルは一気に崩壊へ向かっていった。そして失われた10年の長期低迷の日本で子ども時代を過ごした。

21世紀になると小泉政権が誕生し景気回復と言われた。しかしそれは従米新自由主義の始まりで、富の分配を大企業(それはグローバル企業とよばれたアメリカ型浪費依存企業だった)と外国資本へ偏らせ、国民は「イタミ」だけを押し付けられ、いつでも切れる労働力に格下げされこき使われる見せかけの好景気でしかなかった。これが新成人の10~16歳あたり。格差の開いていく様を体感してきただろう。

その後は、政権投げ出しによる選挙のない政権交代が続き、成人してみれば青年時代に小泉・竹中らによって作られた巧みなワナに嵌った日本が大不況への扉を開けたところだった。日経平均は1万円割れだ。年度末までに8万人以上の失業者が出るとも言われている。小泉を熱狂的に応援した層がもっとも裏切られてる。イタミに耐えた末路がこれだった。

この時代に小泉政権に熱狂していた大人の顔を絶対に忘れるな!彼らの失敗がいまの日本にしたのだ。だがいつまで引きずっていても何もはじまらない。彼らは何も考えずに小泉劇場に笑い転げていた。君たちは考えなければならない。人間は考える動物だったことを思い出そう。

●世界の未来と自分の未来。タイムスパンを意識する2009年

ここから10~15年不況が続くとすれば、新成人はもっとも多感かつ成長できる時代を不況のなかで生きていくわけだ。もっとも経済はバブルサイクルの繰り返しでしか持たないから、プチバブルは繰り返されるだろう。それは短期サイクルの繰り返しで、長期展望が必要な実業の世界がリスクに翻弄される。

実業のリスクが高まれば誰も製造しなくなるから、政府は金融規制強化して実業を保護せざるを得ない(ただしそれが労働の尊重につながるかは皆さんの政治意識次第)。新自由主義の放棄だが、それに気付いて実行できるまでに何年かかるか見当もつかない。それまでは右往左往しつつプチバブルが何回か繰り返される。

オレらバブル世代はこれからもプチバブルに翻弄されながら生きるしかないが、実業がない世界なんてありえない。どこかで政策転換の芽が出てくる(日本とは限らない)。競争よりも共生で生きる道を探る必要がある。苦労を買う必要のない世代は無気力になったら死が待っている世代だ。連帯して互いに役立つ実業を生み出すしかない。

オレの寿命はプチバブル時代の中で終わるというシナリオを持っている。社会民主主義が成功した新時代は残念ながら見られないだろう。新成人の老後あたりで実現していればラッキーだ。だが新成人は、そういう政策転換を目ざとく利用して実業の世界を再構築していって欲しい。

フロンティア精神で真っ当な社会民主主義国家を作り、次の世代にオレらバブル世代の失敗とその後の再生の物語を残す使命がある。カネに踊らされるバブルをいつまで続けるのかは、皆さん次第だ。

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2009.01.10

細野晴臣リマスタリングCD発売!

朝起きてスパムメールの削除作業、いや、メールチェックをしていたら、こんなすんばらしい情報が届いていたsign03 朝のメールチェックがスパム削除のためだけにあるんじゃないんだということを久しぶりに思い出させてくれたぞ。

オムニ・サイトシーイング」と「メディスン・コンピレーション」の完全生産限定リマスター版が今月発売される。しかもこの2枚は細野さんのキャリアのなかでも大変重要かつ大好きな2枚だ。(もう一枚サントラの「紫式部 源氏物語」も同時発売)

いわゆる初期のハリー細野時代(ソロ・1stアルバムも超名盤!)からパラダイス(はらいそ)路線へと突き進んで行った孤高の細野ワールド。それが幸か不幸か(smile)、マーティン・デニーを電子音でという不思議なコンセプトとともにYMOという形に結実して行った。そこからはご存知のようにYMOがメディアの寵児となり、テクノポップとして世界的なセンセーションを巻き起こした。

YMOは細野さん本来の「孤高の楽園音楽」に収まりきらないマスな存在になっていったが、1983年のYMO散開(解散ではない)後、1989年に発表されたのが「オムニ・サイトシーイング」だった。もう20年も前のアルバムだ。この頃の細野さんは観光をキーワードにしていたが、これは楽園への回帰あるいは楽園音楽の進化と捉えたい。

ただ、YMOキッズだった私には早すぎた細野ワールドだった...。まったく興味もなく存在すら知らなかった。この当時はアイドルポップス全盛期であり、1980年にデビューした松田聖子にどっぷり嵌っていたわけだ。もっとも細野さんもその松田聖子に楽曲を提供していたわけで、私のなかにあった「YMOの細野晴臣」から解き放たれるのに必要な時間だったかもしれない。

●入手困難だった「オムニ・サイトシーイング」

その後、個人的にルーツミュージックを探して時代を遡りつつ音楽を聴いていったなかで、ラジオから細野さんの歌う「キャラバン」が流れてきた。坂本龍一の番組だったかなぁ。この頃になると私のルーツミュージック探しの旅もボーカリスト藤山一郎に傾倒するまでになっており(笑)、NHKの昼の歌謡曲で「キャンプ小唄」などをエアチェックする日々だった。細野さんのエキゾチックミュージックを受け入れる耳も徐々についていた。

ラジオで俄然気に入り「オムニ・サイトシーイング」をショップで探したがどこにも置いていなかった。既に入手困難な1枚になっていたのだった。ここで物欲キッズの私の頭のなかにある「生涯かけても購入すべきアイテム一覧」にインプットされたのだった。

その後インターネットが出現し、入手困難なCDを探してくれるショップを発見(いまはもうない)。そこでは松田聖子の完全限定生産の「SEIKO SUITE」を探してもらい定価で購入できたりした。しかしこのショップですら、「オムニ・サイトシーイング」は入手できなかったのだ。2000年以降のはずだから、既に発売から10年以上が経っていた。

だがまったくノーマークだった川口市の書泉ブックドーム(いまはもうない)の5Fにあったヴァージンメガストア(全店いまはもうない)で1枚発見。何かの手違いじゃないかとすら思ったものだ。即効で購入した。あれから数年たっているが、リマスターされて再発売されるとはっ!聞き比べのためにも購入したい。なにせ20年前とはCD盤もマスタリング技術も全然違うからなぁ。

●過激な静けさ。アンビエント音楽の到達点

もう一枚の「メディスン・コンピレーション」(1993年)は、細野晴臣のアルバムのなかでというよりも、所有しているレコード、CDのなかでも上位にランキングされる傑作だと思っている。

このアルバムが発売される数年前から、テレビドラマの「ツイン・ピークス」が全米でブームとなっていた。細野さんもこのドラマと音楽に魅了されていたと思う。「ツイン・ピークス」のTVサントラ(奇跡の傑作!)と細野さんの「メディスン・コンピレーション」は、根っこの部分に共通の“過激な静けさ”を持っていた。アンビエントが音楽として成立したうえで、脳に直接作用する薬のような音楽。

1994年に書いた「アンビエント・ハウスの快楽」は、まさに「ツイン・ピークス」のTVサントラと細野さんの「メディスン・コンピレーション」が書かせた文章だったのだ。ということは、「オムニ・サイトシーイング」よりも先にこちらを聴いていたことになるんだなぁ。

でもこの順序はいま思うと良かったかも。聴きやすさ(かっこよさを含む)からすれば、「メディスン・コンピレーション」のほうがグッととっつきやすいから。「オムニ・サシトシーイング」はやはり雑多な音楽経験を試される的な聴き方になってしまう。この頃のオレはボンジョヴィの「バッド・メディスン」(ニュージャージー収録)も普通に聴いてたから。いろんな薬を服用してたんだなぁ(delicious)。耳から。

一曲選ぶとすれば、「AIWOIWAIAWO」(アイウォイワイアウォ=愛を祝い合おう)だ。こ楽曲のかっこよさはどうだ。さすがベーシストだと思わずにはいられない。当時ソウル・フリークの後輩に聴かせたら「これ誰!?」と興味津々だった。超満足げなオレの顔がいまでも目に浮かぶ(笑)。

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2009.01.09

ブロックノイズ問題はまだまだ大きくなるか?

昨年書いた「地デジブロックノイズに怒れスポンサー」という記事へのアクセスが、昨日いきなり増えた。検索ワードランキングで1位、記事ランキングでもいきなり3位だ。単なる個人ブログではあるがたった1日でこの位置にランキングされるのは結構大変なのがこのブログ「ひとくちメモ」なのだ。

今日の東京は大雨かつ風が強いが、おそらく他の地域では昨日から風雨が強かったのだろう。地デジ導入家庭も増えているんだろう。はじめて地デジを導入した家庭はびっくりしているのではないか?いくら風雨が強いとはいえ台風でもないのにまさかテレビにブロックノイズが現われて視聴不能になるなんて!この21世紀に。

でも、なるんです。この21世紀に。それがデジタル放送なんで。ケーブルテレビでさえブロックノイズが出ることもあります。デジタル画質は確かにくっきりして美しいけれど、肝心要なシーンを見れなくなるリスクがある。それが地デジです。

この程度の風雨でブロックノイズが出るんだから、台風が来た日にはテレビでは災害情報すら見れなくなるかも知れません。ある意味一番必要なときにもっとも弱いメディアになっちゃうんです。2011年には。

もちろん技術の進歩が解決してくれるのかもしれない。でももはやテレビはメディアの王様ではなくなっていくんでしょう。現在唯一絶対の価値観である視聴率ですらスポンサーにとって妥当性が疑われるわけで、制作費もジリ貧、災害情報にも弱い、そのうえお上にたてつけない腑抜けな報道姿勢...。

地デジ政策は参勤交代みたいです。巨額の投資をさせて全国ネットワークを弱体化させられて、安倍政権のときに露骨に見られたような時の権力が流したい情報だけを流すメディアに成り下がって。生かさず殺さずで権力に擦り寄る乞食メディアとなる。誰も信用しなくなりますわ。

とまぁ、ブロックノイズからものすごく飛躍してしまいましたけれども、私にはブロックノイズがtv王国の城壁に入った亀裂に見えるんですよねぇ。

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2009.01.08

子どもの選んだ重大ニュースに学ぶ

学習版現代用語の基礎知識2009現代用語検定協会が毎年行っているジュニア・ジャーナリスト大賞(J・J大賞)というのがあり、2008年は第9回だった。後世の歴史家がおそらく世界が大きく転換した年として記述しそうな2008年末、日本の子どもたちが何を重大ニュースと考えているか興味ありませんか?

その結果はこちら

かなりまともかつまじめな回答。もっとも、ある程度分野別に23項目が提示されたアンケート方式で、その中から選ぶため、こういう結果になったものと思われる。もし自由記述であれば違った結果になるだろう。「1組の太郎君が授業中でっかいオナラをした」みたいな組織票が上位に来たり(笑)。

そういうアンケートであることを前提としつつも選ばれた重大ニュースを見ると、国際情勢に関わるニュースが半数を占めている。9位に「米金融危機深刻化」も入っている。お年玉にも関わるかもしれない重大ニュースだ。

しかし個人的には国内問題の選び方が興味深かった。1位は国際問題かつ国内問題かつ家庭の食卓問題という重要ニュースの「中国製冷凍ギューザ」だ。生活に密着した問題でもあり、納得の1位。6位の「事故米不正転売」とあわせて、食の不安は身近な重大ニュースだ。

4位に「福田から麻生への政権交代」も入っている。ちょうどうちの妹の娘(小学校高学年)も「福田から麻生に替わった本当の理由はなに?」って親に聞いたそうだ。小中学生もかなり政治に興味があるってことがわかる。政治家の動きをしっかり見ているわけだ。無責任な振る舞い、うそや言い訳・言い逃れ・帳尻あわせ、ぜんぶ教育に爪あとを残す。

5位の「受け入れ拒否で妊婦死亡」は、子どもにとっても他人事でない事件だったかもしれない。どうしてそういうことになるのか大人は必ず聞かれる。

“ねじれ国会”なんて言葉遊びで、各論が飲めないからと双方とも全否定し政治をしない大人たち。この不安を解消する知恵を大人(特に政治家)は持たなければ。ねじれのない集団に議会は必要ない。そこをすり合わせて現実を変えていくのが政治だ。

最後に同じ現代用語検定協会がやっている「100字コラム」風に締めくくって文章の練習をしておきたい(confident)。
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21世紀の子どもたちは食の不安と職の不安を抱えている。どちらも生存に関わる重大な問題だ。それに政治は応えているだろうか。子どもの成長は待ってくれない。不安を解消し将来に希望を持てる国にしよう。
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2009.01.06

選挙して投票所で定額給付すればいい

素朴な疑問。ホームレスを余儀なくされている有権者のもとに選挙のお知らせは届くのだろうか?投票に行くためにはその引換券みたいなヤツが必要だったと思うのだが、それが届かなきゃ投票できないような気がする。届かないとしたら、自民党に有利かもしれないな。

そんな「権利はあるが投票手段がない」状態のホームレス有権者が何万人も何十万人も生まれたら?そう考えると麻生の選挙引き伸ばし作戦はホームレス増加作戦かとも思いたくなる。

でももしホームレスにも届くんなら、その選挙のお知らせを「定額給付金引換券」にして、選挙に投票したら給付を受けられるようにしてはどうだろう。

現金じゃなくてトラベラーズチェックみたいなチケットで給付すれば投票所に大金を用意する必要もないし。選挙に行って投票した証明をもらえば、それ以後現金として使えるわけさ。本人確認も出来て一石二鳥じゃん。

もし給付を辞退したければ、投票所でそう告げればそれで終わり。いたってシンプルだ。投票率もめっちゃあがると思うけどな。選挙と定額給付金とを同時に実施するわけだから、野党にも公明党にも受け入れやすい提案じゃないだろうか。

もっとも2兆円バラ撒きそのもののダメさ加減は残るけど、ここまできたら総選挙への関心と投票率アップのための宣伝費と思えばいい。どうせ政権が変わるんだから、次期与党にここで失った2兆円を取り戻せる政策でがんばってもらうしかない。

しかし本当にホームレスでも選挙のお知らせ届くのかな?それが届けられるほどしっかりした有権者情報が把握できてるなら、定額給付だって昨年末にスムースに配布できただろう...。やっぱ届かない気がする。ホームレスが増えれば増えるほど自民党有利か!?

もうひとつありえるのは、9月まで解散しないで、結局総選挙で与野党逆転しちゃって、うやむやなまま定額給付金って法案自体が消滅するとかね。そこで麻生が「定額給付金やりたかったけれど9月になっちゃいました。選挙にも負けちゃいました。」って言い訳すれば公明党はなんもいえねぇ。

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2009.01.02

今年は初夢を見た

初夢は元旦の夜から2日にかけて見る夢というのが一般的らしい。てことはさっき見てた夢が初夢なんだ...。とりとめない夢だったが覚えてるのは珍しいので記録しておこう。

場所は架空の田舎ニュータウン。ここはたまに出てくる場所のひとつだ。ボクの夢のロケ地(?)には、戦場(兵舎)と学校とこのニュータウンがよく出てくる。どれも知らない場所だ。最近はこのニュータウンが多い。結構広範囲でいろんな景色がつながっている。

突然3車線の道路を走っている。枕を抱えて。車と同じ速度だがボクは寝間着姿でスーと左車線を移動している。右車線へ車線変更しようとウインカーがわりに枕の右端をかじっている。しかし後ろからバイク集団が迫っていて右に寄れない。

「しかたがない速度を上げよう」と思ってなぜか枕を道路に投げた。孫悟空が觔斗雲(きんとうん)に乗るような感覚。すると枕だけ勝手にスーと滑っていく。勝手に左車線から一番右車線まで車線変更したかと思うと、いきなりこんどは直角に左へ曲がり路地へ入っていった。

ボクはそれを追いかけて路地へ。すると枕はなぜか緑色のタクシーに変わっていた。追いかけるのをやめ様子を見ていると、路地のなかをカートゥーンアニメのように動き回っていたタクシーがこちらへ向かってきた。運転手がいる。

その運転手は高校時代の英語のおじいちゃんティーチャーだった。当時からすでに老人先生だったがトマホーク反対運動をしているような人だった。なんでタクシーを運転しながらボクに突進してくるんだ?

一回はそれを避けたが、すぐに体勢を立て直して向かってくる。どうやらボクを乗せたいようなのだが止まれないみたいだ。そこでこっちも後ろのドアを開けようと飛びつくが開かない。何度かやったがダメ。そこでティーチャーに、この先にある空き地のフェンスにぶつけて止めるよう合図する。簡単に意図が伝わったのは夢だからか?

再度ボクに突進してくるタクシー。それを避けると後ろに空き地が。振り返るボク。目の前でフェンスに車体の左側をこするようにぶつかるタクシー。だが止まらない。そのとき!後部座席から女性が飛び出てきた。

その女性はフェンスとタクシーの間でクルクル回った。土煙が上がってタクシーは止まった。女性はクルクル回転しながら空き地へ飛んでいって落ちた。立ち上がるとめちゃめちゃスタイルのいい石川ひとみだった(笑)。なんで!?立ち上がった石川ひとみはキッとこちらをにらみつけ「なにやってんのよ!」と怒りながらニッと笑った。かわいかっこいいー。

まぁ、そんな夢だ。そんな初夢だ。これをどうにか縁起のいい初夢としたいものだ。そう考えて夢から覚めて妄想の世界へ入っていく私なのであった。

●縁起のいい初夢にむりやり解釈するの巻

そういえば年末はフィギュアスケートで浅田真央とキム・ヨナのジャンプを見ていた。クルクル回転していた。そして夢でみた光景はもしかすると夕暮れの街角(石川ひとみの大ヒット曲まちぶせの冒頭)だったかも。

ほとんど意識せず生活してて、夢に昔の名前も定かでないクラスメートが出てくることもある。今回の英語ティーチャーもそんな感じだ。そういえば授業中ウトウトしてたら当てられたことがあったな。その記憶がタクシーで突進という夢になったのだろうか?

縁起のいい初夢といえば、一富士二鷹三茄子(いちふじ にたか さんなすび)という。どれにもかすってない...。だがこのあとがあるそうだ。

四扇五煙草六座頭(しおうぎ ごたばこ ろくざとう)といい、扇(末広がりの富士に通じる未来の繁栄)、煙草(空に舞い上がる鷹に通じる上昇気運)、座頭(茄子と同じで毛がない=怪我ない家内安全)という分類になるらしい。

これになにかかすってないかと思って探すとあったsign01 おじいちゃんテイーチャーがポイントだ。まさに家内安全のシンボルだったようだ(笑)。じゃあ土煙とクルクル回りながら飛んだ石川ひとみは煙草と鷹のシンボルか?うーん、なかなか縁起がいい夢に仕上がったじゃないか。

今年もヨロシク。

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2009.01.01

紅白はチーム演歌の勝利

いま紅白を観終わった。いつになくちゃんと観ていたが、おおとりが氷川きよし君だったんですね。てっきり森進一だとばかり思っていたので、出てきたときは軽いなとか、かなり緊張してるな、とかそんな風に見えた。

2003年にハワイのアロハフェスティバルにゲストで来ていた氷川きよし君を偶然見た。そのときは元気な演歌を歌うあんちゃんだという印象しかなかった。というより、氷川きよし君を追っかけて来ていたツアーのオバサマ方のバイタリティに圧倒され、ちょっと避けて通るみたいな...。そんなマイナスイメージしか持ってなかった。

しかーし!緊張しながらもおおとりで歌ってみるとしっかり勤めた感があり、なんだかすがすがしい。ものすごく好青年で伸びのある声も説得力があった。泣きそうになるのをこらえて歌うズンドコ節は良かったなぁ。この若さでおおとりの説得力を持っていたのはすごい。

最後歌い終わって、小林幸子、北島三郎、五木ひろし、という大御所から「よくやった!」的な握手と祝福。演歌界を背負って立つプリンスへのエールだ。演歌にとってやはり紅白の舞台というのは大きな目標のひとつなんだろうな。世代交代というより、ジャンルとしての演歌の結束を見た。

北島サブちゃんと抱き合って喜ぶ氷川君を見て、なんだか物語を感じたのだ。サブちゃんは歌う前の氷川君の背中をポンと叩いて送り出してもいた。このあたりソツの無い大御所感を感じる(なんだそれ)。チーム演歌というところか。

ある意味森進一のおふくろさんスキャンダルと親族との和解なんかより、よっぽど本物の物語を感じた。演歌の優等生がコツコツ歌ってきた集大成としての紅白おおとり。氷川きよしとチーム演歌の物語。よかったよ。

森進一はそのチーム演歌からは距離があったように見えた。そこが森進一らしさでもあるのだろう。おふくろさんも、よかったけどね。でもボクはマザーが聴きたかったので(笑)。

さて、年末年始に見逃せない番組というブログネタに参加してみるわけだが、紅白ってことでいいかな。もう終わったけど。あとは1月3日にテレビ東京でやる役者松田優作の20回忌特別記念番組「松田優作は生きている」だな。これ必見!

コネタマ参加中: 年末年始のテレビ番組、見逃せないのは何?

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