物語にはサイドストーリーが必要だ
近づいてきた島旅のために、持っていく本を選ぶひととき。この上なく楽しい。これも旅の一環だと思う。25歳の頃に環境評談家・森林ジャングル(もりばやし・じゃんぐる)名義(^_^;)で、「ジャムとサラミとトマトジュース」という紀行エッセイを某同人誌に書いた。先日の秋葉原無差別連続殺人犯と同い年の頃だった。
このときの旅、そもそもは留学中のある女性を追っかけて行った旅だった。まだ連絡手段もほとんどなく数ヶ月間絵はがきの交換をしながら見切り発車で旅立った。オレも相当若かった。
結局、彼女とはすれ違いで会えず、傷心の(しかも下痢気味の)観光旅行となったわけだが、このときの読書体験とか録音体験がいまに生きてる。ひとつの挫折で自暴自棄になったりしない。
いくつものサイドストーリを膨らませて旅は続く。最後にもうひとつ。欧州のジャムとサラミとトマトジュースが好きだ。加工しすぎていないから。欧州では必ずジャムとサラミとトマトジュースを食べる。今後もきっと変わらない。
25歳のオレはエッセイの最後をこう締めくくっていた。ジャムもサラミもトマトジュースも旅の本質じゃない。ただのサイドストーリーだ。でも、それもまた旅の一環であり人生の一環でもある。最近ハマってる録音にたとえれば、五感を外に向けてバイノーラル感覚(全方位感覚)で生きることが大切だと思う。
いまの25歳とは環境が違う。いまのほうが生きずらいとオレも思う。いまの25歳はいいときの日本をまったく知らない。生まれた頃はバブル真っ只中。だが物心ついた頃には転落していく大人が急増し、自殺者も3倍に膨らんだ。そして政局サイボーグ・コイズミの登場...。
日本のセーフティゾーンを崩壊させた戦犯とそれに熱狂する大人たち。その頃成人した彼らは、あのバカ騒ぎをどんな目で見、その感受性でどう受け止めたのか。その答えがそろそろ出始める。そして選択しなければならなくなる。バカ騒ぎを続けるのか、新たな希望を見出すのか。
自身の物語のサイドストーリーを膨らませて、たくましく生きる術を身につけて欲しいと思う。サイドストーリーがヴァーチャル空間で手に入ると錯覚しやすい時代だけど、やはり人間の精神活動というものは「実働」と結びつかないことには次のステップへ進めないと思う。
いいサイドストーリーが本編を輝かせる。もし世の中がいやになったなら、無差別殺人ではなく、政治的手法を身につけて戦犯と戦わなければ世の中は変わらない。敵の正体は見えないわけじゃない。未熟なうちは戦い方が見えないのだ。日本は格差確定社会に向け、多くの民を労働者・消費者としてしか位置づけない教育を延々としてきた。気付けば戦う相手が見えてくる。
アキバの彼について思うことを書く予定ではなかったけれど、たまたま25歳のオレの文章を引いていて、あの日あの場所にオレが(被害者として)いてもおかしくなかったことに思い至り、いまの思いを記録だけしとこうと思った次第。これもサイドストーリーだな。
ひとつは、「日本の海洋民」(宮本常一・川添登編/未來社刊)だ。この書籍は1974年7月10日に初刷発行で、2008年5月15日に7刷が発行された。8出版社共同復刊企画“書物復権”のなかの一冊として復刊された。
「海の話をするまえに山の話からはじめなければならない。」
文学者でもないエッセイストでもない民俗学者なのに、この書き出しの軽妙さ。これで決まった。宮本常一氏の書物のうち、どれを持っていくか考えていた。「旅の民族学」つながりで対談本も複数出ていて捨てがたかったけれど、25時間以上の船旅にはやっぱこれかなと。海洋民のひとりとして思ったわけよ。
もうひとつは、ガラリとジャンルが変わって「久世塾」(塾長久世光彦/平凡社刊)に決定。これは書店でたまたま見つけた。2007年2月19日初版発行。比較的新しい本だが、久世さんは2006年3月2日に亡くなったので、この久世塾は大変貴重な空間の記録だと思う。
脚本家をめざす塾生へ、久世さんほか表現を仕事としている人々による講義録になってる。久世光彦はテレビドラマを文学にした人だとオレは思っているし、向田邦子とのコンビはもっともっと見たかった。
ひとり旅は少なからず人生に影響する。その旅の道程で久世塾を読みたくなった学校嫌いのオレです(笑)。
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