ビンタはダメか?
高校野球でまた体罰が問題になっている。ひとつのニュースの中でも体罰と言ったり暴力と言ったり、部員に「手を上げたこと」そのものへの批判ばかりだ。
いつから体罰(ビンタ)が問題視されるようになったのだろう。オレも小学4年生の頃、サンドイッチ・ビンタを食らったことがある。めちゃめちゃ成績がいいヤツが転校することになって、そいつが早めに通知表をもらったのだが、どんだけ良かったのか知らずに転校されるのはどうにも残念で、ソイツのランドセルから通知表を出して5人で見たのであった。その首謀者はオレ...。それで5人ともサンドイッチ・ビンタだ。他の4人には悪いことをしたが、やはり成績優秀な通知表は美しかった(笑)。
往復ビンタは左右往復でビンタするが、サンドイッチ・ビンタは顔をサンドイッチの具と見立てて、両手で挟むようにビンタする。逃げられないから痛さも格別だ。体罰教師にはオススメのワザだ(笑)。
中学時代には音楽教師にデコピンされた。理由は忘れたけれど、笛を忘れたか、授業中に地図帳を読んでたか、そんな理由だったと思う。デコピンは人差し指と親指で輪を作り、頭(おでこ)をビー玉と見立てて、思いっきりパチンとはじくのだ。これは教師の爪がモロに額に当たりかなり痛い。これもオススメの体罰だ。
サンドイッチ・ビンタもデコピンも、その教師の名物になっていて、全生徒が知っていたし受け入れていた。アントニオ猪木のビンタみたいなものだ(違うかも!?)。教師の方は体罰をして大丈夫な生徒かどうか見ていたかもしれないし、分け隔てなく体罰をしていたのか、そこはわからない。しかしそれが問題になることなんてなかった。
高校野球の強豪校で、多少の体罰くらいは当たり前だと思う。マスコミが体罰という現象ばかりにスポットを当てるのはおかしい。前後に何があったのかの方が重要だ。オレは他人の通知表を見なければビンタを浴びていないわけで、何もしていないのにビンタされたら、そりゃ抗議する。ようは罪と罰のバランスの問題だろう。
それがいつのまにか、体罰は絶対悪のような風潮になっていて、じゃあどうすればいいのかという話だ。体罰の変わりに強権発動で退部させれば問題解決か?体罰でなくても、甲子園を目指すレギュラーへの嫌がらせでタバコを吸ったヤツがいても連帯責任か。叩かれて舌を出している人間も多いように思う。これでマスコミが騒ぐぞと心のなかで笑っているヤツだっているんじゃないか。
ものごとの因果関係を問わず、体罰を絶対悪とする風潮はおかしい。内容を問わずコイズミ民営化の賛否を問うおかしさにも通じる。うわべだけで生きている感じがする。それでみんな仲良くしているような気分になるのが教育なら気持ちの悪い大人ばかりになるように思う。ビンタくらいで動じない人間になれよと思う。
(8/25 追記)−−−−−
高校野球の体罰問題は、まったく違った様相を呈してきた。被害者の父親の話では、ビンタだけじゃなくてバットで殴るわ、みぞおちにパンチ入れるわ、ケリいれるわ、これは体罰じゃなくてリンチに近い。その上、学校側が内々に処理しようと画策していたとか...。こうなると、これは体罰の是非と次元の異なるニュースになってしまう。
中央集権的体育競技会で優勝するようなところは指導法も常軌を逸しているのかなとか、大会前にバレて出られなかった四国の名門校は取り消されてもいいから出て勝負したかったんじゃないかとか、氷山の一角とすれば全校調査しないとダメで今後も内部告発は毎回出てくるだろうなとか、いろんなことを考えさせられた。ま、ビンタはダメじゃないと思ってるけど。リンチはアカン!バランスとれてない。バランスとれてるようじゃ優勝できないのかもしれんが...。
それと、やっぱニュースってのは怖いな。普通の調査報道は、最初は小さく、事実が明らかになっていくにつれ報道も深くなっていくものだが、現在はそのような調査報道は皆無だ。事実確認の乏しいときに大騒ぎして、徐々に調査が進むに連れて風化していく。順序が逆なのだ。
私は新聞を読まないことにしている。それは新聞は常に先走りか誤りか後手に回っているかで、自分にとってプラスの要素が少ないから。また、読んでしまうと相場に勝てないという個人的かつ“非常識”な認識もあるけど。テレビ報道はその新聞の悪い面だけを増幅する装置と化してしまったのだろうか。昔からセンセーショナルな話題に私も含めて大衆が飛びつく図は変わっていないともいえる。
そういう大衆や報道の現象面だけがスパイラルに増大している社会なのかもしれない。ワッと騒いではすぐに忘れる。政治も経済も社会もあらゆる場面で、そのような感覚的な反応は、ときには面白いネタを提供してくれるが、そればっかりで生活していくのは危険だ。飛びつきながら、一方で冷静な目を持っていなければと、今回のニュースで思った。
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