テレビは公器じゃない
楽天によるTBS株取得で、テレビは公器だとか、カネの力で云々とか、またぞろ使い古された批判が相次いでワイドショーを賑わしていた。まるで労動組合のビラのように代わり映えしない...。
そもそもテレビがなんぼのもんじゃっつーところから始まらないとダメじゃないか。テレビなんてのはもともと公器でもなんでもなく、ただの玉手箱だった。
何ができるかわからないけど面白そうだって人々があつまって、好き勝手やり始めたなかから、永六輔やら黒柳徹子、大橋巨泉、マエタケさん、欽ちゃん、ドリフ、たけし、さんま、タモリ、愛川欽也、久米宏などなどテレビスターが生まれ、勝手に育ってきた産業だ(例にあげた人名におもいっきり偏りがあるのはご容赦あれ^_^;)。
それを食いものにする輩も生まれ、政治と結びつき、マスメディアは第四権力となった。面白がっていた時代は終わり、制服組っつーかな、そういう感じのお堅い人々がカネにものを言わせて大きくしてきたんじゃないか。それをいまさら公器をカネで買うななんてのはちゃんちゃらおかしい。
放送と通信という分け方をするなら、いまの通信のほうがかつてのテレビ業界に入ってきたような、混沌としたなかでなにか面白いことをやってやろうとギラギラしたヤツらがたくさんいるだろう。そういう人間たちがいつの時代も引っ張っていくのだし、いかなければならないと思う。彼らはカネ儲けは得意だ(発想があるから自然にカネがあつまってくるのだ)。だが利殖は考えてない。だから制服組も必要なのだ。制服組って使い方間違ってたら失敬(笑)。
報道と娯楽という分け方をするなら、娯楽でカネ儲けして、報道の環境を整えるという資本の循環は必要だ。きれいごとを言っててはどっちもつぶれる。それも労働組合と資本家との関係に似ているかもな(笑)。
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