週刊金曜日15周年記念号が届いた日
ウソ発見誌「週刊金曜日」が創刊15周年を迎えた。創刊準備号から読み続けてきた雑誌だ。定期購読をしていると、雑誌名と同じ金曜日に届く。創刊したころには金曜に届かないなんてクレームもあり、その対応状況なども掲載されていた。
先週金曜は某スナックで飲んだくれて帰宅。週金はいつもと同じようにポストに入っていた。15周年記念号表紙のあまりのカラフルさに、毎日大量にポストに入っているビラと間違えて捨てそうになってしまった。危ない危ない。
記念号かぁーと思いつつ、表紙に印字されている編集委員の名前を感慨深く見つめた。女性3人、男性3人。合コン状態じゃーん!なんてふとどきな感想を持ったりした。
編集委員の顔ぶれも15年間で変わった。変わらなかったのは、筑紫哲也氏と本多勝一氏(50音順)。50音順で並べるというルールも変わらない。当所ホンカツ色が強くなりすぎないよう、50音順を採用したんじゃないかと勝手に思っていたが定かでない。
名前の並び方ひとつにも気を使って明確にルール化していくとこが「なんて左翼っぽいんだ!」とも勝手に思っていた。もっともサラリーマン社会でも席順や挨拶順など、バカバカしいくらいに気を使うニッポン社会だ。おあいこおあいこ(?)。
正直、左翼雑誌だとバイアスを持って購読し続けてきたが、徐々に真のクオリティペーパーとしての実力や評価もついてきたと思う。特にブックレットの「買ってはいけない」が大ヒットし、経営的にも安定してきたのかもしれない(よく知らないけど)。食の危機に対するアンテナの高さは日本一だった。
佐高信氏が発行人になってから紙面がグッと週刊誌らしくなり経済の記事も増え、雑誌として面白くなった。同じ主張するにも魅せ方が大切だ。それは昨今の労働組合にも言えるのかもしれない。
清濁合わせのみつつ主張するとこは譲らない。休刊した「噂の真相」にはそういうところがあった。飄々とそういうことをするのがオレの大好きなジャーナリズムのダイナミズムだった。
週刊金曜日にそんな濁(ダーク)な要素は似合わないかもしれないが、優等生のつまらなさを払拭するには、毒のある発行人・佐高信は適任だったと思う。編集者としても才能(というか嗅覚)があるように思う。
ホンカツ信者だったオレだけど、ホンカツは生涯新聞記者でありルポライターであろう。編集者ではなかった。いまの「週刊金曜日」は適材適所、いいバランスじゃないかと思ってる。
すでに右翼・左翼というパラダイムはまったく無意味となり(もともと意味があったのかも疑問だが...)、世の中は「貧困」や「地球環境危機」のパラダイムへ向かっている。週刊金曜日の取り上げるテーマは増え続けている。
しかしそんな状況のなか、15周年記念号が届いたその日、筑紫哲也編集委員が他界された。長い闘病生活だった。若者文化を常にウォッチし続けてきた筑紫氏。精神的にも社会的にも若者が危ない現代ニッポンにまだまだ発言して欲しかった。女性3人、男性3人の編集委員で紙上合コンパーティをやって欲しかった。合掌
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