2011年地デジ化も消費税も
さて、地デジ対応テレビを消費税が5%のうちに買っとかなきゃいかんな。それにしても2011年に景気が回復するなんて眉唾なことを前提とした増税話。大恐慌がやってこようかというこの時期にこんな発表をしてしまう錯誤はどういう精神構造なのだろう。
中川秀直も完全否定していた。コイズミ路線の後継者中川氏とはまったく異なる思想の私ですら、中川氏の判断のほうが正しいと思う。ただこんだけ世の中おかしくしたのは、ブッシュ・コイズミが推し進めた新自由主義だってことを忘れちゃいかん。
いまの自民党の面々はどんな思想を持っていてもことごとく危ない。麻生・安倍に代表される閨閥政治。中川・小池に代表される格差拡大政治。その他政治家業を続けるだけの世襲政治。地雷だらけだ。いまこそ日本から地雷撤去をしなければ。
もちろん民主党だっておかしな連中はたくさんいる。小沢党首だって昔のままなら恐怖政治になるかもしれない。田母神に似たバカ派とも言われる軍事タカ派もいる。
最終的に選挙では消去法で選ぶか、どこかに優先順位をつけざるをえない。政党はその優先順位をどこに置いて選挙をするか、それこそわかりやすくトップ10形式にでもして示して欲しい。政権をとったならその優先順位を常に中心に据えて政治を行なって欲しい。
その優先順位以外については政党の拘束をせず、超党派で議論し、最終的に多数決をとったっていいじゃないか。危機の克服をするには賢者の智恵を集積するしかない。そのためには利権のおすそ分け構造から壊さなければならない。小選挙区ではムリだろう。
専門でもないのに無知な政策にもコメントせざるを得ないというのは酷な話だ。学問の世界では考えられない無謀な方法論が政治の世界では日々当然のこととなっている。大臣からしてそうなのに政治家全体が政治全般についてエキスパートなわけがない。だから政党の数あわせばかりが意味を持つ。エキスパート気取りが官僚のロボットになる。そういう政治をやめるのが先決だ。
●政党政治をやめて政策レイヤー型政治にならないものか?
すべてを1つの政党の政策だけに頼って日本は失敗してきた。与党の政策Aは合格でも政策Bは愚策ってことはありえる。いまは政策Aが良ければ、あとの愚策もまるごと承認ってことになってる。コイズミはそれを利用して煙幕を張りながら、愚策を次々通してきた。コイズミの場合は政策Aですらなく詐欺みたいなものだった。
強行採決も政党vs政党の数の論理が出てくる。だが「数の論理」は政党所属者数の論理でなく、その政策の妥当性を判断できる個々の政治家数で、その都度変化してしかるべきなのだ。そういう意味では既に政党政治そのものが社会にとって害悪だ。
理想をいえば未来の政党は、ヒトではなく政策単位の政策集団にカネを出すある種の団体(エンジェル投資的な組織)となり、横断的かつ重層構造(政策レイヤー型)になって欲しい。政策単位に相乗りもありえる。ただ結党の成り行きからするとそういう変化はムリなので、政党政治をいったん御破算にして、新しい政治の枠組みを創設できればなぁと思っている。
税金は目的税の比重を高めて、政策単位に納税できるようにして欲しい。それなら税率アップも受け入れやすい。北欧並みの税率でも目的税なら受け入れる。道路特定財源のような知らない間に取られる仕組みでなく、寄付や投資に近い感覚で国家に出資するわけだ。国家もそのうち地政学的な意味だけでは成り立たなくなる。良くも悪くもグローバル社会は走り始めた。後戻りは出来ないから、破滅へのコイズミ改悪(新自由主義)でない別の選択肢を創造しなければ。
拘束がなくなれば、政策単位のディベートもいまより討議に意義が出てくるように思う。たとえ経済運営で同じ思想を持っていても、防衛では、あるいは環境では、教育では、福祉では、国土開発では、それぞれ異なる思想を持ちえる。政治家が自身の持つ政策メニューにあった政策集団に複数所属し(所属しない政策もある)、そこで自己の政治思想と能力を個別事案に対して注入していけばいい。国民も個々に政策を評価し、比重を決めて個別政策単位に出資(納税)できれば納得できるのではないか。
すべての政策が同じ政治家ばかりが集まって政党になっているわけではない。利権ではつながっているのだろうが。利権のない政治もないとは思う。それなら利権の最大の出資者が政策別目的税を払う国民になればいい。国土に政策別のレイヤーを被せてみると、勢力図が政策単位に異なる。そういう政治運営システムは出来ないものだろうか。ミクロからマクロへ向かう政策と目的税。その最終調整が国家の仕事になる。
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