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16 posts from January 2008

2008.01.30

石井十次没後94周年

今日1月30日は石井十次が永眠した日だ。1914年のことだから94年前になる。ここ数日、たまたま岡山孤児院物語を読んでいて今朝読み終わったのだが、それが1月30日だったことに何か縁を感じて書き留めておきたいと思った。

石井十次については、2005年に「石井のおとうさんありがとう」を紹介した。この映画もDVD化された。石井十次について広く知られることは有益だと思う。

社会福祉の父とよばれる石井十次だが、48年という短い生涯のなかで、人間にはこれほどの仕事ができるものなのかと思う。22歳のとき、お遍路の女性から男児(前原定一)を預かったことに始まり、最大で1200人もの孤児を育てた。

あまりに石井十次の強烈なリーダーシップあるいはカリスマ性によって運営されていたために、ほぼ一代限りの大偉業だった。また、信仰心(キリスト教)に基づく蓄財の否定によって、財務状況は常に火の車。大原孫三郎の資本への依存度も高かった。

大原孫三郎は、倉敷紡績ほかいくつもの事業を展開していた大資産家でありながら、労働者や教育への投資・寄付を惜しまない偉大なる散財家でもあった。私のもっとも尊敬する財界人だ。風貌はイチローに似てる(^-^)。

最初は大原孫三郎を中心に石井十次をイメージしていたので、とにかく金を借りる天才という感じを持っていたが、信念に従って孤児院を運営していく様は、やはり大事業家の素質はあったと思う。大原孫三郎も石井十次の嗅覚や才覚、そしてその篤い信仰心に影響を受けていたのかもしれない。

最終的に岡山孤児院は岡山県から宮崎県の茶臼原へと移住していくのだが、あのあたりは武者小路実篤による日向新しき村もあるのではないか?自立して生きようとする人間、吾唯足知という生き方、大地とともに生きる共同体、そういう実験精神あふれる場所にも思える。

宮崎県は今が旬だし、十次の足跡を辿ってみたくなった。と、書いているうちに1月30日もあと5分となった。今日アップしなきゃ意味ないので、とりとめもなく終わる。石井十次と大原孫三郎、乞食の親分と大実業家の親分の友情といわれたこの関係、それだけでもワクワクするような関係じゃないだろうか。興味は尽きない。

1914年、大正3年のことだ。いまよりも志の高い人々が確かにいた。

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2008.01.27

「THE LONGEST DATE」PR紙完全収録!

唐突ですが、映画「THE LONGEST DATE 一番長いデート」です。1985年製作の日本映画ですけど、知ってる人います?あまりいないかも。ボクらの自主制作映画だから(笑)。でも原作は赤川次郎先生です。

右下の画像は、その映画の脚本。実家で見つけました。きったないけど全40ページの堂々たる脚本です。もちろん手書き。当時、ワープロなんてハイカラなモノはありませんでした(あったかもしれないが高校生の所持品ではなかった)。

文化祭で上映したのですが、それに先駆けてPR紙も作っていました(1985年9月14、15日執筆)。こっちの存在は完全に忘れていたけど、いっしょに保存してあったので、今回はそれを完全収録してみたい!オレ一人で書いててほとんど自己愛の世界だけど(^_^*)。いまと文体が変わってない、いや、いま以上に回りくどい文章をご堪能ください...。個人名はできるだけニックネームか姓名の一部伏字にしときます(笑)

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2008.01.26

カーズがイーッス!

明日またソファーが来る。前回買ったのと同じシリーズで、一人用のラウンドチェアだ。2.5P用はスクリーンに対して垂直に向けて、今回のラウンドチェアを正対させようと思ってる。音場に対してフレキシブルに対応できるし、とりあえず1人用+オットマンの方が、集中できるから。

さて、ブルーレイ・ディスク陣営が世界共通フォーマットとして認知されそうな気配濃厚だ。いち早くブルーレイ陣営となってたボクは、とりあえずホッとしている。

ブルーレイの映像としての美しさとわかりやすさにはピクサーのアニメが最高じゃないだろうか。あえてディズニーといわずピクサーと言いたい。中でもこの「カーズ」はすばらしい。物語もしっかりしてるし。

最初は偏見があった。「擬人化されたクルマ社会なんて、アメ公の考えそうなことだよな」みたいな。ただデジハリ出身のボクにとって、ピクサーのアニメ技術は憧れの存在。だからまず惹かれたのは「レミーのおいしいレストラン」のブルーレイディスクだった。パリを自分の庭だと思っていた頃もあるわけで(まったくの幻想だったけど)。

んで、レミーを買いに行ったところで、「カーズ」のプロモビデオに遭遇してしまったわけだ。クルマが走っている映像なんて、3Dゲームやってる面々にはおなじみなんだろうが、擬人化されたクルマが、クルマとして精緻に正しく描かれている。レースシーンにしても、そのカメラワークに研究の跡がしっかり見える。そしてラセターさんが作っている。これが大きかった。子どもダマシじゃないんだな。

モンスターズインク」のときにジョン・ラセターという人を知ったのだが、その後「ラセターさん、ありがとう」というDVDが出ていて、興味深く観た。これはスタジオジブリの宮崎駿監督がラセターさんと会って交友を深めるドキュメンタリだ。

ちょっと話が逸れるが、こういう作品の外伝的裏話マニアなボクにはたまらない。そういう意味では最近出た「ジブリの絵職人 男鹿和雄展 トトロの森を描いた人。 (Blu-ray Disc+DVD)」もすぐ購入して堪能させてもらった。アニメの風景画が作品として広く認知されること、そのこと自体が2Dアニメーションが日本文化として洗練されてきている証左ともいえるのではないだろうか。

結局、カーズとレミーと両方ブルーレイを買った。カーズのほうが先に作られているので、年代順に見た。技術は日進月歩だから、後から作られたレミーにはまた新技術が採り入れられているのかな?という見方をしている自分がいまいちだと気付いた。

オレはいま幕張メッセに技術博覧会を視察に来ているわけではなく、映像作品を観ようとしているんじゃないか!と。

そういう技術目線なしに観ても、映像と物語の確かさはピクサーの真骨頂だ。技術は手段でしかない。でも技術の確かさと細部へのこだわりが作り手の想いを映画に込めることにつながっているのだろう。それがアニメーションのアニメーションたるゆえんだ。粗製乱造品とはやはり違う。

そしてそのこだわりは特典映像にも如実にあわられている。カーズの本編をもう一度辿りながら、ラセターさんがアメリカのカーレースの歴史みたいなのや、各シーンづくりにおけるさまざまな苦労や工夫、取材当時について語ってくれる。そのホンモノ思考はさすがだと思ったし、巨大資本がクリエイタと結びつくととてつもないパワーになるってこともわかった。

さて、ソファはそろったので、次の目標はマランツのフロントサラウンドスピーカだ!

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2008.01.25

燦燦斗でヒッキーを聴いた日

先日。東京に雪が降った日。

こりゃ燦燦斗にいくっきゃないと思った昭和なオレ。

行ったら、閉まってた...。水曜だったのにぃ。

というわけでその日は蕨のラーメン大へ。

そして本日、燦燦斗。

開店前から並んじゃいました。

つけ麺(中)+燦点盛り(チャーシュー、メンマ、味玉)。

そして、ジュリー...。


ジュリー!ジュリー!?


ジュリーじゃない!?

燦燦斗がジュリーじゃない


某雑誌に紹介されていたのを思い出す。

昼はスピッツ、夜はジュリー。

ラーメン屋のBGM一覧表。

そんなの載っける雑誌も雑誌だよー。

オレの記事、絶対読んでるっしょ?(なんつってー)

でも今夜の燦燦斗はジュリーじゃなかった。

宇多田ヒカル。メガヒット曲目白押し。

燦燦斗が平成の麺姫に?

でも、良かった。ヒッキーで。

彼女も昭和歌謡好きだし。お母さん好きだし

ジュリーもヒッキーもメガヒット。

燦燦斗はメガヒット好き?


つけ麺を待つ間、燦点盛りを食す。

美味すぎるっ!

メンマに絡むにこごり的なモノはなんだ?

卵の黄身かと思ったが、違うな。美味すぎ!

そして例の赤身チャーシュー。

つけ麺だと、おつまみチャーシューか燦点盛りがいいな。

なんたって赤身チャーシューをそのまま堪能できる。


もう、腹いっぱい。粉雪はおあずけ。

昭和から平成へ。ってもう平成20年だけど。

今年も燦燦斗の快進撃は続く!

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2008.01.19

よい子はマネしないでください?

メビウスの輪@M.C.エッシャーどーでもいいけど、「メビウスの輪」すら知らないガッコの先生っているのか?伊東美咲主演ドラマ「エジソンの母」は、いわゆる初級編のブルーバックス的教養エピソードがそのまんまちりばめられたドラマだ。

しかしパラドックスとかメビウスの輪とか、ガッコの先生やっててソレ知らないのはあかんやろ!ってレベルの教養にアタフタしている伊東美咲の姿はちょっとわざとらしい。そりゃ大学の准教授(谷原章介)とは話合わんやろなー。

もっともそれは伊東美咲の落ち度ではない。伊東美咲の女優としてのキャリアをウォッチし続けているオレには、小学校の先生役はひとつの登竜門にも見える(?)。保育士の資格も持っておられるわけで、その資格が活かせるドラマかもしれないし。

それはそうと、テロップに「よい子は絶対マネしないでください!」と何度も出る。まぁ視聴者にキケンな実験をマネでもされたらマズイという事情はよーーーくわかる。そんなことにイチャモンをつけるようなオレではない。

だが昔から、この文言だけは許しがたいと思っているので、ひとこと書いておく。ガスを吸ったり校舎から飛び降りたりといった行為は、よい子でなくてもマネすべきでない

そもそもオトナにとってのよい子はマネしない。面白くもない優等生がよい子だ。多くの子どもは好奇心の塊であり、基本よい子ではないし、よい子をめざす必要も自覚する必要もない。まぁ、よい子はときにキレるので、悪い子以上にキケンな場合があるけれど、そういう文脈にはないだろ?

オレなどは「よい子はマネするな!」といわれれば、確実にマネをして生きてきた(笑)。よい子化拒絶シンドロームだ。よい子でいたいおりこうさんなんてクソくらえって感じで生きている岡林信康チックな子どもにとって、「よい子はマネするな」というステロタイプなメッセージは何の意味も持たないばかりか害悪ですらある。いったい誰が言い始めたのだろう。どーーーせろくでもないPTAなんだろうな。

現実社会にもこういうメッセージがあふれている。工事現場にライオンの絵が描いてあって「キケン!よい子は入るな」なんて書いてあったりするのだ。ライオンがそこにいるのか?いるなら観てみたいじゃないか!よい子である必要なんてまったくないオレたち。この日本にライオンがいて、よい子だけ進入禁止なら、オレは除外だ。そうだろう?

「よい子は」と限定するメッセージには、キケンを知らせるという目的からして、あきらかに矛盾がある。主旨が伝わらない。すくなくとも論理学入門みたいなテロップと同時に「よい子はマネするな」と表示することに、制作側の想像力の欠如が見て取れてしまうのだ。

「どうして?どうして?」と問う子役の疑問がいちいちステロタイプなのは本からの受け売りだからなのか。そこにこのドラマの本質はきっとないのだろうが、ウソつきのパラドックスとか、多少ひねりなさいひねりなさい(笑)。

NHK教育テレビの理科番組になんだろうくんがいた。なんだろうくんはボケ役で、あさってのほうを向いたような疑問を持つ。それも予定調和だったのかもしれないが、しかし今となってはなんだろうくんがいたことしか覚えていない(あと主題歌も覚えてる)。裏を返せば、そういう子ども(人形だったが)ほど印象に残るってことだ。

ぜひ「エジソンの母」の花房賢人くん(子役・清水優哉)には、独創的な「どうして?どうして?」で、なんだろうくんを超えて欲しい。

ちなみにいまGoogleで「よい子はマネしない」で検索したら43400件ヒットした。よい子って窮屈ダネ!

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旅の重さ

テレ東「たけしの誰でもピカソ」がフォーク特集だった。南こうせつが拓郎の「今日までそして明日から」を歌った。この曲を聴くといつもこの曲が主題歌だった映画「旅の重さ」の風景を思い出す。それほどに印象的な映画だった。

映画「旅の重さ」をDVD化して欲しいと松竹に依頼メールを送りつつ、松竹から通販でVHS(コピーガード付)を購入して何とか見ていたのだが、昨日の歌を聞いて「まだDVDになってないのかな?」とアマゾンを検索したらあった!即効で注文(お急ぎ便で)。

映画館では観ていない。子どもだったし地元で上映されたのかも知らない。いつだったか、深夜テレビでやっていたのを観て、その淡々としたロードムーヴィーに惹かれた。もちろんよしだたくろうの曲があまりにマッチしていて、音楽と四国の風景とデビュー当時の高橋洋子のみずみずしさは、映画というものの普遍的な力に満ちていた。

日本映画らしいウエットさも、いまとなっては独特の雰囲気がある。なんていうのか、21世紀、MOOGシンセに感じる暖かさという感じ(わかりにくっ!)。初めて出会った当時はセンセーショナルだったけど、古典となってからも古びず、また違った位相をも味方につけ、さらに深く情感豊かに聞こえる(鑑賞できる)、まるで倍音が増幅されていく音楽のような作品だ。

違った位相とは、例えばよしだたくろうの現在であり、四国お遍路の現代性であり、'70年代(昭和な)日本映画の再評価の流れであり、政治経済で疲弊し低迷する日本人が精神性へ向かう現在であり...。

上昇・バブルの15年、その後凋落の15年、30年という時代を歩んできたこれらの持つ個々のイメージと、そこから何かを感受するこちら側の個々の意識の変化によって、この映画のエクリチュール(イメージとシンボルとの分かちがたくかつ並列的な概念系)も21世紀的になってきている。それは懐古趣味ではなく、新たな読み方を提示し続けているこの映画の力なのだ(ってオレだけ?)。

「今日までそして明日から」という曲そして詞のエクリチュールとの関係性の変遷もまた、というよりこれこそが、私にとって「旅の重さ」の持つ魅力をいっそう強くさせてきた。昨年のつま恋、その前の復帰コンサート、どちらも「今日までそして明日から」が大変印象的な位置づけだった。その原点・背景に「旅の重さ」のような淡々としたロードムーヴィーがあることは重要だ。

昨日の番組でこうせつが「こういう歌を歌っていいんだと思った」と言っていたのは貴重な証言だ。この曲が発表されたとき、「何も語っていない」「こんなのは歌詞じゃない」などといった批判が(専門家筋に)多かったと伝え聞く。それがいまやこの詞に普遍的な価値を見出すと同時に時代性をも(どの時代においても)感じ取ることが出来る。似たようなアプローチで消費されるだけの音楽も多過ぎる昨今とも思うが、それをも肯定したくなる。音楽に謙虚になる。

専門家に薄っぺらい歌と思われた作品が、30年後にひとつの普遍性を持ちえたこと、そして吉田拓郎の音楽が継続して魅力を増してきたこと、これは音楽と個人とのかかわりにおいて幸せな関係だった。この30年は本当に音楽の博覧会だった。それらがスパイラルに作用して、新しい作品に編集(脱構築)されていく。

映画は強烈な固定的イメージに縛られる総合芸術だ。昨今デートムーヴィーとよばれるお安い恋愛映画などの陳腐化は一見早そうに思える。しかし、そんななかにもしかするととんでもなく普遍的な作品がないとも限らない。「旅の重さ」はデートムーヴィーではないが。ある意味当時のアイドル映画といえるのかもしれない。

昔のアイドル映画は、こういう書き方をすると薄っぺらく偏見の塊のようだが(笑)、美少女がちょっと悪いことを体験しつつ成長するみたいな、まぁそういう映画だ。悪(というか不良少女チックな行為)との接近が不可欠!いま“愛”との接近が不可欠なアイドル映画と構造は似ている。だからこそ、普遍的な愛が30年後にも残るいまの日本映画が出てくるかもしれないという期待も当然あるのだ。

「旅の重さ」がDVD化されたいま、次に熱望し渇望しているのは原田美枝子「恋は緑の風の中」だ。東宝なのでどのように働きかければいいのかわからんが、日本の大女優デビュー特集DVDシリーズとか、なにか企画してぜひ出して欲しい。必ず買う!そして劇中歌♪スーパーマンの子ども、子ども、子ども...、ってポッドキャストで歌ってやる(うそ)。

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2008.01.17

斉藤さんは、ホンカツさんか!?

このタイトルの意味わかる人は、おともだち!
このタイトルで笑えた人は親友!

...って、ボクは何を書いているんだろう...。

斉藤さん」ってドラマはなかなか意味深。
ホンカツってのは言わずと知れた本多勝一氏への蔑称です。
ボクはホンカツファンだったので、愛着をこめて使ってますが。
ちょうどホンカツさんが自分のこと右翼だっていうような感じで。

ドラマ「斉藤さん」の斉藤さんの筋の通し方ってホンカツっぽい。
ことなかれ主義を否定し、自らの論理を貫く強さがある。

しかしこのドラマは日本テレビ(読売新聞系)である。
つまりホンカツとは真反対に位置するメディアである。

筋の通し方とはメタ論理的で内容とは無関係だ。
そのディテールが筋の通った論理なのかどうか?
それを注意深く見ていたい。
道徳の押し付けみたいな話になっちゃつまらんからな。

あとミムラはこの若奥さん役がめっちゃはまり役だな!
まさに「いるいる!」って感じの若奥様だ!
だが、その旦那が佐々木蔵之介ってのは異次元(笑)。
このキャスティング。
ただの社会派で終わらない感じがする...。

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2008.01.15

もう一度バブルへGo!

ちょっとまえテレビで「バブルへGo!」をやっていた。前に映画館で見たけど、テレビでもまた見てしまった。BDに録画してホームシアターのスクリーンで。自分、結構気に入ってんねんな、この映画。でも、やっぱテレビサイズって感じはした。映画のスケール感が。バブルって最高!?

Chriparsまえにのだめが行ってたパリの学校を探したとき、♪あのころの写真が一枚出てきたよ。ジーンズはパンタロンでミディのコート...じゃなかった。ゴルチエのスーツにスウォッチのグラサン。バブルだもの。♪いまは、もう、入らない、このスーツ...と。

これは社会人になってからのステージ。六本木のブラジル料理の店でクリスマスパーティをやった。バブルは弾けはじめてた。でもそんな気配はあまり感じてなかった。この店もいまはもうない。

一夜限りのバンド「クリパーズ」のボーカルをやった。クリスマスパーティだからクリパーズ。ギター兼サンタのSとベースのFが写っているけど目線入れといた(笑)。他にドラムと女性コーラス2名だった。

クリパーズだからスイマーズのテーマのパロディをやりたかった。「君とクリパーーーーズッ!」ってさ。でも却下。あまりにマニアックすぎたし。

結構緊張してて一曲目の歌詞がぶっ飛んだ。イントロ始まってるのに。コーラスのO嬢に「がんばろうぜ!」みたいなことを耳元でささやくようなそぶりで近寄って「最初の歌詞なんだっけ?」と聞いた記憶がある。カッコわる!でもいい。バブルだから。

最近、イカ天復活祭とかおやじバンドコンテストとか、あのころのバンド活動をもう一度的なムーブメントがチラホラ。正直もうコンテストなんて出たくない。かといってカラオケも500%つまらなくて行きたくない。

ゆるーい感じでちょこっと楽器弾きながら歌えればそれでいい。もうバブルじゃない。ガツガツやることもない。

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2008.01.12

まがじんメモコーナー設置

ひとくちメモの右サイドバーに「まがじんメモ」を設置しました。
雑誌大好きっ子だったことは前に書きましたけれど、それはオトナになっても変わらないです。

でもいまや出版不況で雑誌も厳しい。
特に雑誌は時の政権に睨まれやすいし。

雑誌は正鵠を射るときもあれば墓穴を掘るときもある(^_^;)。
それは「今」に一番近いメディアだから。

「今」はときに間違えることもある。
でも、「今」があるから未来がある。

そして未来は「今」が創り出す。

「今」このときを、伝えるメディア。
そしてその蓄積が未来の「今」を創り出す。

即時性だけの情報じゃない。
「空気」を大切にするメディアだ。

「今」の「空気」を読むメディアだ。

空気の読めない雑誌は消えていく...。

雑誌に携わるすべての「今」がいとおしい。

「今」、この時代、どこかで何かが起きていて。

それを伝えるメディアの想像力。
それを読む読者の想像力。

真剣勝負で読みたい雑誌。
そういう雑誌が好きだ。

でも、まったりするのもいいけどね☆

まがじんメモコーナーはカラフル!ココログ初期デザインをかたくなに維持するひとくちメモ(笑)に、ちょっとしたアクセントになると思う。月刊誌が多いので毎月表紙デザインは変わるはず。それもちょっと華やいでいいかなと。

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2008.01.11

新年早々ストップオーダー特集号に思う

どーでもいいけど「新年早々」ってタイトル入力しようとして、損年って打っちゃった。縁起悪っ!まーよい。今年のおみくじは中吉。相場は「思い切れ 大利あり」だった。ほんとだろうな!思い切っちゃうよー。損を...。ちゃうがな!しっかし「思い切れ」ってアドバイス、相場を知らんやっちゃなぁー(笑)。

今年の抱負。実家では「某社の社長の年収を超えてやる!」と大見得を切ってしまったわけだが、単年度じゃムリ。まぁボチボチ、コツコツ、地道に目指しますわ。大利はいらん、地道な努力よ。

これまでに3度、大損こいたことがある。3度目はつい先日(笑)。元金は割れてない=損はしてない、と言い張ることもできるけど(^_^;)。人間欲ばると一度得たことのある金額が前提になっちゃう...。そうやってどんどんポジション大きくして失敗するんだろうな。そういう驕り高ぶりにアッパーカットを食らわすような大損は、いまのボクにはいい薬だ。

しかし3度も大損こくと、さすがに学習するな。いやしなきゃ。いや、しろ!損は小さいうちに切れって、いまやド素人でも知ってる。ちょっと前までは「損切りさせようとするのは業者が手数料を抜くための策略だ!」ってマジで怒っていたおバカさん(真のお客さんともいう)がたくさんいた。これホント!いまや大衆も進化している。

Fj2008年01月号ただ知ってるのと出来るのとでは雲泥の差がある。不可抗力で切れなかった損もあるだろう(きっとほとんどの人はそう思っている)。それでも切らなきゃ始まらない。損ってのは大きくなればなるほど切れなくなるものだ。そしてあの時切っていれば...と後悔しながらマージンコールにひっかっかったりするわけ。

新年早々、損損損って話ばっかりしてるけど、今年のFutures JAPAN 1月号の特集は、ズバリ「ストップ・オーダー」だった。定期購読しているので発売日に届く。ちょっとビックリした。

新年一発目だから、もっと景気のいい話すればいいのにと思う反面、逆に新年から雑誌がストップ・オーダーの特集を組める程度に個人の意識も向上してきたということかもしれない。まぁ、毎年恒例のトップ・ブローカー50特集もあるわけだけど(こっちは景気のいい話かも)。

損切りなんて簡単だ。目をつぶって決済注文出すだけだから。でもなかなか出来ないんだねぇ。なんでだろうね?

なんでだろうって考えるときって大抵損切りできずにポジション抱えているときなんだ。だからそういうときはちゃんと考える習慣をつけときたい。そして3度大損こけば、切ったほうが得策だったと身にしみてわかるぞ(笑)。大成功したトレーダーはみんな3度くらいは大損こいてる。そこで学ぶかヤケになるかで未来は変わるよ。きっと。小損を何度も出来るようになることが重要だな。感情なんて宇宙へぽーーーいっ!

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2008.01.10

爽やかアコギデュオ!デパペペ

先日クルマでFMを聴いていたら、なんとも爽やかなギターアンサンブルが流れてきた。いったい誰なんだ!?と思って番組に聴き入った。

どうやら天才ギタリスト押尾コータロー特集らしい。後で調べたら「フラッグ」という番組で、押尾コータローと三浦拓也(DEPAPEPE)とのミュージシャン対談だった。そしてその爽やかな曲はデパペペ(DEPAPEPE)という若手インストデュオの曲だったのだ。いま思い返すとこの対談、めっちゃスゴイ番組だったような気がする...。

デパペペ。「早口言葉みたいな名前だな。実際メンバーの三浦クンもちょっとかんでるし(笑)。いったい何の略なのだ?デパーチャー・ペペロンチーノか?」とかいいながら、しかしそのギターアンサンブルの爽快感に惹かれて即効でCDショップに走った。

しかしCDは置いてなかった...。残念。しかたなく、チャットモンチーのDVDでもないかなと音楽DVDコーナーを眺めていたら!デパペペのDVDがあるではないかっ!どっちもタ行だったのが幸いした(笑)。

そのDVDは「ほろり二人旅2007」というものでロードムーヴィーっぽくデパペペのライブツアーを収めたものだった。バックステージものとかロードムーヴィーが大好きなオレにはバッチリはまったDVDだったのだが、いかんせん曲を落ち着いて聴くためのDVDではなかった...。やはりCDを買わなければ!

そう思って普段はあまり買ったこともない自宅近くの小さいショップにダメもとで行ったら、デパペペコーナーがあるではないか!それもインディーズ時代のCDまでおいてた。バイトのねーちゃんにデパペペファンがいるのかな?

それで買ったのが左上で紹介してるセルフカヴァCD。インディーズ時代のフレッシュな魅力とバンドアレンジによるゴージャス感のバランスがいい。そしてとにかく爽快な楽曲群なのだ。

アコースティックギターアンサンブルというと、ちょっと悲しげな音色だったりしがちだけど、デパペペはポップスでありロックであり、インストを聴いている感じがしない。とにかく明るい。そして美しい。ちょっと感じたのは、フーターズ(オレの大好きなバンドでした!全般的には暗いけど^_^;)のZIG ZAGって曲(これは明るい)のイントロを彷彿とさせた。

ほろり二人旅2007DVDを先に見ていたのも結果的には良かった。このコンビは楽器を持ってなけりゃ、若手お笑いコンビに見えたりしーの、アコギーノ(笑)。そのライブのほほえましさとギターアンサンブルテクのすばらしさ!ストリートからこんなすばらしいインストデュオが出てくるなんて、ホントにかっこいいよ。

世界を目指して欲しい。ギターデュオでこのポップ感覚は新しいよ。最新作ではクラシックのギターアンサンブルをやってたりして。今度ぜひYMOのギターアンサンブルとかやって欲しい。

最後に。押尾コータローの最新作はタイトルがすごい!ネイチャー・スピリットだよ!ネイチャーマニアなら聴くしかあるまい。ネイチャージモンとは無関係だけど、そんなの関係ねぇ!いいものはいい。押尾コータローにナイス・ネイチャー!

あとCDショップで店員さんに尋ねるとき、押尾コータローと押尾学とを間違えないように!まったく違う音楽を紹介されるぞ(笑)。

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2008.01.09

出版不況か…

友人で某出版社役員S氏のブログで知ったのだが、あの草思社が民事再生法の適用を本日申請した。

草思社といえば「間違いだらけのクルマ選び」が有名。ボクも昔はこの本を参考にしていた。定期的に出版でき、しかもメガヒット本でもあり、固定客もいたであろう。このシリーズの刊行が、2006年の最終版を持って終了したのは痛かったように思う。

個人的には「カッコウはコンピュータに卵を産む」(クリフォード・ストール著)が印象深い。当時ハッカーを追跡していく過程をハラハラしながら一気に読み終えた。世界的ベストセラーでもあったから、覚えている方も多いだろう。

書籍は生き物であり永遠ではない。また出版業は水モノでありギャンブルに近い。

前にも書いたが、毎年30万部クラスのヒット本を2,3点ずつ出し続けられるのは超優秀な出版社であり、メガヒット商品を持っていると、どうしてもそれ頼みの経営になってしまう。

出版に限らないが、メガヒットを持つことは諸刃の剣だ。特に情報発信業であるメディア企業にとって、メガヒット商品中心に会社が動き始めると思考が硬直化してしまい、メディアの仕事を忘れてしまうように思う。発想が狭まればジリ貧だ。一度枯渇した沼には、なかなか新鮮な湧き水は湧かない。

本の雑誌昔は本の雑誌社から別冊「活字中毒者読本」なんて本も売り出されてたし、ボクも読んでいた。マンガも文字を追って読んでいた。

活字を追うには想像力が不可欠であり、逆に画像をイメージできるような活字媒体に感情移入できた。現代はネットやモバイル上に文字はあふれているが、それらはもはや体系を持たない意味の断片でしかない。「活字」ではないように思う。文字もレイアウトも美しくないし。それが当たり前になる次世代とはきっと感覚の断絶が訪れるだろう。

そんなギャンブルのような出版業をあえて続ける意味はどこにあるのだろう。「情報を発信したい」という欲求はインターネットを使えばかなり安く実現可能だ。モバイル全盛の現在パソコンすらいらない。ヒット小説もぞくぞく誕生している。

わざわざ原稿をあえて紙に印刷してまたコストをかけて流通させて、そのうえ売れなければ返品され断裁されてこの世から消えていくこの書籍という物体は、書店で常にリスクを背負ってコンテストを受けているようなものだ。デッド・オア・アライブな生き物なのだ。

だがそんなリスキーな生き物であるからこそ、紙に執着する人々がまだ多いのかもしれない。生き物だから出会えなければ二度と出会えないし、買わなければ二度と手に入らない。あなたが購入して読破した書物は、あなたという審査員に選ばれた超ラッキーな入賞者なのだ。はかない偶然の産物がいま手元にある書籍たちなのだ。

この伝統的美人コンテストに対して通信はしょせんヴァーチャルなもの。読み捨てられるテレゴング投票みたいなものだ。お気楽だが確かなモノがない。確かなモノを欲しがる、確かな何かがないと不安になる。それは昭和な感覚だけど、所有する動物=人類の本能でもある。

人類はいま物質(リアル)から精神(ヴァーチャル)への価値の大移動をはじめている。精神が物質を超える日が来るだろうか?「確かなものなんてなくていいんだ!それでもボク、大丈夫!」というコンセンサスが出来上がるだろうか?その葛藤を出版は常に抱えている。

確かな物体を所有したいという欲求に耐えうる書籍であれば売れるはず。ただしメガヒットは狙わない。届けたい人が作り届くべき人に届く。そういうシアワセな関係こそが出版の魅力ではないか。だから“産業”を目指さない。伝統工芸のような業界になっていくのではないかと思う。いつの日か「書籍という物体」がレトロな雰囲気をかもし出す。

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2008.01.08

のだめが行ってたパリの学校

Nodame_schoolのだめカンタービレスペシャルは、なんともヨーロピアーン!欧州にまた行ってみたくなった。何せユーロ導入前の欧州しか知らないから(笑)。

のだめがパリで行ってた音楽学校コンセルヴァトワールって、どっかで見たことあるなぁと思ってアルバムをあさると、出てきましたよこの写真!まさにコンセルヴァトワールでしょ!

この写真はボクが撮ってきたもの。1991年に初めての海外旅行でパリを訪れたとき。アルバムのコメント欄には次のように書いていました。

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ラ・ヴィレットである。英語表記が少なくあせった。21世紀へ向けて開発中のグランドプロジェクトの一環である。この建物は、いったい何だったのかわからない。チケットカウンターやレストランはあったが、大学のような雰囲気で、居づらかったため、すぐに出た。
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というわけで学校っぽさは感じ取ってましたよ!17年前に(笑)。造形の美しさに惹かれてシャッターを押したのは覚えてます(デジカメなんてなかったから使い捨てカメラです!)。

17年ぶりにのだめカンタービレでこの造形美に出会うとは、なんだかうれしいな。欧州が呼んでるような気がする。行っちゃうかな。ユーロ圏の雰囲気も感じたいし。

エプソンのスキャナー付プリンターPM-A840を買ったので、試しにこの写真をスキャンしてアップしました。このプリンターは最高に良い!

スキャナーが壊れてからスキャン画像をアップできずにいたのですが、ついに復活!ソフィー・マルソーの写真集も実家からたくさん送ってもらったので、フランスのソフィーファン諸君、久々にソフィーページを更新して度肝を抜いてやるぜ!と日本語で予告しておく(笑)。

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ひとくちメモ検索パーツを追加

新年なにか新しいことをしようと考えて、ひとくちメモ内検索パーツを設置しました。

これググッて暴想さんのブログで見つけたパーツで、ココログだったらブログ内全文検索が出来ます。

設置してみたら、超快適!

2005年に作られたパーツだなんて!

もっと早く知ってれば良かった!感謝感謝です!

過去の自分の記事を読むのが大好きなので(笑)、重宝します。

これで「ポップンポールが確か昔こんなアホなこと書いてなかったかなぁ...」というウロ覚えからでも、過去の記事が辿れます!

「ネイチャー」とか「アニメ」とか適当なキーワードを入れると検索結果が表示されます。

沈黙のファサード・エンタープライズのほうにも設置しました。

あっちは専門性の高いブログだから「ユーロ円」とか、そういうキーワード検索が出来るのはなかなかGoo!

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2008.01.06

食べ初めは「大」

今年の食べ初めは蕨のらーめん大へ行って来た!

昨年12月にオープンしたばかりのようだ。

ラーメン二郎系の食べ初めは初めてだな。

ハードな一年にふさわしい(笑)。

かなり“二郎”だった。二郎的に美味かった!

だから水を一滴も口にせず、黙々と食べたのであった。

こりゃ何度も通ってしまいそうだ。

最低3回は食べてみる。それが「大」らしい(店内に書いてあった)。

二郎の「二」は二度目の「二」だ(オレの説)。

「大」らしさは、さらにもう一度。

魚粉なりこま切れ豚なりつけ麺なり様式を変えて食すのもアリ。

埼玉はいまやラーメン不毛地帯ではない!

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2008.01.04

2008年も超シンプル!

2004年に紹介した西暦の4つの数字をその順序のまま使って和暦の数字を計算するゲーム。2008年も大変簡単で、ものの30秒で思いついたので、年賀状にもいくつか使った。とりあえず、式をアップしとこう。

2008_h20

こういう年はストレスなく年末年始が迎えられ大変喜ばしいが、若干はりあいもない...。この式作成愛好家をネットで探そうとするのだが、なかなか見つからない。

このゲームは、子どものころブルーバックスで読んだ記憶があるので、愛好家がいるはずなのだ。そもそも西暦、和暦、計算などで検索すると換算表ばかりがヒットしてしまう。どっかにあったら教えてください。

以下、支離滅裂な余談です...。もっとほんわかした新年の話はまた後日(^_^;)。

ことしは重要な年だ。1988年から20年後の世界である。1980年代末期から2010年初期へという大きなうねりの節目と考えている。

正月にはいくつか本を読んだが、本上まもる志紀島啓)さんの新書「ポストモダンとは何だったのか」が面白かった。後半はちょっとタルいけど、前半はコンパクトにまとまっていて、あのころの“気分”を思い出した。

実家で読んだというのも大きかった。高校時代は受験勉強もせず、ポストモダンな雰囲気を身体いっぱいに感受して生活していた。バブルに浮かれた日本だったのかもしれないけれど、バブルの真っ只中ではバブルだなんて思っていないし、そもそも音楽狂いの高校生にバブルがどーのこーのという話は関心なかった。ただ自分自身がスキゾキッズであるという自覚のもとに生活していた。

その後、上京して柄谷行人氏のシンポジウムなぞを聞きに行っていた。ポストモダンを思想でなく気分として吸収していたオレだから、いま思うとそのあまりに“ポストモダン的”構造にドップリはまっていた様が我ながらかわいい(笑)。

そんな日本もいったん落ちるところまで落ち、2008年まで来た。当時4万円台をつけた日経平均も、さっき新幹線のなかで見たニュースでは終値が1万4千円台だった。景気の第5局面を示す現象はジワジワと進行しているかのようにも見える。

ボクはサラリーマン社会を新しい奴隷制度の始まりだと位置づけている。法人という人格だけを持った冷徹な現場監督のもと働き、主(あるじ)として存在するマネーゲームの主要プレイヤーの顔は、奴隷(サラリーマン)には見えない。

奴隷の自由に移動する権利や所有する権利などは付加されたように一見思えるが、会社都合で住む場所も限られているサラリーマンもいる。所有する権利はあるが、それは消費者という構造のなかで富の一時預かり(循環の一部)みたいなもの。あたかもトランプゲームを楽しんではいるけれどゲームの本当の価値としてある資産の移動を伴わないような。表面上ゲームそのものを楽しんでいるだけだ(そういう幸せもある)。消費者に本当の価値は所有できない。職業選択の自由も怪しい。「やめたきゃやめろ。労働力は他にいくらでもある」という労働力の流動化が加速している。

最後に残るのはガラガラポンの階級闘争だ。階級を昇る自由を格差社会推進派は必死になって阻止しようとし始めている。格差の確定は階級の確定であり、逆転不能な労働力を再生産するシステムの構築に躍起だ。闘争する気力すら残さない徹底した格差にしたいのだろう。

進化した奴隷制度の社会は、ある人々にとっての自由主義社会の完成であり、その安定のなかで資本主義の競争原理を働かせたいのだと思う。資本主義が歴史の終わりであるためには格差拡大ではムリで、格差確定を目指さなければならない。持たざるものは意志すら持つ必要がない社会...。アメとしての消費者に育ってもらう、奴隷の自由を甘受してくれるサラリーマンのご子息(ただそれがグローバルな闘争となってくると、国家総崩れの危険があるのがいまの日本で、売国奴的特権階級は一足お先に逃げていくだろう)。

ポストモダンな世界は物質的に満たされ、ともすると欲望まで与えられる世界の実現だった(「ほしいものが、ほしいわ」)。それは物質的な充足を前提にしていたが、消費者と奴隷の永遠の循環を目指したい人々に利用されてきただけだったのかもしれない。

これって神の視点に似てる。ギリシャ神話の神が下界を見ながら、ちょっと雨を降らしたり風を吹かしたりしながら、人々の行動を楽しんでいる様によく似てる。大衆を生かさず殺さず、ゲームのなかに取り込んで満たされた生活を送っていれば、戦争もひとつの遊びとなるだろう。それもまたギリシャ神話な世界だ。

いま奴隷を選ぶか死を選ぶかという問いに、オレはマネーゲームのプレイヤーという第三の選択をしようとしているスパルタカスだ(>_<)V。「ポストモダンとは何だったのか」を読んで、この思想を相場のなかに取り込めないだろうかというアイデアが浮かんだ。第三の道としてのポストモダンは、オレにとって相場だったのではないかと。

個人の立ち位置としてこれは大変ラディカルだと感じたりして、2008年(景気の第5局面、第6局面へ向かいはじめる年)の元旦にふさわしいキーワードとしてのポストモダン=相場を追求していきたいと思った。わけわかんなくてすんません!アホでんねん!シュルレアリストでんねん!

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