現代少年コナン
2008年昭和の日、未来少年コナンDVD-BOXをようやく見終えた。今年7月には洞爺湖サミットが開かれる予定だけど、未来少年コナンのなかで2008年7月といえば、地球は超磁力兵器による世界大戦で地軸が捻じ曲がり大陸が海に沈んでしまった未来でした...。未来少年コナンはその約20年後の物語。
いまの世の中、21世紀、人間界はテロの世紀といわれ、自然界では地球が悲鳴をあげている。世界大戦はなんとか免れているけれど、世界の覇権争いでは一触即発な環境が醸成されつつある。未来少年コナンの中で描かれたさまざまな問題が露見しているともいえます。
しかし未来少年コナンをあらためて見直して、これはレジスタンスの物語だったということが良くわかります。1978年の日本といえば、安保闘争が敗北に終わった後、高度成長の只中にありました。そこに宮崎駿のコナンが登場しました。その後の宮崎作品はほとんどコナン外伝のようなものかもしれない。コナンにはすべてのエッセンスが詰まってる。
インダストリアの支配(独裁)を企み最後はギガントに乗って世界征服を妄想する男レプカから、少女ラナを救い、レプカの部下だった女性士官モンスリーを寝返らせ、ハイハーバーを守り、生まれ故郷である残され島へ開拓者として戻っていくコナン。超人的なヒーローであるコナンがインダストリアでは抑圧された人々を助け、レジスタンス運動を成功に導きます。
いまの世の中、アメリカ帝国主義からテロと呼ばれているものすべてが本当に悪なのか。レジスタンスとテロリストとは、それに関わる自分自身の立ち位置によって正反対の見方になります。未来少年コナンのなかで描かれたレプカ対パージされた人々というわかりやすさが今ないのは、中間層にいる人々がどちらかといえば権力者側の情報に泳がされている可能性があるのではないか。
いっぽうでインディーズ系メーデーのような運動は広がり、格差社会のなかであえぐ人々の自発的な闘争も始まろうとしています。日本のレプカをあぶり出し、格差のない世の中を開拓しようとする人々。そのような時代にコナンは必要ないかもしれない。ただ一人のヒーローよりも、人々の力・自発的連帯が世の中を変えるのかもしれない。
ところで今年7月の洞爺湖サミット、そのパンフレットは名探偵コナンです。2008年7月はコナンが熱い(笑)。ボクはやっぱり反体制で、(押し付け愛国心ではなく)自発的愛郷心のある未来少年コナンが好きです。腐っても体制側のパンフになんかなって欲しくないやね。
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