google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 城崎にて。自立した温泉郷: ひとくちメモ

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2006/09/18

城崎にて。自立した温泉郷

Kinosaki01地図を見ると天橋立から城崎(きのさき)温泉は近かった。とりあえず宿の予約をしない旅行なので、どこに泊まるかは現地で判断する。今回は温泉地に行けば泊まれるだろうということで、城崎温泉へ向かった。城崎温泉についた頃はもう日が暮れていた。

着いてびっくりしたのは、浴衣姿の多さだった。車外では老若男女みんな浴衣で歩いている。最近は見なくなった光景だった。そしてもうひとつ、ホテルらしき建物がまったく見当たらず、見回しても旅館ばかり。そしていかにも予約なしでは泊まれない雰囲気をビンビンに感じてしまった...。

だが車でグルグルまわっていると、「空室あり」の表示が目にとまった。すかさず車を止め、素泊まりの交渉に行くとOKだった。助かった!そこは旅館まつや。城崎温泉のど真ん中にある由緒正しい旅館のひとつで、毎年の旅行のなかでも最高ランクに入る居心地の良さだった。こんな旅館に突然の素泊まりで泊まれたのが奇跡に思えた。

旅館で城崎温泉のシステムの説明を受ける。ここで浴衣の謎が解けた。城崎温泉は7つの外湯が目玉。そこには宿泊客と日帰り客とが混在する。それを見分けるのが旅館ごとの浴衣と宿泊証明チケット、そして旅館ごとの下駄や草履だった。

外湯では城崎温泉郷の宿泊客からは料金を取らない。各旅館に設置されている宿泊証明チケットを渡すだけ。そして外湯の従業員さんは帰り際に浴衣で旅館を見分け、その旅館の下駄や草履をサッと揃えてくれる。このシステムが統一されているため、外湯ではどこも混乱がなく、温泉郷としての風景に浴衣姿が自然と生まれるわけだ。ホテルがなく地場の旅館ばかりなのも、納得がいく。

城崎温泉に感じたのは自立性・独立性だった。広告会社が入っていなさそうな雰囲気というのだろうか。小手先の宣伝ではなく、温泉郷で生活する人々の知恵と結束力を随所に感じ取れたのが新鮮だった。

Kinosaki02夏の夜の花火大会もそのひとつ。花火は結構カネがかかる。どの地域でも花火大会は一夜の大イベントだ。だが城崎温泉は違う。15分程度で花火大会の盛り上がる部分だけを切り取って、毎日魅せるのだ。ここでもなるほどと思った。太く短くではなく細く長くを選んでいる。

あくまでも宿泊と温泉とがメインなんだ。夏の宿泊客は一定期間内に行けばいつでも花火が見られる。それも15分程度で結構豪華な花火だ。そのプチイベント感覚はそれ以外のシステムとの相乗効果で「あー城崎温泉よかったなぁ」という総合評価につながっていくと思う。

この花火大会のときにちょっとしたハプニングがあった。花火が盛り上がっている最中に、どっかのホテルの観光バスがオレらの目の前に止まって客を降ろし始めた。ホテルだからおそらく温泉郷から外れたところにあり、客を花火と外湯に運んできたんだろう。そのバスが花火を楽しんでいるオレらをさえぎって止まった。まわりからも大ブーイングだ。

それに対して警備員さんがかなり激怒していたのが印象的だった。そこにバスを止めることの頭の悪さ、部外者感まるだしの行為、そういうものに対して雇われ警備員だったら黙認しただろう。ここにも自主独立の精神を強く感じて好印象だったのだ。みんなでこの城崎温泉を盛り立てていくんだという意志を感じた。あのバスは許せんが、警備員さんの心意気にまたまたイメージアップしてしまったのであった。

志賀直哉じゃないが、かなり気に入った。短期滞在だったが外湯も入れるところは全部入った(笑)。坊主頭にして最高に良かったと感じた日だった。翌朝帰り際、女将に「今度は予約していらっしゃい」と言われたが、確かにそうだ。心残りは旅館での料理だ(素泊まりだったため夕飯はそば屋でそばだけ...)。城崎温泉は夜外で酒を飲める店が極端に少ない。ちゃんと料理付で宿泊予約してこそ、すべてを満喫できるように思った。

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