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2008.08.20

学校の勉強は必要なのか?

小旅行&帰省でずいぶんブログをサボってしまった!また日常的に、いろいろと可及的速やかに解決すべき問題があり、ブログ更新もなかなかままならない状況にある。旅行の音源も少しあるので、おいおいそれもアップしていきたいが、編集している時間が無い。そんなときはドラマ時評だ(笑)。手っ取り早くリハビリをしていきたい。

昨日のドラマ「太陽と海の教室」では、優等生の反乱的風景がテーマとなっていた。学校の勉強は必要なのか?あるいは何の役に立つのか?永遠のテーマだねぇ。それが永遠のテーマとなることにこそ、意味がある行為であること、存在意義のあること、だといえるのかもしれないがねぇ。

学校は「知識のカタログ」であれと一貫して主張してきた私だけれど、いまや知識のカタログですらなくてもいいかなと思ったり思わなかったりラジバンダリ!カタログレベルの知識はネット社会のなかに既にあるから。

学校はもっと生臭い、ヒトとヒトとのコミュニケーション訓練の場所だったりするかもしれない。長屋とか村的な社会コミュニティが崩壊しつつある現代社会のなかで、学校は結構貴重な「ご近所」的つながりを保てる装置かもしれない。

そういう付き合いが嫌いなヒトは確実に増えていると思う(オレもそうだし)。しかし、そういうコミュニティが実は社会の原動力だったり、ヒトが根源的に持っている帰属意識の規模だったりするように思う。精神のふるさとみたいな感じで。

都市生活者のチルアウト趣味みたいな“ヴァーチャルな田舎幻想”(笑)とは違う、学校という「場」を持つことで得られまた避けられないリアルな関係性、それがヒトの生きる力を強化するシナプスの役割を果たす可能性はあると思う。織田裕二がやってる先生って、そういうリアルな関係性の具現化ってことかなと思ったりして。

もっともそんな役割が何も「学校」である必然性はないわけだが、これはもう歴史の連続性としか言いようの無い存在として既にある「学校」の、今日的意義の変化(または進化?)として捉えてはいかがだろうか?そのように活用してみてはどうかという提案でもある。

と、学校の一側面を肯定しつつ、私のメインの主張は、およそ7年前に書いた学校論(未完のまま7年放置...)に死ぬほど長文で示してある(^_^;)。徹底的にヒマで学校論に興味があるヒトだけご覧ください。この文章のテーマと、昨日の「太陽と海の教室」のテーマとが酷似していたので、個人的にはドラマを楽しく鑑賞できた。

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