今日が新年!
ダジャレかよ!というわけで、年賀状はついに年末までに書けなかった(まだ書いてないし...)。年賀メールってものがあるので、メールで送れる皆様にはさっきちょっと送ってみた。モノグサ太郎にはいい時代だ。
「あけましたがおめでたいですか?」という年賀状を出していた数年前ほど病んでない(笑)。精神的にずいぶん優しくなったかも。コイズミ政権時代はアジテータが跋扈する暗闇の時代だったからなぁ。だが決して明るい未来が待っているわけじゃない。
安倍政権がいかに張子の虎だとしても、この国の危機は着実に増している。格差社会って言い方はなまぬるい。奴隷化社会というべきだ。資本主義の輪廻転生。奴隷化社会は奴隷社会よりも巧妙な奴隷化人間を作る。それが進化というもの。
安倍ちゃんはすぐに成果が出る年金問題などには取り組まない。結果が先延ばしできるものやあいまいなものだけやっている振りをする。だが企業の成果主義だけは後押しする。頭のおかしな経営者や政治家が増えたものだ。それも資本主義末期の特徴だろう。
安倍ちゃんのキャッチフレーズ「再チャレンジ」は格差の象徴。まずチャレンジ出来る人と出来ない人を選別し、チャレンジできる勝ち組予備軍だけにハッパをかける。学校教育でチャレンジできない人(奴隷化予備軍)を増やし、彼らのなかから軍の兵隊も選ぶつもりだ。愛国心教育に感化される子どもが出てくれば操りやすい。
再チャレンジよりチャレンジが先。そんなこともわからないお坊ちゃま内閣の人々。わかっていて嬉々として取り組む官僚やおこぼれ頼みの地方行政。いったん奴隷化された民は、もうその地位を逆転する術がなくなる。おそろしい資本主義末期の到来こそ2006年だった。まさに終わりの始まりだ。
一度加速しはじめた流れは止めることが出来ない。終わりをいかに先延ばしするか。それだけを考えるようになる。国家を考える政治家はいなくなり、あらゆる個人が奴隷化されるか否かだけを怖がる社会になる。モラルは低下し、愛国の徒が「愛国」という大義で暴走する。いつか来た道だ。
さよならニッポン、さよならアメリカ。できるだけ身辺を軽くして生きていこうとあらためて決意した2007年元旦。人は死ぬときは独りだが生きるのも結局は独りだ。拘束されず拘束せず旅人として生きる。子どものころからずっとそんな想いで生きてきた。
こんな世の中になるとは知らなかったが、時代はいつもボクの後ろについて来た。これからもそうだと思う。終わりの始まりの処世術。でも終わりが始まりというポジティブな人々だけが次世代を継いで行けるのも確か。奴隷化されずに強く生き残って欲しいと願う。
ボクも出来る限りの抵抗はしていきたい。旅は楽しくなくちゃ。ただその前に人として正しくなくちゃね。そこがスッポリ抜け落ちてる世の中とは戦う。再チャレンジからチャレンジがスッポリ抜け落ちてるのは決して偶然じゃない。
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