小富士へ死闘140分!気分は墨谷二中
母島南崎には都道の最南端がある。北緯26度37分だ。沖縄県那覇市役所の位置が北緯26度12分なので、那覇市とほぼ同緯度に東京都の最南端道路があるわけだ。山本高広バリに「来たー!」って感じだ。ちなみにオレの誕生日は織田裕二と同じ12月13日だ(笑)。
都道最南端までは車やバイクでいける。集落のある沖港からバイクで15分程度か。歩くと1時間程度らしいが、それは誰を基準にしているかわからない...。少なくともオレはその基準に含まれない。なぜなら歩けば確実にたどり着けない体力(もしかすると気力)しかあいにく持ち合わせていないからだ!
しかしバイクで走っていると、万年青浜(おもとはま)の入り口近辺で、柳原可奈子に似た女性が南崎方面から歩いて戻っていた。
えぇ!その身体で歩いて来たのですか、あなたは...。思わず我と我が身を振り返り、まるでメンターに出会ったかのような感動すら覚えた。
ここを歩いて帰る旅行者は確実に沖港まで歩くのであり、その生死を分かつ冒険の価値は都会の怠け者にしかわからない(>なんだそれ!)。なんだか勇気と恥ずかしさとがない交ぜになった気持ちでレンタルバイクの男は都道最南端にたどり着いたのであった。
●南崎までの2.4km
都道最南端から南崎や小富士までは遊歩道(という名のジャングル)になっており、徒歩が唯一の選択肢だ。そのとき時計は14:30を指していた。日没は18:30ごろのはずだ。まだ4時間ある。ガイドブックによると、この遊歩道(というジャングル)は万人向きで、往復約2時間、必要な水分は2リットルとある。
水分は2.5リットル(水1、お茶3、コーヒー牛乳1)補給してきた。シューズもウェアもすべてハイキング用だ。偶然メンターにも出会った。ここは行くしかない!ようやく遊歩道(ジャングル)に足を踏み入れた。
そこは...
ジャングル!お祭り騒ぎ!
そこは...
ジャングル!お祭り騒ぎ!
そこは...
すり鉢!休憩所!
そして...
ジャングル!お祭り騒ぎ!
百歩に一回は、歩くのお休みさっ!
...と、サディステック・ミカ・バンドの「どんたく」の替え歌を歌いながら歩いたかどうか定かでないが(笑)、とにかく歩いた。
途中で、ガイドを連れ杖を突いてこちらに向かってくる白髪の老人と出会った。挨拶を交わす。「まだ結構ありますか?」と先方のガイドさんに聞くと「結構ありますねぇ」との応え...。汗だくの老人からも「がんばって」と声をかけられた。
柳原可奈子に続き、二人目のメンターが現れた気分だった。どちらも体力的にはオレのほうがあるはずだと思えたし、それが精神的な支えにもなった。
●小富士登頂
2.2km地点にたどり着くと、南崎(浜辺)へ降りるか、小富士に登るかの分岐点が現れた。波の音を録音するという主旨からすれば浜へ降りていくのがセオリーかもしれない。しかし初日の御幸之浜での外海録音体験が頭をよぎった。
ここは迷わず小富士に登ることに決めた。達成感を得られるのは「頂上」だと直感した。あと400mだ。
そして...
Let's do the JUNGLE SWING!
...と、山下達郎のジャングル・スウィングを歌う余裕もなく、一歩一歩歩いていった。満身創痍です...。
あと少し、あと少しと思いながら歩き続けた男の前に出現したのは...
長い階段...
そしてはしごだった...。
通信用語でいうところのラストワンマイルってやつですか。
最後まで苦しめるねぇ。
この階段にいたっては2段ずつ休憩だ。
でもお茶を口に含むと、不思議とあと2段足が前に出る。
最後はしごまでの数段は、500mlのペットボトルを杖にして、ほとんど四つん這い状態でたどり着いた。
はしごを登ると、眺望が開けた...。
誰もいない。360度この景色はオレのもの!
ベンチに腰掛け、コーヒー牛乳を取り出して飲んだ。その甘さが信じられないくらい美味しい場所、それが小富士だった。「達成感」という漢字が、はじめ人間ギャートルズの文字で頭に浮かんだ場所、それが小富士だった。「わたしはここにいまーーーす!」とドラマ「彼女たちの時代」の深津絵里のように叫びたい場所、それが小富士だった。
足が回復するまで、ほぼ30分程度山頂にいた。万人向けの遊歩道でこんなに達成感を得られるのは、単独行の良さかもしれない。
しかしオレにはもう、南崎、ワイビーチ、蓬莱根浜、唐茄子海岸、万年青浜という南崎遊歩道に隣接するどの浜に降りる体力も気力も残っていなかった。
それはあたかもマンガ「キャプテン」で青葉学院と全力で闘った墨谷二中ナインのような晴れやかな敗北だった。そしてまた来よう。今度は浜を制覇しようと誓った瞬間だった。
●小富士をあとにして
体力が回復し、帰る時間だ。帰路もジャングルを1時間歩かなければならない。しかし達成感で高揚しているので、それほどつらくない。
おがさわら丸での酔い止め薬といい、小富士までに出会った二人のメンター(勝手にそう思ってるだけだが)といい、気力とは不思議なものだ。体力の前に気力がヒトを支えているということがよくわかる。気力が萎えていなければヒトはがんばれるものなんだね。
帰り道ではいくつか歌が思い浮かんだ。概ね下りのときは杉田かおるの「鳥の唄」と山下達郎の「風の回廊(コリドー)」で、上りのときはチューリップの「青春の影」だった。なんでだろ?
あと快調に歩けているとき、RCサクセションの「雨あがりの夜空に」や「トランジスタラジオ」が歌いたくなった。誰もいないし歌いながら歩いていたが、オススメしない。のどがカラカラだ!ジャングルで声を出すもんじゃない(笑)。
帰りのジャングルは遊歩道に見えた(笑)。
16:50ごろ、都道最南端に戻ってきた。
スイスミリタリーのポケットウォッチを記念撮影。
そして、しばし休憩所の屋根の下で寝た。
この旅のメインイベントが終了し、ゴールした気分に満ちていた。ここまでの旅を思い返していた。
来るまでは天気の心配ばかりしていたが、案ずるより産むが易しと申しましょうか。天気には大変めぐまれた。晴ればかりでなくスコールとの遭遇も含めてそう思う。ほんの数日ではあるけれど、移ろいゆく大自然のダイナミズムを肌で感じた。
写真にも録音にも残せないそのときの気持ち。それは思い出に変わるけど、そこでの経験はこれからの生活のなかにも何かを宿す。思い出に終わらない生活そのものに。筋肉が覚えている。心臓が覚えている。足の裏が覚えている。それが旅なんじゃないか。みたいな。
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