音楽を聴きたくないっ
今日久しぶりにCDショップへ行った。結局買ったのは株式会社デラのネイチャーサウンドギャラリーシリーズの2点、「波 慶良間・久米島」と「白神山地」だった。
バイノーラル録音にどんどんはまって行く自分が先なのか、音楽から離れていく自分が先なのか、その相乗効果なのかよくわからない。でも確かなことは、メロディを聴きたくないってことなんだ。
オレの人生、いろんな趣味・興味が波のように寄せては返し、それらがスパイラルに作用しあって生きて来た。しかし音楽は根底にあったように思う。それがいま、ついにというかとうとうというか、ほとんどいらない気分なのだ。
いや、これまでもこういう時期が多少はあった。音楽から離れて絵を描いたりプログラミングをしたり書物に耽ったり。しかし今回は重症だ。
メロディというものが、とにかくうっとおしい。CDを聴こうとすると身体が拒否反応を起こす。それでヒーリング(波とか小鳥とか)だけの音を聴いている。
アンビエントにはまった時期、そこにはハウスのビートがあった。いま、ビートも欲しくない。機械的・人間的(人工的)なビートに気分が悪くなる。
メロディも人工的なものであり、結局人間がイヤになってきているのかもしれない。ストレスもここまでくれば立派なものか?もしかすると身近な人のリアルな死が、虚飾の世界からオレを目覚めさせたのかも(宗教とかスピリチュアルとはまったく関係ないけどねっ!)
口からでまかせばっかりの人間関係。とっくの昔に割り切っていたつもりだったが、口ばっかりの人間が想像以上に跋扈してオレの生活まで脅かし始めてる。侵食の度合いが大幅に拡大したのかもしれない。精神の堤防は決壊寸前だ。
そういう人間に対して、これまで常に武装して闘ってきた。でもそんな武装した自分の無駄な時間が嫌いになってきた。なんで無駄な武装をしてまでそんな人々と付き合う必要があるのかわからなくなった。ネクタイをするだけで嘔吐しそうになる日々だ。
大西巨人や宮本民俗学が読みたくなったのもバイノーラル録音に興味が出てきたのも、虚飾まみれの腐れ現代社会における人工的環境への拒否反応かもしれない。
オレは時代の空気に結構敏感肌(笑)。3年もすればこういう状態の人類が巷にあふれ出すように思う。ねずみが沈み行く船から逃げ出すように、この社会から逃げ出そうとしている自分がいるのかも。音楽からの逃避はその前兆か。
しかし自然音CDも厳密には人工的なものであり、こうして書いているブログだって人工空間そのものだ。
いま聴きたい音楽がないから独りで渓流に音を拾いに行きたい衝動にも駆られている。それをまたブログで記録しておくことだろう。その程度にはまだ地球や人間に対して興味があるのかもしれない。もっともそれはすべて私的なものだが。
これからは自分のためにどれだけの時間を残せるか使えるかを最重要だと考えるようになった。これも単なるバイオリズムのサイクルかもしれない。しかし置かれた環境がこのサイクルを突破して大きなトレンド相場を生むこともある。
結構日常や環境に対しては鈍くグズグズしているオレだが、トレンドが生まれたときには乗ることをFXで覚えた。オレはビジネスも大好きだし、観察対象としての人類も大好きだ。でもいまはとにかくメロディのない世界で、精神の蘇生が必要だ。
ゴールデンウィークでよかった。ここで出来るだけ蘇生して、またあの忌まわしい虚飾とうわべだけの世界へ戻っていくのだ。より露骨に表層的な戦士となって!
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