google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 「大空のサムライ」読了!: ひとくちメモ

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2006/07/31

「大空のサムライ」読了!

ボクの今年の夏のテーマはズバリ「零戦」だ。坂井三郎の600ページを越える大著「大空のサムライ」を昨日やっと読了した!こんなにすばらしい戦記を初めて読んだ。人間として尊敬できる数少ない人だった。坂井三郎氏が亡くなる前に読んでおきたかったなぁ。

戦記というとそれだけで敬遠してしまいがちだ。ボクもそうだった。だが坂井三郎の著書だけは戦記というカテゴリを越えて読んで損がない書物だった。坂井氏自身の零戦による空戦が克明にそして延々と記述されているのだが、そのときどきの戦闘そのもの以上に、心に響く感動がある。これは何なのか?

坂井三郎は零戦のエースパイロットだ。エースというのは通常5機以上の敵機を撃墜した戦闘機パイロットのことを言うらしいのだが、坂井三郎は64機も撃墜した大エースだ。だがその撃墜記録以上に、部下(列機)を一人も殺さず、自身の零戦を壊さず、自らも無事故という記録を持つその匠の技術と規律ある行動にこそ意味がある。ゼロファイター・サブローサカイとして英米でも高い評価を得ている所以はそのあたりにあるらしい。

本書でもっともすばらしかったのは、「襲いくる死との戦い」だった。15対1という絶体絶命の窮地における心理の揺らぎ。深手を負いつつ死に場所を探し、零戦の坂井として最後は宿敵グラマンに撃たせてやろうとまで考える。だが幸い敵は追ってこず、生と死の狭間を行きつ戻りつしながら、遠のく意識の中で生への的確な対処を施していく様は圧巻だ。

ボクにとっては相場の世界に入って必然的に出会った書物だと思う。生死を賭けた勝負というのは日々の鍛錬と規律と忍耐によって運を呼び込んだ側に勝利をもたらす。究極は常に自分との闘いだということを再認識した。どれほど勝ち続けていても、慢心してはならない。ボクにもまた絶体絶命のときが来るかもしれないのだ。少し長くなるが、「あとがき」にかえてのなかに書かれている言葉を心に刻みたいと思う。

(前略)数えきれないほどの敵と渡り合って命のやりとりをしたが、敵と渡り合う苦しさよりも、第二の天性をつくるまでに感じたいろいろの悩み、すなわち、怠けようとする心、妥協しようとする心、人をうらやむ心、等々いろいろのボンノウと闘うこと、言い換えれば、敵と闘うことより、自分に勝つことの方が、ずっと苦しいことであることを知った。
 私は思う。普通の人間と言われる大部分の人たちが、果たして生まれてから自然に死んでゆくまでの長い期間に、自分が持って生まれた人間としての性能の何パーセントを使って、この世から去って行っているだろうか……と。私は、平均三十パーセントくらいだと考えている。あとの七十パーセントは捨てているのである。
(中略)この心構えを持ちつづけ、自分の力の最大限を燃やしつづけていきたいと思う。また、そうすることを、みなさんにもおすすめする。

ボクの第二の天性は相場にあったわけだが、まさに相場における心構えそのものだと思った。そこは厳しすぎる勝負の世界だけれども、そのなかで闘えることがうれしく、またなんとか生きていけそうな目鼻も付いてきた。ボク自身、どこまで「大空のサムライ」に近づけるか、どこまで規律ある闘い方が出来るか試してみたい。それがすなわち生きるということだと思った。今年の夏はゼロファイター・サカイの著書に捧げたい。まずは「続・大空のサムライ」からだ!

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