格差社会を背景にした物語
先週とどいていた上野樹里と沢田研二ダブル主演映画「天国のスイッチ」を今朝見て、その流れで昨夜ブルーレイに保存していた長澤まさみと滝沢秀明ダブル主演ドラマ「ロミオとジュリエット-すれちがい-」を観ていた。結論から言えば天国のスイッチが勝ち。
それにしても、日本テレビは「たったひとつの恋」のときも今回のドラマも、格差拡大社会肯定ドラマが好きだな。そして必ず男のほうが底辺なのだ。
日本テレビは昔からそういうところがある局だった。貧しい大衆が好きな局だった。24時間テレビもアメリカ横断ウルトラクイズも、とにかく大衆のストライクゾーンを狙っていた。そして成功していた時代があった。読売新聞という大衆ゴシップ紙の宿命から逃れられないのかとすら思ったものだ。
しかし世の中が読売的価値観から放れていきそうになった。それがバブルだ。高度成長とは貧しさからの脱出であり、その先にバブルがあった。それはポスト読売的価値観の世の中に思えた。しかしバブルはあっけなくはじけ、長期不況へと時代は進み、コイズミ・あべ政権によって新たな脱出策が練られた。それが格差社会だ。
そのような日本のなかで、読売的価値観がまた台頭してくることは必然かもしれない。格差肯定路線。格差があっても愛は永遠みたいな。そういう宣伝を美しく流布させることで、底辺を納得させる。ジャイアンツもそのうち人気回復するかもしれない。
一方、「天国のスイッチ」は松下電器協賛だ。こっちも高度成長期の日本社会の一翼を担ってきた企業だ。そして大店法によって窮地に陥った中小店舗や地方商店の苦悩をもっとも良く知っている。
安田真奈監督は松下でOL経験があり、特約店と地域社会との密着を肌で知っていた。その後のきめ細かい取材とあわせてこの映画を完成させた。地味だが味わいのある等身大の映画といえる。映画館初日で観たときと今回ホームシアターで見たのとでは、今回のほうがこまかい演出まで含めて楽しめた。
格差社会は人為的に作られていく。そのなかで幸せを見つけていくしかない。それは日々の生活をいかに生きるかの選択であり戦略である。そこでいったいなにに影響されるかは重大だ。たまたま同時に見た2つの物語で、そんなメタドラマなことを考えてしまうオレは幸せなのか...(笑)。
それは昔観た映画「ホテル・ハイビスカス」となぜかこちらも長澤まさみ主演「涙そうそう」とに感じた違和感にも通じているように思えた。
上野樹里と長澤まさみ。どちらも有望な女優だ。しかし作品にめぐまれているのは、圧倒的に上野樹里だと思えるのは、単にオレの嗜好性の問題だろうか?上野樹里の映画はいまのところ全部DVDを購入している。だが長澤まさみの場合は、そこまでの購買意欲につながっていない。それはひとえに作品の質が原因だと思えてならない。「タッチ」はメイキングの「まるごと180分長澤まさみ」のほうが楽しめた。
女優は作品で成長する。方向性としてテレビタレントになるか女優になるかの境目は出演した作品力にある。そこは本人だけでなく、環境要因といえるだけに、才能あるつくり手が必要だ。ある意味そこにもっとも格差を感じるいまのショウビジネス界ではある。
| 固定リンク | 0
« あいぼんとうとう | トップページ | 夢の対決! »
コメント