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2007.06.16

全国学力調査の貧困なる精神

貧困なる精神って、おれはホンカツか(笑)。「学力調査の中3記述式、採点難問 ×が○に、作業も中断」って記事を読んだ。簡単に言えば、正答・誤答の境界があいまいで、右往左往しているって話だ。さもありなん...。

記事で面白かったのは採点現場のこの部分だ。

(引用)-----
あらかじめ示された正誤の基準にない解答がいくつも出てきて、○×の正誤例が次々と張り出された。判断に迷う場合は、採点会場に配置された責任者の「リーダー」に確認する仕組みだったが、リーダーが代わると判断が変わるなど、作業は何度も中断したという。

 前日まで誤りだった解答例を「正解にする」と指示され、同じ問題の採点者同士で「マルでよかったのか。ずいぶんバツにしちゃったよ」と顔を見合わせたこともあるという。
-----(引用)

この学力調査が自分の査定にも響くと考える全国の教育関係者にとっては、このいい加減さがたまらなく腹立たしいかもしれない。でもそこが面白いんじゃなく、あらかじめ示された正誤の基準にない解答がいくつも出てきてというところだ。これは大変興味深い。

子どもたちの想像力の幅広さが文科省の想像力を超えているという側面と、間違いこそ最高の教材であるということに気付かず、まったく教育的価値を見出せていない大人たちの想像力のなさが面白いのだ。

そもそもテストなどというものは、間違い(あるいは弱点、あるいはボトルネック)を見つけ出し、徹底活用することに意義がある。それは学習者自身(受験者)にとっても、テストする側にとってもだ。

振るい落とすための“テスト”はジャッジメントだ。今回の大規模な学力調査に必要な視点はジャッジメントではなくテスト、あるいはリサーチだったのだ。せっかく学力“調査”って名づけてるのに残念!

学習者個人にとってテスト結果が良いか悪いかなんてのはさほど重要ではなく、そこで何を考えて答えを導き出し、その答えの正誤を知ったら、そこからまた何を考え学んでいくのかという、学ぶスキルの獲得にこそ意味がある。そういうスキルが身に付けば、使う場面は国語や数学でなくてもいい。逆に自分で得意分野を探していけばいいのだ。いくらでも応用がきく。それが論理的思考力につながる。

リサーチする側にとっては、間違った答えのバリエーションがどれだけ集められ分析できるか、いまの教育の何が成功し何が欠陥であるのか、それを見つけ出すことに意味があるのだ。いわば文部科学省自身の政策こそがジャジメントされるべき対象だったのだ。子どもの解答(特に誤答)は、すばらしいサンプルデータ(テスト結果)のはずなのだ。

それを正誤にばかり気を取られ、白黒ハッキリさせることに腐心する。他の自治体より1点でも平均点を上げようと躍起になる。みごとにまぬけだ。もっとも独創的な答えを書いた生徒を表彰するくらいしてみろってんだ。

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