ミリオンダラーベイビーと相場
観に行った映画館は70席くらいしかない小さな映画館で、前に「アリ」を観たところだった。ボクシング映画づいてる映画館だな。その場末な感じが、ボクシング映画に似合っていて好きだ。
ミリオンダラーベイビーは、文句なく映画館で観るための映画だった。これを自宅のリビングで見ることなんて出来ないし、一度映画館(できれば満席でない夜の映画館)という異次元空間で見れば充分だ。そのくらいにヘビーな映画だった。ボクシングはタフなだけじゃダメだ。この映画の観客もタフなだけじゃダメだ。
最初はハードボイルドな映画かと思った。だが、「ハードボイルド」なんて言葉が空虚に聞こえるくらいにタフな映画だった。作り事のニヒリズムなんて吹っ飛んでしまうようなリアルな映画だった。これはボクシング映画ではない。ボクシングは途中まで。いや、最初からボクシング映画ではなかったかもしれない。引退した勝負師の生き様がはじめから影を落とす。
見終わったあと、涙は出ない。感動でもなく感激でもなく絶望でもない、なんだかいろんな感情の波がジワジワと、そうまさにボディブローのように効いて来る、そんな映画だった。その感情の波を一呼吸置いて分析してみると、そのなかにあった感情のひとつ、それは「闘志」だった。
ボクシングはあらゆる勝負師のメタファになりうる。過酷な競技だが、のめりこむ。儲けたいのではなく、ただ勝ちたいのだ。勝ち続けて頂上を目指したい。それだけにストイックになる。だがその過程で忘れてはならないことが2つある。ひとつはボスの命令は絶対だということ。もうひとつは常に身を守ることだ。
ルールは守るもの、守り続けなければならないものだ。それが勝つこと、勝ち続けることに等しい。そう思った。
私のリングは相場だ。相場にボスはいない。いるとすれば自分自身。それはつまり規律、ディシプリンに他ならない。そして身を守るとは損切りのことだ。どれほど強くなり勝ち続けても、油断をしたらまっさかさまの世界だ。それはファンタジーではなく現実であり、この映画はそのルールのシンプルさと怖さとをまざまざと見せ付けてくれた。
「常に身を守れ」という言葉は、あらゆる勝負で絶対のルールだと思う。ミス=死ということを、この映画を観て連想した。相場で損切れない人は、この映画の後半が自分の未来だと思って見て損はないと思う。
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