発想の転換!じたばたロボ
学研の「じたばたロボ コロボット」が発売一ヶ月あまりで1万体以上売れているそうだ。今朝テレ朝の「やじうまプラス」にゲスト出演(?)していた。
その名のとおり、転びっぷりは鉄板芸人のようだ。アナウンサーが「借り物ですから!」とハラハラしてしまうくらいよく転ぶ。確実に転び、確実に笑いを取る。そのうちコロボットをマネするモノマネ芸人が出てきてもおかしくない(若くないと身体が続かない芸だが!)。100体あつめて吉本ロボ喜劇っつっていっせいに転ばせてみたい!
それにしてもモーター一個とは...。あんあんに触発されて21世紀のロボットをいろいろ見てきたが、モーターを細部に使った高度な二足歩行ロボットに驚いてきた。その真逆にあるのがコロボットだ。
しかし、私が中学時代に作った予測不可能な動きの弱弱4足ロボットに、技術のコワモテ先生が大爆笑した経験はコロボットの系譜につながる。ロボット文化はこちらの道も進化しているというわけだ。
開発費を抑えるためにモーター一個にして、その不安定な動きを「転ぶ」という行為の面白さに結び付けている戦略はさすがだ。学研には雑誌「科学と学習」の歴史があり、その精神を受け継いだモノづくりを“やってみる”、“売ってみる”という気風がある。
もちろん大失敗作もあるのだろうけど、失敗も成功も表裏一体。安く作ることでリスクを回避しつつ、その安さを価値に変えるというまるでピンク映画製作なみの苦労がありそうだ(^_^;)。しかしそういう現場だからこそ発想が生まれるのも確か。
●逆転の発想が生まれる場所
私も昔自主制作映画の真似事をしていて、この制作費はきっと戦争映画の機関銃1つの製造発注費より安いんだろうなって思って自虐的に笑ったことがある。それでも作品は作れてしまうし、脚本によっては映画として成立し、楽しんでもらえる(...こともある ^_^;)。
スタジオは使えたがセットを作る金銭的余裕がなかったから、そのスタジオまんまを核シェルターに見立てた人間ドラマをやったこともあった。
頭で考えるのは無料だ。モノづくりではこの無料で出来る思考作業に価値があり、それはサラリーマン的な時間拘束の中では生まれない(でも商品だから締め切りは必須です!)。会議ばっかりやってる会社に未来がないのは発想の源泉を自ら埋め立ててるからだ。ため息を捨てよ、街に出よう!ってとこだ(笑)。
ブレストがうまくいくためにはブレストに入る前準備がもっとも重要で、準備(モチベーションと思考)があるから、ブレストによる他者とのコミュニケーションが掛け算になっていく。ダメな会議は足し算ですらなく、実は引き算なのだ(笑)。あーでもない、こーでもないだろ。せめて、あーでもあり、こーでもあるって考えなきゃ。
私には「動詞で世の中を眺める」というクセがある。モッフルの“挟む”という行為を、なんて根源的かつアナーキーな行為なんだろうと思ったり、出荷作業をする流通現場最前線を見て、“積む”という行為に開かれたフロンティアの幻影を見たり(アホです!)。
これらの動詞をひとつひとつ確認しながら世の中を眺めると、世界がものすごく新鮮なのだ。そしてロボットという存在はこの動詞をいちいち確認させてくれる。
コロボットの“転ぶ”は“歩く”以上にアクティブであり、慣性という地球(ガイア)に包まれた行為だ(アホです2!)。そして“起き上がる”。起き上がった先には転ぶ未来が待っているというのに(アホです3!)。
形容詞で見る人は非常に多い。やれキレイだの、かわいいだの。だがそれはその場限りの感想でしかない。形容詞は消費者側の感想であり統計対象にしかならない。皆さんもぜひ、世の中を動詞で見て欲しい。きっと発想が変わる。なぜなら、面白いから!
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コメント
コロボット、実物見ると結構萎えます…。
私は面白さがわからなかったです。
投稿: あんどう | 2007/12/29 19:53
そりゃそうだよ。F1見慣れてるのにキャラメルのおまけF1を見てるようなもんだから。そんなレンジの広さはホンモノ志向の人には必要ないっすから大丈夫。
投稿: ポップンポール | 2007/12/29 20:38
サンタのうちの息子へのプレゼントがこれ、転びまくりのロボット。
速攻で子どもらが組み立てて。。もう笑うというより可哀想になってくるくらい見事に転び、そして立ち上がり、転びます(^^;
人生もこうでなくてはいけないという親へのサンタからの教訓なのでしょうか。。
投稿: くっきも | 2007/12/30 00:46
七転び八起き...。モノの見方は感受性の表れですからね。お子さんはきっと何かを感じとって大人になっていくことでしょう!
スケートリンクでコロボットを試したりしないようご注意を(笑)。
投稿: ポップンポール | 2007/12/30 01:42