google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 雲が好き!: ひとくちメモ

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2008/06/22

雲が好き!

台風6号はどうやら大陸側に逸れて行きそうだ。しかし週間予報では、お日様は見られず、くもり一時雨の母島となりそうだ。気象観測は父島が基準だから、50kmはなれた母島は多少異なるかもしれない...と淡い期待をしているのだが、50kmというと東京駅-成田空港間より近いくらいなので、大きく差はなさそうだ。

そうなると、曇りの楽しみ方をいろいろ考えなければ。もともと雲は好き。このタイミングで雲が好きというのは、負け惜しみみたいで(しかもまだ出発すらしていない)、もっと早く「雲好き」をカミングアウトしておけばよかったと、そのことを後悔している。

雲は“発明”されたって知ってます?神の発明とか、そういうことじゃなくて。ひとりのアマチュア科学者が発明したんですって。

前にタモリがタモリ倶楽部で「学問ってのは分類から始まる」と非常に核心的なことをおっしゃいました。どの回だったかな?アンガールズご出演の「苔」の育成のときだったような気がするな。

まさにそうで、気象学を語るうえでも欠かせないのが「雲」です。雲の分類です。そして雲を分類するという行為は、19世紀初頭のひとりのアマチュア科学者によって成された画期的な行為だったというわけです。

『雲の「発明」』(リチャード・ハンブリン著・小田川佳子訳/扶桑社刊)は、移ろいやすく捉えがたい雲の変化に対応する画期的な雲の分類を発明したルーク・ハワードについてのお話。

19世紀という時代のイギリスは、科学が大衆娯楽として花盛りだったそうで、雲の発明という歴史の始まる瞬間も大衆への講座というカタチで発表されました。知的好奇心を駆り立てる科学の面白さ、いまの日本の教育にも欲しいっすね(^-^)。

知識は得てしまうと娯楽じゃなくなるのかも。得る過程にこそ自発的動機ってものが芽生える。詰め込み型知識教育の行き詰まりはそういうことなんだよな。得た知識を一生使える道具とできるかどうかは、最初が肝心。

他人の知識で埋もれた21世紀だからこそ、知的好奇心も多様化せざるをえないわけだし。画一的な知識の詰め込みには直接的学習動機がない(大学受験などの間接的動機だけのつまらない勉強しか残らない)のは歴史の必然。

でも人類の学べるキャパは思ったほど多くないから、自分の好きなことだけを学んでいても100年くらいは充分楽しめる。その20%を画一教育に犯され、そのブロイラー的成果によってその後の40%程度を支配される官僚的人生なんてつまらなくて当然じゃない?つまらない人生を送ってるから居酒屋タクシーでウサはらすしかないワケよ。あるいはモラルハザードを起こすワケさ。

なーんてことを、雲の発明から脱線して思ったりして。現代は知識に埋もれてるわけだから、今度はその先、知の編集とか、そういうことが重要になってくる(松岡正剛の受け売りみたいな言い方だけど)。

一点の曇りもない青い空って、最初はいいけど段々飽きてくる。絶世の美女みたいに(笑)。あるいは、海の写真撮ったことがある人は覚えがありませんか?360度大パノラマだって、その大きさを表すには岬とか砂浜とか山とか島とか、なにか風景を構成する、一種の抵抗(カウンター)があってこそ、その海の大きさや美しさが表現できる。青い海しか写っていなければ、なんだか青いだけのつまらない写真になったりする。

雲もそうです。青い空をただ撮影してもなんだかさえない。そこに入道雲でもあれば、それはひと夏の暑い一日を連想させたりできる。雲は気象学にとってはモノサシであり、風景にとってもなくてはならない存在だと思うんです。それも主役じゃない。そこがバイプレイヤー好みのボクの嗜好に合ってるわけ。

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