ネタばれ
いつの頃からか「ネタばれ」が一般に広まっている。ネタばれ注意、ネタばれあり、などなど。
しかしそもそも「ネタばれ」とは、なんだろう?
推理小説で先に犯人がわかると面白さが半減してしまうから「ばらすなよ」ってのがネタもと?
お笑いで、先にオチがわかると面白さがなくなってしまうから「ネタいうなよ」みたいなこと?
このふたつは、まぁわからないでもない。
でも、いまや「ネタばれ」はストーリを最後まで伝えてしまうことを指すような勢いなのだ。
だけど、なんでもかんでも「ネタばれ」に気を使って書く必要があるのだろうか?
ネタがばれてたって、面白いものは面白い。いいものはいい。
わかったうえで作品を見るということは、それだけ深く作品にコミットできるってことじゃない?
わかってしまったらつまらなくなる作品なんて、所詮はその程度のもんじゃない?
あるいは「書く」ことに視線を向けると、「ネタばれ」に気を使うばかりに筆が鈍っちゃ意味がない。
また、ネタばれさせるそのこと自体が金科玉条のごとく鎮座してて、内容がスカスカとか最悪。
ネタをばらすとかばらさないとか、そういう断り書きなしに、素直に作品に迫っていけばいい。
読んでから見ても、見てから読んでも、作品を、鑑賞を、さらに高めることが出来る文章を目指そう。
そんな文章だったら、ネタばれがどうのとか、そういうことを気にすることもなくなると思う。
作品をなぞるのではなく、そこから新たな創造や飛躍を提示できたら最高。
作品を見ることが、この文章を補完するくらいの勢いで書けたら申し分ない。
なんて、自分のハードルを上げまくってみる。ま、なにも変わらないけど。
ここには「ネタばれ」もなけりゃ、タブーもない。これまでも、これからも、な。
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