紺屋は誤り...。紺谷典子
ここ数日、紺屋典子というキーワードでひとくちメモ「アンニュイなエニュイティ茶番劇」へのアクセスが多い。なにかあったのかなと調べたら、国民新党の副代表に就任(出馬はしない)されたらしい。すんません、新聞読まないもんで...。
あやまりついでですけど、紺屋じゃなくて紺谷が正しいです。でも紺屋と間違えた人でも、紺谷典子さんの年金問題の話題にアクセスできるひとくちメモ、有益でしょ...。柴崎コウ(正しくは柴咲コウ)以来の苦しい言い訳をかましておりますが、ついでに典子はノリコと読むとばっかり思っていました。正しくはフミコです。コンヤフミコが正解!
ま、漢字と読み方の誤りを正しちゃうと、正直伝えたいことの80%くらいは終わっちゃうんですけど(笑)。紺谷さんに対して、私はフラットな立場というか、朝日ニュースターの番組「パックインジャーナル」のパネリストとしての印象が一番大きいでしょうか。
基本的に理路整然と過激発言をする人ですよね(^_^;)。あとしゃべるリズムが独特、なんですね。そう、こんな風に自分の主張で相手を説得したいとき、必ず本文と語尾との間に小さな「間」をつくるわけ、です。この「、」こそが紺谷節なん、ですね。
ボクにはこの「間」はちょっとウザイ(笑)、んですけど、しゃべり方のリズムって話し手にとっては結構頭の回転と直結しているんで重要なこと、だとは思います。この「、」ウザイっしょ?
また、正義感もたぶん強い方だと思う。テーマによっては、その方向性に違和感を持つ場合がないわけ、じゃないけど、社会保険庁のいい加減な金使いや不正などを擁護するような役人や御用文化人なんかとトークをすると、強い視線で睨みつけます。あまりテレビカメラはその表情を捉えきれていないですけれど、その「本気度」は最近あまり見かけない“熱さ”を感じます。主義主張が合う話題では、この姿勢は好感持てますけど、意見が異なるとこれほど不快なこともない...。
人間は一面だけで捉えられないという意味で、私はフラットな立場で観察しているってスタンスなん、です。あえて立場を明らかにする必要もないというか。亀井静香氏にもほりえもんにも、私は好きな側面を持っています。でも、コイズミには持ってない。
なんでだろうと思うと、やはり自分と主張が合う・合わない以前に、中身があまりにもカラッポだからだと思う。なんかヴァーチャルな存在なんだな。コイズミって人間に見えない。主義の違いは乗り越えられるけれど、コイズミには呉越同舟できるほどの前提すら見いだせない。公明党はよく連立やってられるよな。似たところがあるってことか?権力の甘い蜜中毒か?
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