1976年のアントニオ猪木
1976年、あんときの猪木は、確かに時代を変えた。
1976年とはアントニオ猪木が紆余曲折があったものの異種格闘技戦をはじめて戦った年だった。モハメド・アリに挑戦状を叩きつけ、それがニュースとなったのを見た柔道オリンピック金メダリスト、ウィリエム・ルスカと“プロレス”をやる。これが初の異種格闘技と銘打たれ、ここから怒涛の格闘絵巻が繰り広げられていくはずだった...。
だが、その後の異種格闘技戦、モハメド・アリ戦、パク・ソンナン戦、アクラム・ペールワン戦、それらはプロレスとリアルファイトとの狭間を揺れ動き、関係者の生活を変えていく。
このノンフィクションはアントニオ猪木を描いているようで、実は猪木を触媒として登場させてるところが斬新だった。猪木という名の運命の糸に絡まれた人々が、猪木によってどれだけの変化を余儀なくされていったのか、そちらがメインなのだ。
アントニオ猪木には「風車の理論」と名づけられたプロレス(興行)哲学がある。風(対戦相手)の力に抗うのではなく、その力を受け入れ利用して勝つ。あるいは弱い相手の力量を読みきり、相手が3の力しかもってなくても7,8の力があるように導いてやり、相手の輝きがピークに達したところを更に輝いた自分が勝つ。シナリオライターとしての猪木はまさに天才的なセルフプロデューサでもあった。
そんな猪木と“プロレス”をやれば、どんなレスラーでも輝くことが出来る。だがルスカ戦の後の初期異種格闘技戦で戦った前記3戦は、“プロレス”の枠が幸か不幸かあいまいになり、その混沌のなかで戦うことになった彼ら自身や周りの人々、そしてアントニオ猪木の人生も変えていく。
1976年の異質なリング体験が、観客にとっても、今日の格闘技興行の隆盛につながっている。そして筋書きのあるドラマのほうがみんな幸せだということもまた事実だと感じる。
マジックのタネは明かされないし、明かされないからこそ楽しめる。見え透いたタネのマジックなんて誰もカネ払って観に行かない。猪木はそういう時代の転換点を作ったひとりだといえそうだ。そういう意味では、現在の格闘技はマジックから進化したマリックの世界かもしれない。
アントニオ猪木の魅力は清濁併せ呑む生き方にある。清廉潔白な優等生には魅力がない。だが、すぐに他人を殺傷してしまうキレた人間にも魅力がない。猪木の持つ色気とは、人間的な弱さも大胆さも巧みさも稚拙さもすべてアントニオ猪木という宇宙のなかで融合させ、窮地に追い込まれてもなんらかの奇抜なアイデアで周りを巻き込んで、ともかく前進してしまうところにあると思う。プロレスが八百長か否かなんてレベルはとうの昔に超越していたのだ。まさに元気があれば何でも出来る状態だ。
どんな人生も一度きりだ。猪木を見ているとついそんな当たり前の感想を抱いてしまう。
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