google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 未履修問題の解決は入試改革から: ひとくちメモ

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2006/10/28

未履修問題の解決は入試改革から

高校必修科目の世界史未履修問題が発覚して、世界史だけでなくいろんな未履修パターンが全国の高校(特に地方進学校)から明らかになってきた。こんなものは何年も前から常態化していたし、全国の高校から中央の官庁に対する無言の反抗、合理的な逸脱だった。この問題で学ぶ必要があるのは文部科学省の側ではないのか。

画一的かつ非合理的な学習指導要領なる中央集権システムから逸脱する勇気が、こんなに多くの地方の高校にあったことを頼もしく思った。しかし一方で、その目的が大学受験という画一的な目先の目標にしかなかったことは残念だ。

オレはまさに地方の進学高校で音楽狂いの落ちこぼれ高校生だった。そんなオレでも、マクシミリアン三世だとかピョートル大帝だとか、なんとなくマニアックな名前が記憶に残ってる。ローザ・ルクセンブルクを知らなきゃ、ローザ・ルクセンブルグのCDに出会っても見逃すかもしれない(笑)。

世界史をやらずに東大・京大以外の有名大学に進学しちゃう人々は、例えばビスマルクを知らないとか、エルベ川を知らないとか、なんでもいいのだが、ある種の教養がすっぽり抜け落ちた大人になってしまう。それは直接的な知識ではなく、柔軟な思考の幅だ。シナプスを連結させる力の強さだ。オレは詰め込み教育真っ只中で育ったが、オレですら詰め込まれて大丈夫だったんだから、どんどん詰め込めばいい。ま、こんな大人になっちゃうんだけどね(笑)

●学校教育にもTOC理論を
この問題を解決する唯一の方策は、大学入試改革だ。大学入試が学習指導要領と乖離してしまっていることがボトルネックになっている。必修科目を増やしそのすべてを国公私立大学入試問題としてすべて必修にすればいい。その大学に専門教員がいない科目は文科省が問題を作ればいい。センター試験だってやってんだから。その環境で、まんべんなく点をとるもよし、得意科目だけで点を稼ぐもよし、戦略は個々人が考えればいい。大学側も同点の場合にだけ科目の配分に軽重をつければいい。

文部科学省も問題解決のためのTOC理論(制約条件の理論)を学んだらいい。学校教育を語る上でゴールはどこか。大学受験じゃないだろ。企業のゴールを「利益の永続的な追求」におくTOC理論をあてはめるなら、学校教育のゴールは「人材育成による国家の永続的な発展」じゃないか。国家が絡むと議論がゆがみやすいが、学校教育は国家の施策なのでここでは国家=企業と置いてみた。

国家はグローバルなんていいながら、高校教育ではお客さんを欲しがって骨抜きになった大学入試に左右されている。それが国家の押し付ける学習指導要領と乖離している。このネジレを正さなければ、誰もが納得できる改革なんてできっこない。

●格差社会を目指してきた学校教育
東大・京大卒業生がキャリア官僚となり国を運営していく。だからそこの入試には世界史がある。格差社会はこんなところにも顔を出している。一握りのエリートとその他の国民との間に、気付かれないうちに格差をつけている。巧妙なのは学習機会が奪われていないことだ。やる気があれば選択できる。だがそのやる気をそぐシステムとしてバランスを欠いた大学入試があるわけだ。東大・京大を目指さなければそこそこの大学に入れますよって甘い誘惑をし続けている。そのそこそこが超難関私大だったりするからさらにややこしい。

ゆとり教育はゆとりの機会不平等をもたらした。ゆとりなき勉強に励んでゆとりある生活を送ろうとするエリートと、ゆとり三昧のお勉強で楽させてゆとりなき生活を強いられる一般人と。どちらを目指すかはもちろんある時期まで選択可能だ。だがそれが、たかだか大学入試というゴールで左右される構造に問題がある。

いまのエリートにとっては厳しい厳しいと言っても、詰め込み教育時代よりも明らかに楽になっているわけだ。しかも思考力や想像力が必要ない教育に染まっている。エリートがそのテイタラクなので、それ以下の教育しか受けてこない一般人はおして知るべしだ。超難関私大卒に、南北戦争を知らずに英語がペラペラのエリートがいたりするわけだ。ペラペラなのはあんたの脳みそのなかなのだ。

つまり国民全体の知的水準を下げながら、そのなかでのエリートを生み出す構造になってる。高校も大学入試という目先のゴールしか見ない部分最適化を行う。その結果、国家の全体最適化が出来ず、国力は衰退していく。まさに制約条件の理論どおりのケースじゃないか。

これは義務教育の話じゃない。自分で選んで入った高校生なのだ。その程度の苦労(ただし合理的な)は買ってでもしろってことだ。国家も詰め込んでみろってんだ。ま、詰め込まれるはしから流れ出ていたわけだが(笑)。それでも詰め込まれた経験は残る。体力も能力も、ある程度の負荷がなければ強くならないのだ。

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コメント

そう、詰め込めるだけ詰め込むと、要らないものが抜け落ちる。
詰め込んでないと、抜け落ちようにも実体がないかもね。心の琴線でいろんな音出して、気に入ったものだけ自分のものにするほうが、アタクシは好きです。

で、残ってるのはリットン調査団とか小ピピンかな(あまり意味がないような気もする)

投稿: あんじ | 2006/10/28 21:02

知は液状でヒトはサルから進化したザルなんだ。そのザルで知をどこまですくえるか、すくえる工夫をするかで、その知が血となるわけだな。

風が吹くと桶屋が儲かる式の発想の飛躍ゲームには、学校教育で入れとく知識ってのもあっていい。それは麻雀の配牌のようなもの。どう組み立てていくかと同時に何を捨てるかが強さだね。

同時に自分に見えていない知があるってことも受け止められる謙虚さがあれば、いざってときにリーチをかけられるってわけだな。

こんな風にナニもいってないのにナニか言ってる風な大人になるには知識も必要なのさぁ(笑)。

投稿: ポップンポール | 2006/10/29 09:07

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