回天 出口のない海
今年の夏、城崎温泉を後にして実家へ戻った翌朝、徳山市(現周南市)大津島の回天基地跡を訪問した。小学生の頃、当時大学生だった親戚の兄ちゃんと二人で訪れて以来2度目だった。子どもの頃は遠足気分だったわけだが、今回は分別のある市民として、また「大空のサムライ」を読んだ日本人として、この回天記念館に戻ってきた。
途中、映画「出口のない海」のポスターを見た。今年は回天にまつわる映画・ドラマ・出版物が多数目に付いた。「回天」とは大日本帝国海軍最後の特攻兵器「人間魚雷」であり、その作戦は秘密裏に開発され、実行され、終戦を迎えていた。
特攻隊といえばほとんどの日本人が飛行機を思い浮かべるのではないだろうか。だがこの人間魚雷回天に乗って死んでいった日本人が確かにいたことを語り継ぐことは、残された者、そして我々戦後生まれの者にとっても重要なことのように思う。戦争は環境を変え、環境が人を変え、とんでもない現実を生み出す。負のスパイラルを止めることが出来なくなる。
先週、映画「出口のない海」をようやく観れた。当時の閉塞感と搭乗員の心の置き場とが描かれていた。回天は潜水艦に搭載され出撃する。「回天」は一度発射されれば撤退も不時着もない兵器だ。「敵発見、戦闘配置につけ!」の号令と同時に、搭乗員は死を確信する。敵発見までは割合自由を許される。
搭乗員は死ぬことが使命であり、みごと死なせてやろうという空気のなか潜水艦に乗っている。せまい潜水艦のなかで周りから腫れ物に触るように気遣われる。この居心地の悪い特権的立場から、出撃命令によって独り回天に乗るまでのテンションの高まり。想像を絶する落差があったと思う。
また回天は発射されるまでに信じられないほど煩雑な工程に悩まされる。研修を受けるシーンもあるのだが、手順を間違うと叱られ、必死に手順を暗記する。そして実戦では死を目の前にして暗記した手順通りに準備をしなければ暴発する危険な乗り物でもあった。客観的に観ていると、この研修そのものの無益さもボディブローのように効いてくるのだ。
周囲の視線、研修の成果、すべてが死と直結している。そんななかで回天に乗り込み発射準備を整え、いざ発射という最後のレバーを押した瞬間。スクリューが回らない。何度やってもまわらない。故障だ。回天はよく故障していたのか、映画のなかでは何度も故障するシーンがあった。故障した自分の回天に代わって発射される仲間の轟音を魚雷のなかで聞くのだ。
発射されなかった回天の搭乗員は、トボトボと潜水艦の中に戻って行く。死を確信しテンションを高めその頂点に達した発射の瞬間、故障するのだ。発狂してもおかしくない。そこには生きて帰れてよかったなどという思いはまったくないだろう。
発射されなかった搭乗員はもう仕事がない。周囲からは「生きて帰りやがって」という目で見られる。そんな環境の中で、どうやって「生きよう」と思えるだろうか。特攻の悲惨さは確実な死だと思いがちだ。確かにそれはそうだが、生きることを許されない特権的立場という地獄の日々、そしてそれは周りにいる人々が作り出した日々でもあることの悲惨さにも気づかされる。
死の恐怖を生の恐怖で克服し人間魚雷に乗るのだ。特攻は死んでいく者だけでなく、死なせてしまう周りの人間の狂気をも生み出してしまうものだ。「何が何でも生きようとしなければ」みたいな、現代の論理では語れない。だが周りを見回すと、もしかすると現代にもいじめや受験戦争、企業戦争などなど日常的に特攻的状況はあるのではないだろうか。そんな環境を知らずに作り出している自分がいないだろうか。
原作は取材に基づいたフィクションだが、読ませる内容だった。映画が回天隊の心の置き場に焦点を当ててあった分、小説のほうは主人公の学生時代の仲間との関わりや時代背景などがよくわかる。決して特別な人だけが特攻志願をしたわけじゃないのだ。最後の手紙の内容をより深く受け止めるには原作も是非読んでいただきたいと思う。
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