タミフルに思う危機管理
インフルエンザの薬タミフルを処方された子どもたちが次々とビルから飛び降りている。恐ろしい話だ。どんな病気も死んだら直る。そういうことなんだろうか?ようやく10代への処方は禁止されるようだが、走ってビルに登れない10代未満の幼児なら後遺症が残ったりしないのだろうか?
命にかかわらなくても、こういう後手後手の対策というのはよくおきる。「危機管理」が話題となり書籍もいくつか出ている。最近ではANAの胴体着陸成功ニュースがあったが、胴体着陸を完璧にこなしたパイロットの優秀さと本来の危機管理とは次元の異なる話だ。
タミフルと自殺との因果関係を立証するのは難しい。そんな直線的に相関性を持つ危機のほうが少ないのが世の中だ。食べ合わせがあるのかもしれないし、生活習慣のなかに関連性があるかもしれない。
それらを発見しようとする努力は学者の役割だが、現実に対応するのは行政の役割だ。それなのにこの両者が不幸な合体をしたとき、物事はマイナス方向に動き出す。
タミフルの成分や単体での人体への影響をいくら研究しても、人間という触媒を通したあらゆる可能性との因果関係はわからない。またその発見には時間がかかる。そういう原則を横において、現段階での成果だけを基準に薬を使うには、リスク開示(行政責任)とリスク管理(自己責任)がセットでなければならない。
こういう物事の連続性への想像力が断絶しているのではないかと思うことが日常増えてきた。なにか事故があったときに対症療法で現場を何とかしようとするが、原因はほかにある場合が多い。それをTOC理論ではボトルネックというが、連続した業務なり手順のもっとも根本原因を突き止めなければ、改善できずに負のスパイラルから抜け出せないことが大変多い。
これは情報化社会の宿命だった。人間は情報から判断するが、その情報が細分化され増大され捻じ曲がっているために、受け手側の判断も予測不能だ。情報リテラシーが低い人々はちょっとしたパニックに陥り思考停止してしまう。物事の連続性を考えることは労力とスキルが必要だ。日本で生活していて、その訓練の場はどこにもない。自分で意識して訓練するしかない。高度情報化社会を情報断絶が蝕んでいく。なんとも皮肉なものだ。
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