向田邦子久世光彦
この1月はTBSチャンネルで毎日昼から向田邦子特集をやっている。これがめちゃめちゃいい!全部録画する。
久世光彦と向田邦子の相性ってものすごいポテンシャルを持っていたんだなぁとあらためて感じた。
久世光彦というとホームドラマが枕詞になりやすい。それは一面正しいと思うが、この一連の作品を見るにつけ、ホームドラマのテイストを借りつつ、非常に深い愛憎というかエロティシズムというか、向田邦子の精神の奥の奥まで映像化してやろうという気迫すら感じてしまう。
その圧倒的なテレビドラマ力こそが久世光彦の最高文学ではないかと思うのだ。テレビという電気仕掛けの箱を使って、この時代の文学を打ち立てた稀有な作家が久世光彦だと思う。
派手なアクションも推理もドタバタもない。頑固親父がちゃぶ台をひっくり返し、そのガチガチの価値観や倫理観と、先進的な価値観と親父の倫理観への共感と反発がない交ぜになった働く娘(主人公)と。
大戦前夜の時代背景と庶民の生活のなかで起こるいくつかの出来事。確かにホームドラマだ。だがホームドラマというほど軽くない。それが向田邦子という人の魅力なのではないかと思った。いまさらながら向田邦子がもうこの世にいないことが残念でならない。
また向田邦子特集に出てくる主演の女優が、とにかくすばらしすぎる。ボクの女性観や女優論の根幹をなしているのは、向田邦子と久世光彦によって既に確立されていたのだなと強く感じた。
新しいところでは、山口智子については「向田邦子の恋文」のところで散々書いた。1980年代の作品では、石原真理子、桃井かおり、そして田中裕子。あと石原真理子の「夜中の薔薇」での先生役いしだあゆみ。ものすごい存在感だ!「夜中の薔薇」は必見の作品だと思う。
ボクは何を隠そう「おしん」の田中裕子編をVHSテープに全部録画していた子どもだった(笑)。いま思えば、「おしん」こそがボクの連ドラ録画人生のはじまりだった。
HDDレコーダなんてなく、標準2時間録画しかできない初期セパレート型ビデオデッキで、1本2700円もしたビデオテープに取り続けた。そのボクの苦労がおしんのようだった(笑)。
それもこれも田中裕子の演技に惚れたからだった。おしんは向田邦子作品ではないが、田中裕子という女優に出会えた幸せな作品だった。そこから向田邦子作品へボクのベクトルが向かうのは必然だったと思う。
「冬の家族」における桃井かおりもなんて美しいんだ!そしてなんてすばらしい女優なんだ!久世光彦の審美眼には嫉妬すら感じる。「夜中の薔薇」でのいしだあゆみにしても、この人以外には考えられないキャスティングなのだ。
それもこれも向田邦子作品が必然的に引き寄せた縁、役柄と女優との縁ではないかと思うのだ。ホンモノの女優は作品を選ばなければならないと思う。逆に言えば、作品が女優を選ぶともいえる。良い作品に選ばれた縁、そして運。それが大女優には必要だし、大女優になる器は、自身の存在感によって作品の質を高めもする。この相乗効果こそが女優としての王道だと思う。
向田邦子と久世光彦に同時代に出会えた幸運な女優、そしてまた同時代にその作品を堪能できる我々。この幸せをあらためて実感している2007年初春なのであった。石原真理子も悔い改めよ!...最後の最後でいきなり格調が落ちちゃったかな。
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