刑務所の王
運命論を信じない私でも、井口俊英著「刑務所の王」を読むと、井口氏はこの著作を書くために運命に選ばれた人だったのではないかとすら思えた。すぐにも映画に(それも大変面白い映画に)なりそうな男の半生記だ。
著者の井口俊英は、大和銀行時代に大損失を与え、その隠蔽によって逮捕された。そのときの顛末記「告白」を獄中で記し、世に出して話題になった。「刑務所の王」はその拘置所でたまたま知り合ったものすごい男、ジョージ・ハープの物語だ。
茶木則雄氏も文庫本末尾の解説で運命の不思議さを語っておられた。運命論的に考えれば、私も相場に関わりのない人生を送っていれば出会わなかった書物であった。ディールにまつわるリスクについて考えていたとき多くのなかの一冊としてたまたま「告白」を読んだ。もしその文章に惹き込まれなければ、確実に「刑務所の王」を読むこともなかっただろう。
「告白」に出てきたジョージは、読者にとっても大変興味深い人物として描かれていた。加えて井口氏の観察眼や筆力の卓越さが「刑務所の王」を読み物として第一級品としている。いくつもの偶然が重なって、これほどまでに面白く、そして時代を切り取ったノンフィクションとしても価値ある作品に仕上がったのだろう。
アーリアン・ブラザーフッド(AB)という実在したプリズン・ギャングの創設メンバーとしてただ一人の生き残りジョージ・ハープ氏が井口氏に語った半生は、そのまま人種差別のアメリカ、公民権運動のアメリカの刑務所で通算30年以上生き抜いてきた人間の記録だ。
そこは戦場であり、殺るか殺られるかしかない。世間のルールが通用しない世界でどのようにギャングが形成され影響力を及ぼしてきたのか、獄中で彼らは何を考えどのように行動してきたのかが、大変細かく記されている。
獄中で犯罪者は更に犯罪を重ねるしか生きる道がない。無期懲役の者が殺人以外の更なる犯罪を犯しても罪は問えない(というより量刑をいくら追加してももはや無意味)。罰があるだけだ。そこにはそこの暗黙のルールがあり、そのルールを侵せば死が待っている。娑婆に出ては生きられない野獣の世界がそこにあった。
17歳でウィスキーを盗み、仲間をかばって罪を被ったところから、ジョージの運命の糸は解くことが出来ない深みへと嵌っていく。野獣の掟に従うことがここで生きる知恵であり、厳格にルールに従うことで死なずに来れた。だがその代償として気が付けば66歳を過ぎてまで刑務所暮らし。
行くも地獄戻るも地獄の人生だが、翻弄されることなく信念を曲げないジョージの生き方は、あの時代の刑務所という野獣の世界を超えてひとつの生き方の手本にも思えた。複雑な現代社会においては、誰もが囚われの身である。小賢しい連中の多い社会において、誠実・信念・侠儀とは何かを気付かせてくれる。
このような環境で生き抜いてきた男というのは、それだけで文学的価値がある。どのような世界にもその文化を語るにふさわしい人間がいるもんだ。そしてこの物語を「日本語で書くなら」という条件のもと井口氏に託されたということに、奇跡の運命を感ぜずにはいられなかった。もっともFBIはこの書籍を入手しすべて翻訳したそうだが...。
文庫版442ページにある2000年ミネソタ刑務所でのジョージ・ハープ氏の写真は更に説得力を持つ。還暦を越えてなお強靭に鍛え上げられた肉体は、過酷な刑務所の王として君臨した証しかもしれない。
そのジョージ・ハープ氏の言葉で井口氏にも生きる力を与えた言葉がある。
“What doesn't kill you will make you stronger”
「何があっても死にさえしなけりゃ、すべて人生の糧になるさ」
いま、無意味に自殺したり殺したりする日本人も多い。飾りの一切ないプリズンギャングの世界で生き抜いてきた男から得ることもあるように思う。相場に生きる私にとっても、この言葉は大変シンプルに心に響いた。先日ブザマに首相を辞任した安倍晋三氏にも、同郷のよしみでこの言葉を送りたい。
これから井口氏の奥さんである井口明美さんが書かれた「マーメイド」を読み始める。「告白」「刑務所の王」「マーメイド」は三部作といってもいいだろう。ザッピング感覚で読みたい。ジョージとの交友も続いているようだし続編もアリでは?平穏な日常でも作品になるとすら思う。対談でもいい!
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