google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2008年9月

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2008年9月の16件の記事

2008/09/29

ポール・ニューマンはアメリカ映画そのものだった

a la mode 100takさんのブログに追悼記事があったので、コメントしてきた。今年ポール・ニューマンが亡くなったのは、現代アメリカの凋落とも同時期なだけに、アメリカの時代がいよいよ幕を閉じたのかもなぁ...と、非科学的に思ったりしている。

ボクにとってポール・ニューマンはアメリカ映画そのものだった。特に「スティング」の面白さが映画好きになったきっかけの1本だと思う。中学生だったから、たぶんテレビで見たんだろう。俳優、監督、プロデューサ、音楽、どれも影響を受けている。

右に貼り付けたへたくそな絵は中学時代のボクが描いた同人誌の表紙と裏表紙と記事。小学生の頃は「カマキリ」というマンガ・アニメ系同人誌を作っていたが、中学に入ってからは映画の比重が高くなり、タイトルもおフランス語で「a la mode 100」とつけた。

その第一号(だったと思う)の表紙に描いたのがポール・ニューマンだったわけだ。子ども心に、絵になる男はポール・ニューマンだと思っていたんだろうなぁ。

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中山成彬、日教組と無理心中計る!?

成田闘争ゴネ得発言、日教組批判発言、日本は単一民族発言と、国交大臣になったとたんに独り異論・暴論オブジェクション状態の中山成彬。麻生内閣への自爆テロとも揶揄されるが、基本的に麻生とはウマが合いそうじゃないか

しかし辞任。罷免じゃなくて辞任。それも公人と私人との発言を分けなかったという部分への謝罪。「心じゃ思ってるけど言っちゃダメだったよね」ってことかよ。つくづく麻生と同じ精神構造だな。でもこういう人って、なぜそれが暴言かわかってないから(心底自分が正しいと思ってるから)、分けるなんてできっこない。

さらに辞めても日教組批判発言だけは繰り返している。自分が辞めるなら死なば諸ともで日教組も抱き込んで無理心中してやろうということか。

教育について語るなら、ボクからはこんな川柳をささげたい。

 東大を 出てもしょせんは こんなもの

東大出て日本は単一民族だとか言ってる。昭和41年(1966年)東大卒だから、きっと勉強してなかったんだろうなぁ...。それも学生運動を横目で見ながら、うまいことやろうと生きてきたんじゃないの?

日教組云々を言う前に、自分やモラルハザードの横行してる高級官僚(高給官僚とも言う)のようなエリートしか育てられなかった学校システムそのものをどーにかすべきだよ。

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2008/09/28

蓮實重彦氏、サッシャ・ギトリを語る

闘争のエチカプチ仙台旅行に行くと決めた後、せっかくだから早めに出かけて何か特別な体験が出来ないものかと調べたら、たまたませんだいメディアテークで日仏交流150周年記念「フランス映画の秘宝」をやっていた。しかも土曜の14:00からの「あなたの目になりたい」(サッシャ・ギトリ監督)では上映後に蓮實重彦氏(映画評論家、フランス文学者)の講演があるという。これだ!と思ってこの時間に間に合うように新幹線に乗ったのであった。

オレの学生時代にはポストモダンブームがあり(皆さん受験勉強で忙しかったので超一部でですが...)、村上龍や坂本龍一といういわばミーハーな入口から入って、柄谷行人や浅田彰、そして蓮實重彦らの著名人を知り、対談、鼎談、著作などをいわばファッションのように読んでいた。蓮實重彦と柄谷行人の対談「闘争のエチカ」(1988年河出書房新社)とか。大学の卒業旅行他でフランスを訪れたのも、その影響があったかもしれない。

蓮實重彦氏からの影響で覚えているのは、句点( 。のこと)を1度しか使わない文章、それも結構長い文書を読んだことだった。映画評論だったとおもうが、その映画について語るなんてどーでもいい頼まれ仕事だから文章で遊んでいるのかと思った。しかしその試み自体は面白いとも思ったので、オレもその後同人誌等でマネしたりした。オレの文章がやたら長く読みにくくなったのは蓮實重彦のせいかもしれない

オレ、本当はもっとスパッスパッと歯切れのいい文章かけるんですよ。訓練してるから。このブログだって「ひとくちメモ」だもん。でも、書かない(笑)。

●映画は動いている

今回はフランス映画の歴史のなかから日本で上映されたことのない、しかし重要と思われる作品を蓮實重彦氏も選者となって選んでいるそうだ。生で話を聞いたのは今回がはじめて。さすが(?)元東大総長、話もうまい。

講演は「映画は動いている」という話から始まった。映画は動画だって話じゃないよ(それフツー!)。映画は製作者の意識をはるかに超えて、世界中で上映され、ときに思いもよらなかった土地で貴重なフィルムが発掘されたり、日本人もほとんど見ていない、しかしキラリと光る表現がされていたりする日本のB級活劇が海外で上映され好評だったりするって話。

そういう意味で逆に「動かなかった映画」というのも存在する。人気俳優の映画だったり、国内で圧倒的な人気だったりしても、時代背景やさまざまな運命の糸が絡み合い、他国で上映されなかった映画(動かなかった映画)というものがあると。サッシャ・ギトリ監督の映画も、いわばそういう動かなかった映画のひとつだというお話です。もう、この時点で興味深々っすよ(笑)。

●サッシャ・ギトリ監督とは

なかでも「あなたの目になりたい」(1943年)の監督サッシャ・ギトリについては、本国フランスですら戦後忘れられた(あるいはあえて無視された)存在だったそうです。30本程度の作品があるが、日本で公開されたのは2本だけ。また、フランスでは1993年にレトロスペクティブというカタチで再評価上映されたそうですが、1957年に没した後、1993年までは忘れられた監督だったということでした。

映画の文法イマジナリーラインを超えた表現1930年代のギトリは、ブールヴァルと呼ばれる芝居小屋(古典の悲喜劇ではない現代劇をやる小屋)の寵児ともてはやされたそうです。それでも日仏で忘れられた映画監督だったのはなぜか。まず演劇人だと思われていた。「舞台の人」というイメージが強かった。また、ギトリの秀でた社交性がアダになった。第二次世界大戦時の親独政権であったヴィシー政権(1940-1944)下でドイツ司令部を遠ざけず、その社交性ゆえに戦後フランス開放時にはドイツ協力者と見られた。

そういう歴史的な背景のなかで忘れ去られていったギトリだったが、映像作家として見逃せない資質を再評価しようという流れのなかに、今回のギトリ作品上映が位置づけられていそうだ。

とくに蓮實重彦氏の話で興味深かったのは、映画の教科書を逸脱するカット割の話。右に四コマまんが風に描いてみた。言い争う男女を交互に撮影する場合、通常の映画文法であれば、一方(この絵の場合は男)が画面右側から左向きにしゃべれば、それを受けるもう一方(同、女)は画面左側から右向きに撮る。そうやって交互に撮ることで、交互に会話しているように見えるわけだ。これが教科書的な撮り方。

ところが、ギトリは両方を画面右側から左向きに、右→右→右→右といった撮り方をすることがあった。それが不思議な(奇妙な)雰囲気を醸し出す。こういう撮り方をした映画監督は、蓮實重彦氏によれば、小津安二郎、ジョン・フォード、そしてサッシャ・ギトリの3人だけだという。そういう意味でもギトリの映像感覚は特筆すべきということなのだろう。

晩年のギトリの姿は、ジャン=リュック・ゴダールの「映画史」の中に写真が残っている。映画界から忘れ去られたかつての人気者の晩年の悲しさみたいなものがにじみ出ていた。

●あなたの目になりたい

上映されたギトリの「あなたの目になりたい」は、なかなかの佳作だった。ラブコメではないのだが、会話も洒脱で軽快なテンポ。しかし戦時下の作品であることが随所に現れていた。蓮實重彦氏も講演で採り上げて語っていた懐中電灯で足元を照らしながら歩く男女の表現は秀逸だった。幻想的な光と影の表現に戦時下のフランスという時代背景をも表現して魅せた。

主演はギトリ夫妻が演じている。彫刻家とモデルの娘との愛の物語だ。彫刻家は徐々に視力を失っていく。それを隠しつつ愛するがゆえにモデルを自分から遠ざけようとウソをつく。女は傷つき彫刻家のもとを去っていくが...という切ない物語である。

まったく蛇足だが、盲目の彫刻家とモデルの娘という設定から、こともあろうに増村保造監督の「盲獣」という映画を連想してしまった。こっちは盲目の彫刻家がモデルを監禁して倒錯した世界に突き進む、このオレですら見終わって吐き気を催した気分の悪い映画だ(だが怖いもの見たさに駆られる)。緑魔子ファンは必見!増村保造は1952年にイタリアへ映画留学しているが、ギトリ監督のフランス映画作品を見ていただろうか?

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2008/09/26

録音ブーム来てます!

ジョー奥田さんのブログにリニアPCMレコーダーガイドが紹介されていました。ついに出たかって感じです。ジョーさんも奥義本出しませんか

今回の録音ブームには3つの流れがあったように思う。ひとつはいわゆる団塊のデンスケ世代が、手軽なレコーダーの登場とともにフィールド録音に戻ってきているのではないか?マイクのカタチをしているZOOMのH2は、メーカーの予想を超えてデンスケ世代のユーザーが多いそうだ。

次にレコーダーそのものの性能を買うユーザー層。オレの友人もこのタイプだった。なにせCDの音質レベルが最低ラインなのだ。CD音質を超える音で録音が出来る。これは音楽をやっている人にとっても、会議の録音をする層にとっても、セクハラ・パワハラ等に対する証拠録音する層にとっても、非常にありがたい時代になった。

そして純粋に録音を楽しもうという新しい層。これは先の2つの要素が土台としてあって、はじめて録音を実践したい我々のことだ。この分野では昨今のジョー奥田さんのご活躍が大いに貢献されていると思う。どんなブームにもハードとソフトの絶妙な関係があり、そこには必ず伝道師の存在があるものだ。

ひとくちメモのバイノーラル録音の記事にもアクセスが増加してる(グダグダ長文で申し訳ない サウンドメモを聴いてみてちょ)。音質をMP3に落としてもそこそこいい音だけど、実際CDに焼いて聞かせると結構びっくりされることが多い。素人でもこんなにクリアな音が録れるのかって。レコーダーだけじゃなくてオレの腕前も数%入っとるぞ!ただの素人じゃないっちゅーねん(笑)。

ともかく、録音は楽しい。旅のライブ感が思い出に残る。これはカメラとはまた違った感覚だ。これから秋のフィールドにまた秋らしい音が戻ってくる。こういう音に耳を傾ける人が多くなれば、自然破壊も減るんじゃないか?野山へ出かけ自然に親しもう!

注)バイノーラル録音にはレコーダー以外にバイノーラルマイクが必要な場合があります。

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2008/09/23

ドン・ロス アンプラグド・ライブ!!

仙台から帰宅した翌日はドン・ロスライブに出かけた。ドン・ロスというのはフィンガー・ピッキングスタイルのギタリストで、その超絶技巧は21世紀において亡きマイケル・ヘッジスの後継者と目されている。確かにすばらしかった!

YouTubeにマイケル・ヘッジスへの思いを曲にした「Michael, Michael, Michael」があったのでまずは紹介しておきたい。この曲もナマで聴くことが出来た。オレもウインダム・ヒル・レーベルから出ていたマイケル・ヘッジスの1stが愛聴盤だったので、ドン・ロスの演奏に即効で親近感を持った。

今回のライブ会場は日暮里サニーホールという小さなホールで、200人も入ればいっぱいになる広さ。音響が大変よかった。ドン・ロスはアンプ類をまったく使わずに演奏し、オレはその生ギターの演奏を前から3列目で食い入るように見つめていた。

演奏のすばらしさもさることながら、とにかくギターの音そのものがむちゃむちゃいい響きだった。全体的に暖かい(やわらかめ?)だけど、ぶっとい低音。こんなにいい音のするギターを聴くのははじめてかも。

特にドン・ロスの特注ギターには驚いた。ドン・ロスの特注ギターは、ナットとブリッジがものすごく傾いてる。
ドン・ロスのギターの特徴
特に低音弦が長く、フレットもナットとブリッジの両端に近づくほど傾いている。他の人には扱えないギターだと思うけど、この特注ギターの音が信じられないくらいいい音だった。

またドン・ロスは歌もうまかった!2曲歌ったけど、美声だしフィンガーピッキングにバッチリはまっていた。もちろんマイクなしだ。

さらにしゃべりも面白い。英語だから完全には理解しなかったけど、コードに引っかかったりエフェクトを足で操作する動作(いわばエア・ギターならぬエア・ロック・ギタリストAir Rock Guitarist てか!?)をコミカルに演じたりして。ウルトラマンがなぜスペシウム光線を最初に使わないのかという昭和的小学生ギャグもかましてくれた

don ross Live in your Headまた、言葉あそびが大好きだそうで、日本で売っているわけのわからない英語Tシャツがお気に入りだ。今回ドン・ロスを招待してくれた亀工房さんによると、ファッションセンターしまむらに連れて行ったら1時間半大爆笑しながら、大量のTシャツを購入したらしい。

アンプラグドな超絶技巧とサービス精神と、ホントにいい人でしたよ、ドン・ロス。次回来日したら是非また行きたい。

また、オープニングアクトをされた亀工房さんの演奏もよかった ご夫婦で演奏されているのだが、奥さんの演奏するハンマー・ダルシマーは日本ではなかなか生演奏が聴けない楽器だと思う。

ハンマー・ダルシマーといえば、これも昔書いたが、ウインダム・ヒル系のマルコム・ダルグリッシュの演奏が大好きだった。今回ハンマー・ダルシマーの生演奏をはじめて聴き、また奏法の解説も聞けてうれしかった。個人的にはダルシマーとテルミンとの共演が聴いてみたいと思ったりした。

ドン・ロスと亀工房前澤さんとの20年以上の友情で実現できた今回のツアーは、フィンガー・ピッキングのすばらしさを存分に楽しめるものでした。感謝感動です!帰り際、ライブCDを購入しジャケットにサインしてもらった。このライブ盤もほんとにいい。

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2008/09/22

週末プチ仙台旅行

’80sカラオケパブ夜のヒットスタジオ最近、週末国内プチ旅行がブームだという。だからというわけではまったくないのだが、先週末唐突に仙台へ行って来た。JR東日本の土日きっぷを利用すればきっぷ圏内の新幹線自由席も乗り放題だ。そういえば2001年にも突然仙台へ行ったことがある。突然思い立って旅行気分も味わえる程よい距離なのかもしれない。

土曜の午前中出発。新幹線Maxやまびこ号に乗って昼食。途中で先に着くやまびこ号が速いとの乗り換え案内があったので、宇都宮で降りて乗り換えたら福島まで座れなかった...。急ぐ必要なかったのに!

昼頃仙台駅に到着。すぐに「るーぷる仙台」というコミュニティバス(市内観光バス)の一日乗車券(600円)を購入しバスに乗った。バスのなかでは運転手さんがいろいろ解説しながら市内巡りが出来る。このときの若い運転手さんは面白かった!

この日、せんだいメディアテークで「フランス映画の秘宝」と題し、珍しいフランス映画を上映していた。日仏交流150周年記念だという。しかも14:00からの「あなたの目になりたい」の上映後には蓮實重彦氏の講演も聴けるというので、その会を目指した。この映画と講演については後日また書きたい。

終わってから予約していたホテルにチェックイン。ここで友人S&Kと合流。この3人で飲むのは2001年のハワイ以来だ。2001年はハワイも仙台も行ってたんだなぁ。そのときの3人が7年後にまた仙台に集合しているというのも面白い。7年で世界は一回りするという東洋思想(柄谷行人の著作にあった)を気に入っているオレなので、いま書きながらちょっとビックリ。

3人で利休へ向かう。やはり牛タンでしょ!しかし利休はとにかく混んでいて入れず。2軒まわってムリで、3軒目電話したがダメ。しかたなく他の有名店へ。

その後、1980年代縛りで歌えるカラオケパブがあるというので向かった。その名も「夜のヒットスタジオ」

開店5分前だったのだが、入れてもらえた。まだ他の客もおらず、そこから3時間3人で歌いっぱなしだ。やはり80年代アイドル歌謡は偉大だった!

その後、Kのボトルが入っているというスナックへ。ここでも2時間程度飲んだ。もう7時間飲みっぱなしである。仙台の夜は長い...。しかしあっという間だった。

翌日は11:00前にチェックアウトし、前日いけなかった利休でランチ。昨日のスナックのR嬢と待ち合わせ4人で向かった。R嬢はこの日の午後予定されていた梨花のトークイベントの整理券をとるために朝8:00から並んだそうだ。雨のなかお疲れ様。

利休のランチ後R嬢と分かれて、我々は青葉城跡で観光。また「るーぷる仙台」だ。今日も混んでいたが、土日は15分ごとに来るので便利!

その後、またメディアテーク前でバスを降り、仙台こうれん本舗でせんべいを購入。あまり宣伝をしていないお店だが、知る人ぞ知る名店で、ここでしか買えない炭火手焼せんべいだ。

こんな感じで、あっという間に週末が終了した。しかし充実した時間をすごせた。誘ってくれたSに感謝!

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2008/09/19

本州最西端

本州最西端毘沙の鼻からの風景人類はどうしてこうエッジが好きなのだろう。今年は6月下旬に小笠原諸島の母島の都道最南端へ行ったが、もうひとつ本州最西端へも8月に行った。山口県下関市にある「毘沙の鼻」だ。そこでの風景がこの写真。見えている島は蓋井島(ふたおいじま)という島で、神話の島と呼ばれているそうだ。

この向こうにすぐ九州があることは重々承知なのだが、それでも“最○端”という響きには惹かれるものがある。まったく予定になかったコースだったが、角島へ行ったついでに立ち寄った。

かなり地味でこじんまりとした場所だった。駐車場があったが自動車は我々だけで、バイク野郎が何人か入れ違いにやってきた。確かにバイクでちょっと行ってみたい感じの場所であった。

最西端だというのに、そこまでの道のりはぐんぐん山道を登っていく。海から遠ざかってなんとなく間違えて逆方向に進んでいるかのような錯覚を覚えるが、間違ってなかった。

夕陽の美しいスポットらしい。ただし夕陽が沈む時間帯(18:00~20:00季節によって違うらしい)には門が閉まる。この日は雲が広がっていたが、その雲の神々しさもまたすばらしかった。

ドライブルートとしては、萩や秋吉台方面からはまず角島へ向かい、無料の離島架橋としては日本第二位の角島大橋をとりあえず往復してから南下して、毘沙の鼻へ寄るのがいい。左右にローカル電車と海を見ながらの夕焼けドライブが出来る。

また、そのルートならたぶん日本各地のなかでも難読地名として名高い「特牛」を通る。さぁなんと読む ボクはなぜか知っていた。山口県人だから?ちゃんとした読みでかな漢字変換もされるはず。答えはこちら

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2008/09/17

悩む力と非科学的思考の逆襲!?

姜尚中著『悩む力』(集英社新書)が売れているそうだ。私が読んだのは2008年6月8日発行の2刷だったが、先日書店で見たら既に8刷だった。

姜尚中氏といえば、「朝まで生テレビ」等で眠気を誘う、いや、しっとりと落ち着いたトーンでトツトツと述べる姿が印象的。その主張もいわゆる右翼チックな人々と対極にあり好感が持てる。

そんな姜尚中著の「悩む力」は、夏目漱石とマックス・ウェーバーとの共通点をあげつつ、その二人の巨人の生きた時代(19世紀末から20世紀初頭)と現代(20世紀末から21世紀初頭)との類似点に着目し、“悩む”をキーワードとしてさまざまな問題を論じている。

さまざまな問題といっても、ある種「人生論」の書であるから、人間の内面、そして他者との関係性(それらは再帰性がある)が主眼であり、9つのテーマについて悩み抜き、突破することのススメだ。

「悩む」というとネガティブなイメージを持つ。「個人」という概念で自分自身を捉える、あるいは「自由」を手にした時から、近現代人は悩む必然性を背負うことになった。それが漱石やウェーバーの悩んだ時代であり、さらに悩み多き時代が現代社会というわけだ。

何でも自分の意思で選択可能だが、寄って立つ「絶対的なもの」がなく不安になる。怪しげなスピリチュアル・ブームなども自由を持て余した人々によって支えられている。

姜尚中氏が、それらの「寄って立つもの」の存在を否定しないのにちょっと驚いた。しかし読み進めると、そういった「寄って立つもの」を安易に選択せず、その前にとことん「悩め」ということのようだ。自分自身が社会のなかで承認される場所を見つけることが大切だという。

そういう話とも関連して、個人的には「非科学」とか「非合理性」への寛容が、いまマイブームだ。

私自身、科学的であることへの違和感を最近かなり強く持っている。ちょうどいま、ジョージ・ソロス著『ソロスは警告する』(講談社)とか金子勝著『閉塞経済』(ちくま新書)も読んでいるのだが、この2冊には共通点がある。それは経済学への懐疑(あるいは主流経済学の否定)だ。

ソロスは持論である「再帰性理論」(個人の考えと世の中への働きかけは互いに影響しあう)を経済学が拒絶し続けてきた歴史を述べながら、世界は再帰性を持っているがゆえに完全には理解できない(効率的市場仮説の否定)が、経済学はいまだに自然科学的方法論によって経済を理解可能だと教えていることに憤慨しているようだ。

また金子勝さんも主流経済学から遠く離れて(?)、金子経済学をうち立てようとがんばってる。主流経済学はバブルを例外的事態として観て見ぬふりだが、現代はバブルとバブル崩壊を繰り返す時代であり、このような時代の対処法を考えるには、主流経済学のテキストどおりやっては間違えるとおっしゃる。なるほど、現代はバブルの自転車操業みたいなものか?

経済を捉える方法論で、自然科学的アプローチが限界に来ているという点では、両者共通しているように思える。そして姜尚中氏までもが非科学的な有りようを肯定しているわけだ。まったく無関係な著作どうしで、科学万能主義の行き過ぎにブレーキをかけ、ちょっと頭を冷やして考え直してみようと提案されているように思える。

科学の功績は否定しないが、一方で合理主義があらゆる細部に侵食し、人間関係や組織を蝕み始めている。経済も誤り続けている。グローバルスタンダードなどといいながら、怪しげなデリバティブを作り出し、あたかもそれに参加しないことは間違いであるかのように吹聴したあげく、結局は大金融危機を招いているわけだ。

科学の乱用、合理主義の跋扈を一旦見直すことが必要なときではないだろうか。遊びのない世の中は、悩む力すら奪ってゆくような気がする。

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2008/09/14

伊賀忍法

伊賀忍法今日はいとこのローラちゃんと伊賀忍者博物館に来ているよ!

「あれー、ローラちゃん、双子のトニーとチャールズみたいな忍者がいるよー」

「それは違うね」
「もちろん違うね」

「あ、しゃべった!」

「やぁ、マイキー!伊賀忍者のトニ丸だよ!」
「やぁ、マイキー!甲賀忍者の茶々丸だよ!」

「伊賀なのになんで甲賀忍者なんだよ!」
「伊賀だからって伊賀忍者だけとは限らないんだよ!」

「伊賀だから伊賀忍者に決まってるだろ!」
「伊賀だからって忍者とは限らないだろ!」

「まぁまぁ、ケンカしないでよ。でも、こうして並ぶと分身の術みたいだね!」

「伊賀忍法、分身の術!」
「甲賀忍法、合成の術!」

「合成ってバラしちゃつまんないだろ!」
「合成ってバラしたほうが誤解を招かないだろ!」

「それじゃ忍法にならないだろ!」
「もともと双子の設定じゃ忍法になってないだろ!」

「ナニー!」
「ナニー!」

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。結局君たち分身じゃなくて二人いるんだね?」

「それは違うね」
「もちろん違うね」

「えぇー!やっぱり、合成かぁー」

伊賀忍者麻世(MAYO)...はい。ツカミはオッケー(?)ってことで、伊賀忍者博物館に行ってきました(これはホント^_^;)。ピンク装束のくノ一忍者さんに案内されて忍者屋敷の見学をしたり、本物(?)のくノ一忍者麻世さん(左写真)の前説ではじまる伊賀忍者特殊軍団阿修羅による忍者ショーを見たりして、思いのほか楽しめました。

ショーが終わった後は手裏剣投げてみましたが、これが結構重いし安定しないしで、なかなか的に当たりません!千葉真一(サニー千葉)を尊敬しますわ もっともサニーの忍法は映画忍法編集の術ですが。

この日は前泊して結構午前中早い時間に行けたのですぐに入れましたが、夏休みのお子様連れが来られる午後などは忍者屋敷も忍者ショーも大人気!!行列を横目に見ながら帰りました。

マイキーが出くわしてとんだ猿芝居を打ったマネキン忍者くんは、忍者屋敷から忍者ショー会場へ通じる通路に潜んでいます。もちろん1体だけで、しゃべったりもしません...。

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2008/09/12

お笑い政治革命!コイズミカーペット

コイズミはお気楽でいいな。総裁候補5人は全部自分の閣僚だったと誇らしげに言い、そういう方々だから誰を推すかについては「なんもいえねぇ!」と平泳ぎ金メダルの北島を真似て見せた。

でもコイズミはいいこといった。そうなんだ。総裁候補5人は全部、コイズミ政権を支えた戦犯なんだ。日本を壊した人々なんだ。そこを押さえておかないといま以上にトンデモな世の中が待っている。

そういう現実を生きているニッポン人なのだが、コイズミの道化発言で笑えてしまうのもまた現代ニッポン人なのだろうか

コイズミは陶酔と笑いで政治を行う。どんなひどいことを推し進めても、ただ数分、キャッチーなフレーズを繰り出すだけで信認を得てしまう。煙幕のようなものだ。

芸人ならいいだろう。だが「お笑い政治革命!コイズミカーペット」って番組を見せられているうちに、その手下がこそ泥になって家財を盗んでいくような政治だ。その影響と負の遺産が続いているのが2008年自民党総裁選といえそうだ。

それでいいのだろうか。例えば親やわが子を殺した犯人がお笑い番組でどんなに面白い芸を見せても笑えないだろう。政治はときに人命を奪う。権力があなた自身の生活や家族の命を抹殺する。そんな状況を生み出していても、あなたや家族は笑いながら死んでいくのか、ということなんだ。

政治からモラルが消えたらモラルはどこまでも低下する。外圧となってきた米国は輪をかけてモラル低下状況で、いまや歯止めをかける者がいない。そういう時代だから仕方がないとあきらめるかどうか。天罰は期待できない。

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2008/09/11

麻生には人権意識を訊け

自民党総裁選がせっかく盛り上がっているんだから、麻生センセーの人権意識をもっと知ってもらえるような質問をしてほしいな。

格差確定社会に向かっているわけだし、差別主義者が首相になるとどうなるのかを、しっかり考えなければならないよ。

海外では麻生のキャッチフレーズが国粋主義者だそうだけど、国粋主義者の差別主義者ってどういう分裂症なんだろう...。おぼっちゃま主義といえばわかりやすい。マンガだよ確かに!

というわけで、ボクの麻生観は前に書いたときと変更なし。本気で総裁にしたがっている自民党員が多数いるって状況が怖い。

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2008/09/07

お絵かき機能を試してみた

八百長は土俵の下じゃできません

ココログにお絵かき機能が出来たそうなので、試し描き!

題して

八百長は 
  土俵の下じゃ
     できません

なんだか弟子の大麻疑惑の検査結果がほとんどクロのような北の湖理事長。でも土俵際でうっちゃろうとがんばっているようです。さすが大相撲の理事長ですね

大相撲の世界では八百長相撲を注射と言いますが、注射をうったり、麻薬を吸ったり、大変な世界でございます。でもメタボを気にしなくていいのは、うらやましいですね

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2008/09/06

鮎です!

焼き鮎諸事情によりあまり詳しくは書けないのですが、旅先でご馳走になった鮎です!

長良川で獲れた鮎をその場で焼いて長良川のほとりで食べました。

塩焼き以外にも、煮物、鮎のフライ、柚子味噌仕立て、吸い物と鮎づくし。

心の中では、浜崎あゆみのモノマネで「アユです」と何度も口ずさんでいました

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2008/09/04

大麻疑惑の力士

力士生命の危機だな。大麻やるより、育毛しないと!

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2008/09/02

雑誌『ロードショー』の思い出

集英社の「ロードショー」が来年の1月号(2008/11/21発売)で休刊になるというニュースを読んだ。残念だ...というのは勝手な言い草かな?

中高生の頃は「ロードショー」と「スクリーン」を毎月買っていたが、徐々に買わなくなった。独り暮らしをはじめて物理的に置き場もなかったし、徐々にいわゆるロードショー系ではなく単館系映画を中心に観るようにもなっていった。

「ロードショー」が最高35万5000部の発行部数を誇った時期(1983年頃)は、まさに映画情報誌黄金時代だったと思う。「ロードショー」の人気投票にも投票した。女優はもちろんソフィー。男優はその都度変わっていたが、ほぼジャッキー・チェン。監督は渋いところでジョージ・ロイ・ヒル監督(「明日に向かって撃て!」「スティング」「ガープの世界」)の名を書いてハガキを出したりしていた。

ソフィー・マルソーの初来日は1982年のことだ。当時ソフィー以外にも、ブルック・シールズ、テイタム・オニール、クリスティ・マクニコル、フィビー・ケイツ、薬師丸ひろ子、ダイアン・レイン、ジェニファー・コネリーなどが人気上位だったと思う。

男優陣ではちょうどヤング・アダルトって言ったっけ?「アウトサイダー」って映画のボーイズ(マット・ディロン、トーマス・C・ハウエル、ラルフ・マッキオなど)やジャッキー・チェン、リー・リン・チェイ(ジェット・リーのこと)、ブルース・リーなどのアジア勢も人気だった。

個人的には「アウトサイダー」よりも「ランブルフィッシュ」という映画にかなり引き込まれた。ある意味、雲が好きになったのもこの映画の影響があっただろうし、モノクロと色彩とのコントラストも衝撃的だったし、バイクに乗ったミッキー・ローク(の影)もめっちゃカッコよかった。

何度も書いているが、中学時代は映画禁止という土地柄...。校則破って映画を観に行っていたのがどれほど良かったことかと、いまでも思っている。タダ券(映画館の株主優待券)を毎月入手してくれていた両親にも感謝してます!

雑誌を読んで、映画を観て、また次月の雑誌を読む。そういう日々が情報過疎の山口県の少年には心躍る時間でした。でもシネコンやインターネットの登場で映画産業が成熟した市場となり、広告として雑誌媒体の力を必要としなくなっているのかもしれません。

海外情報すら無料で入手でき、情報が編集の価値と無関係に流れていく世の中。でも市井の映画評のほうが的を射ていることもあったり...。良いとか悪いとかそういう意識とはまったく別次元に、急速に進んでいく情報伝達と人類とのかかわり。「雑誌」という紙媒体はもっとも難しい時代かもしれないですね。特に広告としての紙媒体って...。ボクは紙媒体好きですけれど!

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2008/09/01

サミットのホストが済めばただの人

本日21:30、1年持たず福田首相が突然辞任した。日々手詰まり感ばかりが増大していくなかで、将棋で言えば「負けました」と投了したような印象だ。もちろんプロ将棋じゃなくヘボ将棋だが。

しかし満足しているに違いない。なんたってサミットのホスト国の首相として存在できたのだから。サミットが終わって声明を発表したあとのガッツポーズがいまも忘れられない。まさに「オヤジ、やったぜ!」のガッツポーズだった。

おそらく福田一族のご子息は、洞爺湖サミットの年だったから首相を引き受けたんだ。福田首相はサミットだけに焦点を合わせてやってきた。だから北京五輪の応援にも熱が入らなかったし、選手団への激励が「せいぜい頑張ってください」なんて間の抜けた言葉になった。もう夏には燃え尽き症候群だったのだ。(もっとも商業五輪がどうでも構わないのだが、政治家のポーズとしてありえない姿だったってこと)

無責任だという声も多いが、なーに、サミットのホストを責任持って果たせたこと、それだけが誇りだ。コイズミだって日本をめちゃくちゃにしながら郵政だけで突っ走った。福田のほうがサミットのホストなんて毒がないだけマシかもしれない。

現在の政治的大問題はほとんどコイズミ時代のデタラメの露呈であって、その後の首相なんてのは歴史的になーんの意味もない。コイズミにとどめをさされたニッポンが、最後のあがき(あるいはモラルハザード)でゴチャゴチャやってる、ただそれだけのことだった。

どんなことをしても助からない命というものがある。コイズミに殺されたニッポンの命もそんなに長くは無いと思ってる。いかにモラルを保ったまま延命できるか、いまはそんな時期だろう。グローバル資本主義の未来も危ういが、どちらが先に尽きるかだ...。

今回の辞任は歴史にも残らない、ひとつの小さなニュースでしかない。ただ短期スパンで見るなら、今後の政局によっては歴史が動き始めるかもしれない。

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