悩む力と非科学的思考の逆襲!?
姜尚中著『悩む力』(集英社新書)が売れているそうだ。私が読んだのは2008年6月8日発行の2刷だったが、先日書店で見たら既に8刷だった。
姜尚中氏といえば、「朝まで生テレビ」等で眠気を誘う、いや、しっとりと落ち着いたトーンでトツトツと述べる姿が印象的。その主張もいわゆる右翼チックな人々と対極にあり好感が持てる。
そんな姜尚中著の「悩む力」は、夏目漱石とマックス・ウェーバーとの共通点をあげつつ、その二人の巨人の生きた時代(19世紀末から20世紀初頭)と現代(20世紀末から21世紀初頭)との類似点に着目し、“悩む”をキーワードとしてさまざまな問題を論じている。
さまざまな問題といっても、ある種「人生論」の書であるから、人間の内面、そして他者との関係性(それらは再帰性がある)が主眼であり、9つのテーマについて悩み抜き、突破することのススメだ。
「悩む」というとネガティブなイメージを持つ。「個人」という概念で自分自身を捉える、あるいは「自由」を手にした時から、近現代人は悩む必然性を背負うことになった。それが漱石やウェーバーの悩んだ時代であり、さらに悩み多き時代が現代社会というわけだ。
何でも自分の意思で選択可能だが、寄って立つ「絶対的なもの」がなく不安になる。怪しげなスピリチュアル・ブームなども自由を持て余した人々によって支えられている。
姜尚中氏が、それらの「寄って立つもの」の存在を否定しないのにちょっと驚いた。しかし読み進めると、そういった「寄って立つもの」を安易に選択せず、その前にとことん「悩め」ということのようだ。自分自身が社会のなかで承認される場所を見つけることが大切だという。
そういう話とも関連して、個人的には「非科学」とか「非合理性」への寛容が、いまマイブームだ。
私自身、科学的であることへの違和感を最近かなり強く持っている。ちょうどいま、ジョージ・ソロス著『ソロスは警告する』(講談社)とか金子勝著『閉塞経済』(ちくま新書)も読んでいるのだが、この2冊には共通点がある。それは経済学への懐疑(あるいは主流経済学の否定)だ。
ソロスは持論である「再帰性理論」(個人の考えと世の中への働きかけは互いに影響しあう)を経済学が拒絶し続けてきた歴史を述べながら、世界は再帰性を持っているがゆえに完全には理解できない(効率的市場仮説の否定)が、経済学はいまだに自然科学的方法論によって経済を理解可能だと教えていることに憤慨しているようだ。
また金子勝さんも主流経済学から遠く離れて(?)、金子経済学をうち立てようとがんばってる。主流経済学はバブルを例外的事態として観て見ぬふりだが、現代はバブルとバブル崩壊を繰り返す時代であり、このような時代の対処法を考えるには、主流経済学のテキストどおりやっては間違えるとおっしゃる。なるほど、現代はバブルの自転車操業みたいなものか?
経済を捉える方法論で、自然科学的アプローチが限界に来ているという点では、両者共通しているように思える。そして姜尚中氏までもが非科学的な有りようを肯定しているわけだ。まったく無関係な著作どうしで、科学万能主義の行き過ぎにブレーキをかけ、ちょっと頭を冷やして考え直してみようと提案されているように思える。
科学の功績は否定しないが、一方で合理主義があらゆる細部に侵食し、人間関係や組織を蝕み始めている。経済も誤り続けている。グローバルスタンダードなどといいながら、怪しげなデリバティブを作り出し、あたかもそれに参加しないことは間違いであるかのように吹聴したあげく、結局は大金融危機を招いているわけだ。
科学の乱用、合理主義の跋扈を一旦見直すことが必要なときではないだろうか。遊びのない世の中は、悩む力すら奪ってゆくような気がする。
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コメント
姜尚中さんの著書『悩む力』の書評を探していて、このブログにたどり着きました。ぜひ書評リンクをさせていただきたいのですが。
「人生最強の名言集」とういうサイトの中に「座右の書」として『悩む力』を紹介しているページになります。
http://jsm.livedoor.biz/
投稿: 武田幸一(人生最強の名言集) | 2009/07/20 23:35
武田幸一(人生最強の名言集)さん、はじめまして。
リンクは歓迎です。ご連絡ありがとうごあいました。
投稿: ポップンポール | 2009/07/21 07:21