インド式秒算術の教え
ドラマ「受験の神様」に出てきたのは旅人算でございますが、ホンモノの旅人は自由気ままで、あと何キロを何分で追いつくとか、そういう細かいことは考えねぇもんだ(笑)。するってぇとオイラには追いつき算てぇほうがしっくりくるねぇ。
追いつき算てぇのは、いわゆる和算(江戸時代に発達した日本式計算法)の一種なんだな。日本の伝統を身近に感じて頭も柔らかくするには、小学生から和算を採り入れるのもよさそうなもんだがどうなんだろうな。その一端が旅人算の受験問題化なのかねぇ...?
さて、そんな和算の現状とはまったく無関係に、いまインド式算術がブームのようだ。いまやIT立国といえばインドを指す。「インド人もびっくり!」は遠い昔、現代日本ではいまインド式にびっくりしているのだ。
かくいうワタクシも先日平積みのインド式算術本をパラパラ見比べて「魔法のヴェーダ数学が伝えるインド式秒算術」(日本実業出版社)を購入した。
「はじめの公式」と呼ばれる2ケタの掛け算の初歩は、立ち読みして思わず笑みがこぼれた。面白い!確かに2秒で計算できた。
もちろん「はじめの公式」は初歩の初歩だけあり、使える二桁の数値が限定されるのだけど、こういう導入は、算術がオトナにとっての娯楽になり得ることを証明してる。まさにキャッチーな計算方法だった。
だんだん読み進めて行くうちに、日本の学校でならった筆算(ひっさん)に慣れている頭には、ちょっと苦労する。どっちでも解ければええやないかと思ったり(^_^;)。
しかし、このインド式秒算術というものを、もうすこし比較文化的に捉えて考えてみると、算術というものは同じ答えを導き出す別の解法であるということに気が付く。
旅人チックにいえば、エベレストとチョモランマ。最高到達地点は同じでもどっち側から登るかの違いってことだ。もっと現実的なところでは、これは業務の手順化の違いということだ。
手順化とは現状をロジカルに把握し最善手を考えることだ。そしてインド式算術は、「計算」というゲームにおける最善手を一般化しようとしている。もちろん日本の筆算も同様だ。
つまり、
個人の最善手=ロジカルで正しい手法×慣れ
という公式が成り立つように思う。どんな手法でも慣れていればそれなりにストレスなく計算はできるわけだ。それが個人の最善手となる。両手の人差し指2本だけでタイプライターをすばやく打てる人は10本指で打てるようにならなくてもいいだろ。それに似てる。
通常は慣れの影響が絶大なので、手法の違いは無視されやすい。だが真の改革(笑)は、手法に手をつけなければ真の成功はないわけだ。計算ゲームで他者と秒速を争う場合(あまりない場面だとは思うが)、最善手には手法の差がモノを言うと思う。
インド式が手法として最高なのかどうかはわからないが、魔法でないことだけは確かだ。物事の手順を構築していくうえで、インド式たすき掛けとか割り算の公式などは示唆に富む。
インド式算術から学ぶべきは、インド式を丸暗記することでなく、数字そのものの性格を知り扱い方を考え、数字と数字との関係性を発見することにある。
日本の筆算や解法も知っている我々日本人は、インド式算術という優秀なカウンターカルチャーを知ることで、さらに理解を深めることが出来るのだ。
2つの解法で同じ答えが出ることを知り、その違いの根源を探る。子どもの頃からこういう体験を積めば、画一化教育から一歩踏み出すことができるかもしれない。
正解を出すことがゴールじゃない。もっと深く、アプローチの方法とプロセスの違いを発見し理解することこそが学習なのではないか。全国学力調査のような発想じゃそういう頭脳は育たないのだ。
話が大きくなりすぎた。面白ければそれでいいとも思う。だが語ることも楽しみのひとつなのだ(笑)。
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