壁を壊せた人々
昔々、バブルの残滓が残る時代、建材に関わる某大手企業の経営の皆様にIT系新規事業の企画プレゼンをしたことがある。業界では最大手だが、ITを使った新しい事業を模索されていた。我々の提案は事業領域を考慮したかなり現実性の高いものだと自負していたが、いま思うとそれだけに新規性が乏しかったかも知れないなと思う。結果は落選。世の中はバブル破裂後の新規事業ブームだった。ITバブルはその時代と重なる。
また、社会人になって間もない頃、あるイベントでDOWAの方とブースが隣同士になったことがあった。名刺交換した担当営業の女性は、女優の黒木瞳をボーイッシュにしたような方でかっこよかったのでよく覚えている(笑)。DOWAホールディングス(株)の吉川廣和会長・CEO著『壁を壊す』(ダイヤモンド社)を読み始めて最初に興味深く見たのはグラフ。そのイベント当時がどういう時期だったのかだった。
すると、ちょうど吉川氏が新素材事業本部長になられたころで、総資産も有利子負債もほぼピーク、経常利益は二番底から上昇過程にある頃だった。傍から見れば利益も出ているし上り調子の会社だ。しかしDOWAの合理化が始まるのは、吉川氏が専務になった頃、私がイベントでDOWAと隣り合ってから5年後だった。
逆に見れば私が黒木瞳と談笑していた時代は、DOWAが「桃太郎計画」と銘打った多角化路線で崩壊へ向かう道程のまさにピークだったということだ。確かに私の業界とはずいぶん違う業界の会社がDOWAだった。DOWAもまたバブル後に訪れた「夢よもう一度」の新規事業のワナにはまろうとしていた。
しかしこんな黒字が出ている時期に改革に着手できるというのはすごい。相当の反発があったに違いない。随所にそういう抵抗について触れられてはいるが、ここに書かれた程度の反発ではないはずだ。特に「鉄は国家なり」という背景で安定成長してきた企業の歴史があり、著者自身も人事課から社長になった異色の経歴。普通は構造改革なんて成功しないどころか、手をつけることすら出来ないと思う。つぶされる。
そんな吉川会長が「普通」でなかったのは、リアルに存在する壁から本当に壊してしまったところだ。「形あるものは壊れる」といったのはソソソクラテスかプラトンか忘れたけれど、形あるものを次々と壊してしまったのが吉川会長だ。現在の本社は全長150mの体育館のようなパーテーションのないオフィス(書籍の表紙写真)となっている。
本のタイトル「壁を壊す」とは、まさに会社にあるさまざまな壁を壊してきた構造改革の象徴で、これ以上のタイトルはない。組織の壁、上下の壁、社風・風土の壁、そして心の壁、組織にはさまざまな見えない壁がある。だが吉川会長はそれらの壁を取っ払うために、本物の壁から壊し始めた。そこが普通じゃなかったわけだ。
そして7年で経常利益10倍を達成する。この長期不況のご時世に。相場の神様山種が言うように不況のときに利益を上げる者が本物なんだろう。そこで得た利益は額面以上の価値がある。
●大企業病からの脱出
企業はよく「わが社の社風は」というが、私がその言葉を聞いて思いつく漢字は常に「遮風」だ(笑)。風なんてないだろ?遮られてるんだろ、と思う。大企業のなかなんてのは“遮風の嵐”(矛盾してるなぁ)で、さらにゴマスリ幹部が蓋をして無風状態に違いない、と思う。なんて佐高信チックなんだろう、オレ...。
業界大手の老舗企業というのはほとんど構造改革なんてできないだろう。過去の余力もあるし、ほとんどの社員は大きな船に乗っているだけで全体を見ることができないのではないだろうか。
セクショナリズムと社内ヒエラルキーだけが舵取りをする船の中しか知らないため、全体像を見てとばっちりをくうよりは保身に走る(実際には会社を蝕み保身にならないのだが)。
あるいはあえて誰にも全体が見えないよう部門ごとに煙幕が張り巡らされる。まさに壁ばかりの迷宮のような会社になるのかもしれない。そして数字だけが一人歩きし始める。
この本の改革前のDOWAはそんな印象だ。桃太郎計画という落下傘的多角化事業も、セクショナリズムの拡大でしかないように見える。大企業病に犯された会社の新規事業ほど難しいものはない。足元の会社そのものが崩壊しかけているなかでの多角化はいつか破綻する。論理的に破綻する。
また、不良債権(将来性のない部門)を切ることなく多角化していけば早晩行き詰る。そのことに社長自ら気付いた、いや社長になるまでの会社生活の中で、異端視されながらもそういう現場を見て改革の芽を育ててきた吉川氏の取組みが壁を壊せたのだろう。
選択と集中の3つの基準にも納得がいく。特に論理的な経営という面で、メーカーとしてのQCDDの観点が重要だ。クオリティ、コスト、デリバリー、ディベロプメント=品質、コスト、納期、開発力。これはプロジェクト管理手法の言葉で、製造業の4大要素だ(プロジェクトの場合は開発力を除いたQCDの3大要素とする場合もある)。競争力のパラメータといえる。
単なる数字を元にした印象批評になりがちな経営陣の判断をシステムに落とし込むうえでも重要なポイントがQCDDで、これを経営陣自らが共有しフローを描ける会社は強い。その時点ですでにセクショナリズムの壁をひとつ壊せている。
●壊した壁の向こう側
改革の中心人物が書いた著書であるため、すべてを鵜呑みにして読むのは危険だ。労働者の立場としては切られた部門や関連会社、切られた社員、その家族、いろいろな視点があるだろう。事実と著者の考え・評価とを分け、ときには批判的に考える必要もある。ただ、そこだけに囚われても良い読書とはいえない。
読者自身にフィードバックされるコアな部分を外さないで、その後は読者がどう実践に採り入れていくのかが重要だ。なにもお手本はひとつではない。吉川会長自身もジャック・ウェルチの著作などからも示唆を受けながら、自身の置かれている状況を自ら考え壁を壊した。
そしてDOWAの構造改革はまだまだ続く。未来は予測不可能だ。いま良くても数年後はわからない。ただいまやれることをやる。その「やれること」の本質をトップ自らが考え抜く姿勢とその表現方法が大切なのかもしれない。
大企業病のひとつに秘密主義がある。情報を隠すことで部門の利権を温存し、また失点をうやむやにしようとする病理だ。たとえばいま「やるべきこと」を秘密主義を前提にしていては成功しない。論理的に成功しない。この意識を経営者が持っているだけで、すべての改革、すべての美辞麗句が無意味になる。それらの原理原則こそが本質で、壁を壊すという行為はひとつの事象に過ぎない。
そういう経営者の意識改革について、この著書は示唆しない。私(吉川会長)にはそれがあった、あなたにはあるの?というだけの話だ。また当社(DOWA)では壁を壊せば秘密主義も壊れた、あなたのとこはどうかな?というだけでもある。
ここを自覚することが経営のキモだし、なんらかの組織に属す人々すべて、自分自身で問い直さなければならない。ただ、それは大変難しい。その克服のために「私、壁を壊してみました」というひとつの事例がこの著者なのだ。
そしてそういう壁を壊せた人が書いた本だからこそ、この本の情報も信頼性が高いようにも思えた。実践に裏打ちされた言葉、人事課出身なのに現場を知ろうとした人の言葉のすがすがしさを感じる。
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