休日の夜に見たくない映画
泥棒にデジカメを盗まれたので、早速上位機種に買い換えた。雨降って地固まるか。ちょっと違うぞ!?で、今後は盗まれないように持ち歩くことにした。でもその前のデジカメはたぶんゴミといっしょに捨てちゃったんだよなぁ。いつのまにかなくなっていた...。デジカメ運が悪いオレなのだ(管理がなってないだだけか?)。
さ、そんな世間話は早々に切り上げ、映画の話だ。日曜の夜にホームシアターでデイビッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」を観た。これほど休日の夜にふさわしくない作品もないな(笑)。映画そのものはまさにデイビッド・リンチ映画そのもので、音楽もいいし、感性で感じる映画だったと思う。でもあえて日曜の夜観ることはない...。月曜アタマ痛い!
映画とは、モンタージュとは、編集とは、そんなことを考えさせられる映画学校の教科書みたいな作品だ。好きな要素を全部盛り込めばこうなるんだろうな。ストーリや解釈についてはいろんな人がいろんなことをおっしゃっているので、いまさら書く気力はない。でも劇場で見なくてよかった(笑)。一回観ただけじゃどうにも収まらない映画だ。
「映画は映像で語るもの」とはチャップリンの言葉だったと思うが、デイビッド・リンチもそんな風なことを言っている。それでいいのではないか。言葉は無力だ。ところどころデイビッド・リンチ・フレーバーを感じるってことなら、妙に笑っている老夫婦やナオミ・ワッツなんかはお約束感があった。ナオミ・ワッツの演技のふり幅は相当なものだった!後半泣いてる顔なんて梅図かずお先生の漫画みたいな顔になってたぞ。
それにしても「ツイン・ピークス」がテレビで出来たからって、「マルホランド・ドライブ」をテレビの企画として作ったデイビッド・リンチにこそ狂気を感じる(笑)。こんなものテレビドラマで出来るかよっ!ある意味「サザエさん」が翌週「もう誰も愛さない」の設定になってるみたいな感じだろ...。ついていけないっす。映画だから成立したんだと思うなぁ。
「ツイン・ピークス」のときは細野晴臣さんがはまっていて、アンビエントの世界へ傾斜していく時代だったわけだけれど、この「ツイン・ピークス」と同じ深さと“過激な静けさ”を「マルホランド・ドライブ」の音楽にも感じた(サントラ)。音楽だけなら休日の夜に部屋を真っ暗にして聴いてもいいかもしれない。深海にいるような気分になれるかも。
とりあえず、一回観たら、今度はシーンを細切れにして自分で再編集しながら見なければならない。観ているときよりも見終わってから尾を引く時間が長い。それが「マルホランド・ドライブ」だ。そういう意味じゃホームシアター向きかも。また暗闇が多いから、グレイマットアドバンスのスクリーン向きともいえるな。
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コメント
空き巣お見舞い申し上げます。大変ですね。怖っ。
これ劇場で観ました。訳がわからないんですけど、脳が何故か活性化した記憶が。
口パク、二役・・・?
目で見えるものだけを現実と思ってはいけないのか?
役柄はひとつだけど誰が演じてもよいってこと?
・・とか映画館の暗闇であれこれ考えておりました。
現代ハリウッドでは異彩を放つリンチ監督だけど、この映画は”黄金期のハリウッドが実は大好きだった”という告白だと僕は思いました。ベティ(・・・とくればデイビス)、リタ(劇中ポスターも出てくるヘイワース)・・・それに豪邸に人目を忍ぶ男がいるなんて「サンセット大通り」だし。リンチ映画ってどうしても深読みしたくなるのです。
投稿: tak | 2006/07/30 21:10
こんばんは。毎日映画を観てるんですが、それだけに書いてる時間がなくて困ってます!
この映画はリンチの挑戦・挑発ですよね。よく「なんだなんだ!夢オチかよっ!」って怒り方をみんなするけど、この映画はそういう変にオトナな現代人をあざ笑いつつ、「これならどうよ?」って問いかけられてる感じでした。
何度も観なきゃいけないんだけど、観れないなぁ。こないだ「スウィングガールズ」はコメンタリー含めて立て続けに3回も見直したんだけどなぁ(笑)。
投稿: ポップンポール | 2006/07/31 22:20