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14 posts from October 2006

2006.10.30

掃除開始

先週土曜、予定通りソファを予約してきた。すべて決めて行ったので契約はすばやかった。4週間待ちの予定だったが、思いのほか早く配送してくれそうになりアセッタ!掃除がおわんないからさ(笑)。それで一週間伸ばしてもらって11/25(土)搬入に決定。

そうと決まればとにもかくにも掃除だ。整理整頓だ。自慢じゃないが、計画的にやらなければこの部屋は片付かない!というわけで鍵山秀三郎氏の「掃除道」を購読。鍵山氏の著書は、桜井“雀鬼”章一氏つながりで偶然つながったので、掃除のために買ったわけじゃないんだけど。まだ読んでないし。読むのはソファが来てからだ!まずは身体を動かせ>オレ!

これまで掃除は引越し作業、掃除は模様替え、掃除は空間アート、という具合にだましだまし自分を動かしてきた(>_<;)。前回の空間アート製作は2年前だったのか...。だがそのときは、掃除機を出しっぱなしにして「いま掃除中」を演出することでしのいだのであった。その掃除機はいまもこの部屋の中央に鎮座されておる。ほんとにレディメイドな空間アートと化してしまってる!

ピカ王 レギュラーDXだがその座も、もうすぐすばらしいカリモクのソファに禅譲されるのだ。そのための準備、それが今回の掃除のテーマだ。そうだ、今回の掃除はV字回復のための構造改革事業と位置づけよう。これは締め切りのある仕事だ。仕事はキッチリこなしてきただろ。オレなら出来る。やり遂げられる!そう強く念じることが重要だ。

仕事だと置き換えると、スケジューリングとかツールの選定なども俄然力が入る(笑)。納期まで時間がない!進捗を逐一確認していこう。ツールでは「ピカ王」がピカイチだった!水だけでこんだけ汚れが落ちると楽しくなる。思わず研き王に変身!この変化が改革のモチベーションを上げるんだなぁ。掃除って楽しいな。

だが、研くだけでは散らかった部屋は片付かない。物理的にモノを捨てなければ。だいたい燃えないゴミの日が少なすぎんねん!いつでも出せる地域がうらやましい。ブツブツいいながらもいるものといらないものを仕分けしていった。中間層はバッファ用に箱を作り、とにかくその箱に放り込む。

ある程度空間が出来たら、新聞紙をソファの大きさに貼り合わせてみた。2.5Pサイズも結構デカい。だがホームシアターのスクリーンとほぼ同寸なのでバッチリだ!リビングとダイニングの違いなんて考えたこともなかったが、ソファが入ることで機能分割も明確にできそうだ。なんか日常も生活するぞって気分になる。

部屋が広くなると、カウンターテーブルも欲しくなった。いろいろ見たけれどカウンターテーブルって需要が少ないのかしっくり来るものがない。それで自分で作ってしまおうかという誘惑に駆られ始めた。テーブルなんてパイン材を切ってもらって、足を付けたら出来上がるんちゃうん?ちょっと研究しよう。

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2006.10.28

未履修問題の解決は入試改革から

高校必修科目の世界史未履修問題が発覚して、世界史だけでなくいろんな未履修パターンが全国の高校(特に地方進学校)から明らかになってきた。こんなものは何年も前から常態化していたし、全国の高校から中央の官庁に対する無言の反抗、合理的な逸脱だった。この問題で学ぶ必要があるのは文部科学省の側ではないのか。

画一的かつ非合理的な学習指導要領なる中央集権システムから逸脱する勇気が、こんなに多くの地方の高校にあったことを頼もしく思った。しかし一方で、その目的が大学受験という画一的な目先の目標にしかなかったことは残念だ。

オレはまさに地方の進学高校で音楽狂いの落ちこぼれ高校生だった。そんなオレでも、マクシミリアン三世だとかピョートル大帝だとか、なんとなくマニアックな名前が記憶に残ってる。ローザ・ルクセンブルクを知らなきゃ、ローザ・ルクセンブルグのCDに出会っても見逃すかもしれない(笑)。

世界史をやらずに東大・京大以外の有名大学に進学しちゃう人々は、例えばビスマルクを知らないとか、エルベ川を知らないとか、なんでもいいのだが、ある種の教養がすっぽり抜け落ちた大人になってしまう。それは直接的な知識ではなく、柔軟な思考の幅だ。シナプスを連結させる力の強さだ。オレは詰め込み教育真っ只中で育ったが、オレですら詰め込まれて大丈夫だったんだから、どんどん詰め込めばいい。ま、こんな大人になっちゃうんだけどね(笑)

●学校教育にもTOC理論を
この問題を解決する唯一の方策は、大学入試改革だ。大学入試が学習指導要領と乖離してしまっていることがボトルネックになっている。必修科目を増やしそのすべてを国公私立大学入試問題としてすべて必修にすればいい。その大学に専門教員がいない科目は文科省が問題を作ればいい。センター試験だってやってんだから。その環境で、まんべんなく点をとるもよし、得意科目だけで点を稼ぐもよし、戦略は個々人が考えればいい。大学側も同点の場合にだけ科目の配分に軽重をつければいい。

文部科学省も問題解決のためのTOC理論(制約条件の理論)を学んだらいい。学校教育を語る上でゴールはどこか。大学受験じゃないだろ。企業のゴールを「利益の永続的な追求」におくTOC理論をあてはめるなら、学校教育のゴールは「人材育成による国家の永続的な発展」じゃないか。国家が絡むと議論がゆがみやすいが、学校教育は国家の施策なのでここでは国家=企業と置いてみた。

国家はグローバルなんていいながら、高校教育ではお客さんを欲しがって骨抜きになった大学入試に左右されている。それが国家の押し付ける学習指導要領と乖離している。このネジレを正さなければ、誰もが納得できる改革なんてできっこない。

●格差社会を目指してきた学校教育
東大・京大卒業生がキャリア官僚となり国を運営していく。だからそこの入試には世界史がある。格差社会はこんなところにも顔を出している。一握りのエリートとその他の国民との間に、気付かれないうちに格差をつけている。巧妙なのは学習機会が奪われていないことだ。やる気があれば選択できる。だがそのやる気をそぐシステムとしてバランスを欠いた大学入試があるわけだ。東大・京大を目指さなければそこそこの大学に入れますよって甘い誘惑をし続けている。そのそこそこが超難関私大だったりするからさらにややこしい。

ゆとり教育はゆとりの機会不平等をもたらした。ゆとりなき勉強に励んでゆとりある生活を送ろうとするエリートと、ゆとり三昧のお勉強で楽させてゆとりなき生活を強いられる一般人と。どちらを目指すかはもちろんある時期まで選択可能だ。だがそれが、たかだか大学入試というゴールで左右される構造に問題がある。

いまのエリートにとっては厳しい厳しいと言っても、詰め込み教育時代よりも明らかに楽になっているわけだ。しかも思考力や想像力が必要ない教育に染まっている。エリートがそのテイタラクなので、それ以下の教育しか受けてこない一般人はおして知るべしだ。超難関私大卒に、南北戦争を知らずに英語がペラペラのエリートがいたりするわけだ。ペラペラなのはあんたの脳みそのなかなのだ。

つまり国民全体の知的水準を下げながら、そのなかでのエリートを生み出す構造になってる。高校も大学入試という目先のゴールしか見ない部分最適化を行う。その結果、国家の全体最適化が出来ず、国力は衰退していく。まさに制約条件の理論どおりのケースじゃないか。

これは義務教育の話じゃない。自分で選んで入った高校生なのだ。その程度の苦労(ただし合理的な)は買ってでもしろってことだ。国家も詰め込んでみろってんだ。ま、詰め込まれるはしから流れ出ていたわけだが(笑)。それでも詰め込まれた経験は残る。体力も能力も、ある程度の負荷がなければ強くならないのだ。

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2006.10.26

那覇どこどこ?

映画「涙そうそう」を観た。どーでもいいけど、映画館の窓口で「なみだそうそう」って言った人が日本中で何人いるかなと思った。「なだそうそう」はそのくらいに浸透している森山良子さんの歌詞が原案となった映画。

キャスティングは申し分なし!主演のブッキー(妻夫木聡)とマッサミー(長澤まさみ)は、今はなき永遠の気まぐれ天使マシュー南つながりだし(オレだけ?)。テーマは異父兄妹の絆。先日見た「幸福のスイッチ」は父娘の和解がテーマだったけど、最近こういう日常の幸せを描いてる日本映画がとてもいい。

「涙そうそう」は様々な別れも重要な要素になっている。主演2人の笑顔と涙とが随所に現れ、70年代の日本映画へのオマージュ的な感覚にとらわれた。かぐや姫の「妹」「赤ちょうちん」「神田川」的な四畳半フォークな感覚。それはとっても懐かしく(ってリアルタイムじゃなかったけど)、昭和の匂いのするいい映画だった。

それなのに、なぜか違和感がある。キャスティング、音楽、画、プロット、それぞれには大変よかったのだが、どうしても心の底から感動しない。なぜなんだろう。なぜなんだろうという気持ちを持ったまま映画館を出て、歩きながらずっと考えていた。

まず思いついたのは、カオル(長澤まさみ)の本当の父親(中村達也)が、内田裕也とか近藤等則風にしゃべるロッカー(しかもトランペッター)だったからじゃないかと。しかも妻(小泉今日子)を捨てておきながら「死んだんだってな。アイツはいい女だった」みたいな、教科書どおりの不良ミュージシャンぶり。アホかってシラけた。

だがそんな部分だけじゃなく、そこには沖縄がなかったからじゃないかと気付いた。いや、舞台は確かに沖縄で、離島から那覇へやってきてけなげに生きる兄妹なのだが、沖縄でなくても成立したドラマではなかったかとふと思ったのだ。

沖縄の映画というと「ホテル・ハイビスカス」を思い出す。この映画にも、かつての日本映画の懐かしさを強烈に感じた。だがもう一方で、きっちりと沖縄そのものを描いていた。沖縄である必然性があったわけだ。

比較することが正しいのかどうかはわからない。しかしおそらく「涙そうそう」には沖縄である必然性が希薄だったために、沖縄の映画だと意識して観に行った私には違和感が残ったんじゃないかと思う。記号としてのオキナワじゃなく、たとえば「ホテル・ハイビスカス」の沖縄、山之口貘の沖縄、そういった沖縄そのものがもっと見えて来て欲しかった。

もっとも、昭和の日本映画に感じた清く貧しく美しくといった気分が、オキナワに色濃く残っているという意味では、テーマと合致した場所だったとは思う。「涙そうそう」はBEGINの曲でもあるわけだし。

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2006.10.25

小泉チルドレン、小泉アルバイテンに改称!

いきなりドイツ語にしちゃいました。小泉アルバイトより語感が似てるから。今朝のニュースで郵政離党組の復党問題が安倍vs小泉の対立を招くみたいなこといってて、とばっちりを受けるのが対立候補や泡沫候補だった小泉チルドレンだってことなんだけど...。

「タケベー!郵政絶対通すからなぁ。ロートルの反対勢力はリストラしてよー。バイト雇えよ、バイトをよぉ」

まぁ、いま思えばそういうことですよね。郵政民営化キャンペーンガールズ&ボーイズ。キャンペーンが終わったらバイトは解雇。臨時雇いを増やす政策やってんだから言行一致だな。

リストラ組には再チャレンジってとこですか(笑)。まさにアベちゃんは格差社会の推進、再チャレンジができる社会の実現をしようとしてるんですね。

小泉は雇った手前バイト擁護発言をしているけれど、バイト君のためを思ってんじゃないよ。復帰組とイスを並べて話したくないんだよ。和解なんてプログラムされてない。タケベは洗脳された人間だから、起伏が激しくてオモロイけど、サイボーグ・コイズミにそんな情けがありますかってんだ。

小泉チルドレンはキャンペーンのバイトくんだったわけだけど、タケベが言うように(って離反組に言ってた言葉だけど)、あとは自分の力で当選するしかないでしょ。はしごを外されたのは長年自民党で政治家やってた離反組も小泉アルバイテンも同じことなんだから。

もっと俯瞰してみるなら、そうやってむやみに人心無視の数合わせが“政治”になってしまった日本の姿が見えます。こんなチンケなリスクばかり背負わされる政治家なんて仕事、山っけのある輩か、芸能人の再就職か、世襲で貧乏くじ引くか、その程度の人間しか近づかないよ。政治家のリスクがこんな場所にしかないなんて悲しい国だよ。

そうやってゴタゴタやっててもアメリカちゃんの言いなりになってれば国体は保てる。お釈迦様の手のひらでケンカしてる孫悟空なんだよ。それも三蔵法師がいない孫悟空。だからアメリカちゃんにはむかったら500年浮き上がれなくなると思ってるやつらばっか。独立国じゃないんだよ。そのうち国民もほとんどがアルバイテンになるよ。

※ドイツ語のアルバイテンは臨時雇いって意味じゃなく、仕事する・働くって意味だけど、今回はシャレで使ってみた。ボランティアで働くって意味もあるようだが(笑)。

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2006.10.23

ソファ購入予定

今日はソファを観に行った。ホームシアター設置以来、いつかは購入しなければと考えていたのだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。ホームシアターのこと書いたときには、マンボウソファに惹かれていたけれど、やはりソファって長く使うものだし場所を取るので、しっかり見て座って買いたいじゃないっすか。

近所の家具センターに行ったのだが、やはり見た目と座り心地とは別モノで、なかなかマッチするものがない。部屋のインテリアとしてのカラーコーディネートの部分と、ホームシアター用途という機能面との両面から考える。最近のソファって色は結構自由になるんだなぁ。だから色はいいとして、機能面=長時間の座り心地重視で座りまくり(笑)。

こだわりとして、「リクライニング機能的なものがなくても座り心地のいいもの」というのはあった。横にレバーがあったり、そういう美観を損ねるのはちょっと...。あくまで個人的な好みで否定はしないけど。

そんなとき出会ったのが老舗の国産家具メーカー・カリモク家具座り心地研究ソファのベネッセシリーズだった。確かに座った瞬間「あっ違う!これだ!」と思ってしまった。もう他のソファはどれもこれも違和感を感じる。直感ってすごいな。腰や頭の位置といい、やわらかすぎず固すぎずの座り心地といい、たしかに研究してるなって思ったさ(笑)。ホームシアター用途にピッタリ!

お台場などのでっかいショールームで探せば、他にもいい物件はあるかもしれないが、どこかで決断しなければならないわけで、この直感を信じようと思った。お値段は結構張るのだが、最近相場で勝ってるし(金額じゃなく直感の信頼性って意味でも)。店員の兄ちゃんも丁寧だったし。

あと価格面で決断に影響したのは、メーカーサイドの資材購入費の高騰で価格改定が近いということだった(モノによるらしいが、11月1日受注分から新価格になるとか)。相場師ってコモディティ市場の動向にも敏感なのだ...。オーダーから納入までは1ヶ月近くかかるけれど、数%高くなる前に予約生産に入れば問題ない(この家具店では10月受注で来年3月納品分までは現在価格OKだった)。いま注文しとけば年内にはソファでホームシアターを楽しめるしな。

サイズは2.5P(W1600,D890,H930,SH400)に決定!通常の2P(いわゆるラブソファタイプ)より、ひとり分のスペースが10cm広いのでゆったりしている。3人がけもあるが、3人がけだと1人分のスペースは2人がけと同じになる。ゆったりした空間を保持しつつ、トータルで大きすぎないというのもマンションにはマッチしてるように思った。

色はネオスムース21色COMってのから選べる。店頭で候補を2色までは絞れたのだが、決めかねていた。多分皮部はいちばん白い色(ちょっと赤みがかった明るい白)にして、木材部はナチュラルなナッツ色にするな。店員さんの「この組み合わせの高級感はプロ好みですよねぇ...」の一言にまいった(笑)。スノッブなオレ...。

来週末に注文して、12月上旬納品予定。搬入には2人の作業員さんが来る。1ヶ月あれば掃除も出来る。いや、せねばなるまい(笑)。これ以上の動機付けはないからな!

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2006.10.22

回天 出口のない海

Kaiten今年の夏、城崎温泉を後にして実家へ戻った翌朝、徳山市(現周南市)大津島の回天基地跡を訪問した。小学生の頃、当時大学生だった親戚の兄ちゃんと二人で訪れて以来2度目だった。子どもの頃は遠足気分だったわけだが、今回は分別のある市民として、また「大空のサムライ」を読んだ日本人として、この回天記念館に戻ってきた。

途中、映画「出口のない海」のポスターを見た。今年は回天にまつわる映画・ドラマ・出版物が多数目に付いた。「回天」とは大日本帝国海軍最後の特攻兵器「人間魚雷」であり、その作戦は秘密裏に開発され、実行され、終戦を迎えていた。

特攻隊といえばほとんどの日本人が飛行機を思い浮かべるのではないだろうか。だがこの人間魚雷回天に乗って死んでいった日本人が確かにいたことを語り継ぐことは、残された者、そして我々戦後生まれの者にとっても重要なことのように思う。戦争は環境を変え、環境が人を変え、とんでもない現実を生み出す。負のスパイラルを止めることが出来なくなる。

先週、映画「出口のない海」をようやく観れた。当時の閉塞感と搭乗員の心の置き場とが描かれていた。回天は潜水艦に搭載され出撃する。「回天」は一度発射されれば撤退も不時着もない兵器だ。「敵発見、戦闘配置につけ!」の号令と同時に、搭乗員は死を確信する。敵発見までは割合自由を許される。

搭乗員は死ぬことが使命であり、みごと死なせてやろうという空気のなか潜水艦に乗っている。せまい潜水艦のなかで周りから腫れ物に触るように気遣われる。この居心地の悪い特権的立場から、出撃命令によって独り回天に乗るまでのテンションの高まり。想像を絶する落差があったと思う。

また回天は発射されるまでに信じられないほど煩雑な工程に悩まされる。研修を受けるシーンもあるのだが、手順を間違うと叱られ、必死に手順を暗記する。そして実戦では死を目の前にして暗記した手順通りに準備をしなければ暴発する危険な乗り物でもあった。客観的に観ていると、この研修そのものの無益さもボディブローのように効いてくるのだ。

周囲の視線、研修の成果、すべてが死と直結している。そんななかで回天に乗り込み発射準備を整え、いざ発射という最後のレバーを押した瞬間。スクリューが回らない。何度やってもまわらない。故障だ。回天はよく故障していたのか、映画のなかでは何度も故障するシーンがあった。故障した自分の回天に代わって発射される仲間の轟音を魚雷のなかで聞くのだ。

発射されなかった回天の搭乗員は、トボトボと潜水艦の中に戻って行く。死を確信しテンションを高めその頂点に達した発射の瞬間、故障するのだ。発狂してもおかしくない。そこには生きて帰れてよかったなどという思いはまったくないだろう。

発射されなかった搭乗員はもう仕事がない。周囲からは「生きて帰りやがって」という目で見られる。そんな環境の中で、どうやって「生きよう」と思えるだろうか。特攻の悲惨さは確実な死だと思いがちだ。確かにそれはそうだが、生きることを許されない特権的立場という地獄の日々、そしてそれは周りにいる人々が作り出した日々でもあることの悲惨さにも気づかされる。

死の恐怖を生の恐怖で克服し人間魚雷に乗るのだ。特攻は死んでいく者だけでなく、死なせてしまう周りの人間の狂気をも生み出してしまうものだ。「何が何でも生きようとしなければ」みたいな、現代の論理では語れない。だが周りを見回すと、もしかすると現代にもいじめや受験戦争、企業戦争などなど日常的に特攻的状況はあるのではないだろうか。そんな環境を知らずに作り出している自分がいないだろうか。

原作は取材に基づいたフィクションだが、読ませる内容だった。映画が回天隊の心の置き場に焦点を当ててあった分、小説のほうは主人公の学生時代の仲間との関わりや時代背景などがよくわかる。決して特別な人だけが特攻志願をしたわけじゃないのだ。最後の手紙の内容をより深く受け止めるには原作も是非読んでいただきたいと思う。

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2006.10.18

後姿

今朝駅のホームで、肩を落としうつむいている女子高生がいた。

場所も場所だし、飛び込み自殺でもするんじゃないかと心配になって覗き込んだら...。

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2006.10.15

ジュリーとジュリ夢の共演!

土曜の朝、映画「幸福のスイッチ」をテアトル新宿に観に行った。初日初回の舞台挨拶めあてのお客さんが並んでいた。ボクもそのひとり。溜まったクラブCポイントで無料になるのだが、初日初回GETなのでお金を払って見ることにした。

整理券をゲットしたあと1時間あったので新宿タウンウォッチング。新宿も久しぶりだったから。朝の新宿はほんと何にもないな(笑)。もっとも賑わっていたのは区役所あたりのホストクラブ街だった...。お帰りのお姉さま方と見送りのホスト諸君。そういやバブルの頃、お店のお姉ちゃんと歌舞伎町のオカマバーで朝を迎えたことがあったなぁ。そんな思い出を懐かしみつつ、新宿タウンウォッチングは終了。すさんだ心を癒しに映画館へ(笑)。

前から4列目に座れた。真ん中の列にはイナデン・ジャケット部隊が!気合はいってるなぁ。イナデンとはこの映画の舞台である稲田電器商会という田舎の電気屋さん。大型家電量販店に苦戦しながらも、修理好きで営業好きのオヤジ(沢田研二)ががんばっている。亡くなった母親と3人姉妹。主役は次女の怜(上野樹里)。オヤジとうまくいかず東京でイラストレーターをやっているが、オヤジが怪我して1ヶ月実家を手伝うことに。商売っ気がなく外ヅラだけのオヤジだと思ってバカにしていたが、仕事を手伝ううちに気持ちに変化が芽ばえてくる。

ほのぼのとしたなかに軽妙な会話やカットがあったりして、バランスのいい映画だった。のっけからジュリーの存在感はさすがやなぁ。日常を楽しく生きる、生きようとするシアワセ。サンダンス映画祭でウケそうな感じといいましょうか。つまりボクの大好きなタイプの映画だ。漫然と生きるのでなく、生きるとは自分を活かすことであり、それが粋なのだと桜井“雀鬼”章一の本で読んだが、稲田誠一郎はそんなオヤジだった。そして上野樹里演じる怜は日常の不平不満を露骨に顔に出し文句ばっかり言っている若造、まるでオレじゃんか(^_^;)。

雨の夜に病院を抜け出して怜と修理に駆け回る父。一仕事終えて車の中で怜の仕事を褒める姿に、思わず「ジュリー!」と叫んでしまいそうだった。いいシーンやなぁ。3姉妹もハマリ役だった。とくに三女・香役の中村静香は秀逸だった。今後期待できる逸材だ。

右上の文庫本は映画よりも時間を遡って、怜が高校生時代のエピソードになっている。映画とあわせて二度美味しいというわけだ。

正直なところ樹里っぺの舞台挨拶めあてで行ったけれど、映画が良いと気持ちも晴れやかになるね。田辺市の皆さんの応援の意欲も伝わってきたし。田辺市には昨年泊まった。そのときは知人の知人が「ストロベリー・フィールズ」って映画を田辺市で撮ってた。日本映画を盛り立ててくれているという意味でも我が山口県と似た環境にあるようだ。

上野樹里はボクの故郷徳山市(現・周南市)の回天基地と所縁ある映画「出口のない海」にも出演してくれた。もうひとつの回天ドラマ「僕たちの戦争」にもご出演。大注目の女優だ。この「嘘つき。」って文庫本は完全に表紙写真ほしさに買った(笑)。

来週から始まる「のだめカンタービレ」ではCX月9初主演だ。TBSで頓挫したドラマがCXでというのもビックリだが、どっちにしろ上野樹里主演の線だけは変更なし!120%はじけっぷりが見ものの作品は「スウィングガールズ」以来のものと思われる。これまで結構抑えた演技のすねたりする難しい年頃的な役が多かったけれど、やっぱはじけた樹里っぺも見たいよね。プー!上野樹里には演技の幅をどんどん広げて行って欲しいと願っております。

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2006.10.14

新宿にて

朝から新宿に来てモブログ。今日はジュリーとジュリが夢の共演をした「幸福のスイ
ッチ」初日です!整理券をゲットしたあと散策。ホストクラブ街だけはなんだかバブ
リーでした。
前から4列目に座れた。生じゅりっぺともうすぐ会える!

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2006.10.13

キティ・ジェノビーズ事件な夜

昨日はセレブな街(笑)白金台でディナーをとり、午前0時過ぎに帰宅してHDDレコーダーに撮っていたドラマを見ていた。酒も入っていたので汗をかいており、窓をあけていた。すると外から女の悲鳴だ。

「助けてーっ!やめてー!」かなりの大声だ。その後ドンッ!ドンッ!という鈍い音。状況としては明らかに事件だ。驚いてベランダに出て外を眺めた。そうしている間も声が叫んでいる。

警察を呼ぶか本気で迷った。声はかなり近く、同じマンションの下のほうかとすら思った。しかし声はすれども姿は見えず。オレは双眼鏡まで持ち出して必死で現場を探したが見つからない。

そうこうしているうちに声がやんだ。現場を押さえられなきゃ通報のしようもない(そんなことないのかな?)。とりあえず部屋の中に戻ってドラマの続きを見た。

それから一時間ほども経って午前1時半。また「助けてーっ!やめてー!」の声とドンッドンッとが繰り返される。状況はまったく変わっていないようだ。だが一時間経っても状況に変化がないことが、逆にオレを冷静にさせた。悲鳴にも心がこもっていないようにすら思えた。

よく痴話ゲンカではた迷惑な大声を出す女はいる。一番嫌いなタイプだ。そういう声に聞こえてきた。だから通報しなかった。でも今週ニュースだけは一応チェックしようと思う。これが本当に事件だったら、オレはどんな気分になるだろう。「もっと悲壮な悲鳴をあげなきゃわかんねぇよ」とか思ってしまう自分がいそうで怖い。

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2006.10.12

あるある

ボツネタ。会社とか労働組合とかのあるある探検隊...。某社の宴会芸のネタとして提供しようと考えたのだが、あまりにキッツイのでボツ。

昼メシ食わずに貯金する
(わびしいなぁ...こずかい少ないねんな)

新入社員に叱られる
(なんやねん!ちゃんとせぇよ。みっともない)

稟議をまわして日が暮れる
(遅っ!時代に取り残されるでぇ)

定年間際に痴漢する
(ようそんな事件あるなぁ!最近もあったなぁ)

社長の車にビラ貼らす
(そこまでせんやろ!嫌がらせかいな)

出世をするほど仕事減る
(あかんがな!仕事してへんだけやがな)

バイトに逃げられ徹夜する
(キッツイなぁ。よっぽど嫌われてんな!)

店長会議に遅刻する
(ゾーっとするな!ドア開けたときの視線...)

シュプレヒコールで間違える
(それ二倍恥ずかしいな!)

セクハラ疑惑で飛ばされる
(シャレにならんで!クビやないんか?)

執行委員に騙される
(あるなぁ。知らない間に次期役員に選ばれてたり)

ボーナスカットで腰抜かす
(そらビックリやなぁ!あるあるゆうてる場合か?)


※もちろんフィクションなんだけど、実際に宴会でこれ出来るかっていうとそんな勇気ないよね...。

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2006.10.09

北朝鮮核実験成功発表

本日、北朝鮮は地下核実験に成功したと発表した。今日は金正日にとって記念日でもあり、やるんじゃないかと言われていたがやっぱりやった。日本の安倍新総理がソウルにいるタイミングでもあった。今後の日朝関係に影を落とす声明だったな。

(8発ともいわれる)複数の核弾頭を北が撃てるとすれば、日本の100万都市はすべて射程圏内だ。拉致と核とを天秤に掛けるようなことはしない安倍首相だが、数百万人の現在の命と拉致家族の命との狭間で今後はどのような舵取りをするのだろう。

北はNPTを脱退しており、核実験をしても非難される筋合いじゃないというんだろう。とにかくアジアの地政学リスクは急速に高まりつつあるようだ。

経済封鎖的な兵糧攻めは相手が飛び道具を持ってなけりゃ成功するかもしれない。あるいは日本が100万都市のひとつやふたつ破壊される犠牲を払ってでも徹底的に北を潰す覚悟なら成功するかもしれない。アメリカは自国領土は危険にさらされていないから経済封鎖もアリだというだろう。日本の都市がつぶれても痛くも痒くもないからな。それに追随するだけの外交ではバカを見るのは日本だろう。

ただ、もっとも怖いのは、これに後押しされて日本も核を持とうという動きの増長。アメリカは日本と北朝鮮とどっちの核を持って欲しくないですかと聞かれれば、日本だと応える。しかし北朝鮮に触発されて南米諸国が核武装することも極端に恐れる。北朝鮮の核武装は、アメリカにとっても重層的な危機をもたらす。

そうなったらもう世界同時多発的にタガが外れて大惨事世界大戦(ダジャレ言ってる場合か?)へ向かうしかない。この戦争は国家vs国家でなく、大国vsゲリラの戦闘となる。勝利はもはやどちらの側にもない。破滅だ。いやそれでも生き残った生物が大国のなくなった地球で新たな生活を始めるかも。それはそれでアリかもしれないな。

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2006.10.08

泪橋・見返り柳・神谷バー

あれは夏の終わりのことじゃった。あんあんから「あしたのジョーツアーやります」っちゅう短いメールが届いたんじゃ。あしたのジョーちゅうたら、ワシらの世代で知らんモンはおらん。そのジョー所縁の地=泪橋を訪ねる私的ツアーのお誘いじゃった。こんな機会はなかなかないので参加することにしたんじゃ。

そのツアーはあしたのジョー的に大変濃いメンバーで、ちばてつや氏の大ファンが揃っちょった。ワシは昔まんがクラブの部長じゃったし「紫電改の鷹」を模写したりしよったけど、あしたのジョーは断片的にしか知らんかった。カルロス・リベラとホセ・メンドーサとがごっちゃになり、「カルロス・ホセ・メンドーサっていたっけ?」みたいな質問をかましたりして...。じゃが、今回のこのジョーツアーは思わぬ展開を見せ始めたんじゃ。

鶯谷駅に集合してラブホテル街を抜け、台東区がやっちょる北めぐりんちゅうミニバスに乗ったいね。都内じゃいくつもの区でこんなバスを運行しちょる。安いし頻繁に来るし区内を網羅しちょるし、地方から東京観光に来たら是非使うべきじゃ!めっちゃいい!一日乗り回したいバスじゃね。プレイガイドで乗り放題券売って欲しいね。

目指すはいわゆる山谷のドヤ街。ジョーの所縁の地じゃけど、ワシにとっちゃ、はぁ岡林信康の「山谷ブルース」っちゅう感じぃね。まんがクラブの部長からフォークソング狂いのバカ息子に頭のスイッチは切り替わっちょった。まだ昼間じゃったけど、一歩足を踏み入れると笑顔が消えるんよね。男女5人で行ったんじゃけど、なぜか小声になっちょる...。

玉姫公園にも入ったけど、人と大地とが一体化しちょる姿をはじめて見たいね。人にけつまづいてケンカになるちゅう噂聞いとったけど、そんなことあるわけないと思っちょった。じゃけどこれなら有り得る。完全に同化しちょるからよぅ見んとわからん。この光景を見た瞬間にワシの頭の中からあしたのジョーは完全に消えちょった。その後に見た労働福祉センター前の炊き出しの炎が妙に印象に残ったいね。日本って豊かなんかね...。カラーテレビ付きの安宿、昭和の刑事ドラマに出てきたような長屋、そして路上で生活する人々。一歩道を隔てると普通の住宅街があったりする。なんとも不思議な一角じゃった。

カフェ・バッハ泪橋は交差点になっちょって、そういや昔営業車で走ったなと思い出した。その泪橋を後にしてツアー一行は喫茶店バッハでしばし休憩。ここは大変有名なコーヒーのお店なんてね。お弟子さんが全国にいるとか。ワシはホット・モカ・ジャバをいただいたんじゃけど、マジでウマかったっちゃぁ!店員さんもホントに好印象。なんでこの土地にあるんか聞こうかと思ったけどさすがに聞けんかったいね...。あのコイズミ元首相も常連ちゅう噂じゃった。バッハだけじゃのうて山谷のドヤ街にも行ってたんかねぇ。

ホット・モカ・ジャババッハでやっと精神的緊張から解放されて、あしたのジョーについて語り合ったいね。あしたのジョーは国民的なヒーローじゃのに、山谷にその気配なり象徴がまったくないのは良うない。ジョーの像を作るべきじゃろうとか。そこでワシは石膏の真っ白いジョーがええちゅうたんじゃけど、これよう考えたらブラックジョークじゃったいね(笑)。女性のファンお二人からは、矢吹ジョーじゃのうて丹下団平の方がマッチしちょるちゅう意見が出た。達観やなぁ。その通りじゃね。そこでワシも団平の像にスイッチつけて押したら「ジョーーーー」って叫ぶのがいいとか、明日のための名言100選選考委員会を作って、その言葉を山谷中に貼ったらええとか言いたい放題じゃった。ダンボールに包まって寝ようとしたらそこに「明日のためのその壱」みたいな...。

バッハで一息ついた後、吉原方面に向かったんじゃ。吉原はいわゆる遊郭、赤線地帯じゃね。見返り柳ちゅうのがあって、遊んで帰る旦那衆がその柳の下で名残惜しそうに吉原の方を振り返るそうな。山谷のドヤ街から吉原ソープ街へ。ものすごいツアーになってきた。外側を通り過ぎるだけじゃけどね。

吉原のなかで印象的じゃったのは公園いね。そこにも他じゃまず見れん独特な光景があったんよ。ブランコで子どもたちが遊んじょるんじゃけど、そのまわりを黒服の若い衆が囲んじょるんちゃぁ。想像してみぃね。ものすごい違和感じゃろ。たぶんお勤めに出かけたママがいない間、店の若い衆が子守をしちょるんじゃないかね。吉原にはワケあり女性専用の長期滞在向け安宿もあったりする。ここにも山谷とはまた違った人生が見えるんよね。

電気ブランなんてディープなツアーじゃったんじゃろう...。旅行者としての視線は向けられんかった。ましてカメラなんて。これも現代ニッポンなんよね。ニッポンの姿なんよね。でも行ってよかったと思ったよ。山口弁になったのは、共通語じゃ書けん何かがあったんよね。何かはわからんけど。

帰りはまた北めぐりんに乗って浅草へ。ツアーの締めは「神谷バー」で電気ブランクラシックをいただきました。電気ブランといえば、2年前に牛久のシャトーカミヤで買ったけど、本家本元で舐めるとまた美味しいいねぇ。電気ブランはチェサーに水じゃなくビールをいただくのが通だとか(ホントじゃろうか...)。というわけで黒ビールをチェサーに美味しくいただきました。

あしたのジョーの記念碑は台東区にがんばってもらって、なにか作って欲しいね。

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2006.10.05

なぜか麻雀浪読記

9/24以来久々のブログだ。忙しかったからなぁ。ちょっと変化のある日常を過ごしていたので。今日は久しぶりに自分の時間が持てた。ジョーツアーの皆様、もうすぐ書きますから(^_^;)。それはそうと、いまマイブームになりつつあるのがなぜか麻雀、マージャンだ。

といっても麻雀を始めようというわけではない。麻雀は小学生の頃に家族麻雀レベルで卒業した。映画「麻雀放浪記」は大好きだったけど。いまは二階堂亜樹プロを応援しつつ、桜井“雀鬼”章一氏のお言葉に感銘を受けている次第。硬軟取り揃えてバチッと波長が麻雀に向いているのだ。無意識に。

この「壁をぶち破る最強の言葉」という本は装丁も美しく、ズバババッと雀鬼の思いがまとめられている。ただしこの手の本は何でもそうだが、桜井章一という孤高の勝負師その人についての興味がなければ無意味だ。でも個人的には最近流行のスピリチュアル系の有名人なんかの本に影響を受けるよりはよっぽど健全だと思う...。

ボクは昔から孤高の仕事師に強く惹かれる。棋士の羽生義治氏、記者の本多勝一氏、相場の山崎種二氏、企業小説の城山三郎氏、撃墜王の坂井三郎氏、作曲家の筒美京平氏、喜劇の萩本欽一氏、ラグビーの平尾誠二氏などなど、仕事師による職人芸の極みへの強い憧憬がある。

そしていま、麻雀の鬼・桜井章一氏の人間力に強く惹かれるのだ。もう相場関連で読む本がなくなってしまったというタイミングでもあったのだが、とにかく勝負にこだわり人生にこだわる人間を渇望していた。

独りで誰も到達し得ない高みに立った人間が何を考えているのか、そう考えるだけでゾクゾクする。団体競技よりは個人競技、特に成り上がり系が好きだ。自分自身が相場師になったのも必然といえる。

桜井氏の言葉は技術論でもなく精神論でもなく、突き抜けたことのある人間だけが持つある種の凄みがある。一見当たり前とも思える言葉でも、常識を疑い、直感から出てくる言葉なのだ。

麻雀には相場に通じるパッションがある。たぶんボクの動物的嗅覚がいまそれを捉えたんだと思う。二階堂亜樹プロといっしょに(笑)。当分は麻雀本を相場読本として読み耽る亜樹、いや秋になりそうだ。

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