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2005.04.07

新聞をヨム日終了

4月6日は4と6の語呂合わせで「新聞をヨム日」だったそうだ。いまだにニュースステーションとつい言ってしまいがちな報道ステーションでやってた。ヨム日なら何も新聞でなくてもいい。読書の日にすればいいのに、新聞業界はテコ入れをやっているようだ。ほりえもんの「新聞よまない」というコメントまで流して、なんか意味があったのか?

かく言う私も新聞を読まない。就職してから読まなくなった。学生時代はジャーナリストにあこがれたりして、新聞ダイジェストなんかも買っていた。「新聞論」なんて授業も履修していたが、その頃の提出論文には「新聞紙はいろいろ役立つが新聞は役に立つのか」などと挑発的なことを書いて単位を落としたものだ(笑)。

私にとって新聞とは旧聞であって、その情報に意味はない。特に新聞の内容は年々悪化しているしレベルも低下しているような気がするが、読んでいないから大きいことはいえない。

それに比べて引越しのときに皿を包んだり、キャンプの時に火を点火するときに使ったり、お習字を習うとき、カブトを折るときなどなど、新聞紙は非常に役立つ。だが、よくよく考えるに毎月3000円も払って紙くずを買うなんてバカげてる!最近は無料のタウン情報誌がワンサカ送られてくるので、新聞紙もいらなくなり家計のコスト削減に貢献してくれている。もっともタブロイド判のカブトは小さくて被りにくいので、カブトには新聞紙が有効だ(笑)。

そもそも、勧誘商売というのが胡散臭い。新聞屋の勧誘では詐欺まがいのことも平気で言うし、新聞屋は悪徳業者だと思っている。そのうえ内容がお粗末では、盗人に追い銭ではないか。販売店の板ばさみの苦労は大変なことだと思うが、時代に合わない商売は長続きしないと思う。

情報氾濫の世の中で、なにを選択するかが問われている。ニュース解説など掘り下げた記事や書評などには読ませるものもあるだろう。ナビゲーターとしての記者の取材力がモノを言う。それだけを有料配信すればいい。風説のようなその他の情報やニュースや広告にはカネを払う価値がない。それでカネが取れないと怖がるような記事しか書けていないなら、そんなものはいまですら不要な情報なのだ。逆に記事と記事とのリンクからも情報提供料を取ればいい。内容(コンテンツ)の充実があれば、収益構造の改革に恐れる必要などないのだ。

例えば、「イラクの自衛隊」だけを連日配信するなら、そのテーマにカネを払う。「今日のバカ小泉」というネタ集が毎日来るなら買ってみたい。私は首相官邸メルマガをいまでも読んでいるが、それを一日遅れでいちいち茶化すだけでもいい。毎日1テーマで真逆な論説を併記するメルマガとか。もともと社説はそれだけでメルマガと同じ構造じゃないか。紙でやるかメールでやるかの違いだけだ。あらゆる情報を「●●新聞」という束にして届けてもらう必要はない。そのためのコストはすべて不要だ。

媒体としての新聞紙と宅配制度をなくしたらコスト削減効果もあるだろう。無用な人件費も削れる。売り上げが下がっても収益構造を変えることで生き残りを計るのが経営の仕事だ。変化を恐れる新聞社なんて。団塊世代の大量退職時代で現金が必要な時代ではあるが、同時に収益構造を変えるチャンスでもある。

量より質の時代だ。すでに小売業界では中央集権的な商売(ダイエー的手法)が崩壊した。情報産業も同じではないか。新聞の権威などにありがたみはない。それは幻想だ。良い記者が複数いる職人集団(例えば「●●新聞七人の侍瓦版」とかさ)を育てれば読者はついて来ると思う。提灯記事で入り広告だけをあてにしているようでは未来はない。

ななめ読みの効能について。かつては自分の興味対象外の記事でも、「おや?」と目がとまり、そこから興味が湧いていく、視野が広がっていくという良さがあったかもしれない。いまでもそれが無いとはいわない。だがいまや無意味な情報をいかに遮断するかが重要なのだ。新聞が提供してくれなくとも、ニュースとの偶然の出会いはいくらでもあるのである。新聞はいらない。新聞紙も代用がきく。そうなってくると、新聞には何が残っているのか???

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