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16 posts from November 2008

2008.11.30

久々にExcelVBAを組んだ

昨日は仕事で久しぶりにExcelVBAを組んだ。マクロ構築作業って、なんだか日常とは頭の使いどころが違うので、疲れたが心地いい。イヤな仕事をしているときの頭痛や発熱のような症状が一切無い(笑)。そんな頭痛仕事が多くなってる昨今、やはり自発的なアイデアを形にするのがもっともオレに向いているようだ。

とはいえ昨日の場合、クオリティよりも短時間で組み上げて検証し動かせるというのが大前提だった。小規模なデータマイニング作業とでもいうのだろうか。

●VBAでのデータマイニング処理は引越し屋さんだ

そういうときは「必要なn種類の要素を必要なn次元配列にぶち込んで必要な再計算・並べ替えをして吐き出しやすい形に整えたシート範囲に吐き出す」というカタを持ってると早い。例えるなら元データは旧社屋ビル(複数の階がある)、配列変数は引越し屋さん、吐き出し先のシート範囲は新社屋(こちらも複数の階あり)というイメージで、オレはさしずめ仕事が早いと評判(wink)の引越し屋のオヤジだbuilding

記録マクロはあまり使わない。カタが決まっているので変数定義と要素とのマッチングを最初にやる。要素が全部入る箱を最初に作るのだ。引越し屋さんが全部入る箱の大きさや数を決めてとにかく全部入れるってこと。

次にループ範囲を決める。ループとは処理の繰り返し。何回荷物を運ぶのかだ。そのなかで配列変数に代入される値(要素)が一回ごとに変わるわけだ。同じタンスは二回運ばないだろ。毎回違う荷物を運び出すのだ。

通常は動的にループ回数が変わるので、まずそれを見つけてからループ回数を再定義してループさせるのだが、昨日はめっちゃ急ぎだったのでそのループ範囲もワークシートにループに必要なFromToのセルを作って回数を入れといて、ぜんぶそこを見てループをさせた。こういう部分を手抜きするのは手っ取り早いし害がない。

最後にループ処理で配列変数に収まった値を、場合分けしながら計算して、セル範囲に規則的に振り分けて吐き出していく。引越し屋さんが新居に家具をレイアウトしていくわけだ。

これで引越し完了。あとは思ったとおりにデータが配置されたかどうか再点検するわけだ。これはちょっとしたコツがいる。場合分けしながら計算するときにエラー処理を丁寧にかましておく。どの場合にも当てはまらないデータが出たときにどんなメッセージを出すかがキモだ。

●経験が必要なのはプログラミングよりエラー処理

プログラミングにおける間違い探しはとにかく時間がかかる。いかに間違いの箇所を素早く発見するかが開発効率を左右する。ここがもっとも経験の必要な部分で、それ以外は正直誰でも出来る。引越し屋さんで言えば、ミスのないように手順を決め、その手順どおりできてなければどんな間違いがどこにあるかを発見できるオヤジだ。運ぶのはバイトでも出来るのだ。

あと「合計値が合わない」というのが困る。昨日もあった(元シートが規格外に作られていた)。これを見つけるのも大変...。昨日はシート別の合計を出せるような条件をかましつつ、1シートごとに検証していった。一番時間がかかった。そのかわり、データマイニング範囲をユーザーが(ってオレのことだが)細かく選べる仕様になって不幸中の幸い。毎回全部を計算しなくていいときには時短にもなる。

というわけで、ここまで設計とVBAの記述に合計4時間、その後の検証に4時間半で完成した。規格外の元シートがなければ検証3時間は短縮できたはず。元データを作る人々のスキルは様々だから仕方ないけど、こういうときにエンドユーザーコンピューティング(EUC)の水準が組織力の差となって現れるんだろうな。

また、本来なら作業ごとにサブルーチン化するとか、動的配列をもっと柔軟にするとか、ループ回数も動的に変化させるとか、エラー処理をもっと丁寧にやるとか、質的にはいろいろあるが、とにかく1日で完成させなければならない状況だったので、満足満足!

あと、実行速度の面で忘れちゃならないプロパティが1つある。ScreenUpdatingプロパティだ。これを入れると入れないとではかなり違う。VBA初心者のうちから使うべきだ。ただし検証前に入れるとどこでエラーになったか見えなくなる場合もあるから、作りながら画面更新しない範囲を広げてゆき、最後に全体に適用するといった工夫が必要かも。ひとくちメモでしたー。

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2008.11.29

ロックなコーク伝説

ライブハウス横のコーク自販機もう身体が反応してしまう。あえて見つけようとしているわけではないのに、赤い自販機があるとつい側面を確認してしまう。前回に引き続き5件目のロゴ断裁系コーク自販機。今回の注目はなんといってもそのロケーションだ。

場所はさいたま市。そろそろ冬がはじまり、そろそろオンシーズン到来!というわけで、季節の風物詩ともいうべきラーメン大雅の味噌ラーメンを食べに行く途中で発見した。

左にある建物に注目!ここはライブスペース「ヘブンズ・ロック」、ライブハウスだ。これは重要な発見だと思いシャッターを切った。

実は前にチャットモンチーのことを書いたとき、こんなことを書いている。

ある意味ここまで切れてればデザインと言えなくもない。夢みる少年少女が集うスタジオ脇だからあえてこの反体制的ロック魂を表現した(?)断裁型を置いているのか、徳島の人目につかない場所だから置かれてしまったのか。コカコーラ自販機疑惑も深まる秋の夜だ...。

そうなのだ。ライブハウスとロゴ断裁型設置場所とが今回も一致したのだ。だからどうした、という声が聞こえてきそうだがcatface

今回のさいたま市のこの場所はさいたま新都心駅やさいたまスーパーアリーナからも近く、交差点でもあり、人目につかない場所という感じではないと思う。となれば、やはりライブハウスとの相関性の高さが浮き彫りになってくるのであった。

ま、そんなことばっかり考えながらオレは日常生活を生きているわけだ。

大雅のコーク自販機ちなみに目的地のラーメン大雅にもコーク自販機があった。交通の便が良いとはいえない羽生の住宅地にあるラーメン店だが行列店だ。店長は新横浜にあるラーメン博物館のすみれで初代店長だったらしい。この季節、むしょうに食べたくなる。

そしてこの行列店にあるコーク自販機は、それが当然のようにロゴ正規版なのでであった。ロケーション的には断裁型でもよさげな田舎の風景なのだが、そこはまさに人目につく場所なのであった。

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2008.11.28

紅白でこんなサプライズを望む!

DJ OZMAが襲名会見を開いていたな。誰なんだDJ OZMAって(笑)。まぁそんな古いネタはどうでもいい。

今年の紅白といえばおふくろさん騒動の森進一だ。師匠の死によって「おふくろさん」完全封印かと思われたが、親族との和解で歌えることになった。その最初の披露を紅白でするのではないかとの観測が流布しており、市場は既に織り込み済みのようだ。

だがしかし。誰もが歌う歌うと思っているなかで歌ったとしたら、「そのまんまやないけぇー」という気分が流れ、サプライズ効果は薄い。

もっとも、誰もが期待するなかでそれ以上の芸を見せるのがホンモノだという説もある。例えるなら、カックラキン大放送における堺マチャアキがバナナの皮でズッコケルような。視聴者はそこにカタルシスを得るのだ。

そういう真っ当な芸事のチャレンジこそ森進一らしいかもしれない。

だがしかし。ひとくちメモ的には、やはりサプライズを期待したいのだ。

そこで提案!森進一にはオオトリに出てきてもらって「おふくろさん」のイントロのあと、ジョン・レノンの「マザー」を歌ってもらうってのはどうだろう。森進一節で「まずぅあうぁうぅあー ゆぅーはっどむぃーぃーぃー(Mother, you had me )」って歌いだしたら、視聴者ぶっ飛び間違いない!そしてかなり森進一節に合う楽曲だと思う。

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2008.11.27

危なかった

ほんの1時間ちょっと前、接待まがいで実は自腹になりそうな(笑)キャバクラへ連れて行かれそうになった。まったく乗り気じゃなかったのだが、そこが接待まがいの難しさであれよあれよという間にお店の扉が開いていた。

その瞬間、「あ、この空気感、精神を陵辱されるsign01」という気分に襲われた。

是が非でも逃げ出さねば。そう思っていたら、たまたま人気店だったようで「キャバ嬢の空きがない」と黒服が連れに言ったので、ここぞとばかりに逃げてきた。連れはゴネていたが、渡りに船とはまさにこのことだった。

キャバクラ全般を否定するつもりは毛頭ない。たださっきの店の空気感はヤバい。こういう店はバカになった気で札びら切って散財することを楽しむか、バカが散財させられるかのいずれかでしかない。その両方だったバブルの頃を思い出す...なんて感傷に浸るような場合ではなかった!

もちろん額面の高低ではない。ムダな行為そのものがオレからツキを奪っていくのだ。そういう遊びはよろしくない。

精神の陵辱からスンデノところで逃れられたオレは、少しバランスを取るために書店へ入った。駅前に大型書店があってよかった!そこで1時間キャバクラで使ったであろう金額(指名料含む)とほぼ同じ、ハードカヴァ2冊と新書1冊を購入したのであった。

無意味な1時間と3冊の書籍が同価値の世の中。その積み重ねが人間を作っていくわけだな。くわばらくわばら。

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2008.11.24

「流星の絆」にもうひとつの絆を見た!

TBSドラマ「流星の絆」が好調のようで記事へのアクセスも多い。これに便乗して、いや、ひとくちメモとして、ご紹介しておきたいもうひとつの絆。高知東生と高島礼子のホームページ「絆」のことじゃないぞ(笑)。大映ドラマ「赤い絆」だ。どうだい?年の功って感じだろtv

でもこのドラマ、単にタイトルに絆が入ってるってだけじゃないんだ。そこがひとくちメモってことなんだけど。この「赤い絆」の主演は山口百恵。赤いシリーズ(TBS・大映テレビ共同作品)っていえば山口百恵の代表シリーズだ。そしてこの赤いシリーズの相手役といえばもちろん、このドラマや映画共演の縁で結婚した山口百恵の夫三浦友和とのゴールデンコンビに決まってる。「流星の絆」の柏原刑事役だ。

でも、実は「赤い絆」(シリーズ第6作目といわれる)の相手役は三浦友和じゃないんだ。そこもひとくちメモってことなんだけど。この「赤い絆」の相手役は三浦友和じゃなく国広富之だったんだ。「流星の絆」で静奈(戸田恵梨香)の本当の父親矢崎信郎役を演じてる。うぉー!大どんでん返し(笑)。国広富之は「赤い絆」と次の「赤い激突」(同第7作)でも共演していて、パラレルワールドでは国広富之と山口百恵が結婚していてもおかしくないんだ(笑)。

そんな山口百恵をめぐる三浦友和と国広富之の数奇な運命(?)が先週「流星の絆」第6話で重なった!二人が並んで妻(>役のなかでだが)について語っているところを、どれだけの人が万感の思いを込めて見つめていたことか(>オレだけか?)。まさに2大スターが空に輝くよキラリshineってとこだ。いいシーンだったなぁ。

ま、この二人は刑事対決でもある。国広富之はなんつったって「トミーとマツ」でしょ。三浦友和のほうもデビューした頃「刑事くん」で同僚刑事役をやっていたらしい。刑事対決は圧倒的にトミーの勝ちだ。

ま、くだらない話はこのくらいにして(本題じゃないんかい!)、「流星の絆」も佳境に入ってきましたね。原作をまだ読み終えていないからドラマを見ないって東野ファンがいるのですが、もったいない!オチがわかったら東野圭吾の魅力がなくなるんかいっつーの。文学はそういうもんじゃないんだってば。落語と同じで名人芸を楽しめばいいんだよ。

ジャニーズの二人については親衛隊の皆さまにお譲りして、戸田恵梨香を語ろう。このポジションはなんだかいい。裕木奈江からバッシング要素を取ったような(>なんだそれ)。すっごい素朴な役もあばずれもこなせる不思議なレンジの広さ。「流星の絆」の劇中劇的な小芝居にもその個性が充分活かされてる。(ちなみにオレは裕木奈江も認めてる)

上野樹里の真っ白さとは、逆のタイプだ。うまくいえないんだけど、上野樹里を「役者」と呼びたいと書いた流れからすれば、戸田恵梨香は「女優」と呼びたい感じ。なんかたまに見せる悪そうな女の顔がいい。

花火のようにドーンと主役級としてデビューして消えていくんじゃなくてネズミ花火みたいな?どんなポジションもこなせて、どう動くかわかんないけど愛らしいみたいな(笑)。あまりバラエティなどに出ないのは正解だと思う。そういう路線を行ってほしい。

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2008.11.23

賢者の相場読本がまたひとつ

ためになったねぇー、ためになったよぉー。いつも他人のギャグでツカミはオッケーと思うのやめたほうがいいかな(笑)。今回は特に内容にそぐわないし...。でも為になる相場読本がまたひとつ出現したのが超うれしい。もう中学生のギャグが一番ピッタリ来たのだ!

「賢者の商品先物トレード」の著者塩坂洋一氏はMistery Tigerというハンドル名で日本版ロビンスカップ(リアルマネー選手権)の優勝者だった。以前カギ足の話をここで書いたときにちょっとだけ紹介したことがある。今回はついに著書を上梓されたので、あらためて紹介したいと思った。

私の私設師匠集団相場戦隊ゴレンジャーには入っていない。それは私の学習時期に出会ったわけではないから。しかしそれなりに技術が身について、もう読む本もほとんどなくなってから「この人はホンモノだ!参考になるなぁ」と思えた人が3人いた。そのひとりが塩坂さんだった。あとの2人はヒミツsecret

今回の著書を読めば、凡百の相場本との違いがはっきりわかる。実践家でなきゃ書けない内容がわんさか出てくる。しかもリアルマネー選手権優勝(およびそれにまつわるエピソードのかっこよさ)という実績に裏打ちされてるのが買い安心感にもつながる(もっとも短期決戦の戦略がそのまま誰にでも使えるわけじゃないことは無論のこと)。

将棋の羽生義治を例に引いている部分も多くそこにも親近感が持てた。相場以外の例を引くうまさは、例えば「パネルクイズ アタック25」について2ページに渡って触れられていた。こういうの好き!私もサーフィンのジェリー・ロペスに相場の極意を見たことがある(笑)。相場をやっていると世の中を見る目が変わる。変わらざるを得ない。でもそれが新鮮だ。

また、本書で紹介されている参考図書も、数は少ないけれど私の推奨銘柄(笑)と共通していた。基本パンローリングなのは版元だからだろうけど、「ロビンスカップの魔術師」や「マーケットの魔術師」(特にデニスとタートルズのとこ)もさることながら、ラリー・ウィリアムズ(青レンジャー)の『「インサイダー情報」で儲ける方法』に触れられているのがいい。

もっとも重要なのは資金管理の話だ。資金管理の話は勝ってる実践家でないと書きにくい。特に仕掛け・仕切りの分割方法の話とか負けのコントロール方法なんかは、相場をせず(あるいは勝てず)本しか書いてない自称投資アナリストには書きたくても書けない。しかし学習者にとって本当に必要な情報は、建玉戦略であり、上がるか下がるかの見分け方なんかじゃないわけだ。そこを基準にテキスト選びをしたほうがいいと思う。

塩坂さん自身が高名な老相場師の教えとして挙げられている3つのポイントは、まさに実践家の言葉だった。とくに第二、第三は関連している。

また、損を小さくの意味も取り違えている人がたくさんいると思う。「それは、ひとつひとつのトレードの損を小さくするなどといった単純な話ではない。」と書かれた部分はあったりまえの話なのだが、そんなあったりまえの話も「損小利大」を単純な損切りの話としてしか考えていない人はたくさんいるはずだ。

相場手口は時間とともにあり、戦略・戦術も場にあわせて変化する。しかし「変化」は基本線の変更ではない。基本線を変更する事態に陥ったときは撤退以外ありえない。

玉操作(戦術)とシナリオ変更(戦略)はまったくことなる。それら一連の陣形をどう動かすかという全体の流れの管理が相場であり、個々のテクニカルな動きや細切れの情報(材料)に右往左往するのは相場じゃない。

つまり部分最適では相場に勝ち続けることは出来ず、全体最適が必要なのである。全体最適のためには仕掛け・玉操作・仕切りという一連の流れを的確にコントロールする管理手法が必要ということだ。

●相場の全体最適にも応用できるTOC理論

全体最適・部分最適なんてキーワードを持ち出したことで、ピンと来る人もいるかも。もう一冊紹介したい本が最近出た。エリヤフ・ゴールドラット博士の「ザ・チョイス」だ。

これは相場の本じゃない。ゴールドラット博士が開発したTOC理論(制約条件の理論)に関する著書で、生産管理とかプロジェクト管理に関する内容だ。博士の最初の著書「ザ・ゴール」は世界的なベストセラーとなった。日本企業は旧態依然とした原価主義によるコストワールドから抜け出せないようで、TOC理論はあまり導入されていない。和を重んじる風土が変革を妨げているのか。ま、今回の話題とは逸れるので、掘り下げない。

「ザ・チョイス」は若干包括的な内容なので、実践的小説「ザ・ゴール」や「クリティカル・チェーン」のエッセンスを再確認できる。サブタイトルは「複雑さに惑わされるな!」だ。

そもそもTOC理論が求めるゴールとは「利益を上げ続けること」であり、これは相場の究極のゴールそのものだ。また、コンフリクト(対立)を解消していく手順は市場とポジションとの関係に応用がきく。ドラム・バッファ・ロープ(DBR)は一連の工程のなかでボトルネックを発見しそこを最大限活用するためのマッピング手法だが、これも分割仕掛けから玉操作へ向かう玉操作の考え方に似ている。

相場は単純な市場だ。上昇・横ばい・下降しかない。しかし複雑な現実や様々な材料に右往左往してしまい、相場の波に飲まれてしまう。それを回避するために論理的な思考回路を自分自身の中に確立しておくことはメリットになると思う。

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2008.11.22

アンビエント・ハウスの快楽

掃除してたら1994年に別のペンネームで書いた文章が出てきた。ほっとくとまたなくなりそうなので「ひとくちメモ」に転記しとこう。決してヒマなわけではない(笑)。ご飯が炊けるまでのつなぎだ。14年も経ってるのに、まったくオレの文体が変わってないという驚愕の事実発見happy02 

と同時に、今年自然音録音に傾斜していったポップンポールの心象世界には、こういう前提もあったという記録の意味合いもあったりなかったり。

●アンビエント・ハウスの快楽
~ カルトだけのものにしない!編 ~

 過激な静けさ。躍らせないハウス。
 アンビエント・ハウスは、こう形容される音楽のジャンルである。
 アンビエントミュージックとハウスミュージックとが合体してしまえる時代(といっても十五年も前だが)の音楽シーン。ここまで来たらこの先なんでもありなのではないかと思いつつ、アーティストにとっては、なにをやっても予定調和的に受容されてしまうという、いっそうパワーの必要な時代だ。

 アンビエントの創始者ブライアン=イーノは、アンビエントを「聴くことも無視することもできる音楽」と定義した。これをエリック=サティのいう「家具の音楽」のようなオッシャレーなものだと思うと痛い目にあう。アンビエントとは、そう、お化け屋敷のなかで誰も聴いていないのに流れている、あのドヨーンとした音楽みたいなものだと思ってほしい。暗くて、たいくつで、曲が長い。知らずにCDを買うと、怒りがふつふつとこみあげてくる。どれも同じにきこえて、何度聴いても曲名が覚えられない。

 しかしそのうち曲名なんてドーでもよくなる。CDを買ったときの怒りは錯覚だったんじゃないかと考えだし、もう一回聴いてみようと思い始める。そして聴く。ここがアンビエントにハマれるかどうかの分岐点になる。私のようにかつて中島みゆきとYMOに同時にハマれた人ならきっとグッとくる(あまりいないと思いますが)。

 こうしてアンビエントの極北にたどりついた現代人が結構いた。しかしその何倍もの規模で流布していったもうひとつのムーブメントが、ハウスである。
 ハウスとは、かつてのディスコ・ミュージックが進化したものだから「ハウス=踊るための音楽」という図式がそれまでの音楽シーンの常識だった。

 ディスコのことを最近ではクラブというが、そこで流れているクラブ・ミュージックの1ジャンルがハウスだ。家のなかで踊るからハウスと呼んだという噂もあるが、実際はシカゴにあったウェアハウスというクラブが語源らしい。
 ハウスは年々過激になってゆき、様々なサブカルチャーの出会いを生んできた。ハードコア・テクノ、アシッド・ジャズ、サイケ、ミニマル、とにかく古今東西、踊れるもの、倒錯できるものならすべてを飲み込んで拡大・拡散していった。一時は三波春夫までREMIXしたりしていたが、そのようなフライングまで含めて、なんでもありなんだぜぇ的なノリを発信していた。

 そのなんでもありのなかで、淘汰された結果のひとつがアンビエントとハウスの合体したアンビエント・ハウスだ。とはいえ、お化け屋敷のBGMとイケイケボディコンねえちゃんとが、どうして結びついたのだろう。いや、どうしてという疑問がすでに若さを失っている証拠かもしれない。オタッキーとイケイケというなかば時代遅れのふたりが結晶した現代のファンタジーとしてとらえたほうが、トランスモダンっぽくていい。

 「聴くことも、無視することも、踊ることだってできるかもしれない音楽」アンビエント・ハウスの出現は型破りだったが、それは衝撃では無く、静かな波のようにひっそりと浸透していった。その背景には世界的な環境意識の高まりや、都市生活者のヴァーチャル・リアリティ願望があったのかもしれない(?)。

 また私にはその出現が、かつてのシュールレアリスム出現とダブッてみえる。ほぼ時を同じくして世界中で同時多発的なムーブメントとなった。
 音楽の機能を覆したという点でも、シュールである。

 音楽は今日もなお、人間の感情に訴えかけようとするものが多い。それは音楽の価値ですらある。
 アンビエント・ハウスは、それらと対極にあり、音楽に別の価値をもたらした。音楽的でありながら「音」そのものへ極度に接近したため、これまでの音楽の範疇では捕えきれなくなった。「音」そのものの脱構築。まさにシュールレアリスムではないか!

 「感覚にはたらきかけないもの―たとえば数は、もっと『純粋』である。」
 これは私の敬愛するヴィトゲンシュタインの言葉だが、アンビエントの愛(め)で方はこれに近い。
 「感覚」を「感情」と置き換えるとシックリくる。無作為に並べられたかのような数列、その数列が美しさとともに経ち現れてくる感覚。それは厳密には感覚にはたらきかけているのだが、人間の情では無く、脳内の化学変化をどうしようもなく誘発する薬のようなものだ。

 こういう作用が「過激な静けさ」といわれる所以だろう。高揚しないことの過激さは、ロックの叫びよりも時にパワフルである。
 ハウスのリズムは単調なビートの繰り返しだ。これを私はループする快楽と呼んでいるが、この単調さがポイントである。坂本龍一はこのビートをハートビートと呼ぶ。胎児の頃に聞いたであろう母親の心臓の鼓動、単調で安定しているその鼓動をハウスのビートに身を委ねることで疑似体験する。感情の芽生える前の状態に人間の無上の快楽をみる。それは恐らく地球というひとつの家(ハウス)の波長とシンクロしていて、究極的には超生命体としての宇宙、までも自分と等価交換できる可能性があるのだ。

 カオスとビート、混沌と反復、空虚と過剰、おたくとボディコン、みな連続している。どっちがわの住人でもいい。DEEEEEPになろう。DEVOじゃなくて(いいけど)。

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以上が14年前に書いた文章。いま表現するならば、アンビエントハウスは電車男のような音楽ということになるだろうか。ボディコンねえちゃんの記憶が色濃く残る(笑)、昔むかしのお話でした。

当時「カルトにならないCDガイド」ってのも書いてるんだけど、それは置いといて(笑)、いまひとつあげるならこの1枚(CD+DVD)。アート・オブ・ノイズのライブ盤「Reconstructed」だ!

日本仕様のDVD盤(画像なし)は、24bit/48kHzリニアPCM録音や24bit/96kHzのDTSが詰まってる!つまりCD音質以上のクオリティで売ってるわけだ。海外ではSACD仕様で売られていたそうで、日本ではより普及してるDVDでの発売になったのだろう。

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2008.11.16

石田えり@風のガーデン

CX開局50周年記念ドラマ「風のガーデン」はすでに第6話まで終了した。倉本聰富良野3部作の最終章との触れ込みで、本当に特別な作品に仕上がっていそうだ。

今回はまったく情報を入れないで観ているので、この第6話で石田えりがエリカ役で初登場したときはうれしかった。

エリカ曰く「30年経てばいろんなことがあるわよ」

本当にそうだな。石田えりを初めて観たのはテレビの映画番組でやっていた「遠雷」だった。たぶんオレは中学生だったから30年までは経ってないけど、その衝撃は忘れがたい。

いわゆる「私、女優よ」ってタイプの女優が大好きになったのは「遠雷」の石田えりからだと思う。もっとも当時の石田えりはデビュー間もない頃で、まったくの新人ではあった。“前貼り”って業界用語すら知らずヌードシーンの撮影に挑んだエピソードは有名(?)だ。

「私、女優よ」の定義はあえていうなら強烈な印象と幅広く堂々とした演技、そして恵まれた作品との出会いって感じだろうか。思いつくままに他にあげるなら太地喜和子、岩下志麻、原田美枝子、山口智子にも「私、女優よ」オーラを感じる。

新人時代から「私、女優よ」というオーラが出ていたわけだから、すごい(ってオレのアタマのなかのスキスキ女優アワードでの話だけど)。すごい女優になるに違いないと思わせたわけだが、期待に違わぬ女優でいてくれて、いま「風のガーデン」で出会えたのは感慨深い。

散髪屋のママさん役にして、この存在感。中井貴一との髭剃りながらの思い出話も、エリカ役が石田えりだからこそ倉本聰が書いたのでは?と思わせるエピソードだったfull。今後の展開も楽しみだ。

●倉本聰父子物語3部作最終章

「風のガーデン」はボクら(よりちょっと上?)の世代にとっては、たまらないキャスティングかもしれない。キャンディーズのランちゃんと、ふぞろいの林檎たちの中井貴一が不倫してて、そのオヤジの町医者が緒方拳(この作品が遺作となった)で。

「北の国から」は物語そのものが視聴者とともに成長しながら、長いスパンで進行していった稀有な作品だった。視聴者は物語に寄り添い、物語のなかの純と蛍の成長を見守った。

「北の国から」レベルの時間はテレビでは二度と再現不可能かもしれない。しかし「風のガーデン」では、そのタイムスパンを物語のなかで再現できないかわりに、「死の準備」というテーマを持たせることで、同世代の視聴者自身が歩んできたさまざまな人生をバックボーンに視聴できる。

「北の国から」の歩んできた時間は、実はドラマの外で生きてきた視聴者ひとりひとりのもうひとつの時間とともにあった。今度はそれぞれが歩んだそのもうひとつの時間を物語に投影しつつ、自分自身の生き方(それは死に方でもある)を考えるきっかけになると思う。

富良野3部作は親子のカタチ3部作でもあった。そして、すべて母のいない父子の物語だった。「優しい時間」は他の2作品に比べれば小品な印象だが大好きな作品だ。母の死をきっかけに反目しあう父子の邂逅をテーマとしていた。大テーマの2作品の間に「優しい時間」を置くことは必要不可欠だったのかもしれない。富良野塾で育ってきた倉本聰とその弟子たちとの父子関係という視点でも興味深かった。

「風のガーデン」では3世代の父子関係が描かれる。「準備できる死」としてのガンをある種肯定的に捉える。勘当され故郷に戻ることを許されない余命数ヶ月の医師である息子(中井貴一)と、在宅医療に固執する町医者の父(緒方拳)との親子関係。その大テーマの前に、妻を自殺に追いやった父(中井貴一)と母を亡くした彼の子どもたち(黒木メイサ、神木龍之介)との親子関係がある。

●妻や母の不在に見る倉本聰の願望

それにしても倉本聰富良野3部作における母や妻の不在は回を追うごとに重くなる。「北の国から」では離婚だったが、「優しい時間」では息子の事故で死に、「風のガーデン」に至っては自殺だ。その不在の原因も、妻自身の浮気、息子の不注意による死(そして息子と父との断絶)、夫の浮気で自殺(まだ第6話までの推測だけど)と、だんだん男の罪や悪に比重が移っていく。

「不在による存在感」と「私、女優よ」タイプの女優好きとは、関連があると思う。大脚本家倉本聰の深層心理を読むことはできないけれども。たぶん強い女が好きなのだ。しかし強い女の物語は橋田壽賀子が描けばいい(笑)。倉本聰は、もがき苦しむ悪い男のダンディズムを描くのだ。そうやって男や父を描くことで女をある種の理想形(あるいは神棚)にあげる。

それでも強い女渇望は抑えきれず、「優しい時間」では大竹しのぶの幻を毎回登場させてみたり、「風のガーデン」で石田えりを2度離婚した散髪屋のママさんに置いてみたりするのだ(>オレの勝手な妄想ですけど!)。そんな母性への圧倒的な渇望こそが、倉本聰の根幹なのかもしれない。富良野の大自然(母性)に包み込みながら、ダメな男に社会と折り合いをつけさせていく。それもひとつの生き様。

「風のガーデン」が何かの集大成であるとすれば、そのひとつは「ダメ男でも最後は決着をつけるべき」ということかもしれない。

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2008.11.14

定額給付金の配布方法はこれしかない!

800万創価学会員が年末年始に配って歩く。これしかないbleah
なんのために800万人もいるのだ。選挙で電話してくるだけじゃもったいないっ。

こんなもの政策とはいえないという声がある。とんでもない!
これは現代版「生類憐れみの令」なのだ!
お犬様がご庶民様になったのだ。保護してもらおう!

1800万円以上の年収があったら自主的に辞退しろだって。
税金も自主的に辞退させてくれるなら応じてやってもいい!

もらうだけはもらって自民党に投票しないって人の割合を世論調査しろ!
それがもっとも正しい生き方かもしれない。

でもどうしてもいらないというヒト。
公営ギャンブルにパーっと使って返納するのが粋ってもんよ。

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2008.11.12

今井雅人さんに元気をもらった日!

いままで散々「マット今井師匠」と書いてきましたが、突然「今井雅人さん」と書いているのは、もちろん選挙に向けてです(笑)。今井さんの地元(岐阜4区)の人に今井さんをよく知ってもらうために、ボクが出来ることはブログに書くことぐらいだし。選挙では「今井まさと」とひらがなです。「マット今井」って投票したら無効かな???

このブログ「ひとくちメモ」は長いのがとりえ(文章がじゃなくてcoldsweats01 続けてる期間がっ)。長くやってるだけに結構検索ヒット率が高いのです。んで、初出馬の今井さんのことを探してる方がたどり着かれたとき、応援してるって気持ちが地元の方に伝わればいいなと思ってる次第です。

それにしてもいつになることやら衆議院選挙...。地方は疲弊しきって年末を迎えようとしてます。今井さんが立候補した理由も、やはり疲弊した地元(下呂市)を見て、地方経済を何とかしたいとの思いからのようでした。

今井さんもいまはほとんど地元(岐阜4区)に戻っていて、週1回程度しか東京に来ないとか。私も本当に久しぶりにお会いしてお話し出来ました。本当は飲みに行きたかったけれど、私も忙しい身ゆえ短時間でしたが。

「お久しぶりです!」と声をかけましたら、背中をポンと叩かれて「おー久しぶり!」って。もうそれだけで会えてよかったーと思いました。mixiメール読んでくださいね(ボソッ...)。

ちょうど今年の夏、今井さんの選挙区あたりに旅行した話などもしました。一番大変なのは選挙区がとにかく広いことだそうです。確かに広い選挙区で、地元行脚するのはかなりの労力でしょうねぇ。さらに自民党王国のひとつでもありますから余計に大変だと思います。

でもその一歩一歩が地方を救う一歩になるんです!

ボクも自民党王国の山口県出身なので、その大変さは多少想像できます。いくら民主党に追い風が吹いていても、やはり新人候補ですからねぇ。でも剣道とマラソンで鍛えたパワーでがんばって欲しいですな。ちょっと太ったような気もするし、痩せてください(って、オレもか!?)。いっしょに痩せますかbanana

次期米大統領のオバマ上院議員ではないですが「チェンジ!」が日本でもキーワードになるかどうか。誰もが最初は「地盤・看板・かばん」のないところから信用を得ていくわけで。そういう意味では今井雅人という人材は、きっと裏切らないと思います。

民主党からは有象無象の類が出馬したこともありましたよね...。古賀ちゃんとか(懐かしい!)。でも、今井さんなら期待できると思うなぁ。人間的な魅力があるし。

とにかく今日は、久しぶりに今井師匠と会って話せただけでずいぶん元気をもらいました。当面の経済見通しもほぼ同じベクトルを向いてました。ボクのほうがややドルベアに傾いてるかなくらいで。

なかなか良い見通しの立たない経済状況ですが、政治ひとつで世の中は変わります。今井さんの立候補を抜きにしても、おそらくいま、戦後最大級の「チェンジ!」の機運が日本を覆っています。政治家が変わらなければ政治も変わらない。変えなくてはならないときに変えなければ次はない。それがまさにいまこの時代なのだろうと思っています。

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2008.11.08

週刊金曜日15周年記念号が届いた日

週刊金曜日15周年記念号ウソ発見誌「週刊金曜日」が創刊15周年を迎えた。創刊準備号から読み続けてきた雑誌だ。定期購読をしていると、雑誌名と同じ金曜日に届く。創刊したころには金曜に届かないなんてクレームもあり、その対応状況なども掲載されていた。

先週金曜は某スナックで飲んだくれて帰宅。週金はいつもと同じようにポストに入っていた。15周年記念号表紙のあまりのカラフルさに、毎日大量にポストに入っているビラと間違えて捨てそうになってしまった。危ない危ない。

記念号かぁーと思いつつ、表紙に印字されている編集委員の名前を感慨深く見つめた。女性3人、男性3人。合コン状態じゃーん!なんてふとどきな感想を持ったりした。

編集委員の顔ぶれも15年間で変わった。変わらなかったのは、筑紫哲也氏と本多勝一氏(50音順)。50音順で並べるというルールも変わらない。当所ホンカツ色が強くなりすぎないよう、50音順を採用したんじゃないかと勝手に思っていたが定かでない。

名前の並び方ひとつにも気を使って明確にルール化していくとこが「なんて左翼っぽいんだ!」とも勝手に思っていた。もっともサラリーマン社会でも席順や挨拶順など、バカバカしいくらいに気を使うニッポン社会だ。おあいこおあいこ(?)。

正直、左翼雑誌だとバイアスを持って購読し続けてきたが、徐々に真のクオリティペーパーとしての実力や評価もついてきたと思う。特にブックレットの「買ってはいけない」が大ヒットし、経営的にも安定してきたのかもしれない(よく知らないけど)。食の危機に対するアンテナの高さは日本一だった。

佐高信氏が発行人になってから紙面がグッと週刊誌らしくなり経済の記事も増え、雑誌として面白くなった。同じ主張するにも魅せ方が大切だ。それは昨今の労働組合にも言えるのかもしれない。

清濁合わせのみつつ主張するとこは譲らない。休刊した「噂の真相」にはそういうところがあった。飄々とそういうことをするのがオレの大好きなジャーナリズムのダイナミズムだった。

週刊金曜日にそんな濁(ダーク)な要素は似合わないかもしれないが、優等生のつまらなさを払拭するには、毒のある発行人・佐高信は適任だったと思う。編集者としても才能(というか嗅覚)があるように思う。

ホンカツ信者だったオレだけど、ホンカツは生涯新聞記者でありルポライターであろう。編集者ではなかった。いまの「週刊金曜日」は適材適所、いいバランスじゃないかと思ってる。

すでに右翼・左翼というパラダイムはまったく無意味となり(もともと意味があったのかも疑問だが...)、世の中は「貧困」や「地球環境危機」のパラダイムへ向かっている。週刊金曜日の取り上げるテーマは増え続けている。

しかしそんな状況のなか、15周年記念号が届いたその日、筑紫哲也編集委員が他界された。長い闘病生活だった。若者文化を常にウォッチし続けてきた筑紫氏。精神的にも社会的にも若者が危ない現代ニッポンにまだまだ発言して欲しかった。女性3人、男性3人の編集委員で紙上合コンパーティをやって欲しかった。合掌

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2008.11.06

解散権を握っているのは官僚なのでは?

麻生は「解散権は私にある」が口癖(言い訳?)。しかしいまだに解散しない。金融危機だとか経済対策が先だとか、いろいろ理由付けしているが、金融危機の震源地で大統領選が行なわれたのを見ているわけで、まったく説得力がない。

マスコミによると、自民党独自による世論調査の結果を見て腰が引けた結果だという。自民党の世論調査は選挙区ごとにかなり詳細に行なわれるらしいので、そういう面もあるだろう。

しかし、もともと負け戦のはずだった。小さく負けるための顔として、明るい太郎ちゃんを選んだんだ。それが突然解散しない、政局より政策と言い出した。

「政局より政策」が単なる言い訳に聞こえないのは、オレにはこの解散引き伸ばしが官僚の入れ知恵にしか見えないからだ。いま官僚がもっとも必要としているのは、公務員制度改革を骨抜きにする政策であり、その骨抜き案をまとめるための時間だ。

麻生は基本的に官僚のロボットだ。自分の言葉でしゃべっているように見えるが、官僚への訓示すら官僚の作文だった。ただし、麻生節に書き換える知恵を裏方の取り巻きが身につけている。官僚にコントロールされていないように見せかけながら、官僚の思い通りに動かせるのが麻生だ。官僚の政治家操縦技術も日々進化している。

つまり、麻生が自分で決めるといいながら、いつまで経っても解散できないのは、「腐っても自民党」が衆議院で圧倒的多数を占める時間をできるだけ引き伸ばし、天下りできる時間を稼ぐ必要のある官僚組織が、あの手この手で麻生に耳打ちして先延ばしさせているのではないか。

どうせ来年秋には任期が来る。それまで持つかどうかはわからないが、どっちにしろこの先、官僚にとって自民党がどうなろうと知ったこっちゃない。我が身が大事なだけだ。使える自民のいるうちにあらん限りの執念で骨抜き法案を通す腹なのだろう。

麻生の思想は「権威の継続性こそが最重要」のようだ。所信表明でもそうだったが、「チェンジ!」がキーワードのオバマ大統領誕生にさえ、これまでの50年間の両国間の関係をこのまま続けることが重要と言っていた。閨閥も家柄もすべて継続させることに最大の意義を見出す麻生。格差確定社会の申し子のような麻生。

だが、その変化を嫌う麻生の性格や思想こそ、官僚がもっとも「使える」と踏んだ部分ではないだろうか。もっとも相場師の目からみれば、損切り出来ずにドツボにはまる没落貴族にしか見えないのだが。そう考えると官僚とはアホな旦那を騙してカタにはめようと企むインテリヤクザのようなものだ。

カタにはめられたカモにはいかなる権限もない。マンガ好きの麻生よ。せっかくだから「ナニワ金融道」でも読んでみたらいい。常にカタにはめる側にいる気分で生活しているんだろうが、実際ははめられてんじゃない?

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2008.11.05

チャット先生

昨日はチャットモンチー三昧。届いたチャットモンチーの武道館ライブDVD(メインディッシュ)を観た後、TOKYO FMの「SCHOOL OF LOCK」を録音して聴いていた。

そこではチャットモンチーがチャット先生となり、毎週火曜に1コマ持ってるらしい。今週はスペシャルで22時から2コマ生授業だった。

なんだか、学生時代に戻ったような気分で聴いていたら深夜になってしまった!ラジオっていいな。

以前、山下達郎氏(ある意味名誉教授)が、ラジオはマスメディアじゃなくパーソナルメディアだとおっしゃっていたが、ラジオはテレビでは伝わらない(伝えきれない)何かを持ってる。「音だけ」ってのが重要のような気がする。録音ファンのボクには特にそうだ。

それにしても、チャットモンチーとパフュームの6人でお食事会かぁ。どんな話題が出るんだろー。

個人的には、チャットモンチーとエンケンの純音楽対決が見てみたい(>それムリありすぎっ!)。

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2008.11.04

コーク・マニア

コカコーラのロゴ断裁系自販機@堀切菖蒲園約一ヶ月前に目に止まって以来、コカコーラの自販機に夢中だ。とくに側面ロゴのプリントがズレた自販機と設置場所との関係に興味がある。

その後、テレビのなかで2度(チャットモンチーのドキュメンタリードラマ流星の絆)確認した。

そしてこの連休中にもまた発見。堀切菖蒲園駅近辺で、あまりひと目につかない場所だった。ここまで頻度が高いと発見という言い方は当てはまらないかも。相当数出回っているようだ。

ただ同じ駅前でも、酒屋さんに設置されているのはロゴ完全プリント系自販機だった。この対比が楽しい。ロゴ断裁系も多いとなると、今後はどちらも置き場所との関係をさらに注意深く見ていきたい。

そのうち、コーク占いははじまりそうだ(ボクのアタマのなかで)。この土地にあるのは断裁系か否か、断裁系ならばどの程度の断裁系か。それで占うのだ(何を?)。

地球規模で広がるコカコーラ。そのコカコーラが考える路地裏とはどういう場所なのか?タウンウォッチングにまたひとつ楽しみが増えた(ヒマよねぇー!)。

グーグルも他人のプライバシーばっかりストリートビューしないで、コークの自販機全調査をやってくれよー。ウチが全世界に公開されててビックリしたよ!さすがのグーグルでも出来ないかな?

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2008.11.03

hahajima wave single now on sale!

Pop'n Poll with Nature @ wacca now on sale! hahajima wave のなかから2曲だけシングルカットし、waccaで有料配信はじめました。試聴は無料です。 波の音2つで14分程度になります。このくらいの時間があれば安眠できるヒトもいると思いますが、連続してCDに焼くとかリピートで聴くとかしつつ、眠りにつくというのが使い方(?)。 分売なら1曲300円、2曲まとめると500円です。一般アーティスト以上の値段になってますconfident まぁ昭和のシングルレコードって600円だったし。とりあえずどっかに購入パスを作ってみたかったわけで。 内容が小笠原の波の音なので、外国のほうがウケるんじゃないかと思い外国の配信サイトを探したけれど、いくつか問題もあってとりあえず日本のサイトにアップしてみました。 日本でどれだけニーズがあるかわかりませんが、日本返還40周年目の6月(返還月)のOGASAWARA WAVE binaural 音源はおそらく世界にこれだけなので、その記念という感覚です。 これ以外にwaccaでは無料配信もしていく予定です。そこではPop'n Poll with Natureブランドでの自然音だけでなく、宅録でローファイな弾き語りなどもやるかも知れません。人間なんてラララーズの音源復活があるかも??? またwaccaでは掲示板(オモテの日記)や日記(waccaユーザーオンリーのウラの日記)なども書き飛ばしていく予定です。

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2008.11.01

ポストおバカ時代に向けて

最初に言っとくけど、この文章長いだけで不毛ですからっbleah

来週には米国でオバマ大統領が生まれそうなご時世。それは稀代のおバカ大統領ブッシュ時代の終焉も意味する。オバカの次はオバマ。そんな時代、日本はいま空前のおバカブームだ!おバカバブルともいえる。

おバカタレントが脚光を浴び始めたのは2005年あたりからと言われている。クイズ番組での解答のズレ加減がウケた。その源流にはクイズ不思議発見における野々村真大先生がいたとも言われている。不思議と一緒におバカの価値まで発見したエポックなクイズ番組だったわけだ。

しかし私は2000年に、すでにおバカ再評価の風潮を予期していた。その記事はこちら。その部分を引用すると、

最近のコはみんなおりこうさんだから、バカに憧れるんでしょうか。バカさ加減を競い合うみたいな。バカは悪ではない。大人の悪がたくさん露見してるからねぇ。悪よりバカがいいって(誰もそんなこと言ってねぇよ)。ポジティブに「バカ」を使ってる。バカ再評価。なんてフール。

てな調子です。それから数年後におバカブーム到来となるわけだが、ひとつ見誤ったのは、政治の世界ではバカと悪とが合体してコイズミ新自由主義体制を生み出し、今日まで延々と引きずってしまったことだ。バカが権力握ると悪を生み出す。これは反省しなければならない。このバカはおバカと本質的に異なる。ブッシュ、コイズミは、おバカではないのだ。ハサミを持たせると危険なほうだったわけだ。

さて、現在のおバカ状況を見るにつけ、おバカタレントは皆さん利口であることがわかる。女性おバカタレントのひとりスザンヌのコメントなんて非常に機転が利き、相手への配慮も完璧で、頭の回転のよさがわかるよね。

いわゆるおバカタレントとは知識表出型のクイズ番組でバカを演じる力といえる。それは文部科学省が画一的に身につけさせたいフリをしてきた「生きる力」が、学校秀才とはまったく違ったベクトルで実現できたってことに他ならない(ほんとか?)

いっぽうで官僚機構がまるごと詐欺集団だったことが暴露され、時代は官僚養成専門学校としての東大ヒエラルキーからの脱出に向かっている。それはつまり受験システムの無力化につながる。学校システムに寄りかかった知識から脱出するほうが、生きる力が身につく時代がようやく到来するのではないかと期待している。

私のライフワークである学校システムの脱構築が、ようやく現実のものになりそうな時代がやってきそうだと、おバカブームを見ながらそんな妄想にかられている秋の夜なわけだ。

ではポストおバカ時代には、なにが求められるのだろうか?

進化の速い他の文化状況を勘案すれば、画一的な知識から知識の多様化に向かうのは必然だろう。みんなで同じ知識をひけらかして共同意識を確認し合いそれを楽しむという全体主義的な娯楽は徐々に衰退していく。

いまはバカを演じることが生きやすい状況にある。それは正当な我を主張するより、一歩引いた立場で不確かな我からの自己主張でコミュニケーションを円滑にしようとする生活の知恵ではないだろうか。まさに官僚の無謬性の対極にある意思表示の方法論だ。

バカな自分の発言としておけば正誤についての責任はいったん棚上げされる。そのようにとりあえず発言し反応をうかがいながら世間との距離感を保ちつつ協調していく。まさに日本人好みな和の思想に通じるのが「おバカ」という態度表明だと思う。複雑怪奇な現代社会を生きる謙虚な知恵だ。

しかし謙虚ななかにも自己主張があるのが現代的でもある。言わないで済ますのが古来日本人の美徳だったが、いまはバカを装いつつも一応自己主張してみるわけだ。受け入れられなければバカな発言でかたづければいい。

バカという逃げ道があるのは大切で、それは弱さともいえるが、ヒトはそもそも弱い生き物なのであり、その弱さゆえに発言を差し控えて生きてきた。しかしいまやおバカというツールを使うことで、自己主張しやすくなる。

発言してみれば世の中は変わる。そして発言するからこそ、おバカという謙虚な立ち位置が余計にプラスの印象で受け入れられるようになる。発言しなければ意思疎通できずに終わっていた関係が、グッと良い関係に発展していく。それがおバカな態度の効能なのではないか。

みんながおバカを楽しみ、受け入れ、消極的な「おバカでいい」から積極的な「おバカがいい」に変わっていく。するとコミュニケーション下手だった日本人も、まさに日本人的な謙虚さを保ちつつ自己主張できるようになる。

自己主張が増えれば、各人の知恵の表出機会が増加する。バカ話として表出された知恵が連鎖していけば、ほとんど日常がブレスト(ブレインストーミング)状態となるだろう。バカ話こそクリエイティブの源泉であることは、クリエイタなら誰でも知ってる。こうしておバカは日本のクリエイティビティのレベルをアップさせていくはずだ。

先日、亡くなった赤塚不二夫先生の特番が放映されていた。フジオ・プロの会議はまさにおバカのクリエイティビティを示現していたじゃないか。あんな風によのなかが変われば、時代は動く。えらそうな顔をして常に上から目線の某現総理大臣のような態度こそが本当の馬鹿になる。

知識偏重教育は本当の馬鹿に育ってしまうリスクとなる。知識は外部に持てばいい。PCでもケータイでもネットでも知識は持てる。そんな知識を、忘れるリスクのある自分の脳に詰め込む馬鹿馬鹿しさ。そんな時間の浪費をしている暇はないくらい知識は世界中で増殖している。

それよりも知の編集スキルだったり、機転の利く会話スキルだったり、論理の構築力だったり、動的な知恵のほうが重視されることになろう。知識は補完要素にすぎない。そのような教育は画一的になりようがない。そしてどのような職種や業種でも応用が利くスキルになるだろう。柔軟な発想を受け入れる社会も実現できる。

ポストおバカ時代は、そんな理想的な柔らかアタマ時代になって行って欲しいと思う。

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