google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2008年10月

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2008年10月の24件の記事

2008/10/31

母島公式サイトリニューアル!

今日、小笠原諸島母島の公式サイトを閲覧に行ったら、デザインが更新されてました

最近もほぼ毎日閲覧に行っていたので、おそらくデザイン変更はここ数日中のことと思います。ガラッと公式サイトっぽくなってますよーー!>観光協会さん

以前、ここで、

お世辞にもレイアウトが優れているとはいえない母島観光協会サイト

なんてことを書いた。もちろん、悪意などさらさらなくて、続けて、

美しいだけで内容のないサイトはうんざりするほどたくさんある。素朴でも内容が読者に届く母島観光協会のサイトは、まるで「母島」のあり様そのままといった感じだ

とフォローしたりした。もともと毎日更新されてるし内容は充実してるから、デザインがよりプロっぽくなったのは良いことだ!

求人情報を見たら、ラ・メーフが募集してた...。彼女たち、辞めちゃったのかなぁ。

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2008/10/30

ポップンロール

ポップンロールじゃないっつーの!

失敬だな

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2008/10/26

ペレリマンを待ちわびて

読書の秋到来!ということで、ほとんどは星野博美さんの著書に費やす予定です。本日もアマゾンから2冊届きました。今朝7:00頃注文したのが今日届くんだから、やっぱすごいなアマゾン...。最近は新刊書のアップ速度が遅いアマゾンだけど、既刊本中心の首都圏生活者のワタクシには強い味方です。

ただ、なにごともひとつのことに集中できない浮気性の性質なので、できる限り脳内のふり幅が広がる本を求めて日々書店を彷徨ってます。ていうか、身体が求めてしまうんだな。脳の違う部分も使えって。

特に最近はストレスを感じることが多い生活なので。オレの生活を脅かすようなパワーハラスメントには徹底抗戦せなあかんと心を新たにした週末だったのだ。ぷんぷん!いまぷんぷんと打とうとしてぽんぽんになってしまった。ものすごい脱力感...。

●ポアンカレ予想を解いた男

さて、そんな週末に買ってきたのが「100年の難問はなぜ解けたのか」(NHK出版)で、一気に読み終えた!ブルーバックスで育ったオレには、めっちゃ面白かったぞ。

数学界には21世紀になっても解けなかった7大難問(7つのミレニアム問題)というのがあり、そのなかに「ポアンカレ予想」というのも選ばれていた。これを解いたのがグリゴリ・ペレリマン博士。2006年にその功績が認められ、フィールズ賞に輝いた。ここ最近書店に「ポアンカレ予想」の書籍が結構並んでるのはそういう事情だ。

ところが、このペレリマン博士は人間嫌いで、100万ドル(約1億円)の賞金も賞も辞退して引きこもっているというのだ。この本は、そんなペレリマン博士のポアンカレ予想解決への道程に迫ろうとしたNHKスペシャル(2007年秋放送)を書籍にまとめたものだ。

もとがインタビュー映像中心の番組なので大変わかりやすく、読みやすい。以前、「マネー革命」も紹介したけど、同じような読みやすさを感じた。

数学や科学の真実・真理に迫ろうとする営みやそれを成し遂げようとする人物、そして関わった人々の証言。これはオレのもっとも好物のひとつだ。

なぜだかちょっと考えてみたのだが、まずそういう誰もが発見できない高みに到達する過程には、ふり幅の広い思考や論理の飛躍が必ずある。その飛躍に惹かれてる。専門領域だけに閉じないで、幅広い知識とアイデアを寄せ集める過程がスリリングなのだ。それは時代のなかでひとつづつツールを獲得していくゲームのような感覚ともいえる。

もうひとつは、とにかく成し遂げる人物がピュアであり、考え抜き、悩みぬく存在であること。さらにアイデアマンなだけでなく、職人のひらめきを持ってる。俗世間から浮いた存在へのあこがれがある。考えることの楽しさこそが、神の与えた最高の娯楽だと思う。もっとも本当に高みに到達した人々は世間的には不幸だったりするのだが...。

俗人にはさっぱりわからない数学界だが、超高等数学って専門領域が分かれてて、数学の中でも専門が違うとさっぱり解けないようだ。ペレリマン博士のすごいとこは、それらの専門領域を横断的に利用しつつ、数学だけでなく物理の熱方程式なども駆使して解いているところのようだ。

●人気に流されない痛快さ

門外漢のオレにとって痛快だったのは、その解法のツールだ。ツールとなる数学にもそれぞれ歴史があるわけだ。人気のあるテーマもあれば日陰のテーマもある。

ポアンカレ予想ってやつはトポロジー(位相幾何学)っていう現代的で人気のある数学テーマを象徴する難問だった(1960年代)。しかしペレリマンは、その現代的人気テーマの研究者が古臭いと言っていた「微分幾何学」を駆使して解いたのだった。

またペレリマンは、アレクサンドロフ空間という「特異点」の研究をしていた。これは「ゲテモノ数学」とまで揶揄されていた研究テーマだったそうだ。この研究成果がポアンカレ予想解決の決め手となった。

そして熱方程式だ。数学の世界にあったリッチフロー方程式が物理学の熱方程式に似てた。リッチフロー方程式は専門外だったペレリマンだが、子どものころ得意だった物理学の熱方程式をヒントにして、アレクサンドロフ空間の研究に果敢に導入してゆく。

こういったツールのひとつひとつがみんな数学の人気テーマから外れているのだ。誰も解けない詰め将棋にチェスと囲碁の戦法で解法を示したようなものか?この結果を知ったトポロジー研究者の呆然としたが目に浮かぶようだ...。この日陰のテーマを駆使して超人気テーマを解決する過程が、たたき上げ好きのオレにはたまらんわけよ。

しかしそのように横断的な解法が本当に破綻のないものかどうかを誰かが検証しなければならない。専門領域外はてんでわからない数学界にとって、大変重労働だったことだろう。チームを作って2年かかったそうだ。それでようやく正しいことが証明され、数学界ではノーベル賞より価値があるといわれるフィールズ賞に至ったわけだ。でも受け取らない...。なぜだ!?その答えはペレリマンしか知らない。

この手のベストセラーにはサイモン・シンによる「フェルマーの最終定理」(新潮文庫)もある。結構分厚い本だが、内容が面白いのでワクワクしながらミステリーみたいに読める。秋の夜長にどちらももってこい!

● 2010/3/22:追記 クレイ研究所ミレニアム賞 -----

この記事へのアクセスがまた瞬間風速的にアップした。なにか動きがあったなと思ったら、クレイ数学協会がミレニアム賞と賞金100万ドルをペレリマン博士に授けると発表したようだ。フィールズ賞を辞退した博士がこれを受けるかどうかに注目が集まっている。

とまぁ、ここまでは新聞の後追い記事。それだけじゃつまんないからペレリマン関連書籍の紹介もひとつ。『完全なる証明』(マーシャ・ガッセン著、青木薫訳、文藝春秋刊)という書籍が昨年秋に出版され、私が持っているもので既に4刷(2010/2/5)。アマゾンでも現時点で591位と売れている。

サブタイトルは「100万ドルを拒否した天才数学者」で、オビには分子生物学者福岡伸一氏絶賛「数学という営みの孤独と美しさ、今年私が読んだ科学翻訳書のベストワン」とある。この書籍では博士の名前がペレリマンではなくペレルマンと訳されているから、ここからはペレルマンと呼ぼう。

著者はペレルマンと同時期にソビエト社会主義共和国連邦で数学のエリート教育を受けたというユダヤ人ジャーナリストだ。その経歴と英語・ロシア語のバイリンガルであることを武器に関係者を丹念に取材し、当時のソ連の数学教育やエリート教育についても記述している。

訳者によると、この書物は「ペレルマンという数学者そのものに焦点をあてた初めての本」だという。さらに底本があったわけでなく、著者から原稿を受け取ってアメリカ版と日本版が同時進行で編集されたという珍しい書籍だ。だから編集方針の違いで章立てが異なっているらしい。

特に第一章のソ連の数学学校のあたりは、著者自身が日本語版だからこそ「十全なかたちで含まれている」と語っている。また「日本語版には、スターリンのあの粛清の時代を、ほとんど奇跡のように生き延びた数学者たちのことも語られている」とも。まさに日本語版を読めてラッキー って気分なんだよね。

クレイ研究所による今回のミレニアム賞授与への道程も最後のほうに書かれていた。この賞は数学者たちが同業者としてその業績の“完全さ”を称える賞であり、王室が授与する某賞などとは違うという。しかし受けるか受けないかはペレルマン次第です()。

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2008/10/25

スターリン暴落とバカヤロー解散の時代を超えるか?

昨日は朝から大雨が降っていた。ここしばらくこんな大雨の朝を迎えたことはなかった。まるでこの相場を予言しているかのような天気だった。

今日は日経平均が8000円を割れちゃって、ドル円も92円台を示現した。ポンド円なんて140円割れを見た。昨年7月20日には250円台だった。1年で110円の下落!これが相場だよ!

なんでも10/16の株式の下げは、1953年のスターリン暴落以上の下落率だとか(史上2番目)。スターリン暴落って思わず調べちゃったよ。時は朝鮮戦争の時代。日本は朝鮮特需で、第二次世界大戦の敗戦から急激に立ち直ろうとしていた。いわば軍需バブルだ。

そんな時代だったが、スターリンが死去して朝鮮戦争が早期終結するとの観測が強まり、軍需バブルは一瞬にしてはじけた。

毎日新聞が昭和毎日というサイトで当時の新聞を紹介してた。

ちなみに昭和毎日でスターリン暴落の次のニュースは、吉田茂総理の「バカヤロー解散」だった。なんの因果か、いまその吉田茂の孫が金融恐慌の真っ只中で総理大臣となって「解散権は私にある」と言い張ってる。「ホテルは安い解散」とはいかないようだ 与党の分裂はあるかもしれんが...。

こうやって歴史を辿っていくのは面白い。こういうときこそ現代史を学ぶとっかかりになるのかもよ。

さて、ちょうど日経平均が1万円を切ったあたりから、株式口座開設ラッシュだという。つまりそういう小口素人さんが底値だと思って買いに来るレベルだってこと。

まだまだはじまったばかりだってことを忘れちゃいけない。だいたい3年くらいは下げ続けるというくらいに構えておいたほうがいいと思う。不安を解消できるだけの材料はまったく見えない。いまさらグリーンスパンを責めたって何にもならない。

もし素人さんが株式で底を拾うなら極小玉で入るべき。えてして大底だと思い込んで、ギャンブルして大玉張ってしまいがち。でも本当の上昇トレンドに転換するときは、多少乗り遅れても充分取れる。それよりも、大玉張って相場のアヤにやられるほうがイタイ...。

なーんて言ったってムリだよね。そういう方々が撃沈するから二番底は示現するわけで。素人さんが総崩れして、もう搾りカスも出なくなってはじめて相場は反転する力を蓄えられる。今しかないと思って、じゃんじゃん買って欲しい!

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2008/10/24

お笑いの神が降りてきた夜...ゴッド舌!

今週のゴッドタンは、お笑いの神が降りてきてましたね...。

女子アナ(松丸友紀)がグラドル(手島優)と相撲取るなんて企画自体、前代未聞ですけど。

ていうか、企画じゃなくてその場の思いつきで進行していってるわけですが...。

女子アナが負けて観葉植物の鉢で頭を打ってしまう。

勝ち逃げしようとするグラドルが鏡にぶつかってしまう。

計算じゃ出来ないあの瞬間は、お笑いベストオブイヤー2008だと思いました!

そしてその瞬間は、またDVD発売記念な企画でやって来た。

ゴッドタンってDVD発売するたびに、発売記念でグダグダな企画を放送しますが。

DVDヒット祈願の景気づけ企画なのに、その企画のほうが面白くなっちゃう

そしてそれが次のDVDに収録されるという好循環。

そしてそのトリガーを引いてるのが司会エンジェル松丸友紀アナ。

ほんと神だな。神DVD化の日も近い!?来年の改変期あたりか?

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2008/10/22

正直モノの麻生総理

ホテルは安いとこだと思ってますね、正直言って

でたー
ついに出ました麻生のホンネ。

スーパー視察したその足で帝国ホテルのディナー&バー
こんなのは序の口ですけどね。
目くじら立てるほどのご発言じゃないです。
だって麻生だぞ。なめんな!

だいたい3万円くらいじゃない。
帝国ホテルのディナーとバーのはしご。
安いって言ってるんだから。

定額減税も、その基準で額面決めないと!
4人家族で6万円とか、家族で夕飯も食えないでしょ。
麻生のいう庶民感覚じゃそんなの屁みたいなものじゃん!

いっそ、税金取るの止めてみたらいい。
日本がタックスヘイブンの島になったら世の中かわるよ

追記)-----
久米宏の新番組「テレビってヤツは」を見てたら麻生の“面白”エピソードが飛び出した。彼にとって「ホテルでディナー」は単なる日常であって、いまにはじまったことじゃない。

なんでも若い頃、おじいちゃんの吉田茂から当時の1000万円(番組内で「額はいっちゃいけないのか?」って言いつつこの金額が出てきた)をポーンともらって、「これで1年間遊んで来い(遊び方を覚えて来い)」といわれ、そのカネで一年間放蕩三昧を経験したそうだ。うーん、デリシャス

そんな麻生なんだから「オレが総理の間税金はとらない。麻生グループと高級官僚(高給官僚)の無駄遣い分返還でまかなう。」って言ってくれれば、麻生人気はホンモノになるぞ。年間80兆円で足りるんだ。安い安い。結果的に麻生がブルーテント生活になれば、日本は変わる。それが革命ってもんだろ。

吉田茂といえば「小説吉田学校」(戸川猪佐武著)だ。保守本流の壮絶な権力闘争が描かれている。子どものころ(たぶん中学生のころ)、わけもわからず読んだ。当時の文庫本の表紙は戯画的な似顔絵で、たぶんそれに惹かれて買ったんだと思う。DVDも出てたので一応ご紹介。物語としては面白い。

これからは麻生クンをアソー・アントワネットと呼ぶかな 
タロー・アントワネットでもいいけど、アソーのほうがわかりやすいから。

庶民の皆さんもー、スーパーの食品が高騰してるんなら、ホテルの安っいディナーを食べればいいじゃない」って言ってみろ

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ついにジェニファー・ハドソン1st発売!

Amazonから宣伝メールが入っていた!輸入盤は9月末に発売されていたようだが、ついに日本でも10/29にジェニファー・ハドソンの1stアルバムがリリースされる!輸入盤が13曲で今回の日本盤は15曲入りのようだ。

確かもっと早く出るはずだった。しかし紆余曲折あり、秋まで延期になっていたのだ。それだけに飢餓感が高まっていて聴く耳だってハードル高いぜ!

でも、そんなオレの心配をよそに、ジェニファーの圧倒的な歌唱力にノックアウトされてしまうのだろうか。そうありたいものだ。

歌のうまい歌手はたくさんいる。とくに全米デビューともなれば、うまいへたを議論する余地などない。オレはジェニファー・ハドソンの成り上がり物語が好きなのだ。

ジェニファーは言わずと知れた第3回アメリカン・アイドルのファイナリストのひとりだった。しかし優勝も準優勝も出来なかった。

そんな経歴はときに足かせになる。イカすバンド天国出身だというだけで偏見をもたれるようなものだ(>違うか?比喩もレベルも)

だがジェニファー・ハドソンはそんな経歴どこ吹く風で、映画「ドリームガールズ」の準主役をゲットする。日本のように事務所の力じゃないぞ。自力で勝ち取ったのだ。そして劇中歌で名曲中の名曲「And I Am Telling You I'm Not Going 」に出会うわけだ。

この曲はまさにジェニファーのための曲だった。歌うシーンでの圧倒的な存在感は、主役のビヨンセをも凌ぐ。そりゃ渡辺直美もマネしたくなるわけだな。

そしてアカデミー賞ほか数々の賞を受賞し今日に至るわけだ。むしょうにたたき上げ好きなオレが、ようやく出たこの1stアルバムに期待しないほうがおかしい。

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2008/10/20

ドラマ流星の絆

TBSではじまった「流星の絆」は、原作がいま飛ぶ鳥を落とす勢いの東野圭吾で脚本がなんとクドカン(宮藤官九郎)という、かなり興味深い組み合わせだ。

初回からもうクドカンワールド全開だった!暗く重たい殺人事件と残された3兄弟という境遇を、クドカンワールドではこんな風に描けるんだなぁ。さすがっ!

泰輔(錦戸亮)と静奈(戸田恵梨香)が悪徳商法の女に騙し取られたカネを、その女が貢ぐホストから取り戻すくだりなんて、タイガー&ドラゴンの進化形のように思えた。落語と現実とが交錯していったタイガー&ドラゴンだったが、今回は現実と功一(二宮和也)のシナリオが交錯していく。

現実にはありえそうもないリアリティのない飛躍が、このタイガー&ドラゴンシステム(?)のおかげでいとも簡単に物語に溶け込んでいくクドカンワールド。本筋が親殺しへの復讐ドラマでありリアリティの追求を架せられているなかで、この飛躍が出来るのはクドカンくらいじゃないだろうか。

さて、その本筋だが、これって刑事コロンボシステムなのかな(この○○システムって言い方ウザい?)。初回で犯人がわかっちゃったよね。公式サイトには特に記述がないけれど、犯人がわかったうえでこの相関図を見ると、伏線の張られ方とかいろんな想像が膨らむ。

コネタではカレー屋の名前が「ジョージクルーニー」ってのが好き。ソダーバーグ監督のお気に入り俳優の名前だから。それと萩村刑事役の設楽統(バナナマン)。このシチュエーションはまさに、ゴッドタンにおける「ドジ芝居でマジアピール合戦」じゃないか(...違うか?)。

あとネタですらないところで、例のコカコーラの自販機チャットモンチーのときにも触れたが、このドラマにも出てきた。柏原刑事(三浦友和)と萩村刑事が警察署内喫煙所みたいなとこで会話するシーンに、またまた後が切れたデザイン自販機。こういう人目につかないとこにあるんだよねー。まさにリアリティ(笑)。

そうそう、リアリティといえば、3兄弟が見上げていたしし座流星群も実際に見えた。オレも大出現の年に見てる。そのときは130個くらいまでは数えた記憶がある。

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2008/10/19

七瀬なんどめ?

高校の頃だったか「七瀬ふたたび」にめちゃめちゃはまってる女子がいた。その女子のはまりっぷりがものすごくて、いまならさしずめマルチ商法のディストリビューターかと思うくらいに薦めまくり。読者をとりこにしてしまう魅力を持ってるんだろうな。そんなに薦められなくても読んどるっちゅーねん!

NHKドラマ「七瀬ふたたび」に期待してる。何度目の映像化か数えてないけれど、小説の初出から35年くらい経ってるそうだ。主演の連佛美沙子は大林宣彦監督の「転校生 さよならあなた」での鮮烈な印象が残っている。今回はテレパスの役だが、結構合いそうだ。

第二回まで見ての印象=結構難しいつくりだな...。昨今のテレビドラマの潮流が、単純に軽薄だったりテーマが重そうに見えていてどうにも奥行きがない方向に行っているなか、視聴者がついて来れるのかという感じも持った。個人的には好きなんだけど。

テレパスの苦悩って、現代ではなかなか理解されないかもしれない。虚構の世界はかなり進化してるので、超能力にみんな慣れてるから。

本当は公式サイトに原作者の筒井康隆氏が寄せているコメントどおり、「他者と違う自分を隠して生きざるを得ない不幸」の象徴としてのテレパスなのだが、SFが大衆化してしまったいま、その苦悩にどこまで現代的な意味を練りこめるかが今後のポイントかも。

演出的にちょっとウザかったのは、予知能力者が不幸な未来を見たり、それをテレパスが感じたりするときのガクッガクッと後に反り返る描写が単調かつちょっと多すぎ...。その瞬間緊張感が逆に途切れる。まぁ些細な解釈の違いかもしれませんけど。

若い人でこのドラマに興味があるひとには、同じ七瀬シリーズで「家族八景」という小説をぜひ読んで欲しい。七瀬シリーズは全3部作ある。順序としては「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」となる。

主役が七瀬というだけで、どれも連続性はあまりなく単体で読める。小説として良いのは「家族八景」だと思う。市原悦子もビックリの「家政婦七瀬は見た(感じた!)」って短編集なんだけど。

ボクが読んでもっとも印象に残ってるのは芸術家の家に働きに行った話。その芸術家は人のことが図形にしか見えてない。心の中には丸や四角だけがある。心理的にものすごく怖い情景だった。

「七瀬ふたたび」は、エンターテインメントとして優れてる。だから映像化も多いのだろう。「エディプスの恋人」までいっちゃうと、もうちょっと手に負えない感じ。話が深すぎて...。収拾つかない感じだった。

あと脇役では柳原可奈子が、ここでも好感度アップしてる(笑)。この役はマジ正解だと思う。

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2008/10/18

米原万里さんの思い出

エッセイスト米原万里さんの対談集「言葉を育てる」(ちくま文庫)が9月に出ていた。最近私が大好きな星野博美さんとも本書で対談されていると知り購入してきた。興味を持った人どうしがこうしてつながっていくのは対談の楽しさだ。

米原万里さんが亡くなられたのは2006年のことだった。容貌だけでなく生き方も華麗な人だったと思う。ロシア語の会議通訳をされていて、一度だけ実物を拝見したことがある。私がまだ学生の頃だ。

当時の私は大学を卒業するためにレポートを書かなければならなかった。時代はちょうどペレストロイカ後のソ連。ゴルバチョフがグラスノスチ(情報公開)政策を引っさげて民主化を進めている時代だった。

そんな時代背景のもと、ソ連にも全ソビエト連邦世論調査センターという機関が創設され、そこの所長をしていたタチアナ・ザスラフスカヤ女史が来日された。

日比谷公園の近所にある日本記者クラブの会議室だったと思うが、所長は日本のマスメディア向けに講演をされたのだ。そのときの通訳が米原万里さんだった。

私の立場は大学生。その講演に入れるわきゃないのだが、当時就職が内定していた某社が、自社の記者という身分を与えてくれたので潜り込むことができた。バブルの時代って売り手市場のいい時代だったよ。卒業できたのは御社のおかげです!入社しなくてごめんね...。

そのとき初めて見た米原万里さんの印象は「通訳にしては濃いな」だった。しかし非常に優秀、というとおこがましいが、行間を訳せる人といえばいいだろうか。「ザスラフスカヤさんはそんなにしゃべってなさそうだけど」と思うような部分を補足して訳されている感じがした。既に作家の資質が表れはじめていたのかもしれない。

声も非常に特徴があった。最近、お笑い番組によく出る鳥居みゆきの声を聞くと米原万里さんの通訳を思い出す。なんか似てない?声が。

潜り込んだ講演会で無事レポートの取材が出来、そのうえ米原万里さんの通訳をライブで聞く体験まで出来た。そんな学生は他にいないのがちょっと自慢だ

私の興味は社会主義国家における世論の存在にあり、レポートのタイトルは「ソ連の世論」に決めていた。語感がいいだろ ソレンノヨロン。音楽三昧の生活だったから韻を踏むことが重要だったのだ(>なんだソレ?)。

あの米原万里さんの声がいまも思い出される。いまみたいにリニアPCMレコーダーがあればよかったのになぁ。

その後のご活躍はテレビで度々見た。次々と出版される著作は、華美な通訳という印象しかなかった私に華麗なエッセイスト・作家という顔を見せてくれた。

「言葉を育てる」のオビには「この毒舌がもう、聞けない 言葉の魔術師・米原万里の最初で最後の対談集」と書かれている。対談のなかで硬い話と柔らかい話とが縦横無尽に繰り広げられる。このレンジの広さも魅力だ。

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2008/10/17

今井師匠が民主党から立候補!?

いやー、世界恐慌以上のサプライズだなぁ。もー。ボクの相場師匠マット今井さんが民主党から立候補するらしい。昨日地元の岐阜新聞で報道された。こりゃ、民主党を応援するっきゃないな。いつ総選挙になるのかわからんが。

そもそもはマット今井さんが銀行を辞めてフリーになられて最初のセミナーにボクも参加した。当時のマット今井さんはまだ銀行のディーラー感覚だったので、シカゴ時代のローカルズの話なんかをしてくださり、個人的にものすごく聞き応えのあるセミナーだった。実は録音してて、なんども聴き返した。

FXブームになってからは、そういう話よりも上がるか下がるかみたいな話が聞きたいセミナー参加者が増え、また自分自身スキルもついてきたのでセミナーは卒業した。でも立候補するんなら会いにいこうかな?

セミナー以外では、某女性を介してマットさんと個人的にお話する機会を得た。サシで飲みに連れてってもらったこともある。そういうときの毒舌は超面白い(^_^;)。でもその後のFXブームのなかで、FX業界では超有名人になられたので、そういう機会はなくなってしまった。

もう1年以上お会いしてない。たまたまこないだmixiでメッセージ送ったのだが、返事がない...。まぁ、mixiそのものをほとんど見られないのと、立候補話でいろいろお忙しいのでしょう。世界情勢がこんなになったので、また飲みに行きたかったんだけど。残念。まさか立候補なんて話になってるとは思ってもみなかったので...。

今井さんは榊原英資さんからの信頼が厚いため、民主党からの出馬というのは確かにありえる話だ。旧知の榊原さんと組んでいい仕事してくれそうだ。金融のプロ中のプロであり、いわゆるアナリストではなくトレーダー出身なのがいい。いわば現場の人間だ。

今井さんは、とにかく相場観が鋭い。それは見事としかいいようがなく、いつもシステムトレーダーに挑戦していた(笑)。「機械なんかに負けるかよ」と思っていたに違いない。政治はさらに人間くさい世界だが、もし当選した暁には、そのするどい相場観がきっと役に立つことだろう。選挙区は結構厳しそうだけど、ぜひ当選して欲しい

まぁ、今度会うときはカリスマトレーダーどうしで酒を酌み交わしたいものだ なーんて。ボクはカリスマにはなれないけれどさ。だって人様に知られていいことなんてありゃせんじゃないの。人知れずリッチってのが理想だよ。

金融行政では日本の取引所をもっと充実させて、はやく一流の自由市場を創設して欲しい。大不況のあとには上昇相場が来る。何年後になるかわかりませんが、照準はそこにあわせて、さまざまなプランを仕込んで欲しい。

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2008/10/16

松丸たん、“TOKYO”はさびしい街ですか?ゴッド舌!

週舌ゴッドタンとDVD

TOKYOのビルたちが泣いているみたいに思える夜は、ゴッド舌!腹を抱えて笑いたくなりますよ。

前回のDVD特典映像について書いた「松丸友紀アナ天然PV流出(笑)」って記事が、その思わせぶりなタイトルも手伝ってか、いまぶっちぎりでアクセス急増中です

特に昨日の深夜はすごかった。こんなことは「藤原紀香の1ボトル」以来のことで、23時台だけで通常の1日分程度のアクセス数だった。ほとんどが松丸たん検索の結果ではないだろうか?

今回はじっとこらえてそっとしとこうかなと思ってた...。最近はオンエアを全部観てるのでDVDの内容自体は「懐かしい」って感じだった。そして冷静に「このグダグダなまんまを放送できちゃうんだもんなぁ。テレ東深夜ってすごいよなぁー。フラーイ、アウェーイ...」と感心していたのだ。

だがしかし、ローソンにおいてあるフリーペーパー(どーでもいいけど置き場所わかりにくっ!ロッピィの回りをチェックしよう!)を読んでしまったら...袋とじを開けてしまったら...書かざるを得んだろう松丸たん

ゴッドタンDVDの内容がどういう選定基準で選ばれているかは知らないが、松丸たんをどうしたいのかはさらにわからん(笑)。だがしかし面白ければそれでいいのだ。それだけは確かだ。

松丸アナのファンにとって、DVD(現役女子アナの妄想キッス)は言うに及ばず、フリーペーパー「週舌ゴッドタン」こそがメインディッシュなのではないのか。無料で入手できるのにこの充実感はなんだ。敵は本能寺にあり!特典画像はローソンにあり!この松丸たんテンコ盛り状態はすばらしすぎるぞ!こらこら、オークションで売ろうと考えてるチミ!ダメだぞっ。

袋とじの松丸たんを一言でいえば、さびしいTOKYOの夜に舞い降りた新興宗教の女教祖たんポスターだ。まさにゴッドな雰囲気だ。そしてお得意の自作格言...。アントニオ猪木の詩集「馬鹿になれ!」と同じくらいのインパクトを感じる。絶対出版したほうがいい。そんときはオレに構成させてくれっ!タダでもやりたい。タイトルは、そうだな、「神になれ!」とか。

景気づけにチチヤス飲んだローソンでは最初DVDだけを受け取って帰ってきたのだが、昨晩の放映を見て今日もローソンへ赴き「週舌ゴッドタン」をGETしてきた。松丸たんファンにはぜひ入手してほしい。オークションで買ってでも(ダメだぞっ)。

フリーペーパーだけを取って帰るのもなんだかなと思い(まさにローソンの戦略どおりの優良客でしょ!)、ジュースを買った。どれにしようか迷ったけど、なんとなく語感に惹かれて景気づけにチチヤスヨーグルトテイスト乳酸ウォーターにしてみた。チチヤスとダイドーのコラボ飲料、ゴクゴク飲んだ。美味かった!

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2008/10/12

アートに何ができるのか?

クリックで拡大します爽やかな秋晴れの連休中日、ちょっと変わった写真展&トークイベントへ行って来た。写真家・橋口譲二さんのNGO“APOCC”主催の「ベトナムワークショップ2007写真展 少年少女の心の世界」とトークイベント「アートに何ができるのか? -生きる喜びを見つけるアートの力」だ(右写真をクリックすると画像拡大します)。

場所はJICA横浜。遠い...。しかしがんばって行ってきた。他でもない、星野博美さんに会うためだ

なんと動機が不純な...。しかしこのワークショップ写真展は内容の濃いものだった。残念ながら星野さんとはお話し出来なかったが。

写真展は橋口さんと星野さんというプロカメラマンの写真ではなく、ベトナムの少年少女にカメラを渡して好きに撮ってもらうというワークショップで撮影された作品群だった。

原子心母10代の少年少女がほとんど初めてカメラを持ち、シャッターを押した写真だ。リーフレットの牛もフィン・ミン・ナム君(16歳)の撮った牛なのだ。ピンク・フロイド「原子心母」も真っ青ないい写真じゃないか

少年少女の写真には、風景写真が多い子もいれば人物が撮れてる子もいる。風景はさまざまで、遠景が好きな子もいれば、市場や果物など生活の匂いが好きな子もいる。接写でうまいアングルを自然と獲得してる子もいた。光と影の面白さ、瞬間を捉える面白さに目覚めた(かもしれない)子もいた。

人物では、後ろ姿だけの子もいれば他の子どもの表情をキャッチしてる子、被写体を正面から撮れてる子などさまざま。後姿ばかりだった子の中に1枚、真正面からおじいさんを撮った1枚があって、きっと勇気を出して声をかけて撮らせてもらったんだろうなとか想像は膨らむ。

今回のワークショップでは、展覧会の写真を観に来た人たちに、どの子のどの写真が良かったかをその子の写真を観ながら話し、その場でベトナム語に同時通訳してビデオレターにするという企画もあった。めちゃくちゃ賛同したのだけど、星野さんに話しかけられないくらいシャイなオレなので、ビデオレターには収まらなかった 取材だったらいくらでも話せるんだけどな...。

●アートに何ができるのか

ベトナムワークショップ2007写真展トークイベントでは、アートになにが出来るのか、あるいは何が求められているのか、なぜアートが存在するのか、といった壮大なテーマだった。それだけにいまいちまとまりのない感じではあった。しかし、今回のワークショップのあり方そのものがひとつの答えを充分に出しているのではないかと思った。

ボクは自分自身をシュルレアリストだと自称してアートワークにせいを出していた時期がある。アートとは自分自身が生み出すものであって、鑑賞するものじゃなかった。

とはいえ鑑賞そのものに価値がないかといえば、そんなことはない。この世にはすばらしい絵画や音楽や映画がいくらもある。それらに影響されて何がしかの生きる糧を得てきたのもまた事実だ。

星野博美さんは学校での美術が苦手だったという。アートがない世の中が理想だと。しかし実際には満たされない何かをアートの存在で代替できたり、アートに触れることが支えになる世界が現実にあるのだろうとも。

ボクは学校美術がどちらかといえば得意だったわけだけど、「アートで満たされる心」はひとつの幸せではないかと思う。世の中にはアートでは救えない生がまだたくさんある。せめてそのような救えない現実を根絶し、最低限アートで救える生を実現する、アートがセーフティネットになり得る世界、そんな現実世界が訪れれば良いと思う。

●アートは観るものか作るものか?

アート論でときどき思うのは、アートとは観るものか作るものかという問いだ。質問しようかなと思ったが、なかなか言葉にまとめることが出来なかった。シャイなもんで。

ま、どっちでもあるのだが、ボクには自分で作るその過程こそが第一義にあり、その作品は自分自身と社会との接点であろうと思っている。ワークショップでの少年少女の写真は、まさにそういう作品だった。

社会のなかに自分自身の居場所を見つける、あるいは自分自身が居ていいんだと思える(承認を得る)、そういう装置の一つとしてアートの存在意義がある。

学校教育に美術や音楽があるのも、何かを表現することが社会との接点を見つける学習だからだと思うのだ。それ以外の勉強(科目)は、ほとんどが内に閉じている。暗記したものを吐き出す繰り返しだ。それは表現とはいえない。そのような記録の表出ばかりに偏重した教育が面白い社会やお互いを尊重する社会を生み出せるはずがない。

表現する自分を見つける(自我の発見)、そしてその表現に承認を得る(社会の発見)、それがアートの根源的な意味だと思ってる。なかにはその表現が他者に影響を与える人もポツポツ出てくる。

帰りの馬車道でスナップまた他者のアートに影響を受け、自分自身にフィードバックできる人もいる。多くのアートしない人々も他者のアートへの共感や感動によって別の価値を自分のなかに蓄積し、また形を変えて、仕事や家庭、生活を豊かにできる人もいる。

順序としてはそういう順番ではないだろうか。アートを観るのは何か行動を起こすためのきっかけであればいい。アーティストはそういう影響力を持った(持ってしまった)人なのだ。そしてアートする人が増えれば影響を受ける機会も増え、さらにアートの裾野が広がる。

それは単にアートが巨大ビジネスになるということではなく、第一義的なアートの意味である「表現する自分」と「そんな自分を受け入れてくれる社会」を多くの子どもたちが発見することにつながるように思うのだ。

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ロックの神様が一番好きなチャットモンチー

金曜深夜にNHKで放送された「夢が夢でなくなる瞬間 チャットモンチー・スペシャル」というドキュメンタリーを観て、ますますチャットモンチーに近づけた。

最近の音楽事情にはかなり疎くなっていて、チャットモンチーをはじめてみたとき「小学生バンドか?」などとふとどきな感想を抱いてしまったオレだが、同時に感じた「すげぇかっこいい!」という感想のほうの裏づけが取れたような番組だった。

チャットモンチーのプロデューサーいしわたり淳治さんがおっしゃっていた「ロックの神様が一番好きなタイプ」という形容が印象に残った。

最初にステージを観たいしわたりさんは彼女たちが靴を履いていないのに気付く。「どうして?」と聞くと「練習スタジオが土禁(土足禁止)で、靴を履くとエフェクターを踏み誤るから」が理由だった。

簡単に説明しとくと、ギターのエフェクター(音を歪ませたりエコーをつけたりする機材)は足元に置いてあり、スイッチを足で操作する。ロックバンドのギタリストが、歌の間はクリーンなギターの音なのに間奏になったとたんギンギンの音を出せるのは、間奏に入る寸前に足で歪み系エフェクター(ディストーションなど複数ある)のスイッチを押しているからなのだ。複数のエフェクターをつないでいろんな音が作れる。つなぐ順番とか研究すると奥が深い!

これ、スイッチを押し間違えると大変なことになる。押すタイミングも重要。そのタイミングも計算しつつバンドサウンドは作らなきゃなんない。

アマチュアの頃のチャットモンチーは、ステージ衣装でカッコつけるよりも、このエフェクターを練習通りにちゃんと操作することに重点を置いていたわけだ。プロになったいまは靴はいて練習できてるから大丈夫なわけだな。

カッコつけないカッコよさみたいな音楽とスタイル。そして3人が音楽にまっしぐらなピュアな感性。それがチャットモンチーだった。そんなチャットモンチーを知ったいしわたりさんは「ロックの神様が一番好きなタイプ」と称したわけだ。ええ話やなぁ...。

いろんな仕事をしていて、ピュアにものづくりを楽しめる環境は大変少なくなったと感じる。良いスタッフとめぐり合えたこともチャットモンチーのピュアなロック魂のおかげかもしれないな。

まったく話が変わるが。番組でリーダーの橋本絵莉子が徳島時代に練習していたココナッツスタジオを訪問する映像が流れた。すると、そのスタジオの脇にあるコカコーラの自動販売機は、この前オレが見たデザイン断裁型だった!しかもオレの見たのより激しく断裁されていた

ある意味ここまで切れてればデザインと言えなくもない。夢みる少年少女が集うスタジオ脇だからあえてこの反体制的ロック魂を表現した(?)断裁型を置いているのか、徳島の人目につかない場所だから置かれてしまったのか。コカコーラ自販機疑惑も深まる秋の夜だ...。

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2008/10/11

雑踏 越谷レイクタウン編

雑踏の音
(MP3/941KB)

越谷レイクタウン10月2日にオープンした越谷レイクタウンにて。

日曜に行ったら、とにかくものすごい人人人だった

帰り際、バイノーラルマイクを装着してブラブラしつつ、しばし雑踏の音を録音。

この耳で聞いていたのに、その場ではまったく意識しなかった雑踏の音たち。

その一部を切り取って、あえて で聴いてみることの面白さ。

日常の非日常化。

それはまるでポップアートのようだ。

人波の音をモニターしながら何も考えず歩いていたら、

ふと渓流のせせらぎを録っているときに似た感覚を覚えた。

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2008/10/10

ワンタフト歯ブラシ「プラウト」はいいっ!

最近、歯みがきがマイブームだ定期的に見てもらっている歯科での歯みがきチェックで、数年にわたるブラッシング技術の向上が数字に現れてきているためだ

思えば歯が欠けて、実に小学生の頃以来の歯科医に行ったときの歯垢は、歯科衛生士さんが遺跡発掘的興奮を覚えたほどの状態だった。歯石除去をしてもらったときの快感は、俄然「歯」という存在を意識するきっかけとなった。

それ以来、歯みがきについて飽くなき探求をしている(ってほどじゃないか)。もともと歯並びはよく、この状態を保てば一生自分の歯で生活できると言われその気になってる。 は病気になって行くものだと思いがちだったが、歯科だけは悪くなる前に行くものだと痛感した。失った歯や歯茎は戻ってこない。

知識不足や誤った知識も多かった。歯槽膿漏は歯茎の病だけではなく根本的にはアゴの骨のトラブルであって、土台から崩れていくから治らないとか、歯磨き粉はほとんどつけるべきでなくブラッシング技術の向上こそが重要だとか、市販の歯ブラシはまったく役立たずだとか...。最初に使っている歯ブラシ&歯磨き粉のメーカー名を言ったら「みんなそれ使ってるんだよねぇ」と落胆された。TVコマーシャルは怖い!

歯磨き粉がいらない=場所を選ばないというのは、ズボラなオレにもピッタリだ。テレビをみながらでも、相場を張りながらでも、あいた時間に歯を磨ける。もう10分でも20分でも磨いていられる。

しかしどれだけ磨いても、ブラッシング技術が低いと無意味なのだ。オレの場合、歯の裏側はほぼ完璧らしいのだが、表側の歯と歯の間にブラシがあまり当たってない。普通の人の逆らしい。また、左利きにとって鬼門である左奥歯の内側にも磨き残しがあり、それは自覚していた。

磨き残しって通常はストロークが大きいことが原因だという。しかし今回、ブラッシング技術向上により免許皆伝し(?)、プラウトという存在を教えてもらった。ワンタフトブラシというヤツだ(右写真)。普通の歯ブラシがちゃんと扱えない人には紹介しないのだ。うれしそうにプラウトを紹介する歯科衛生士さんは、なんだかマニアグッズを紹介するブローカーに見えた。

慣れるまでは思った箇所に当てるのが難しいと聞いていたが、もともと手先は器用なほうなので、すぐに慣れた。このピンポイント・ブラッシングはいいっ ものすごくいいっ!

これまで磨き残し感があった左奥歯内側にツルツル感が戻ってきた!まるで精密ドライバーのような感覚だ。これはもう手放せないツールになった。

歯ブラシで基礎ブラッシングを行い、デンタルフロスで歯間と歯茎とをブラッシングし、最後の仕上げをプラウトで。この3点セットを使うと、結構時間はかかる。だから洗面台ではなく、テレビを見ながらというのがいい。ドラマを見ながら歯を磨くというのはすばらしく効率的!そして就寝前で理にかなってる。

たぶん間食も減るぞ もっとも、たまに磨いては食べ磨いては食べをドラマのあいだ延々やってることもあるのだが...。それがマニアというものだろ?

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2008/10/09

毛沢東の相場格言!?

世界恐慌へまっしぐらのようです。こういう相場で勝つことは大変重要で、同じ金額でも不況のときの資産は相対的に価値が高い。しかし下げ相場で勝つには「売り」から入る必要があり、言葉を変えるとカラ売りできる市場で相場を張る必要があるわけです。

カラ売りがなにか悪いことのように言う人がたまにいるけれど、それは相場を知らないから。あるいは日本のいびつな株式市場しか知らないから。売買の自由度が高いことこそリスクヘッジが機能する市場だと思います。

2003年あたりから2007年あたりまで、基本的にブル相場だったので、買いしか出来ない市場でも利益を上げることができた。しかし世の中が変化したいま、そういう市場ははしごを外された屋根の上です。降りることも出来ない。

まえに不動産の勧誘電話への対抗策で「流動性がない」と言ったら引き下がってくれたことを書きました。不動産にしろ株式にしろ、塩漬けがもっとも危険なギャンブルといえる環境です。しかし塩漬けしたくなくても買う人がいなければ売ることすら出来ない。

FXについて考えれば、かなり流動性が確保されていると思います。大口の場合はそうもいえないけれど、個人投機のレベルであればフルカバーで売買できる。ストップ安もない(それが怖いと言ってる人は売りから入れない=相場に手を出しちゃダメな人)。死ぬ気で売って売って売りまくることが可能です(死んじゃダメだけど ^_^;)。連日売り疲れです...。これもうれしい悲鳴というのでしょうか

●NZドル預金ブームはいま...

いまほど外貨預金の怖さを実感できる時期はないです。先日知人が70円台まで安くなったNZドルの外貨預金を積み増したと聞かされ絶句しました。いま60円台です。まだまだ底が見えません。見たことあるNZドルの底値は42円(2000年)でした。天井圏の88円(1997年)から3年間の下げでした。

今回は97円(2007年)の天井から下げ始めたばかりです。先のことはわかりませんが、現在の60円という水準はその2000年の大底から2年後(2002年)の水準であり、2003年以降にNZドルを買って利益確定してない人は総崩れ状態にあります(高金利通貨だから金利分は残るけど)。4年間コツコツ溜めて来た差益が一転ゼロか差損になってるわけです。4年間いい気分で過ごせたという心の幸せを買ったと思うしかありません。

それでも「長期的に見ればいい」と言われて「そうだね。長期だからね...」と言ってしまいました。そこで「なにやってんだ!すぐ解約しろ」とはいえませんでした。タイムスパンの捉え方は(たとえ無自覚だったとしても)重要な思想であり、自分のカネは自分で守るしかないんです。たとえ4年間の預金が数ヶ月で吹っ飛んでも、また数年~数十年後には戻ってるかもしれないです。そういう話なら私には何も答えることが出来ません。

一ヶ月後のこともわからないのに、この下落トレンドのなかで外貨の長期塩漬け=外貨預金が出来るのは、ある意味“勇気”かもしれません...。各国協調利下げなんて介入があったけど、相対的に高金利通貨だしね。いまはまだ...。

FXならすぐに損切りしてドテン売りに回れば、多少の損ならすぐに取り戻せるけれど、NZドル預金はクソ悪いレートで円に戻すことは出来ても、NZドル売りに転じることが出来ません。高金利ともてはやされたNZドルですが、いまのような時代、金利なんて吹けば飛ぶようなものです。水滴を底なしのバケツで受けようとしているようなもの。

FXにも一時期スワップ派という言葉がありました。バケツの底に穴が開いていない時代の話です。昔の私はスワップ派を笑っていたけれど、いまは笑えない。スワップ派の人が波に乗っていた時代があったし、もしかすると時流の変化に素早く対応できる嗅覚を持っている人だったのかもしれない。だったら助かる道はまだありそうです。

最近はまっている星野博美の「愚か者、中国をゆく」を読み終わったのですが、毛沢東のこんな言葉がありました。「状況はたえず変化しており、自分の思想を新しい状況に適応させるためには、学習をしなくてはならない。」(1957年3月12日)

いま、この毛沢東の言葉がしっくりくる時代です。まさか毛沢東に相場指南を受けるとは

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2008/10/08

マンナンライフはお色気テイストにしては?

マンナンライフの「蒟蒻畑」はヘルシー食材として人気があった。一方で子どもが食べて窒息死してしまう痛ましい事故も。そしてついに回収騒ぎとなり、製造中止の自主判断となったようだ。オレもたまに食べていた。

食品偽装が次々明るみに出る昨今だが、品質に問題がない蒟蒻ゼリーの製造中止は惜しい。

「お年寄りや子どもが喉に詰まらせて死に至る」という事態を防ぐ方法として、警告表示を大きくするよう行政に要請されたが、それに応じられないため製造中止だという。新聞記事はこちら

警告表示をやたら大きくするとそれこそ消費者の不安感を増加させる危険がある。デザイン的にもいまいち。だったらお年よりも子どもも買えないデザインにしてはどうか。

そのひとつのアイデアとして、お色気テイストでパッケージングし直すことを提案したい。それもかなりきわどいものにしてはどうか。マン●チンライフとか名称も変えて、とてもじゃないが子どもに見せられないようなものに。これなら警告表示拡大よりもデザインの自由度が広がる。

警告表示そのものをデザインに組み込むという手もあるが、ダイエット志向の大人向け食品として強烈にユーザー層を絞り込む=アダルティーな男女の食品(秘密の果実)的方向性に活路を見出せないだろうか。18禁の通販限定にするとか。

もっとも、スーパー、コンビニに置けなくなるけど...。

行政もただ止めろという前に、タバコと似た年齢制限食品を特定するとか、運転免許の若葉マークやシルバーマークのような共通表記を作るとか、行政側で出来る対策にもっと知恵も絞っていかないと、あれもダメこれもダメで国内産業は衰退するばっかりだ。

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2008/10/07

これ、デザイン!?

コカコーラ自販機

日曜、なんだか違和感を感じて撮った自販機。

ロゴが途中で断裁されてる...。

デザインなのか、ミスプリントなのか

加工の美しさで置き場所を選別してる疑惑浮上!

オレの頭のなかだけだが

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2008/10/06

久々のROPPONGI散策

六本木ルイヴィトン土曜は久しぶりに六本木へ。毎年一緒に旅行してきた先輩が、しばらく北海道へ住むことになったので送別会だった。まぁ次回の旅行の打ち合わせという噂も

夜だけじゃもったいないので(笑)、ちょっと早めに出かけて六本木散策することに。テレ朝本社も実は行ったことがなかったので...。

うちのテレビはデフォルトがテレ朝にセットされてる。CATVも朝日ニュースターだし、ダチョ・リブレもあるからテレ朝チャンネルまで、もう表彰して欲しいくらいにテレ朝中心生活なのだ。

昼の六本木の感想を一言でいうと、Roppongiってアルファベットで書くとイタリア語に見えるな(>なんだそれ)。それくらいRoppongiというアルファベットがあちこちに掲げられていた。

あと、この写真はルイヴィトン六本木ヒルズ店の正面。文字とビルの写り込みのレイヤー感が夕陽に映えて美しかったから思わずパチリ。

旅行中各地でピンバッジを購入していた先輩には、東京の思い出にヴィトンの、じゃなくてテレ朝ショップの「徹子の部屋ピンバッジ」を買ってった。どうしてこんなにかわいくデフォルメできるんだ

徹子の部屋ピンバッジ

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2008/10/05

大相撲くじを作って売り出そう!

八百長問題が裁判沙汰になっている。無粋だねぇ。でも、これで八百長相撲が市民権を得ればいいなと思う。いっそ「大相撲くじ」として売り出して欲しい。15日間の取組みを見て、ガチンコ勝負はどれかを当てるのだ

大相撲くじの特徴は、本場所前に何回ガチンコがあるかを知らさない。視聴者や観客は全取組を観てから、ガチンコ相撲の数と、どの取組がガチンコかを見抜く必要がある。そうなれば射幸心も手伝って、本場所を見る国民が激増するぞ

サッカーくじ(TOTO)と違うのは、事前に勝ちを予想するのではなく、全取組を確認してから投票することだ。これは重要な違いだ。

世にあるほとんどのギャンブルは、ブックメーカー型の事前予想方式だ。これはどうしても射幸心を煽るだけのギャンブルになる。結果が誰にもわからない状態で賭けるしかないからだ。

そんな品格のない卑怯なくじは大相撲には適さない。大相撲くじは万人が結果をちゃんと確認してから、堂々と八百長を、いや、ガチンコ相撲を当てるのだ。

結果を知らされてから投票するくじは、これまでにないと思う。だがクイズ番組などでは一般的な手法だ。「ホンモノは誰だ!?」というタイプのクイズだ。

この大相撲くじのアイデアは刑事コロンボ的発想だと自負している。刑事コロンボは、それまでの推理劇=犯人探しという論理を逆転させた。犯人の犯行を最初に視聴者にすべて明かし、その犯人を刑事コロンボがジワジワと追い詰めていく面白さを我々に発見させてくれた傑作シリーズだった。

大相撲くじもギャンブルの常識を覆し、取組を全部観てから犯人を、いや、ガチンコ勝負を推理する新しいくじなのだ。

くじの愛称も決めた。「大相撲くじ801」だ。800を超えている。八百超だ

一等当選はもちろん801万円。べらぼうに射幸心を煽らない程度の金額だ。一場所801万円で6場所全部当てたら4806万円になる。毎回大相撲を楽しみたくなるよ。

このくらいの金額なら、相撲協会と注射相撲で売買される取組から財源は捻出可能じゃないか?協会側としては投票結果を見ながら次場所のガチンコ数を増減させて、財源と当選者数とのバランスをコントロールできると思う

また毎回一等当選しなくても、毎場所ひとつでもガチンコ相撲を当てればポイント還元する。逆に八百長相撲をガチンコと間違えて投票したら減点し、年間で90取組中80%の正答率を挙げた人には本場所招待券等のボーナス特典をつけたい。

投票期限は千秋楽終了から次場所が始まるまでの期間。発表は次場所初日の前日。基本は大相撲を見る人々を増やすことが目的なので、全場所に継続して注目してもらえる仕組みにしたい。前場所の投票が当たっているかどうかを次場所がはじまる直前に確認し、今場所の取組もしっかり見抜いてやろうという真剣な観客を惹きつけたい。

ガチンコ嫌いの聞き分けのない力士はやっていけないから、逆に稽古にも力が入るだろう。これもいまと逆かもしれない 八百長を嫌う力士が煙たがられる状態は間違ってる。ガチンコを嫌う力士こそ撲滅すべきなのだ。率先してガチンコ相撲をする力士にもボーナスを出してやれ。

ただ勝敗だけでは横綱にはなれなくなる。いかにうまく負けるかという演技力も要求される。「あいつの相撲は全部ガチンコに見えるんだよなぁ」みたいな声が出てくれば立派な横綱だ。

八百長経済大国の国技として、立派な八百長くじ、いや、大相撲くじに育てたい。

蛇足だが、朝青龍が今回の八百長相撲裁判で「八百長の意味は?」との質問に「カネをもらって負けること」と言っていたが、それは間違いだ。大相撲における八百長とは「カネを渡して勝ちを買うこと」である。朝青龍の認識では、横綱は八百長をしたことにならない。カネをもらった相手が八百長をしていることになる。そうじゃない。あくまでもカネを渡したほうが八百長をしているのだ。そこだけは強く主張しておきたい。

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2008/10/04

愚か者、星野博美が好き

いま、星野博美にはまっている。写真家アシスタントからフリーになり、第32回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しているエッセイストでもある。今年5月発行の『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)を読み始め、ますます星野博美に惹かれる今日この頃なのである。

そもそも知ったのはつい最近のことだ。朝日ニュースターに「武田鉄矢の週刊鉄学」という番組があり、そのゲストとして出演されていた。毎週同局の「愛川欽也のパックインジャーナル」を録画して時間を作って観ているのだが、その放送後に「週刊鉄学」の再放送があり、連続して録画していたのだった。

この番組の内容が面白かった 現代中国について熱く語っているのだが、話は鉄道の座席話で盛り上がっていた。

硬い座席、硬い寝台、柔らかい座席、柔らかい寝台、座席なしという区分け。決して一等寝台、二等座席などとは名付けないのが社会主義的な言い回しだ。

そしてこの座席の切符を取得することがどれほどつらい戦いか。切符がなくなったという表示すらしない平等主義。合理性は特権サービスであり平等ではないのだ。延々ならんで「切符は?」「ない」の繰り返し...。

そんな星野博美の中国の旅は1986-7年、香港留学中のことだ。中国の民主化運動が1989年の天安門事件としてニュースになる前夜といえる時期、偶然にもはじまったばかりの学生デモとも遭遇していて、同時代人・同世代人として民主化運動前夜の息吹を体験しているのだ。

本当に貴重な歴史的体験をしているのだが、そこは触りだけで、その後は同じ留学生仲間のマイケルとシルクロードを目指す旅の記録となっている。番組に惹かれて新書を読み始めたが、その文体と情景描写のうまさでグイグイ引き込まれていった。

その中国の旅は過酷すぎる列車の旅なのだが、この過酷さを軽い文体で、愚か者の旅人初心者目線で描いてくれていて、とにかく面白い。ロードムーヴィーを観ているような感覚で読み進められる。映画化できそうだぞ。

星野博美は初めての中国旅行に出発する前、香港でくすぶっていたときに持った中国への憧憬と、旅への高ぶる心境を、「中国が足りない」と表現した。番組を見た直後、ボクは「星野博美が足りない」と思った。

そしてすぐにこの『愚か者、中国をゆく』と、『転がる香港に苔は生えない』『謝々!チャイニーズ』(ともに文春文庫)の3冊を同時に買ったのだった。

どれから読み始めようかと考えたが、せっかくだから新刊から読み始めた。内容的にも『愚か者、中国をゆく』が最初の彼女の旅でもあるようだし。出版順とは逆に、星野博美の辿った足あと順に読み進んで行きたい。今年の読書の秋は星野博美三昧だ

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2008/10/03

債券の動きに注意して生活

1年半前に「景気の第五局面」について書いた。実際にはそれ以前から、度々いろんなとこに書いているので、結構気に入っている戯言なのだ。いや、気に入っていると言っては不謹慎か。世界シナリオがサイクルに沿って動いていることを確認してかみ締めているという感じ。

予想というのは、合理性は見られるもののタイミングを言わない。その分、責任感の薄い戯言のことを予想という これも前に書いたとおりだ。と前置きして無責任な予想をしてみよう。

景気の6局面は、株式、商品、債券の相関関係を中心に、景気の各局面を長期サイクルで捉える考え方。これは相場とはあまり関係がないと思う。どちらかといえば生活の知恵の部類の話だ。だから「ひとくちメモ」に書いてるわけ。

景気の第五局面はまだ来ていない。でもそろそろ来そうだとはいえる。そのキーとなるのは「債券」だ。昨日だったかロイターのインタビューに「債券が下落しなくてほっとした」という旨の話をしていた日本の銀行マンがいた。銀行マンを褒めるのは本意じゃないが(笑)、オレもそう思った。

普通は(経済学の基本のキでは)、株式と債券とは逆相関の関係にある。そう教えるのは通常正しい。それが崩れたら、あるいは崩れるからこそ、局面が次のステージに進行したといえる。

債券が下降(長期金利は上昇)局面に入り、株式・商品が上昇しているのが「景気の第4局面」だ(景気拡大局面)。いい時代だったなと思える頃、それがここだ(笑)。これはもう示現して、ピークをとっくに超えていそうじゃない?原油高(商品高)が生活直撃だったのは記憶に新しい。

第4から第5局面への転換は、株式の反転下降がキーになる。ただ、そのときに債券が反転上昇しているうちは、まだ正常な動きだ。しかし、もし株式が下降し続けているのに、債券も下降トレンドのなかにあり、商品はまだ上昇している、という状況が示現したら、それは終わりの始まり。だからいま、株式下降局面での債券の動きは重要だと思うの。

市場間分析では株式が天井圏からの下降に入るのが第5局面だといっているから、既に第5局面は進行中とも考えられる。数十年というタイムスパンが長い話なので、数ヶ月単位ではなかなか今どのあたりか捉えがたい。大切なのは、なにかシナリオ転換すべき重要な現象が次々と起こっていないかという生活実感だと思う。この手のサイクルはデジタルなものじゃないから。

また、これは景気サイクルの話なので、タイミングはわからない。だから予想でしかない。でも、いろんな問題が起こっていても、結局それらは人為的(無意識だったとしても)なものであり、そういう人間の持つ強欲さや恐怖やパニック対処法は常に繰り返され、サイクルのように見える現象を引き起こすのではないか、という考え方に私は共感する。

裏返せば、強欲さや傲慢さ積極投資がうまく行っているバブル時代の終わりは、常に自業自得ともいえそうな論理性で破綻へ向かうというわけさ。それを景気サイクルと呼んでいるだけで。

第5局面の終わりはトリプル安。商品も反転下降をはじめる。それが第6局面で、景気サイクルは一巡する。そしてまた債券が反転上昇し始めると、第1局面の始まりだ。そのとき世の中は結構変わっているように思う。覇者の顔ぶれとか。そして世界のシステムも。

でも、最近考える。システムを転換できるその知恵がなくなったとき、世界は破綻して立ち直れなくなるのではないか。これまで歴史が終わってないのは、そういう事態がまだ訪れなかったからで。おそらくまだ人智を超えた危機は迎えたことがないのかもしれない。

しかしサブプライムローンなど複雑なデリバティブは自己増殖に近いリスクを生み出して、リリースした後の動きは人智を超えているかもしれない。もともと相場は読めないものだが、それでも市場はそのリスクの内部にあった。しかし市場のそとにリスクが示現したら、どうなってしまうだろう。ほとんどSFの世界だけど、そう考えずにいられないほど、世の中複雑になりすぎてる。

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2008/10/01

いま歴史の真っ只中

まぁ、いつでも歴史の真っ只中で生きざるを得ないわけだが。アメリカの金融危機は「世界恐慌」を現実のものとしそうな瀬戸際まで来てしまった。

日本のバブルが弾けた後、1929年の世界恐慌前後について書かれた本を結構読んだ。未曾有の危機でも、いつか終わりが来て、また復興していく。自然破壊で地球滅亡じゃないんだし。

主流経済学が役に立たないバブルサイクルは、非常事態に新たな知恵で立ち向かわなければならない。トップリーダーにその知恵と決断力があるかどうか。それは最低限の条件だが、どんなに有能であっても解決不能な問題はある。

以前、傾きかけた会社を再生するシミュレーション研修を受けたことがあった。グループごとに、その会社の資源を使ってさまざまなアイデアを出し、他グループの甘い部分を指摘しながら、会社の経営というものを考えるという主旨だった。

このときのモデルケースは実際にあった会社だった。各グループからさまざまなアイデアが出された。また立地条件等が示されず、与えられた情報の少なさに不満を述べる人もいた。しょせんはシミュレーションの限界があったわけだが、最後に研修主催者から実際にあったこの会社がどうなったかを告げられた。結局、倒産したそうだ。

相場をやっていると、物事が論理的に動かないことを日々実感する。そしてそれに対応する感覚や技術を訓練せざるをえない(自力で)。さらにその結果はすぐに現実のものとなる。サボれば確実に損するし、一所懸命やっても成功するとは限らない。

しかし破綻は実に論理的だ。カネ勘定という意味でもそうだし、不安心理というバイアスは確実に経験どおりに進む。もっともその論理を超えてさらに悪くなることはあるが...。

先日米国で期間限定で実施されることになった株のカラ売り規制。最悪の決断だと思う。はしごを外されたヘッジ玉は身動きできない。リスクテイカーの手足を縛っては、さらに事態を悪化させる。さらに下院での公費投入否決。感情的には理解できる。個人的にも否決されたまま別の方策が出てくれば面白いとも思う。

ただ、こうして時間ばかりかかっているうちに、事態はもっともっと深刻になっていくだろう。いま日本にいて「世界恐慌」はほとんど意識されない。まだまだこんなものじゃないということなんだろう。

あるいは、どんな方策を用いても既に救えない事態が来ているのかもしれない。あのシミュレーション研修と同じだ。アメリカをどうやって立て直すか。そんなシミュレーション問題を国家公務員試験で出してみたらどうか。

相場環境は売って売って売りまくる、ベアの神様山種(山崎種二)的な相場だ。しかし米株市場では手足を縛られる。他の投機分野を探すしかない。サブプライムローン問題で痛手を負った投機筋は一転ハイエナと化して、ぜひリスクを取りにいって欲しい。そこに光明があるように思う。米国を壊してでも利益を上げ、次の新しい世界を迎える。それも歴史だと思うが。

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