特攻精神から天皇制へ向かうあべちゃん
台風明けで超暑いようなので、仕事に出かけるのやめた(笑)。オレは菊次郎以下のズボラ人間だな。さっきまでドラマ「菊次郎とさき」の録画を見ていたが、ちょっと泣けた。今回の「菊次郎とさき」はかなり良く出来てると思う。始まった頃は毎週上書き録画していたが、途中から全部残すことにした。
小学校で読み書きも習えない時代が事実としてあった。その時代からすれば現代は識字率もほぼ100%に達するだろう。教育の恩恵は基礎学力の獲得にこそあることを思い、この国の教育にあらためて感謝したい気持ちだ。学校教育は大嫌いだけどね(笑)。
北欧で応用学力が高いのは、幼年時の読み聞かせ文化の影響が大きいという。外部から入ってくるコトバを論理的に処理する脳回路の生成に寄与しているのだろう。その時点での回路の出来不出来はその後の環境要因以上に重要だ。環境から得られる情報もその回路を通して理解される。まさに鉄は熱いうちに打てというわけだ。
文字が読めなくても仕事を持ち家庭を持ち、菊次郎は生きていけた。高度情報化社会で文字は読めるけど仕事も家庭もない若者が増えているのはどーいうわけだ?文字があったって意図が伝わるとは限らない。逆効果になることも多々ある。ネットの書き込みを見れば一目瞭然だ。
あべ首相は大敗しても一歩も引かない特攻精神で改造内閣を作った。しかし実力が伴わないリーダーシップは醜悪だ。死に体内閣とも言われ始めた。この人、論理的思考能力とか情報発信力とか統率力とか、なにもかも持っていない。あるのは家柄だけか(笑)。大臣の更迭さえもあべ抜きで決まっていく。
しかしこの状況は天皇制に良く似ている。あべを祀り上げて実務は他の政治家が執り行う。責任はトップに押し付ければ済むので、やりたいように動ける。トップには実権がなく見せかけの権威だけが存在する。責任逃れの日本らしいヒエラルキー構造だ。こういうときのトップは家柄や閨閥がモノを言う。
天皇制システムのもっともまずい露呈の仕方がこれだ。皇軍も腐れ企業も大概こういう形骸化したトップをスケープゴートにして組織を蝕む。巧妙に権力の在り処を偽装するため、天皇制に文句を言う者には天皇を守るフリをしてバッシングを浴びせながら自らの保身に全力を注ぐのだ。揺らがない権威を盾に狼藉を働くチンピラ集団こそが天皇制システムの特徴といえる。
あべは特攻精神から天皇制システムへと着実に戦後レジームからの脱却(後退ともいう)をはじめている。個人的に(笑)。だが揺らがないはずの権威がガクガク揺らいでいるところにあべらしさがにじみ出ている。閨閥すら満足に使えないボンボン政治。祀り上げられることすら出来ない。
人を見る目が決定的に欠けているあべちゃんといわれるが、そんなこといっちゃアッキーがかわいそうだよ...。見る目がない人に選ばれた妻なんて!ま、選んだのはあべちゃんじゃないのかもしれないが。政治の目以外はあるのかもしれないし。あのカメラ目線ができるんだから。
この調子で教育も改革するなら、いっそコトバを教えることをやめ、日本人の識字率を下げていくほうがあべの性に合っているのではないか。そうすれば格差は決定的なものとして定着すること間違いなしだ。コトバを学びたければ軍隊へ入れという具合に。軍隊には指揮命令系統を徹底するために教育が不可欠だからな。これが美しい国を作るためのボクの教育提言だ(笑)。
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