いま、連合赤軍とあさま山荘を観ること
何から語ればいいのかわからない。映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(若松孝二監督)を観て以来、映画のさまざまなシーンがずっと頭から離れない。ボンヤリとした知識でしかなかった事柄が明確になったけれど、同時に心に穴が空いてしまったような感じをずっと持っている。
帰って来てから、YouTubeで当時のニュースの一部を観た(左映像ほか)。映画を観る前と後とで、このあさま山荘事件映像の印象は大きく変わるかもしれない。
映画のパンフレットにあった「吉野雅邦 獄中からの手紙」を真剣に読んだ。吉野氏はあさま山荘で逮捕された一人。無期懲役で服役中だ。この映画で吉野氏を演じる役者にあてた手紙として書かれた。伝わってくるけれど届かない。映画を観たときと同じく、心の穴はますます大きくなるばかりだ。
公開されてから観たくてしかたがなかったが、3月20日春分の日にようやくテアトル新宿で観た。風雨の強い日だったが、この日も長蛇の列。5分遅かったら座れなかったかもしれない。休憩時間にも当時の学生運動のモノクロ映像がずっと流されていた。強烈に惹かれるあの時代。だが届かない。渇望と断絶と。だからそこ、迫りたかった。
私が生まれる少し前が学生運動・労働争議全盛時代で、小学校高学年くらいからフォークソングを媒介にして当時のカルチャーに憧れを抱きはじめた。あさま山荘事件やよど号ハイジャックはその後のテレビで何度も流れていた。私にとってはこれらの事件もその時代の熱さの一部であり、憧れないまでも嫌悪するニュースではなかった。
ときどき、自分が学生運動の時代に大学生だったら何をしていただろうかと思う。一歩間違えばあさま山荘に立て篭もっていたか、リンチで死んでいたか、仲間を殺していたか。それとも常に少数派でいたい私があの時代にいたら、ノンポリ学生(実は多数派?)だったか。同人誌に詩でも発表していたか。
●淡々と、激しく、映画が語る連合赤軍
映画にはものすごくフラットな印象を持った。あさま山荘に機動隊が突入し銃撃戦が行われていても、この映画の主人公たる連合赤軍のメンバー寄りには到底なれず、かといって警察(国家権力)を拍手喝采で応援する気にもなれず。このあさま山荘を(必然かどうかはともかく)結果として起こった事実として追体験した。
ただ指導者の二人、森恒夫と永田洋子にだけは虫唾が走った。脱走兵から簡単な自己批判で軍に戻り指導者となった森。何度総括と言ってたか総括したいくらいにメンバーに徹底的に総括を求め、すべて否定し結局は殺してしまう(他のメンバーの手で殺させてしまう)森。森恒夫は逮捕1年後の正月に獄中自殺しているが、それすら卑怯に思う。
永田洋子はターゲットを決めたらネチネチと攻め始める。そして森が総括要求しリンチが始まってもただ見ているだけ。いや、その様子を俯瞰し次の獲物を探していたのかもしれない。永田には革命とか思想とか、そんなものはどうでもよかったのかもしれない。それだけにデモに参加した誰もが永田になっていた危うさを感じる。永田洋子は死刑囚として36年たったいまも獄中生活をしている。
リンチによって殺された学生たち。彼らのセリフのなかに印象的なものが多かった。暴力のなかで正気に戻ると死が待っている。そんな組織だった。まるで裸の王様に「王様は裸だ」と言って死んでいくようだ。
山田孝が死ぬ直前に叫んだ「俺が死ぬことで革命が前進するなら、喜んで殺されてやる!革命は、どこにあるんだ?森!おまえこそ総括しろ!」という言葉は、メンバーの誰もが思っていただろう。しかしついに森・永田自身へぶつけられることは無かった。
最年少の加藤元久君(当時16歳で加藤3兄弟の3男)は、山岳ベースで兄の死と直面し早々に正気を取り戻していたがどうすることも出来ず、あさま山荘での銃撃戦へと突っ込んでいく。彼のセリフは少ないが、正気の人の言葉で印象に残る。理想に燃えて翻弄され挫折した青春だった。
権力を笠に着て気に入らない振る舞いの同志をリンチしていく組織。内ゲバはどんな組織にも起こりえる。誰もが永田洋子や森恒夫になる可能性がある。それを自覚しない人ほど永田や森のようなリーダーになる可能性がある。自覚があるからこそ客観性が生まれ謙虚になれるのだ。
あさま山荘事件後、敗北を悟った多くの学生が「自分たちは彼ら彼女らとは違う」と思っていないだろうか。企業戦士の鎧をまとって、いま指導者層(50代後半から60代)となっている彼ら彼女らは、本当に永田・森と違うのだろうか。違わないからこそ謙虚になる必要があると考えたことがあるだろうか。
あさま山荘世代が現役指導者層であるいま、この「実録・連合赤軍」が公開された。国家権力に利用された“学生運動の敗北”がいまの世の中をいまだ覆っている。永田・森と似た心性を持つコイズミ・あべ路線(自己正当化と批判者パージによる権力誇示)の政治が、無気力な敗北世代のチルドレンを支配しようとしている。過去の検証を淡々としつつ、日本もイデオロギーと無関係に「権力」について再点検が必要な時代だと思う。
3時間10分食い入るように見つめた映画だった。この映画に限っては、あえて個々の役者について語ることは瑣末な感じもするのだが、遠山美枝子役の坂井真紀にはひとこと触れておきたい。坂井真紀が「総括要求」で自分を殴り岸部一徳のような顔に腫れ上がる。戦慄の走る場面だ。
最近はドラマ「エジソンの母」とかバラエティドラマの印象がある坂井真紀だけに、この壮絶な役はひとつのメルクマールになったのではないか。坂井真紀の親友でこの映画ではさらぎ徳二役を演じている佐野史郎が、坂井にオーディションを薦めたそうだ。さすが!
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コメント
今日、永田洋子が獄中で病死したニュースを見た。65歳(あさってが誕生日)。それだけ記録しておきたい。
現代日本は崩壊しようとしているが、連合赤軍に限らず革命が本物だったとして、もし成功していたとしても、現代とはまた違った崩壊が待っていたような気がする。
真に幸福を実現させる道はないのかもしれない。ただもがきながらも日々を生きることこそ生の在り様なのかもしれない。
求め続ける過程こそが生きることであり、道半ばでいつか訪れる死を正しく受け入れられる生き方を出来るか否か。真っ当に生きた証しとしての死を迎えられるよういま生きているか否か。
それを自らに問いかけながらいまを生きられればよいと思う。
投稿: ポップンポール | 2011/02/06 21:25