サドベリーバレースクール
米国マサチューセッツ州ボストン近郊にサドベリーバレースクールという学校がある。グリーンバーグ夫妻が自分たちの子どもを行かせたい学校がないから作っちゃおうと1964年に思い立ち、1968年に開校した私立学校だ。
徹底した民主主義教育を行う(学校予算の議論に生徒も参加する)ことや、画一的なカリキュラムも定期テストもなく、生徒は自ら学びたい内容を自分で考え、それを学校に伝え、先生と契約を結ぶシステムなど、大変特異な学校だ。
ボクは1997年ごろ、この学校を日本に紹介された大沼安史訳の「『超』学校 これが21世紀の学校だ」で知り、本当に感動した。いや自分自身の学校生活と比較して嫉妬すらしたのだ。そしてサドベリーバレースクールを勝手にリスペクトするページってサイトも作ったりした。
この書籍は1996年初版でもう10年以上経っており絶版となっていたようだ。しかし昨年、新たに卒業生のその後などを加筆して、「世界一素敵な学校」とタイトルも変わり、別の出版社から出版されていたことをさっき知った!
いやーよかったよかった。この書籍が日本語で読める間はまだ希望の灯は消えない。大沼さんナイス!
訳者の大沼さんとはこの書籍がご縁でその後何度かお会いした。そのときボクは若造で失礼ながら、「超学校」ってタイトルは誤解を招く(“超”って付くとちょっとトンデモ本っぽいでしょ^_^;)って意見していたのだ。
その後、日本でもいくつか新しい学校制度の提案があった。バウチャー制やチャータースクールもそのひとつだ。推進団体に誘われたこともあったが、それらはサドベリーバレースクールとは似て非なるものだったのでお断りした。サドベリーバレースクールは21世紀の現代日本においても夢のまた夢だ。
多様な選択肢という意味ではバウチャーもチャーターもあっていいと思う。日本では全国学力テストを任意参加でやるといっても、犬山市以外右へならえで参加してしまう貧困な教育国家だ。それが民度に現れる。学力は高くてもただそれだけだ。
高学歴高校生の親殺しが昔から絶えないのも、ハインリッヒの法則が当てはまると私は見ている。この法則は労働災害の法則で、1つの大惨事の背景には29の事故があり、その背景に300の小さなほころびがあるというものだ。
学校という閉鎖空間での苦役にあてはめるならば、1:29:300の1がいわば親殺しであり、その背景にはさまざまな事件や軋轢が存在する。それは学校システムの問題もあるだろうし、ヒューマンエラーも存在するだろう。
何事も杓子定規にはいかない。だがシステムの更新、ヒューマンエラー防止の手順再検討など出来ることはすべてやるという姿勢が学校教育にあるのかどうか。これは現場ではなく、行政の意志そのものを問う問題だ。
どんな事故もほとんどの場合、現場に原因はない。これも労働現場、とくにサプライチェーンの研究で明らかだ。原因となるシステムに手をつけず、全国学力競争に明け暮れるしか能がない教育には絶望しかない。
そんな日本でも、サドベリーバレースクールの存在を知り、日本を脱出しようとする家族が出てくるかもしれない。日本の教育を変えたいという運動につながるかもしれない。そういう希望の灯となる書籍が消えてなかったことを知った記念として紹介してみた。
追記)-----
まえにもひとくちメモでサドベリーバレースクールに2回触れてたので、記事にリンクしときます。検索エンジンって偉大だなぁ(^-^)。
家庭でテストの復習してますか?
一生親ばか道を貫こう!
| 固定リンク | 0
コメント